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「よっと」
塀の上に立ち並ぶ鉄柵の間を潜って飛び降りると、ぬこは人気の少ない藪の間へと歩を進める。
「ーっと……うわあぁ!」
それに少し遅れて塀を乗り越えた真が、出っ張った石レンガに掛けた足を滑らせて地に尻餅をついた。底から突き上げられる痛みに顔をしかめながらも、思案顔を浮かべながら歩き進めるぬこの後を追った。
「んー、怪しい」
「こんなことしちゃって良かったのかなぁ……。裏から覗き見なんて、これ不法侵入で訴えられない?」
「不法侵入どころか、バレたら即死刑だろうね」
ぬこは平然とした顔でそう言ってのけた。それを聞いた真は顔を青くして、少しでも早くここから立ち去りたい一心に早歩きでぬこの隣を歩く。
死刑だなんて聞いただけでも恐ろしいのに、その対象が自分に向けられる可能性があったなんて考えるだけで腰が砕けそうだ。しかもそれを侵入した後で聞かされたことがより一層、真の恐怖心と罪悪感を掻き立てた。
ゾワゾワと虫唾の走る背中を震わせて、真はふと後方を振り返る。
青空の垣間見える木々の隙間を辿ると、ついさっき侵入した屋敷が窺えた。お世辞にも特権階級、ましてや国を統べる王様が住まうようには見えない、そこそこ豪華な造りの屋敷がそこには在る。
もう随分と小さくなってしまった窓が、揺れる枝葉の間に見て取れた。
「あのお屋敷に王様が居たんだよね? 何か、思ってたのと随分違ったなぁ」
「そうかい? こんなもんだと思うけどね」
「えぇー。王様のお城って言ったらもっとこ~、とんがった屋根の塔がいくつも立ち並んでいてその中心に一際大きな城壁がそびえてその最上階に王室が……。そこから一望できる城下町の全景は圧巻! その国で王子さまは、一般庶民の娘と恋に落ちて、人知れず運命のお姫様と本当の愛を結ぶの……みたいな?」
真は、頭の上で大きなおにぎりを作るように腕全体を使って三角形を作り、大きく高くそびえる王城のイメージを再現してみせた。
「なに夢見る乙女みたいな恥ずかしい事言ってるんだい? 柄にもない」
ぬこはそんな妄想にはまるで興味が無いと言った様子で真をあしらった。何やら考え事でもしているように俯くぬこは、その話すら半分以上聞き流している様子で言葉を返す。
「柄にもないって……」
自分には目も向けず、それなのに真っ向から否定され、恥ずかしいとまで揶揄されたことに真は何だか自分自信まで否定されたように思えてしまった。まだ十分に成熟していない真の理性は些細なことに負の感情を抱かせ、考えるよりも先に口から言葉が溢れ出す。
「柄にもないって、ぬこに私の何が分かるって言うの!? ぬこだって、王様のくせに王冠無くしちゃったなんて、王様失格じゃん! 本当はそんなもの始めっから無かったんじゃないの? ていうかぬこって本当に王様なの?」
真はぬこの言葉を不快に思いながらも、半分冗談交じりのつもりで言い返した。さぁ言い返してみろ、と言わんばかりに、唇を尖らせてぷいっとわざとらしく顔を背けて見せるが……ぬこからは一向に返事が無かった。
いつもなら言い返して来るのになと、普段とは様子の違うことに気付いた真は、顔を背けたまま横目で視線だけをぬこへと向ける。
そこには、少し後ろで立ち止まり肩を落とす黒猫の後姿があった――いや、それはぬこだ。間違いなくぬこなのだが、真には一瞬、その背中が本当にただの猫にしか見えない程に、弱々しく繊細なものに映った。
一瞬、言った自分がたじろいでしまった。言ってはいけないことを言ってしまったのだろうかと、自分の言葉を省みる。軽はずみな発言だったと謝るべきか、冗談だったと弁解するべきか。それでもさっきの発言は、少なくともぬこに対して抱いたことのある疑問でもある。と、どこかで自分を正当化しようとする理性が、次の一言を発する些細な判断を鈍らせた。
「な、何か言ってよ……本気で言ったみたいになっちゃうじゃん」
沈黙に耐えられず、真の口から精一杯の釈明が洩れた。
それを聞いてか聞かずが、ぬこは小さく息を吐いてから力無く口を開く。
「僕は……」
まるで次の言葉を躊躇うかのように、心の中にある何かを確かめるように一間置いて、ぬこはゆっくりと顔を上げた。
「僕はケットシーの王様さ」
林を吹き抜けるそよ風に木の葉が揺らめいた。それはぬこの言葉を後押しするかのように、力無く放たれたその声を真の耳へと運んだ。それでもどこか、真にはその言葉が自分以外の誰かに向かって放たれた物のように思えてならなかった。
こんなにも弱々しいぬこを見たのは、これが初めてだった。
――――――――――――
それから二人は特に会話をすることもなく、元来た道を真直ぐ進み、緩やかな傾斜を造る林の間を歩いた。暫くすると林を抜け、ずらりと立ち並ぶ三メートル程の塀に突き当たる。その一箇所に、細身の女性やっと入れる程の穴が開いており、二人はそこを潜って城下町の一角へと出た。
人気は少なく、正面にはいくつかの木造の小屋が並んでおり、周囲には仄かに動物園で嗅いだ事のあるような匂いがした。潜った塀沿いに視線を伸ばすと、塀の継ぎ目からは二対の石柱が頭を出し、その間にはアーチ状の鉄柵が窺える。それは勝手口のような門に見えた。
「明日の朝まで待つとしようか」
そう言うとぬこは、小屋の裏口らしき狭いスイングドアの下を潜って、その中へと入っていった。この小屋が何なのかは、その外観からも真にも見当が付く。それ故に少しばかりその後を追うことを躊躇っていると、ドアの下からぬこが顔を覗かせて真を呼んだ。
ぬこが何を考えているのか、その中で何をしようとしているのか、健全な女子高生である真からしても、この状況とぬこの行動からしたらそれは最悪のシナリオを想定せざるを得なかった。
そして真は人生で初めて、厩舎の中で一夜を過ごした。
――――――――――――
――まこと。
誰かが呼ぶ声がする。
真っ白な空間に漂い、その声の主を探した。
声は聞こえる。まるで目の前で話しかけられているように、吐息が頬を撫でる感触だけが伝わる。それでも、誰も見つけることができない。
『どこ……?』
――まこと。ここだよ。
ふと、視界にぶんやりとした影が浮かんだ。
背丈は低く、それでも凛とした立ち姿でいて、どっしりと構える黒猫の背中。
『ぬこ? なんだ、さっきから呼んでたのぬこかぁ』
ぬこの元へと空間を漂うようにして向かって、その背中に手を伸ばした。
その手が届くよりも先に、ぬこがゆっくりと振り向く。
それに気付いて足を止める。何故だか、ぬこの姿を見ると落ち着くような気がした。しかし、振り向いたぬこの姿を見て、驚愕した。
頭部だけが猫耳を生やす馬になった、その姿を。それは徐に口を開く。
『まこと』
『へっ……?――
――そして真は目を覚ました。
目の前には、柵から首を伸ばして真の顔を覗き込む馬の顔面があった。
次の瞬間、馬の勇ましい鼻息が真の頬を撫でた。
「うわあぁぁ!!??」
「あ、やっと起きたね」
真は体に覆い被さる藁を跳ね除けて壁まで後退りした。眠っている真へずっと声をかけていたぬこは、積み重ねられた木箱の上に乗って、壁に空いた子穴から外を覗き込んでいる。
酷い寝起きだ、と嫌気がさして項垂れる真は、髪に絡まった藁の端を落としながらぬこの隣へと歩み寄った。
「何してるの?」
ぬこは壁に手を突いたまま顔を向けずに応える。
「覗いてごらん。壁沿いにある門の前」
そう言ってぬこは木箱の隅に退いて、外を覗くように促した。
真は積まれた藁の足場を確認するように一歩踏み出すと、丁度顔の高さにある小さな覗き穴から外の様子を確認する。
壁伝いに視線を送り、昨日見た縦長の門を視界の中心に捉える。するとそこには、見覚えのある身なりの男がなにやら落ち着かない様子で立っていた。
真はその男を見て、昨日の広間での事を思い出す。
「あっ、あの人って昨日見た胡散臭い人!」
「随分と愛嬌の無い呼ばれようだね。まっ、否定はしないけどさ」
ぬこは真の頬に顔を寄せると、ぐいっと押し込むようにして自分も覗き穴から窺える国王側近の男を視界に収めた。
こめかみあたりに触れるぬこの毛がなんともむず痒くて心地が良い。真は今自分が馬小屋に居るという事も忘れて、僅かばかりに楽観的な事を思った。そんなことをぬこには悟られまいと、あくまで自然体で、そのふさふさな毛並みに顔を寄せ、ぬこと一緒に外を覗かせる。
暫くすると、国王側近の男の前にローブに身を包んだ人影が近づいてきた。その人影に気が付くと、男はその人物の肩に腕を回して、辺りを気にしながら厩舎の軒下の影へと歩いて行った。
「真。ナギサ書林で使ってたスマホ、持ってるよね?」
ふと壁際から身を逸らしてぬこが訊ねた。
「あ、うん。持ってるよ」
それに続いて真も覗き穴から顔を離すと、ポケットから白いスマホを取り出す。当然、馬小屋で充電など出来るはずもないので、スマホのバッテリーは30%を切っていた。
ぬこはそのスマホを見ると、よし、と一つ頷いてみせて、木箱から飛び降りた。
「これをどうするの?」
藁の上を渡って裏口へと向かうぬこへ問い掛ける。するとぬこは体に付いた藁の端を振り払って、応えた。
「この物語を正しい結末に導くのさっ」
ぬこはそう言うと、真へ手招きをしてスイングドアの下を潜っていった。
次回更新は18日の土曜日19時とさせて頂きます!少々お待ちくださいませm( _ _)m
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