第三十二話
はぁ……指輪、返し損ねた……
寝支度を整えた後、鬼塚部長から貰った指輪を見ながら、溜め息をついた。
ドライブへ行った後から鬼塚部長のスマホは繋がらなくなり、会社も辞めていて、まったく連絡がつかなくなった。
会社からビュヴールへ行く間は、常に美華が付き添ってくれている。鬼塚部長が突然美華の元を訪れて、頼んでいったらしい。
鬼塚部長、いきなりどうしたんだろう……いつもと違う様子と言えば、時々透き通って見えたって事くらいだよね……
指輪を眺めながら思案を巡らせていると、瞬が後ろから抱きついてきた。
「紫、失恋の傷は、我が癒してやるからな♪」
あ、そっか……瞬にとっては、そういう事になってるのか……
「残念ながら、まだフラれたとは決まってませ~ん♪」
相変わらず可愛気の無い返事であしらうものの、瞬は終始上機嫌だ。
「なぁなぁ、次の休みには買い物へ付き合ってくれるのだな?」
「そうねぇ……」
次は三連休か……色々あり過ぎてのんびりしたい気分だけど、一日くらいは付き合うか……
「ところで、瞬はいつも作務衣だよね?こっちの服は着ないの?」
「おお!では、我の洋服とやらも見繕ってはくれぬか?」
「いいよ。」
瞬の洋服かぁ……きっと何を着ても似合うんだろうな……スタイル抜群だし、このルックスだし……明日にでも、メンズファッション雑誌を買ってみようかな……
そして連休前日、いつもどおりビュヴールから瞬と歩いて帰っていると、アパートの前に鬼塚部長が立っているのが見えた。
「鬼塚部長!」
走って駆け寄ると、鬼塚部長は穏やかな、でも少し寂しそうな笑顔を向けて、私の頭をポンポンしてきた。
「紫は相変わらずだな。急ぐと転ぶぞ。」
「そんな事より、一体どうしたんですか!いきなり会社も辞めちゃうし!」
「悪かったよ。急いで身辺整理をしないといけなくなってな。」
身辺整理……?何だか胸がざわざわする……まるで、鬼塚部長が遠くへ行ってしまうような……
「悪いが、今から付き合ってくれないか?」
部長が私にそう言うと、遅れて追いついてきた瞬が噛みついてきた。
「今更何を言うのだ!紫は我と買い物へ行く約束をしておる!」
「狐も一緒で大丈夫だ。」
「へっ?」
予想外の言葉に、私と瞬で、思わず顔を見合わせた。
鬼塚部長の車に乗って一晩中走り、明け方頃にやっと目的地へついた。
「ここは……」
連れて来られたのは山間の集落で、建物もあまり見えない過疎地のようだ。
「こっちに来てくれるか?」
子狐ちゃんを抱っこし、鬼塚部長に付いて山道を進むと、案内されたのは一つの洞窟の前だった。
「この奥で、俺は四百年眠っていたんだ。そして、紅姫と別れた場所だ。」
「……ここで?」
「あぁ。紫に返すものがあってな。人目につかない所がいいから、付きあってくれるか?」
深刻な物言いに、子狐ちゃんも黙って成り行きを見ている。私は鬼塚部長に軽く頷き、後を追って洞窟へ入っていった。
洞窟を歩きながら、鬼塚部長は色々な話をしてくれた。
「紅姫の治める国はもののけを従えているからか、何処の国からも侵される事無く、平和な小国だったんだ。」
「紅姫は、もののけを従わせる程の力を持っていたって事なんですか?」
「いや、もののけは皆、心優しい紅姫に自主的に従っていたからな。紅姫にはもののけの傷を癒す力があったから、みんな頼りにしていたんだ。」
紅姫にそんな力が……
「だがその頃、全国の武将達は争い、競って自分の土地を広げて行ったんだ。そして時代の波は、平和な小国までも飲み込んでいったよ。」
丁度、戦国時代に入った頃かな……?
「不思議な力を持つ紅姫の噂を聞き付けて、全国の武将達が求婚してきてな。もののけの力を持ってしても、何万という大軍が押し寄せれば、小国など簡単に潰されてしまう。捕らえられたもののけ達が争いに利用される事を恐れた紅姫は、皆をもののけの世界へ帰し、武家に嫁ぐと決めたんだ。」
武家に嫁いだのは、そういう経緯があったんだ……
「俺は、紅姫に進言したんだ。もののけの世界へ一緒に逃げようと……身を潜めて時がくれば、高倉家を再興すればいいと……」
「紅姫は、逃げなかったんですね。」
「あぁ。もし紅姫が逃げたとなると、小国は潰され、民達が襲われ兼ねない。だから、嫁ぐ事を選んだのだろう。」
鬼塚部長と紅姫は想い合っていても、結ばれる事は無かったんだ……
「それでも諦め切れない俺は、逃亡の前日、紅姫への想いを打ち明け、一緒に逃げる約束の口付けを交わしたんだ。」
洞窟の中を歩き続け、鬼塚部長は一つの朽ち果てた祠の前で足を止めた。
「昔、ここからもののけの世界へ繋がっていた。俺は紅姫を連れて、この祠の前までやってきたんだ。」
……あれ……?
鬼塚部長がまた透き通ってきた。しかも、今度は元に戻る気配が無い。
「もののけの世界へ行く直前、いきなり背中に焼けるような痛みを感じてな。痛みに耐えながら紅姫を振り向くと、紅姫は泣きながら俺の背中に手を押しつけていたんだ。『願わくば、平和な時代に……衛が幸せに生きていける時代に目覚めますように……』そう言って、紅姫は俺に術をかけた……」
鬼塚部長の身体が、段々と薄くなっていく……まるで、二度と会えなくなるように……
「鬼塚部長……身体が……」
鬼塚部長は微かに笑い、いつもどおり私の頭をぽんぽんとしてきた。
「紅姫の術を持ってしても、身体の限界が来たようだ。紫には色々と迷惑をかけたな……」
「そんな……」
「最後に、衛と呼んでくれないか?」
私の頬に一筋の涙が伝う。それを優しい目で見ながら、鬼塚部長はそっと拭った。
「まも……る……」
震える声でかろうじて鬼塚部長の名前を呼ぶと、鬼塚部長は満足そうに笑った。
「俺の身体には、紅姫の勾玉が埋め込まれている筈だ。それをやっと紫に返すことが出来る……」
溢れる涙のせいなのか、部長の身体の輪郭がぼやけてくる。きっとそれは、止められないことと頭の何処かで分かっていた。
それでも最後の抵抗で涙を流しながら、顔を横に振る。
「嫌……嫌です……」
だけど鬼塚部長は私から距離を取り、安心させるように微笑むだけだ。
そして、鬼塚部長は最後、両手を上に挙げて呟いた。
「紅姫……愛している……願わくば極楽浄土でも、貴女のお傍に……」
砂の山が崩れるように、鬼塚部長の身体が砂となって零れおちていく……
「嫌ぁ~っ!」
咄嗟に駆け寄ろうとすると、瞬に止められた。
「紫、行くな!もう我らには、どうすることもできぬ!」
そして……
鬼塚部長は跡形も無く消えた……砂の上には、一つの勾玉が落ちていた。
「これが……」
そっとしゃがんで勾玉を拾い上げる。
「うっ……」
仕事中の厳しい顔も、突然されたキスも、紅姫への深い愛も、最期の穏やかな笑顔も……走馬灯のように優しい思い出として溢れてくる……そして、もう二度と会うことは叶わない……
「うぅ……うっ……」
どのくらいそうしていただろう……勾玉を握り締め、涙が枯れるまで泣き続けた。




