第二十話
仕事終わり、鬼塚部長にビュヴールまで送って貰う為、時間差をつけて退社する鬼塚部長を会社近くの交差点で待っている。
「そろそろかなぁ……」
腕時計を確認するため、目線を落としたところで、ふと目の前に影が落ちた。
「鬼塚ぶ……」
名前を呼びながら顔を上げて気付いた。目の前にいたのは、お金を持ち逃げした元彼だった。しかも、親しげに話し掛けてくる。
「誰と間違えてるの?紫ちゃんったら、酷いなぁ~。」
「何言ってんの!お金返してよっ!」
「そんなに怒らないでよ。ちょっと借りただけだし♪」
「勝手に持って逃げるのは、借りたとは言わないからね!」
「逃げて無いじゃん。その証拠に、目の前にいるしね。人聞きの悪い事言わないで欲しいな~。」
悪びれるどころかこちらを責めるような言い方に、呆れてしまう。
「じゃぁ、いつ返すのよ!」
「今まで会えなかったから、いじけてるんだろ?寂しい思いをさせて悪かったよ。忙しくて、連絡出来なかっただけだから。」
まだ彼氏だった時のように、元彼はすすっと私の頬を撫でてくる。
「ちょっと、触らないでよっ!」
避けようと後退りするものの、逆に壁際に追いやられてしまう。
「そんなにへそを曲げるなって。怒ってばかりだと、可愛い顔が台無しになっちゃうじゃん。もう少ししたら社長婦人になるかもしれないんだし、そのままの可愛いさを保ってくれよな♪」
「社長婦人?」
聞き慣れない言葉に、眉間に皺を寄せる。
「そそ。今度友達と起業する事になったんだ。それが成功したら、俺、社長だぜ♪紫も仕事しなくても遊んで暮らせるぞ!」
何を言ってるんだろう、この人は……
一度冷めてしまったから分かるのかもしれないけど、怪しいことだらけじゃん……
「……で?」
「何だよ。俺がこんなに頑張ってるんだから、少しは喜べよ。俺がこんなに紫の為思っているんだからさ。」
元彼は、わざとらしく呆れたようなため息をつく。
私の為にって罪悪感を植え付けて、その後に甘い言葉で逃げ道を塞ぐ……一度騙された相手を、簡単に信用する訳無いじゃん……
「でさ、もうちょっとお金があればうまく行くんだよ。その辺も含めて相談がしたいから……」
「バカじゃないの!今すぐ私のお金を返して!」
「会社が軌道に乗れば倍にして返せるから、それまでの投資だと思ってさ♪」
「もう騙されないもん!何を言われても、私は一円も出さないからね!」
「俺達の仲じゃん。そんな冷たい事を言うなって♪給料も出ただろ?もう少しでボーナスもあるじゃん♪俺と一緒ならお金無くても、愛があれば生きていけるよ。」
くっ……悔しい……私は何でこんな顔だけの男を、少しでもいいと思ったんだろう……
怒りやら、悲しさやらごちゃ混ぜで、喉の奥が詰まったように声が出て来ない。
俯いて怒りで震える手を握り締めていると、元彼が何を勘違いしたのか、満足げに微笑み掛けてきた。
「そっか。震える程嬉しいか。分かって貰えて俺も嬉しいよ。二人で幸せになろうな♪」
元彼が再び私に手を伸ばしてくる。
嫌っ!
顔を背けた私に元彼が触れる直前、誰かが私の肩を抱き寄せ、元彼の腕をガシッ、と掴んだ。
「紫に触るな!」
肩を抱き寄せてきた人を見上げる。その人は、元彼の腕を掴んで牽制する鬼塚部長だった。
元彼は怯みながらも、鬼塚部長に文句を言っている。
「てめえは何だよ!俺はこいつの彼氏なんだけど!」
「本当か?」
元彼の主張にも動じること無く、鬼塚部長は冷静に私へ尋ねてくる。私は顔を必死になって横に振った。
「違うみたいだが?」
「な、何を言ってるんだ?紫、お前は俺の彼女だろ?」
ち、違う……
まだ震えている手を握り締めて、顔を横に振る。
「いや、だって……」
「お前が誰だかは知らないが、嫌がる女に手を出すようなクズは失せろ!」
何か言いかけた元彼を、鬼塚部長はドスの効いた声で鬼の睨みを効かす。
「な、何だよ!お前、二股してたのか!とんだビッチだな!借りたお金は、慰謝料として貰っておくからな!」
そう言い残して、元彼は逃げるように去っていく。
「あの男は、もしかしてお金を持ち逃げした奴か?」
コクコクと頭を縦に振ると、鬼塚部長は逃げていく元彼の背中に向けて、パチンと指を弾く。途端に、元彼が何も無い道で転んだ。
「あいつに貧乏神が降りるよう、印をつけておいたぞ。」
「……えっ?」
「人間を殺すことは禁じられているが、これくらいなら大丈夫だろう。あいつは一生ツキに見放されて生きていくようになるから。」
そんな事も出来るんだ……
もののけって、敵に回さない方がいいみたい……
「それよりも、本当に紫は目が離せないな。」
鬼塚部長は鋭い目を緩めて、いつもどおり私の頭をポンとしてくる。
「ご迷惑をおかけします……」
「そろそろ行くか。今日はお前の友達もいるんだろ?」
「はい……」
はぁ……ため息しか出ない……
この時私は落ち込むあまり、鬼塚部長に肩を抱かれたままという事も、会社から出たら名字では無く名前で呼ばれる事にも、気付くことはなかった。




