第三十四話
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
紅姫に屋敷の中へ招かれ、紅姫自ら入れてくれたお茶を頂く。
若い鬼塚部長は紅姫の側に控えて、私達の様子を観察、いや、最高レベルで警戒している。
「本当に私とそっくりね。私の名前は紅と言うの。」
紅姫が私の顔をマジマジと見つめて、自己紹介をしてくる。
「私の名前は、紫です。私もそっくりで、びっくりしました。」
「えっと……旅の芸人さんでしたか?だから、そんなに変わった格好をしていらっしゃるのね。」
まぁ、洋服なんて無い時代だもんね……
「はい。この子を追って、道に迷ってしまって……」
子狐ちゃんに目をやると、若い鬼塚部長も子狐ちゃんをじっと観察し始めた。
「その狐、ちょっと見させて貰おう。確かめたい事がある。」
若い鬼塚部長が子狐ちゃんに手を伸ばそうとすると、子狐ちゃんは焦って私の膝に乗り、若い鬼塚部長の手を嫌がるようにしがみついてきた。
咄嗟に庇うように子狐ちゃんを抱き締めると、その様子を見た紅姫が、若い鬼塚部長を止める。
「衛、大丈夫みたいよ。虐待されていれば、しがみつく事は無いわ。」
「……はっ。」
紅姫に諭された若い鬼塚部長は、また紅姫の側に控える。
「虐待ですか?」
私の疑問に、紅姫が答える。
「ええ。とても賢い動物達が時々いるのだけど、悪い人達に捕らえられて、見せ物にされる事があるのよ。でも、あなたはその子を大事にしてくれているみたいで、安心したわ。」
賢い動物達って、もののけの事?紅姫は傷を癒すだけで無く、人間界で捕らえられたもののけ達を保護活動もしていたのかも……
「ところでずいぶん広いお屋敷ですが、ここは紅姫と……」
何気なく紅姫に話し掛けると若い鬼塚部長の刀が、シャキーン!と再び私の首を捕らえた。
「芸人風情が、初対面で"様"を付けないなど……」
ひえぇ~!私は、さっきまであなたが穏やかな笑顔を向けていた紫ですよ~!
と言っても、分かって貰えないよね!
「衛、やめなさい!」
紅姫の一喝で、何とかその場は収まる。
はぁ……命拾いした……
会社での塩対応が、優しく見えてくるわ……
「ごめんなさいね。それで何を言いかけたのかしら?」
紅姫が、私に続きを促してくる。
「はい、広いお屋敷に二人しかいらっしゃらないのかと思いまして。」
「他の者は、もう暇を出したのよ。私の輿入れが決まったから。」
「ご両親もですか?」
「両親と弟は、流行り病で数年前に……」
紅姫が少し寂しそうに笑う。
「ご、ごめんなさい……嫌な事を聞いてしまって……」
つまり紅姫は、若くして高倉家の当主になったんだ……
「いいのよ。輿入れまでは民の者が食べ物を持って来てくれるから、寂しく無いわ。」
「逃げていないか、監視も兼ねてだろうがな。」
紅姫の言葉に、若い鬼塚部長が言い足す。
「衛、本当に私の事を心配してくれている方もいらっしゃるわ。」
紅姫が窘めると、若い鬼塚部長は渋々ながらも口をつぐむ。
ふと、部屋の片隅に飾られた豪華な着物に目が止まった。
「綺麗な着物ですね。」
「ええ。亡くなった両親が、生前用意して下さった着物なの。いつか婿を迎える時の為にと。他の者に暇を出してからは動きにくいから、民と同じ着物を着ているのだけどね。」
紅姫は明日、若い鬼塚部長を封印する……そして、武家に嫁ぐ……
何とも言えない複雑な気持ちで、豪華な着物を眺めた。
『今日はもう日も暮れるから、泊まって行って。』という紅姫の言葉に甘えて、一泊する事になった。子狐ちゃんを抱っこして、紅姫の後ろを付いて客間に入る。
「客人用の褥を、一組取っておいて良かったわ。残りは民にあげてしまったのよ。」
「自分でやります。」
紅姫が慣れない手つきで押し入れから布団らしき物を引っ張り出そうとするので、代わりを申し出る。
「ありがとう。正直なところ、こういった力仕事は慣れていなくて……」
「お姫様なんですよね?」
「没落寸前だけどね。でも、使用人達と同じ事をして、今までどれだけ恵まれていたかがよく分かったわ。」
褥と呼ばれる布団を敷き終わり行灯に火が灯ると、紅姫は挨拶をして部屋を出て行った。残された薄暗い部屋の床に座って、小さく息を吐き出す。
「ふぅ……どうやって現代に帰ればいいのか……」
紅姫と若い鬼塚部長に出会ってすっかり忘れていたけど、突然タイムトリップした事は間違い無さそうだ。
「飛ばされる直前、紫は願ったであろう。鬼の言葉を伝えたいと。恐らく紫が願えば、勾玉が反応するのでは無いか?」
「うわっ!いきなり喋るとびっくりするじゃん!」
子狐ちゃんへ恨めしそうな目を向けたものの、子狐ちゃんは後ろ足でポリポリと身体を呑気に掻いている。
「それこそ今更であろう。それにしても勾玉の力は凄いな。時空を歪ませるなど、もののけの世界で一番妖力のある颯でも出来ぬぞ。」
「うん、いきなりでびっくりするよ。」
日が暮れてきたのか、ポン!と音がしたかと思うと、子狐ちゃんが人の姿に変わった。
「こっちも毎度毎度驚くけどね……」
「そんな事より、紫は気付いておるか?」
「何を?」
「寝所は一つであるぞ。」
「……へっ?」
瞬は四つん這いになって、ジリジリとにじり寄ってくる。
「子狐ちゃんになってくれれば、何も問題無いじゃん。」
「それでは面白く無いではないか。いつもの壁の薄い部屋では、紫の可愛い声が他の男に聞かれかねぬしな。」
「……?」
意味が分からない……今まで声なんて、誉められた事なんか無い。
「可愛い声って何?」
「我の腕の中で愛されて啼く声だ。ここなら存分に紫を可愛いがる事が出来るぞ。」
そ、それってもしかして!"なく"の漢字が明らかに違うよね?!嫌な予感が!
「ちょ、ちょっと!な、何を言ってるのかな?」
にじり寄る瞬から、思わず後退る。
「大丈夫だ。優しく失恋の傷を癒してやるからな。」
立ち上がる事も出来ずにずるずると後退るものの背中に壁が当たり、瞬は両手を壁に付いて逃げ道を塞いできた。
き!究極に綺麗な顔が迫ってくるっ!
「瞬!ちょっと落ち着いて!」
「充分落ち着いておるぞ。紫は黙って、我に身を任せれば良い。」
「う、嘘だよね?」
「もう何も喋るな……」
瞬が私の髪の毛を耳に掛けたかと思うと、顔が傾いて吐息が掛かる距離までゆっくりと近付いてくる。
チュッ♪
ギュッ!と目を瞑りその瞬間に備えたけど、唇には何の感触も無く、代わりに頬に柔らかいものが軽く触れてきた。
「い、今の……」
ゆっくり瞼を開けると、瞬が悪戯な笑顔を浮かべている。
「いくら何でも、他に想い人がおるおなごに、手は出さぬ。」
もしかして、からかわれただけ?ホッとしたような、残念なような……
って、何で残念なのよっ!
「そ、その割には、前は襲おうとした癖に!」
自分の勘違いを誤魔化すように、そそくさと褥に入る。
「ほう。この前のような激しいものを所望であったか。ならば……」
そう言って、瞬も同じ褥に入ってくる。
「ちょ、ちょっと!」
瞬を押し退けようとするけど、腕を取られて強引に抱き締められ、瞬の胸に顔を埋める格好になる。そして瞬は私の頭をゆっくりと撫で始めた。
「紫はよく我に抱きついて『癒される』と言っておるからな。今宵は人の姿で、特別に癒してやろうではないか。」
もう……何だかんだ言いながら、結局は優しいんだから……
だから心底拒めないんだよね……
「私が癒されるのは、子狐ちゃんなんだけど……」
私が憎まれ口を叩きながらも抵抗の力を緩めると、瞬はクスッと微かに笑った気がした。
あ……眠たくなってきた……
そして、暖かい腕に包まれる安心感に身を委ねて、目を閉じた。




