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時と宝石の魔女  作者:
3/3

はなの宝石

ここは、知る人ぞ知る、知る人しか知らない"時間を買える"店。ところ狭しと並べられた宝石が、陽に当たって光を反射する。外とは切り離されたかのような空間に、主の魔女は静かに住んでいた。

カラン、

扉に取り付けられたベルが、滅多にない来客を知らせる。今日のお客様は、一人の男性。彼のお求めの時間はなんでしょう。

「幸せな時間を買いたいんです」

客の男─名をハルと言う─は、どんよりと重い声で、ぼそりと言った。魔女は、そのあまりに小さい声を聴き洩らさないよう、椅子を机にぐっと寄せる。そうして、ペンと紙が擦れる音を極力出ないよう、ゆっくりとペンを動かした。

「幸せな時間とは、具体的には?」ハルを出来る限り明るくしようと いつにも増して笑顔を強めて、優しい声色で問いかける。

ハルは、答えを探すように、口を閉じた。魔女は急かすことなく、気長に待った。お茶菓子に出したチョコレートを、彼にも勧めてティータイム。しばらく経つと、彼の口がゆっくりと開かれた。

「なんでも、いいんです」魔女の問いに、答えているようで答えていない返事。

それでも笑顔のまま、彼の言葉をオウム返しする。

「いいことが、なにもないんです。仕事も認めてもらえないし、恋人もできたことがないし…」ポツリポツリと語る言葉を、そのまま紙に書き写す。

彼は人生に絶望しているようだった。生きていても楽しくないけれど、死め勇気はないと言った。客の注文をできる限り正確に聞き出すため、相槌を忘れず、簡単な質問を繰り返す。

「そういうのって、買えますか…?」ハルは、概ね自分について話し終えた後、そう尋ねた。

「ええ、もちろんですとも」魔女は、安心させるような笑顔で頷く。

彼は、それに随分安心したようだ。今まで手を付けなかったチョコレートを一つ手に取って、口へ運んだ。優しい甘さが、彼の不安をさらに和らげるようだった。魔女も、再び暫しのティータイムに入った。

「ところで、時間はお金で買えないと聞いたのですが…」ふと、ハルは思い出したようにそう言った。

この店を紹介した人間に、そう聞いたらしい。魔女は、 こくりと頷く。

「お代は、宝石です」魔女にそう言われ、ハルは部屋の中をぐるりと見回した。

そういえば、 ここには時計と宝石がたくさんある。"時間を買う"店に、何故宝石が、と思っていた彼は、ようやく納得した。ここは宝石で"時間を買う"店。

「ハルさんは、 "はなの宝石"を持ってきてください。期限はありません。用意ができるまで、 ここで待っていますから」そう言ってにこりと笑うと、 ハルは安心したように頷いた。

"はなの宝石"が用意できれば、この薄暗い世界も色付くに違いない─そんな希望が見えたからだろうか。もう一つチョコレートを口に運び、彼はその甘い優しさを、口いっぱいに広げて、店を出て行った。


幸せな時間を注文した客、ハルが宝石を探しに出てから、二度、月が満ちた。魔女は、彼に伝えた通り、ずっとそこで待っていた。今日のお茶菓子はホワイト・チョコレート。過ぎる程の甘さが、お茶の香りを引き立たせた。


カラン、

あれ以来鳴ることのなかったベルが、あの日よりも少し元気良く鳴った。扉から入ってきたのは、あの日と同じハルだった。心なしか、表情に花が咲いている。

「やっと手に入れました。"はなの宝石"」ハルは、鞄の中から勢いよくそれを取り出した。

魔女は、それを受け取ると、布の袋から石をそっと取り出す。淡い桃色の宝石は、内側に花弁を含んでいるように見えた。


「たしかに、"はなの宝石"です。どうぞ、お掛けください」

魔女に促され、ハルが椅子に腰掛けると、お茶とお茶菓子が用意された。今日は、魔女に勧められるより早く、ホワイト・チョコレートを口に放り込む。甘い甘いそれは、彼の求める時間によく似ていた。

「ハルさん、本当によろしいですね?」魔女が、最後の確認をする。

ハルは、勿論だと頷いた。魔女はそれをルビー色の瞳で見届け、彼に目を瞑るよう指示する。


瞼を閉じると、時計の針よりも早く脈打つ心臓の音が、聞こえるくらい静かだった。心臓の鼓動を数えると、時を忘れてしまう様だった。

どのくらい経っただろう。心臓の音が、針の音と同じくらいに鳴った頃、魔女の声がした。ゆっくり瞼を開く。そこは、先ほどと何も変わらない空間だった。

「お買い上げ、ありがとうございます。あなたの望む、幸せな時間ですよ」そう言われても、あまり実感はない。

けれど、ハルの期待に膨らんだ胸は、再び鼓動を速くした。薄暗かった世界にも、花が舞うように見えたことだろう。


「この時間に、期限はありますか?」

「期限はありませんよ」ふと不安を顔に浮かべた彼に、魔女は優しく微笑む。

それを見て、ハルは来た時よりも表情を明るくした。そうして、残ったホワイト・チョコレートを再び口に放り込む。あまりに甘い。こんな甘い人生が、今から始まるのだろうか。

スキップでもしそうな様子で、浮き足立ったハルは、魔女への礼もそこそこに、外へ飛び出して行った。



幸せな時間を買っていった彼は、初めのうちは、ふらりと遊びに来ては、少し話をして帰って行った。見違えるほどに表情は晴れやかで、購入した時間を大層気に入ったようだった。

しかし、暫くすると、彼は顔を見せなくなった。魔女は、あまり気に留めなかった。理由はどうあれ、魔女にはあまり関係がない話だ。今日は、ビター・チョコレートをお供に、ティータイム。


カラン、

暫くぶりに、扉のベルが鳴る。今日のお客様は、顔を見せなかったハルだった。表情は、初めて見た時とよく似た曇り。魔女は、立ち上がってハルへ歩み寄った。

「幸せな時間に、期限はないって、言いましたよね」魔女を恨めしそうに見るハルの口から、ボソボソとした声が聞こえる。

「ええ、期限はありませんよ」魔女は、あの日と同じことを、もう一度繰り返した。


「あの日から、仕事は上手くいきだして、初めて恋人も出来たんです」魔女に促されて、椅子に座ったハルは、小さな声で話し始めた。

「それなのに、急に、彼女に振られて、仕事も減って」

魔女は、椅子を机にぐいっと寄せて、話を聞く。この様子は、いつかとよく似ていた。魔女は、静かに頷き、ハルの事情を理解した。

「期限はないんですよね?どうして…」


「ハルさん、幸せな時間に、水をあげましたか?」魔女は、静かに問うた。

水とは、恐らくは幸せを保つための努力のことだろう。ハルには心当たりがなかった。

「与えられたままにしていては、すぐに失われてしまいます」

ちょうど、花のようだった。水を与えなければ、すぐに枯れてしまう花。ハルは、幸せな日々を思い返し、頭を抱えた。


「僕は、どうしたら…」彼は、一度幸せな時間を過ごしたことで、幸せではない自分を受け入れられないようだった。

一度知ってしまったものは、忘れられない。こんなことなら、知らなければ良かったとすら言う。

「枯れる前に落とした種を、育ててみてはいかがでしょうか」

ふと降ってきた声に、顔を上げると、魔女がいつも通りの優しい笑みを浮かべていた。ハルは言葉の意味を考えた。育てるのは、きっと、幸せの種。魔女の笑顔は、ハルを前向きにさせる不思議な力があるようだった。

ハルは、今にも溢れそうだった涙を引っ込め、目の前のチョコレートを口に放り込んだ。ほろ苦い中に、ほんのり甘さを感じる。

「頑張ってみます」

ハルは、ほのかな甘みを求め、店を出て行ったのだった。








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