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先輩、さっきのは……。
さっきのキスは……。
部活の剣道をしている時にすごく気になって、練習に身が入らなかった。
私としたことが。こんなことで集中が切れるなんて。
私としたことが……。
それにしてもあの子、誰だったかな?
確か隣のクラスの……。
一年B組の西川音子。
だったっけ?が、なぜ先輩の頬にキスを?
どういう事?
その時、自稽古中だったために相手から面を打たれた。
パーンという音がして竹刀が友代の面に食い込む。
「ちょっと、坂口!集中しなさいよ、集中!」
相手は剣道部三年の山内茜先輩だった。全国レベルの実力の持ち主で、剣道部主将であり、女子の部長でもあった。
「剣道は技とスピードと精神力が命!お前は今ので死んだわ」
死んだとは言い過ぎだろう。
しかし、友代の目は死んでいた。
無理もない。好きな先輩が知らぬ女子とチューをしていたのだ。
乙女心に花が散るというものだ。
でも、恋と剣道を両立すると誓ったのだ。
その誓いだけは変わらない。
「先輩、もう一本お願いします!」
「お前、一年のくせに生意気だね。私から一本取ろうっての?」
「取ってみせます!」
友代は大きく振りかぶり、面を打った。
その剣閃は相手の竹刀によって弾かれてしまった。
「甘いね!」
茜はその鍛えられた竹刀の動きによって友代を追い詰めていく。
友代も負けてなかった。
相手の動きを読むと、その動きに合わせてステップを踏んでいく。
フットワークは友代も絶妙だった。
継ぎ足で小手と面の連続技に繋げた。
「小手っ、面!」
パンパーンという音がこだました。
この打ち込みによって友代の流れが変わった。気が引き締まったのだ。
確かに剣道には精神力がものをいう。友代は全神経をこの自稽古に集中した。
剣道は竹刀で打つイメージがあるが、実は武道の基本はすべて足の運びにある。
開き足で左右に体を揺らすと、友代は歩み足によって竹刀を正眼の構えに整える。そして継ぎ足を再び這わせると、今度は大きく面を打った。相手も面で迎え撃つ。
双方の面が激突する。そしてそのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。
息が荒くなる。元々剣道はスタミナを多く使う。なので、数分の自稽古でもかなりの体力を消耗するのだ。
お互いの体がぶつかり、間合いが出来る。
引き面同士がぶつかり合った。
友代と茜は竹刀を構え合う。
ジリジリと様子をうかがい合う二人。
一瞬のタイミングで間合いが空くと、友代は面を打つ。それを弾く茜。そして次の瞬間、払い面が友代に入った。
スパーンという音とともに一本入ってしまったのだ。
「坂口、お前はかなりのレベルだけど、やっぱりまだまだ甘いわね」
「くっ!」
友代は歯ぎしりをした。三年の茜はやはり強い。さすがは先輩。全国レベル。
笛が鳴り、自稽古を交代した。
「次は必ず……」
友代は体の力を抜いた。そして別の相手と向き合う。
稽古が終わると外を見た。雨雲が見える。
もしかして雨?
夕立ちだろうからどうせ降ってもすぐ止むだろう。
友代は剣道着をしまうと、面タオルを防具の中に入れて帰る準備をした。
さて、由花利と帰ろう。
由花利は鞄の中を探った。
「あちゃー、やっぱり傘無いや~」
友代は黙って空を見上げる。
小雨が降っていた。このくらいなら走って帰れば大丈夫だろう。
「私も傘無いし、一緒に走って帰ろうよ」
友代が言う。
「傘なんて無くても……」
その時だった。犬雄が剣道場に来て、鞄から折り畳み傘を出した。
「やあ、傘無いんだろ?これで一緒に帰ろうよ」
そう言って犬雄は折り畳み傘を友代に差し出した。
「先輩……」
友代はそれを受け取るのに躊躇した。
「先輩と一緒には帰れませんよ」
「何で?臭いから?」
そう言われて初めて友代は自分が稽古終わりだと思い出した。
私は今、剣道臭いんだった。
「あ……」
「全然平気だよ、俺は」
犬雄が言う。
「先輩、先に帰ってください」
「いや、大丈夫だよ」
「でも……」
そこに由花利が割り込んでくる。
「犬雄先輩、私が先に帰りますから、お二人でどうぞ」
犬雄は首を振った。
「いや、二人とも傘無いんだろ?この傘一本しか無いからさ。これで二人で相合傘でもして帰りなよ」
「えっ、でもそれじゃあ、先輩は?」
「俺のことなら心配しなくても大丈夫だよ。どうせ通り雨だ。すぐに止むだろうし、止んだら帰るよ」
「そんな……」
「気にすんなよ由花利。それに友代も」
「先輩……」
由花利は犬雄の折り畳み傘を受け取った。そしてそれを広げ、友代を呼ぶ。
「友代、帰ろ!」
「え、でも」
「先輩がこう言ってくれてるんだし」
「でも……」
「あんた、臭くて一緒にはどうせ帰んないんでしょ?」
「う、うん」
「なら、いいじゃない。甘えようよ」
「でも、ホントにいいんですか?」
友代は犬雄に聞く。
「ああ、いいよ」
「スミマセン、それじゃあ」
そう言うと、友代は開いた傘の下に入った。雨が傘にボトボトと当たる音が聞こえる。
「本当にありがとうございます」
犬雄は手を振った。まるでさっきの西川音子とのやり取りが無かったように、犬雄と友代はそこで別れた。
犬雄もさっきのことには触れまいと思ったのか、何も言わないままだった。
「先輩」
去り際に友代が犬雄に声をかける。
「私、さっきのこと気にしてませんから」
そう言うと、友代はすぐに傘の陰に隠れた。
帰り道。
雨が少し止んできた頃に、由花利は友代に声をかけた。
「さっきの何?」
「え?」
「さっきのことって」
「ああ」
「気にしてないって何かあったの?」
友代は赤くなる頬を隠しきれなかった。
気にしても始まらない。きっと何か事情があったのだ。じゃないと、あのタイミングでキスなどあり得ない。
「実は、部活前、先輩が他の女子にキスされてたの見ちゃったの」
「ええーっ!」
由花利は驚く。
それはそうだろう。
「どうして……」
「知らないけど」
「口に?」
「違う。ほっぺに」
「誰がしたの、それ?」
「確か、B組の西川って子」
「西川ってあの、西川音子?」
「知ってるの?」
「もちろんだよ!」
由花利の情報網は甘くない。そこらのCIAのネットワークよりすごいとも噂されるほどの情報通なのだ。
「一年B組のでしょ?」
「隣のクラスだよ?」
「知ってる知ってる!」
雨が完全に止んだので、由花利は傘を畳んだ。
「その子、気を付けた方がいいよ」
「どんな子なの?」
「人の物を欲しがる、ネコのような子よ。だから名前も音子」
「人の物を欲しがる?」
「そうだよ。あんたの彼氏、狙われたんだよきっと」
「そんな……」
友代は心配になる。
恋泥棒か?
「あの子とは付き合わない方がいい。絶対取られるから」
「先輩はそんな人じゃないよ」
「でもキスされたんでしょ?」
「ウ……」
友代はたじろぐ。
先輩を奪われるなんてそんな……。
「あんた、奥手なんだから、心配だよ」
「そんな」
「だってそう見えるもん」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
「音子って子は、積極的だよ。それに狡猾」
「そうなんだ」
「あんた心配じゃないの?」
「私は先輩を信じている」
「でも、相手に強引に迫られたら犬雄先輩だって……」
「犬雄先輩はそんな人じゃない」
「すごい信頼だね」
「だって、先輩は私の事好きだって何度も言ってくれた」
「そんなにのろけられても……」
友代は赤くなる。
「ち、違う!そんなんじゃない」
「はいはい、ご馳走様」
由花利はクスクス笑いながら言った。
「だから、のろけじゃないんだってば!」
「分かってますって。でも、正直あんたと先輩見てると、何かカップルって感じじゃないんだよね」
「ひどい」
「さっきだって私が気を利かせてやろうと思ったのに、あんた剣道臭いからって」
「だって、それが嫌なんだもん」
「そんなんじゃ、いつまで経っても先輩と一緒には帰れないじゃないの?」
「先輩はそれでも理解してくれてる」
「そう思ってるのも今のうちだよ」
「何で?」
「先輩は、犬雄先輩は実は隠れファンだっているんだから」
「えっ?」
「私も実はファンなの。だって優しいし。ホラ、今日も自分の傘、私たちに貸してくれたし。私、優しい人って好きなの」
友代の目が狂犬のように光る。
「あ~ん~た~」
「じょ、冗談だって。でもホントに優しいでしょ?」
「そうね」
「あんな男子、そうはいない」
「でも先輩は私の……」
「そうね、あんたの彼氏だもんね。でも、そんなに彼氏彼女らしいことした?」
「えっ?」
「まだ一緒に帰ったりもしてないでしょ?それにあんた、教室では先輩との交際を大声で否定しちゃったよね?見てたよ」
「あ、あれはだって、みんなに知られるのが嫌だったから」
「そんなんじゃダメだって。大体先輩とLINEの交換とかもした?」
「してない」
「だからダメなんだって」
「でも、私そんなに積極的になんてなれないし」
「だから音子なんかに一歩先に行かれちゃうのよ。もっと剣道の時みたいに積極的になりなさいよ」
「どうすればいいのかな?」
「そりゃあ、まずは学校がダメなら外で会うことだよ」
「外で会う?」
「そう、デートだよ!」




