第二十七話
休み明けはすっかり熱も下がっていた。会社の昼休み、美華からランチに誘われて、会社近くのカフェで待ち合わせをした。
「紫、待った~?」
「ううん、今来たと……」
少し遅れてやってきた美華の顔を見て、言葉に詰まった。
「あ……やっぱり分かる?かなり化粧を濃い目にして、眼鏡も掛けたんだけど……」
苦笑いしながら私の向かい側の席に座る美華の目は、微かに腫れているみたいだ。
「一体何があったの?」
「うん……実は、若様にフラれちゃった!」
「えっ?えぇ~?!」
「一度きりも無いって言われちゃったよ。」
「嘘っ!あの瞬が?」
瞬は、来るもの拒まずだと思ってた……
「まぁ、好きというより憧れの方が強かったし、若様もそれが分かってたんじゃぁないかな。一度きりも無い方がいいって言う若様の優しさが、余計に身に染みてね。」
「そうなんだ……」
「だからかな。一晩泣いたらスッキリしてさ♪」
それで、目が腫れているんだ……美華がスッキリしたって言うんなら、私から何も言わない方がいいかな……
「それに、元々当たって砕けろって感じだったんだ。若様に想い人がいる事も知ってたしね。」
ぶほっ!
口にしたカフェオレを吹き出しそうになる。
「マジで?瞬って、好きな人がいるの?」
驚きながら美華に聞き返すと、今度は美華が驚いた表情を浮かべた。
「紫、分からないの?」
「うん。だって、瞬とそんな話なんてしないし。美華の知ってる人なの?」
美華は、呆れたようなため息をついて、ボソッと呟いた。
「はぁ……若様も浮かばれないわ……」
「えっ?何て言ったの?」
聞き取れなくて尋ねてみると、顔を横に振られた。
「何でも無い。若様の想い人は知ってるけど、教えな~い!」
「何でよ~!」
「まっ、最後のちょっとした悪あがきかな♪」
美華はペロッと舌を出して、楽しそうに笑った。
まぁ、いっか。美華も元気になったみたいだし♪
それよりも、恋愛が分からないって言ってた瞬に、好きな人がねぇ……
「それよりも、鬼とは何も無いわよね?」
今度は、私が尋問される番らしい。
「無いよっ!」
急いで手を振って否定するものの、美華には想定内だったみたいだ。
「だよね。キスされてた時、紫は固まってたでしょ?」
「うっ……やっぱり分かる?思考が止まっちゃって……」
「で、どうするの?鬼と付き合うの?」
「ううん、鬼塚部長は私と紅姫を重ねているだけだと思うし……」
「若様は?」
「瞬?無い無い!ただのエロ狐じゃん!それに、瞬は好きな人がいるんでしょ?」
再度、美華は呆れたようなため息をついて、私に聞こえない独り言をボソッと呟いた。
「はぁ……若様が不憫だわ……」
温泉旅行の後からも、鬼塚部長の塩対応は変わらない。
「日向!こんな簡単な誤字くらい、自分で気付け!」
「はいっ!すみません!すぐに直しますっ!」
告白なんか無かったかのような、仕事の鬼っぷりだ。
お昼ご飯さえ食べ損ねる程の忙しさに、発熱した後の体力の無さが、余計な疲れを与えてくる。
夕方、カフェスペースで甘いラテを飲みながら一息ついていると、鬼塚部長がやってきた。
「日向、お疲れ。」
「鬼塚部長、お疲れ様です。」
ごく普通の会話を交わし、鬼塚部長が自販機にお金を入れた時、声を抑えて話し掛けてきた。
「今日はビュヴールでなく、別の店で食事をしないか?」
「えっ?……はい。」
「じゃ、いつもの交差点で待ってるな。」
「分かりました。」
自販機から出てきたコーヒーを手に取ると、鬼塚部長は片手を挙げて、カフェスペースから出て行った。
そうだ……告白の返事をしなきゃ……
基本的に二人でいる時、鬼塚部長は優しい。付き合えば絶対に幸せにしてくれるだろう。イケメンだし、収入もあるし、仕事も出来るいい上司だ。
だけど鬼塚部長は、紅姫と私を重ねて見ている。大切に思っているのは、私ではなく紅姫だ。
「っていう説明を、何て言えば……」
また頭を悩ませる事態に、再び熱が上がらないことを祈った。
鬼塚部長に連れて来て貰ったレストランは、薄暗い店内でジャズピアノの生演奏が流れる、雰囲気のいいお店だった。
席に座り渡されたメニュー表を見るものの、値段が書いて無い。
こ、これって、噂に聞いた、男性客にしか値段が書いていないメニュー表だ!
それくらいの高級レストランって事?!絶対、お会計は万単位だよね!!
「紫、好きなものを頼んでいいぞ。」
「あっ、はい……」
鬼塚部長に勧められて、メニューにじっくり目を通す。だけど名前を見ても、どんな料理か検討がつかない。
大体、アマンディーヌって何よっ!アメリケーヌソースってどんな味なの?!イベリコ豚しか分からないじゃん!
「えっと……鬼塚部長のお勧めでお願いします。」
うん、これが一番無難だよね……
「飲み物も、適当でいいか?」
「はい……」
鬼塚部長は慣れた様子でオーダーし、先ずはシャンパン、では無く、シャンパーニュという洒落た名前に言い換えたグラスが、運ばれてきた。
グラスを合わせずに軽く上げて、スマートな乾杯を交わす。
鬼塚部長がいつも以上に、大人に見える……
恋人というより、引率者だな……
食事は、見た事も無い高級食材のパレードだった。残念ながら庶民出身の私は、緊張のあまり味が分からないまま、食事を終えた。
食後のエスプレッソが運ばれて、やっと一息ついた頃、鬼塚部長はテーブルに小さなジュエリーボックスを置いた。
「紫、開けてみてくれ。」
「えっ?で、でも……」
これって、どう見ても指輪が入っている箱だよね……
戸惑っていると、再度開けるよう勧めてくる。
恐る恐る手に取って開けると、そこには眩いばかりに輝く、一粒の大粒ダイヤモンドの指輪が鎮座していた。
「こ、これは……」
急いで返そうとすると、逆に押し返される。
「俺の気持ちを知っていて欲しいんだ。返事は急がなくてもいい。取り敢えず預かっていて貰えないか?」
「ですが……」
「お前が持っていてくれている間は、俺も希望が持てるしな。」
これは多分、プロポーズだよね……
「お前にとっては急に感じるかもしれないが、俺はずっと考えていた事だ。狐が現れて計画が早まったがな。」
きっと、四百年以上もの間、思い続けていた紅姫への気持ちが、詰まっているんだろうな……
「その……紅姫は……」
私が言い淀んでいると、鬼塚部長はふっ、と微笑んだ。
「確かに最初は、紅姫に似ている事がきっかけだったよ。だけど、どれだけ注意しても不貞腐れずに素直に聞き入れ、より良い仕事をしようとする姿勢が、気に入ったんだ。だから、紅姫は関係無く、お前自身を大事にしたい。俺との結婚を、考えてくれるか?」
そう言われたら、返す言葉も無い。引っ掛かりだった紅姫の身代わりでは無いと言われたら、断る理由が無くなってしまう。
「それに、俺のものになれば、お前は二度と狙われないだろう。」
「そうなんですか?」
「あぁ、基本的に他の種族のものとなれば、手出しはしない筈だ。」
瞬は、私が宿で襲われた時、自分のせいだと言っていた……だから、必ず守るって……
もし部長の話が本当なら、瞬が義務を感じる必要も無くなる……
「……分かりました。一旦、お預かりします。」
「ありがとう。」
鬼塚部長もこれだけ考えてくれたんだし、一旦預かって、私も真剣に考えなきゃ……




