2‐3
路地裏へと入ると、商店街の賑やかさとは真逆に、何とも殺風景な静まり返った空間があった。まるで通りとこの路地裏との境に見えない防音壁でもあるかのように、その空間に足を踏み入れた途端、スッと、鼓膜を揺らす音が小さくなる。そして間髪入れずに耳鳴りが脳内に反響した。
まだ僅かに届く街の音を背にして、真は薄暗い通路を進む。すると、積み重なった木箱の奥で、壁に寄りかかるぬこに詰め寄るようにして、声を張り上げる行商人の姿があった。
「答えろ! 何故人間と同じように二足で歩ける!? どうしてお前は喋れるんだ!? 誰に教わったんだ!? 答えてくれ!!」
「だから何でって言われても困るよ。僕の世界じゃこれが普通なんだ。喋れるし二足で歩ける」
「そんな訳がないだろ! とぼけるなッ!!」
何やらとても険悪なムードで揉めている様子の二人に、真は駆け寄って恐る恐る声をかける。
「ちょ、ちょっと……! どうしたの急に?? ぬこが失礼な事しちゃった?」
「“ぬこ”……?」
行商人は真の声に振り向いて、言葉を続ける。
「お前はさっきの……」
相変わらずあたふたした様子でいる真に、行商人に向けていた視線を移して、ぬこが口を開く。
「ぬこは僕の名前だ。その子は真。僕の仲間だよ」
「仲間……」
やや困惑したように口篭る行商人。真は何が何だか分からないといった不安気な面持ちでぬこを見た。その時、路地裏の奥でゴソゴソと物音が聞こえてきた。
ぬこと真、そして行商人も揃ってその音のする方向へと目を向ける。
「ニャ~」
そこには、路地裏に転がるゴミを漁る、子猫の姿があった。猫は三人の視線を感じると、逃げるようにして奥へと走り去っていった。ぬこは尚も路地裏の奥を見つめている行商人を横目に言う。
「ねぇ、落ち着いたなら少し離れてくれないかな?」
「あ……あぁ、すまない。つい熱くなってしまって……」
行商人はその言葉に、我に返ったようにして視線を泳がせながら、ぬこから離れた。それを確認すると、ぬこは体に付いた砂埃を払い、乱れた毛を整えながら口を開く。
「まぁ、大体分かったよ。ここでは“僕達”は珍しい存在みたいだね」
「珍しいなんてものじゃない。猫が人前を堂々と歩く事はあまりにも危険行為だ。ましてや人の言葉を話すなんて事が知れたら、捕まって見世物小屋にでもぶち込まれてしまうぞ」
行商人はそう言うと、徐に深く被ったフードを脱ぎ、自分の素顔を二人の前に曝け出す。
「だから俺は、こうやって素顔を隠して歩いているんだ」
そのフードの下からは、灰毛を纏った勇ましい顔立ちの猫が姿を現した。この小さな行商人は、ぬこと同じように二足で立ち、人の言葉を話す事の出来る猫だった。
「あぁ! ぬこと同じだ」
「いや、確かに喋れるみたいだけど、この子はケットシーじゃない。ただの猫だ」
「え、じゃあ何で……」
「オォイ! 誰だこんなとこに荷車を置きっぱなしにしてる奴は!? とっとと退けやがれ商売の邪魔だ!」
ぬこと真が灰毛の猫を見つめていると、突然路地から怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら置きっぱなしにしていた荷車が邪魔になっているようだ。灰毛の猫はその声に振り向くと、腰からもう一つのフード付きマントを取り出して、「その姿で歩くのは危険だ。これを被りな」と言ってそれをぬこに手渡した。
「俺の名前はテトだ。ぬこ、真、付いてきな」
そう言ってテトは、改めてフードを深く被り素顔を隠すと、路地裏を出て荷車の下へと駆けていった。その後姿を見てぬこと真は互いに目を合わせる。
「どうやらこの世界の主人公には出会えたみたいだね。行こうかっ」
「う、うん」
そして二人はテトを追って路地へと向かった。ぬこはテトから手渡されたマントを羽織り、フードを深々と被りながら。
「あーそれは俺のだ。すまないな、邪魔をした」
テトは謝罪を述べて厳つい店主をあしらうと、荷車を引いて街の入口方面へと歩を進めた。それに追いついて、ぬこと真もその隣に並びながらテトに付いていく。
傍から見たら、フードを被ったぬことテトは、ただの小人族に見えているのだろうか、先程までの嫌な視線を浴びることなく人ごみの中を進んだ。
テトの引く荷車は一見すると屋台のようにも見え、真のような人間であれば難なく引いて歩く事が出来るかもしれないが、その小さな体にはそぐわない大きさだ。
荷台の中心には木の板が垂直に立てられ、そこに掛けられた装飾品や乾物の食料などが、ゆらゆらと揺れている。荷台の中にもぎっしりと商品らしきものが並べられているが、それは蓋の閉じられた壺だったり、何やらよく分からない置物だったり、丁寧に折りたたまれた布だったり、パッと見ではどういった商品なのかは分からなかった。
真はその中の一つ、濁った液体で満たされた透明のビンへと目をやり、底に沈む歪な形をした物体を目の当たりにすると身震いをさせて視線を逸らした。
テトは横目にその様子を一瞥すると、徐に口を開いた。
「お前達は、一体何処から来たんだ?」
「こことは違う世界から。かな」
ぬこはフードで顔を覆い、俯き気味にテトへ向いて言った。
「違う世界? さっきも世界がどうとか言ってたな……。ま、言いたくないなら別に良いけどよ。じゃあ何で俺の事を知っていた?」
「えーっとそれは~……」
「風の噂だよ」
真の言葉を遮るようにしてぬこが応える。
「風の噂だ? また曖昧な……。ま、どちらにせよもうこの街に長居は出来ないな……」
ぬこと真は、その言葉にハッとして目を合わせる。そして次に真が口を開いた。
「え、えーっと、テトさんはどうして行商なんかしているの? 正体がバレたら大変なんだよね」
「別に俺だって好きでこんなリスキーな事をしている訳じゃない。行商をして街を渡り歩いて情報を掻き集めて、ある猫を探しているんだ」
「ある猫……?」
真はテトの顔を覗き込んで訊ねた。テトはより一層深く俯き気味にしてバツが悪そうに応える。
「俺の、母さんだよ……。母さんも俺と同じように喋る事ができた。でも、まだ小さかった俺を庇って悪い商人に捕まってしまったんだ。それで、俺と母さんは離れ離れになってしまってね。それ以来、母さんを探し続けて、長い事行商人を装って街を渡り歩いているんだ。もう随分と探し歩いたけどこれと言った情報も得られないし、何処に居るのか見当もつかない。ひょっとしたらもう、何処にも居ないかもしれない……」
「そ、そう、だったんだ……」
思っていたよりもずっと重い話だった事に、軽々しく訊ねた事を真は酷く後悔して顔を背けた。重たい空気を背負うように、俯いて歩くテトと真を見て、ぬこは何かを思い出すようにして、わざとらしく首を傾げて口を開いた。
「そう言えば、僕達が噂に聞いた猫ってのはメス猫だって話だっけかな~」
その言葉に、フードの被さる耳をピクリと動かすと、テトはぬこに振り向く。
「メス猫……。でもさっき行商人だって言ってたよな。それは俺のことじゃないのか?」
「ん~でも荷車を引いてるとは言ってなかったような~」
分かりやすく首を傾げるその様子に、ぬこの意図に気づいた真は間髪いれずに言葉を続ける。
「そ、そうだよ~! きっとこの街に、テトのお母さんが居るはず! だって“こうゆうの”って最後は再開できて“ハッピーエンド”で終わるもんだしねぇ~」
「こうゆうの? ハッピーエンド?」
差し込まれた、真の言葉の中にある違和感を感じ取り、テトは少しばかり顔をしかめて真を見上げる。その後ろから、ぬこは露骨に顔をしかめて真を見上げ、「言い過ぎだ」とアイコンタクトで送る。真はその視線をもろに受けると、はっとして誤魔化すように口篭った。
「いや噂だよ噂。あはは」
「噂ねぇ……」
目線を下げて考え込むテトに、ぬこが声をかける。
「僕達が聞いた猫と言うのは、テトのお母さんの事かもしれないね。ひょっとしたらこの街に居るのかもしれないよ」
「母さんがこの街に……」
テトはゆっくりと顔を上げてぬこを見ると、その瞳の奥に僅かばかりの希望を灯らせて、目を見開いた。そしていくつか瞬きをすると、改めて前を見据える。
「実は俺も、“不思議な猫を見た”と言う情報を手に入れてこの街までやってきたんだ。さっきまでは“お前の事だったのか”と思ってたけど、もしかしたら本当に母さんが……」
話し込みながら街を歩いていた三人は、気がつけば街の入口付近にまで戻ってきていた。そのまま街の門を潜ってしまうのかと思いきや、テトは壁の内側沿いの道を曲がって、人気の少ない、木々と小屋の間にある小道を進んだ。何処に向かうのかとぬこが問うと、テトは「人の居ない所で話をしよう」と言って、二人を誘導するように道を進む。
暫くすると、小屋に囲まれたやや開けた空き地に出た。テトはその空き地の隅に積まれた木箱の傍に荷車を止めると、息苦しさから開放されたように「ふぅっ」と息をついてフードを脱いだ。
「安心しろ。人間は今頃商売に夢中だ」
そう言って、テトは木箱の上に飛び乗って腰を降ろす。ぬこも被っていたフードを脱いでテトの傍に歩み寄り、真もそれに続いた。
すると突然、テトは両手でお腹を抱えるようにしながら木箱の上で蹲る。そのテトの様子に、二人は眉根を寄せて顔を見合わせながら声をかけた。
「どうしたんだい?」
「テトさん、大丈夫……?」
「クッ……ククッ……」
「「く??」」
深く蹲って顔を隠すテトに、二人は声を合わせながら覗き込んだ。次の瞬間。
「たっはっはっはっはっはっはっ!!」
テトは覗き込む二人の鼻っ面に、アッパースイングをかます勢いで上体を逸らすと、腹を抱えて声高らかに大笑いをした。突然のテトの態度の一変に、あっけらかんとして口を開けるぬこと真。
「クークククッ……! ぬぬぬ、“ぬこ”って……ぶふッ! たっはっはっはっはっ!」
足をばたつかせながら尚も腹を抱えて「変な名前! ぷはっ!」と言いながら笑い続けるテトを見て、ぬこはその大爆笑の原因を瞬時に悟ると、目元に暗い影を落とし、ピキッっと音を立ててこめかみに血管を浮かび上がらせる。
それを見た真は、あわあわと震える口元に手を添えながら、ぬこの怒りを鎮めようと片手を伸ばした。
するとぬこは一変して、満面の笑みを浮かべながら真を見上げる。そして小さな手の指をバキバキと鳴らしながら、弾むように明るい声で言った。
「真、残念ながらこの物語はここでバッドエンドだねっ」
「お願いやめてえぇぇぇ!!」
もの凄い形相で爪を立てて、今にも飛び掛ろうとするぬこを、真はしがみついて全力で制止する。込み上げる笑いを押さえ込み、徐々に平常心を取り戻したテトは、目尻に浮かぶ涙滴を拭いながら二人へと顔を戻した。
「す、すまんすまん。緊張の糸が切れた途端についな……。ぷっ」
「真、帰ったらこの本を燃やそうっ」
「だめえぇぇぇ!!!」
尚も真を振り払おうとするぬこと、見たこともない怒りっぷりのぬこを必死に押さえ込む真。
「ふぅ」と落ち着いた様子でテトは二人を見ながら一息ついた。
「いや、本当にすまない。失礼した。話を本題に戻そうか。それで、お前達は何故この街に来たんだ? 本当の理由は他にあるんだろ? それとぬこ、お前はただの猫じゃないな」
その言葉に真はテトへと振り向き、ぬこもハッとして我に返ると、真の腕からスルッと抜け出して両手を腰に当て、胸を張って構えた。
「僕はケットシーの王様さっ! 王冠を探してこの世界にやってきた。テト、僕と一緒に王冠を探してくれないかい?」
テトはぬこに差し出された手の先にある、ぬこの真剣な眼差しを見つめながらほんの少し間を置いて口を開く。
「……王様? お前が?」
「如何にもっ」
ぬこは猛々しく鼻から息を吹くと、改めて胸を張りどっしりと構える。
「お前が王様……。はっはっは! 喋る猫が王様か。ケットシーってのは聞いた事が無いが、王を名乗るとはまたデカく出たもんだな」
それからテトは、木箱に腰を落としながら前のめりになって膝に手を突くと、尚も真剣な面持ちのぬこを真っ直ぐと見つめて続ける。
「どうやらお前達は本当にこの世界の事を知らないみたいだな。俺は今まで長い事旅を続けてきたが、人の言葉を喋り二足で歩ける猫は、俺と母さんしか見た事がない。そして、お前が三匹目だ」
ぬこと真は先ほどよりもトーンの下がったテトの言葉に耳を傾ける。
「俺は見たんだ、この目で……。人の言葉を話す母さんを“魔女の使い魔だ”と言ってケタケタと笑い、首輪を掛けて檻に放り込んで、連れ去っていく悪い人間を……。僕は何も出来なかった。怖くて、すごく怖くて何も言う事が出来なかった……。人間ってのはとてつもなく恐ろしい生き物で、俺達猫はこの世界じゃ嫌われ者なんだ……!」
座る木箱をドンッと叩くテトを見て、真はバツが悪そうに顔を逸らす。その真の様子に気づいたテトは、顔を上げて声をかける。
「でもビックリしたよ。まさか俺と同じ喋る猫と行動を共にする人間が居るなんてね。どうやら、悪い人間ばかりじゃないみたいだ」
その言葉に真は、表情を和らげて安心した様子でテトを見る。しかしテトは、ふと何か思い至ったようにして目を細めて真を見上げる。
「もしやお前……魔女?」
「いやいやいや違うよ! 私は魔女なんかじゃなくて健全な女子高生だから!」
「じょしこうせい……?」
テトはまたも聞いた事のない言葉に首を傾げる。
「まぁいい。それでだぬこ。王になりたいのかなんなのか知らないが、馬鹿な真似は止めておけ。ここでは俺もお前も嫌われ者で、捕まったら何をされるか分かったもんじゃない」
重く固い面持ちで、テトはぬこへと視線を送り言う。しかしぬこは何食わぬ顔を向けて応える。
「それでも僕には王冠が必要なんだ。そのためにここに来た」
呆れたように息を吐いて木箱に両手を着くテトに、そこでぬこはある一つの提案をする。
「じゃあ取引をしよう。君のお母さんを一緒に探してあげよう。もし見つけることができたなら、行商で稼いだお金で王冠を作ってもらう。どうだい?」
次回更新は11月2日木曜日19時ですっ。
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