マイク
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地平線に太陽が沈むころ、アメリカの海辺の町に住む青年マイクはのそりと起き上がった。
いつも仕事は朝早くから、昼過ぎまで。おわれば家に帰って布団に潜り込む。日曜日だけが休日だが、基本的には年中同じようなタイムスケジュールで生活している。
特に面白いわけでも、逆に言えばつらいわけでもなく、感情の起伏に乏しい毎日。しかし、こんな生活でも何年も続ければ慣れてくるもので、毎日、毎日、唯々むやみに寿命を減らしていく。
マイクは今年で23歳になる。まだまだ、若い。
もちろん、若者らしく、自分の生きる意味とは、将来はどうしたいのか、なんて悩んでいた時期もあった。しかし、いつからかそうやって思い悩むことも、今ある日常以上の何かを求めようとすることも、あまり意味はないのかもしれないという考えに行きつき、今の境遇を甘んじて受け入れるようになっていた。
しかしだ。
今日月曜日だけは、彼にとって一週間の中で唯一の感情の発露を許される日である。
簡単に着替えを済ませたマイクは家を出て、いつものあの場所へと向かった。
自宅から歩いて数分、町の広場の隅にある電気屋。そのショーウィンドウの前にはガヤガヤと数人の人だかりができている。
「――おう!もう始まってるぞマイク!」
脇に立っていた男がマイクに軽く手を振りながら声をかける。
「わかってるよ。でも、まだ始まったばかりだろ?」
男の名はジム。マイクとは幼いころからの知り合いで、気のいい兄貴分だ。ジムとマイクは町にあまり同世代の人間がいないということもあり、趣味なども共有しあえる竹馬の友として仲が良く、その様子は町でも評判だった。
「今、ちょうどジョンのマイクパフォーマンスだ!そーろそろ…」
「ブラックの野郎か。予想通り手下を引き連れての登場だな」
皆が見ているのはテレビ画面。貧乏な街なので、テレビを一家に一台とはなかなかいかず、マイクのような薄給で働く労働者などは、こうして町で唯一の電気屋のテレビにかじりつくのだ。
「うーん、ブラックのやつ試合もうまいし、正々堂々の試合が俺は見たいんだけどなぁ」
「まあ、こればっかりはな。プロレスってのはどうしてもある程度のシナリオはありきだから。ただ、ブラックはルックスも喋りもいいし、そのうちベビーターンするだろ」
会話の内容からもわかる通り、彼らが今視聴しているのはプロレスだ。
アメリカンプロレスの歴史は長く、また平日のゴールデンタイムに放送されることもあって、国民への浸透率は高い。特に今、彼らが見ているWECという団体は、米国最大手の団体であり、トップレスラーなどは下手な映画俳優よりも人気を集めている。
「おお!ついに今回はノーDQマッチか!こりゃ王座が動くかもな!」
「反則裁定なしか…。手下の介入もありきだからな。ここでジョンからブラックに世代交代するのか…?」
冷静に寸評するマイクと熱く試合を見るジム。兄弟のように仲のいい二人だが、対照的な性格をしている。
試合は佳境。ヒールレスラーのブラックが手下たちの助力を受けて、徐々にベビーレスラーのジョンを追い詰めていく。
「そろそろ決まるな…。」
「うおおおお!根性見せてくれよジョン!!!」
ジムは根っからの正義漢だ。その為、応援するレスラーももちろんベビー、いわゆる善玉レスラーである。基本的にはアメリカンプロレスは完全懲悪が物語の根底にあるため、ヒール、いわゆる悪者レスラーは8割方試合に勝てない。もちろんシナリオ上の話なので、レスラー自身の実力はそこまで関係ないが、基本的には正義が強く、悪は弱いが小狡く立ち回るのが定番だ。
画面上ではジョンが最後の力を振り絞るように、ブラックを担ぎ上げている。必殺技の体勢だ。
「キタ!いっけー特大のパワーボムだ!!!」
「――いや、決まらない」
担ぎ上げたはいいものの、背後からブラックの手下にパイプ椅子で殴打されてしまい、その場に崩れ落ちてしまう。ジョンの手を逃れたブラックはコーナーに逃げて息を整える。
「わわ!やばいよその体勢は!」
ブラックがコーナーから助走をつけて、膝立ちになっているジョンの顔面にニーストライク(膝蹴り)を決めた。これが彼の必殺技だ。
ブラックがジョンを抑え込んで3カウント。ブラックの勝利だ。
「1・2・3!ワオ!!!新チャンピオンの誕生だな。これはまた面白くなるぞ」
「マジかよ~…。あと半年はジョン政権が続くと思ってたんだけどなぁ…」
リングの上ではチャンピオンベルトを抱いたブラックが涙を流しながら、手下2人と勝利の喜びを分かち合っている。
「いやぁ、いいなあプロレスって。こんな大観衆の前でパフォーマンスできるなんて、さぞかし気持ちいいだろうな!」
「ハハッ、俺は見てるだけでいいけどな。ジムみたいな性格なら合ってるんじゃないか?」
マイクのセリフに、よくぞ言ってくれましたとばかりにジムが振り向く。
「だよな!こんな田舎暮らしさっさとおさらばして、ニューヨークでトライアウトでも受けちまうかな!もちろんマイクも来るだろ?」
「馬鹿言うなよ。俺は見てるだけでいいって言ったろ。俺は別に今の生活に満足してるんだ。まあ、お前がレスラーになったら応援はしてやるよ」
「つまんねえ奴だなぁ」
ジムは肩を上げて、やれやれといったジェスチャーをした後、満足そうに自宅に帰っていった。彼も朝が早いのだ。
まだ少し番組は続くようだったが、今日見たい分は見終えたとばかりに、マイクも満足げな表情で自宅に帰った。
「マイク。休憩中悪いがちょっと来てもらっていいか?」
次の日の朝、マイクは早朝の仕事を終えた頃に上司に呼ばれた。
「突然すまんな。ちょっとそこにかけてくれ」
「どうしたんですかロビーさん?水揚げ後、もう一度海に出ますか?」
マイクの仕事は漁の手伝いだ。両親の知り合いであるロビーのもとで、彼所有の小さい漁船で働いている。少し前までは、もうあと2人の従業員がいたのだが、今はマイクとロビーの二人だけだ。
「いや、今日は今捕った分を水揚げすれば終わりでいい。別の話なんだマイク。ジャックとロバートがこの間仕事を辞めたじゃないか」
「はい、詳細は知らないですが。確か都会の方に引っ越したんですよね?」
「そうだ、実はな2人には辞めてもらったんだ。申し訳ない話、リストラというやつだな」
初めて聞く話だ。マイクは顔をしかめてロビーを見る。
「今日の漁を見てもらえればわかると思うが、今の漁獲量についてどう思う?」
「はい、だいぶ少なくなってきましたね。去年の半分もとれていないんじゃないんですか」
それは常々感じていたことだ。主な収穫はエビなのだが、自身が働いてきた中で一番よく捕れた年と比べると、三分の一程度の量しか捕れなくなっている。
「その通りだ。要するに、エビが捕れなきゃ金もできねえ。俺含めて4人の食い扶持は稼げねえと思って、二人には辞めてもらったんだ。説明が遅くなってすまねえな」
マイクは黙ってうなずく。話の内容からして、あまりいい予感がしない。
「それで、今日だ。もうおまえの分すら難しい。お前は知り合いの息子ってのもあって、できる限り面倒は見たかったが、正直もう自分の家庭でいっぱいいっぱいなんだ。幸い船は一人でも出せる。すまんが…」
「そうですか…」
話の流れから少し予想はできてしまった。ロビーの表情からは、本心ではないのだろうといいことと、大きな罪悪感が感じ取れた。
「わかりました。今までありがとうございました」
マイクは特に文句を言うこともなく引いた。ロビー自身したくてそうしてるわけではない。運が悪かったようなものなのだ、と。
「…少ないが退職金だ」
「…こんなに?さすがに受け取れません」
ロビーが手渡した封筒には100ドル紙幣がめいいっぱい入っていた。少なく見積もっても5000ドルはあるように見える。
「マイク、この機会に町を出ろ。ニューヨークに行けばもっと稼げる職もある。お前は馬鹿じゃない、どこへ行ってもうまくやれるはずだ。俺みたいにジジイになるまでこんなとこでくすぶってちゃあいかん。これだけあれば、都会でも家を借りてふた月はくらせるだろう。これは餞別だと思って受け取ってくれ」
「…ありがとうございます」
マイクは頭を下げて、事務所をでた。正直まだ実感はなかったが、自分は仕事を失い、かつロビーの言うようにこの町で新たに職を見つけるのは難しいだろう。もうこの町に自分の居場所はないのだ。
「…さっさと行こう」
ポケットからケータイを取り出し、短文のメールを打つ。あて先はジムだ。
“俺は先に町を出るぜ。向こうで待ってる”
メールを送信して家に帰る。
そして、その日の晩にマイクは町を出た。