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・本作は一話完結の短編連載小説です。
・一週間に一話を、数回に分けて更新していきます。
・一話が序章、二話から短編がスタートです。
数々の本の物語からあなたのお気に入りの一作が見つかることを願っております。
ようこそ!物語の世界へ!
私は夢でも見ているのだろうか。
こんな突拍子も無いことに、妙なリアリティを覚えるなんて、
私はこの夏の暑さにどうかしてしまったのだろうか。
今、私の目の前にいるその猫は、なんの躊躇いもなく、至って自然体で毛繕いをしている。
ただ一つ、不自然な事があるとすれば、
その猫は人のような振舞いで、“二足で立っている”ということ。
そして、その猫は尻餅をついて唖然とする私に向かって、こう言ったんだ。
「やぁ、僕の名前は“ぬこ”。僕と一緒に、僕の無くした王冠を探してくれないかい?」
それは、店内に届く耳鳴りにも似た蝉の声で、うまく聞き取れなかっただけかもしれない。それでも私は、まだ僅かに機能する頭で理解した。
今目の前にいる、ついさっき見た絵本の中から飛び出してきたこの猫は、人の言葉を喋っているんだと。
思い返せばそれが、このナギサ書林の日常に訪れた、
壮大で突飛な物語の始まりだったんだ――
――――――――――――
――あぁ~だるい~」
狭い店内には、書棚に囲まれたレジカウンターに腰を落として頬杖を突く、少女の姿があった。少女は憂鬱気な表情を浮かべ、客の居ない店内で一人、いずれ訪れるであろう来客に備えて店番をしていた。
青く晴れ渡った空からは、太陽の鋭い日が差して、緑の生い茂る木々の隙間からは、蝉の輪唱が鳴り響く。それらはまるで、蝉たちが声を合わせて、今年の夏の到来をアナウンスしているかのようだ。
巨大な爬虫類の皮膚のようにごつごつしたアスファルトからは、陽炎が浮かび上がり、街の猫はそれらから逃れるようにして、軒下の影になった狭い塀の上を渡り歩いている。
ここ高円寺では今日も、到来する夏の始まりにはまるで無頓着のように、いつもと変わらぬ佇まいで構える一件の小さな書店がある。
それがここ、『ナギサ書林』だ。
――お母さん達、テレビ番組の抽選で一等賞のハワイ旅行が当たっちゃったから、夏休みは店番よろしくね~真っ♪――
――お父さん達が居なくなって寂しいか? はっはっは! まぁそう照れるなって。一ヶ月は帰って来れないけど、雅と仲良くするんだぞっ♪――
「せっかくの機会だからって笑顔で見送ってあげたけど、思春期の娘二人を置いて一ヶ月のハワイ旅行なんて親としてどうなの? いい年して駅まで手繋ぎながらスキップまでしちゃってさ……。はぁ、私の貴重な青春の夏休みがぁ……」
とほほ。と大きく溜息を漏らし、真は頬杖を突く右肘を滑らせて、だらしなくぐでっとカウンターテーブルに顔を突っ伏した。
一月程前に美容院で整えたショートヘアも、肩に軽く掛かる程度にまで伸びており、宛もなく毛先をくるくると巻いては「そろそろ美容院行こうかな」なんて思いに耽る。
今日、七月二十一日は真の通う高校の一年一学期終業式があり、真は午前中に帰宅をして早々、親の経営する自宅兼書店である、ナギサ書林の店番に従事していた。小学六年生の妹の雅が通う小学校も、今日が終業式のはずだが、まだ帰宅はしていないようだ。
真は頬を引きずるようにして突っ伏した顔を上げると、書棚の隙間、店のガラス戸から垣間見える、可愛い私服を来た少女達の姿を目に映した。彼女達は立ち止まり、何やら楽しげに話をしている。
――ねぇねぇ今日何処行く? 外は暑いから本屋さんに言って読書するなんてどう?
――いいねいいねー! 私読書するの好きなんだ~。
――あ、あんなとこに丁度本屋さんが……
……さっそくあの本屋さんに行こうよ。わー狭いけど本がたくさん置いてあるよー夏休みの読書サイコー……」
……当然、店内のガラスを隔てる真に彼女達の会話は聞こえるはずもなく、真は彼女達にアフレコをして現実逃避に浸る。すると、彼女達は一様にこちらに視線を送り、店の方へと近づいてきた。
「えっ……?」
真はカウンターに両手を突いて勢い良く丸椅子から立ち上がると、期待に胸を高鳴らせ、店の前へと歩み寄ってくる彼女達を見つめる。
すると彼女達ははにかんで、手を振ってきた。
「えっえっえっ、まさかホントに? 私をこの孤独から救い出しに来てくれるの!?」
手を振りながらこちらに歩み寄ってくる彼女達に返事をするように、真が手を振り返そうとした時、店の影から数人の男子が姿を現し彼女達と合流すると、彼らは何処かへと歩き去ってしまった。
「……って待ち合わせ場所かいっ!」
真は崩れ落ちるように、またカウンターテーブルに顔面を突っ伏した。
「私の夏休み、サイテー……」
店内には再び、一抹の静寂が訪れる。
ここナギサ書林は、毎週水曜日が定休日であり、それ以外の日は午前十一時から午後七時まで毎日欠かさず営業している。それは、真の祖母の代から続くナギサ書林のしきたりでもあり、定休日以外に店を閉めたことは一度も無かったのだとか。
それ故に、真の両親がハワイ旅行にて暫く遠出していたとしても、ナギサ書林を休む訳にはいかないのだ。必ず家族の誰かしらが店の切盛りをし、少なからず居る昔からのお得意さんのためにも、店を開かなければならない。
勿論新規のお客さんもいない事は無いが、頻繁に客が出入りする程でもない。
祖母の代から続くナギサ書林だが、この程度の集客で長いこと経営を続けていられる事が、真にとっては永遠の謎でしか無かった。
と、そんなどうでもいい事を考えている真は、ふと母に言われた「書棚の整理を怠るな」という言葉を思い出す。そして気怠そうに体を持ち上げると、席から立ってカウンターを回り、書棚の整理へと向かった。
真は記念すべき高校最初の夏休みに備えて、一週間前に新調した赤い七分のフリルを身に纏い、お気に入りの白いプリーツスカートを靡かせる。
まさか突然、一ヶ月間の店番を任されるとは思いもしなかった真のそんな後ろ姿からは、儚く散った夏休みへの未練を漂わせていた。
「はぁ、私なんでこんな恰好して書棚の整理なんてしてんだろ。本なんか好きでもないのに……」
真は、渋々書棚の前へと足を運ぶと、棚から飛び出している本を指先で押し込んでは、順番のズレたシリーズものの書籍を整理しながら、そんなことをぼやいた。
「いつからだろうなぁ。本を読まないようになったの」
真は小さい頃から、ナギサ書林に並ぶ本に囲まれて育ってきて、親からは毎晩のように絵本を読み聞かせてもらっていた。しかし、その時の自分は喜んでいたのか、つまらないと思っていたのか、それは思い出せなかった。
いつしかもう絵本を読んでもらうような年でもなくなって、真の興味は本以外の、もっと他の物へと惹かれていったのだ。
真は文芸コーナーから児童書コーナーの整理へと差し掛かる。
これまでにも何度か、親の居ない時に店番をしていた事があったので、大抵は見覚えのある絵本ばかりだ。中には、小さい頃に読んでもらった覚えのある絵本もあったが、今の真にとっては大して興味の無い物である。
並べられた本に視線を転がせていると、ふと見覚えの無い絵本を見つけた。
「ん? 何だろこれ。見たこと無いなぁ」
真はその絵本を棚から抜いて手に取ってみる。
「『ねこの王さま』……。新刊かな?」
その絵本の表紙には、『ねこの王さま』という大きなタイトルと、二本足で立つ一匹の黒猫の姿が描かれている。真は珍しく興味を持った絵本をまじまじと見つめると、ある違和感に気が付いた。
「あれ、この本、著者の名前も出版社の名前も無い」
その絵本には、表紙のタイトルと一匹の黒猫の絵以外には何も書かれておらず、裏表紙を見ても著者名は疎か、出版社やロゴの表記すらも無かった。真は翻した手を戻し、改めて表紙の絵をじーっと見つめた。
表紙に描かれた黒猫は、何かを探すように片手を額に当て、二本足で走っているようポーズを取っている。もう片方の手には小さな紙のような物を持っているが、そこまで詳細には描かれておらず、それが何なのかは分からなかった。
不思議と、その本に興味を唆られ、内容が気になって徐に本を開こうとした。がその時。
「えっ??」
真は絵本を開きかけた手を止め、また表紙の絵をじっと見つめた。一瞬、表紙に描かれた猫の絵が、動いたような気がしたのだ。
「気のせい、だよね……」
背筋にゾゾゾッと走る嫌な悪寒を感じつつも、きっと暑さと無数の本に目が眩んで錯覚を見ているだけだと自分に言い聞かせつつ、今一度横目に表紙の猫の絵へと視線を移した。
すると、表紙の黒猫と目が合った。
「ヒエエエェェェ!!!」
目が合った猫の視線から、脳天を貫かれたかのような衝撃に襲われ、手に持つ絵本を宙に投げ出して取り乱すが、混乱しつつも大事な商品を傷つけまいと、絵本を二度三度とお手玉して何とかキャッチする。
あまりに突然の出来事に信じ難いが、それを確かめるように恐る恐る、今一度表紙の黒猫の絵を見た。
黒猫は走るポーズで、額に手を当てたまま視線をこちらへと向けている。そしてまたもや信じ難い事に、黒猫は走るポーズから動き出し姿勢を整えると、真に向かって正対し、まるで英国紳士かのように胸に手を当てて、お辞儀をして見せた。
そして、真の塞がらない口から絶叫が店内に響き渡るよりも先に、手に持つ絵本が独りでに勢い良く開かれ、素早く捲られるページの隙間から何かが飛び出した。
「うわぁあっ!」
真は何が起こったのか理解が及ばず、突然目の前に飛び出した何かに驚いて堪らず絵本を手放すと、足を滑らせて尻餅をつく。その拍子に、棚の下に山積みにされていた本に手を掛けてしまい、真は頭の上から盛大に本を被った。
「いててて……。なな、何なの……??」
ジーンとお尻に響く鈍痛に顔を歪めながらも、真は頭から被った本を退けながら、顔を上げる。そこには、先程の絵本に描かれていた黒猫が目の前に二足で立っており、体に付いた埃をいくらかポンポンと振り払うと、茫然自失として床に座り込む真に手を伸ばして、“喋った”。
「やぁ、僕の名前は“ぬこ”。ケットシーの王様さっ!」
真は口を開けたまま、差し出された肉球とはにかむ黒猫の顔を交互に見つめると、一呼吸置いて……。
「えええぇぇぇーっ!!!???」
真とぬこの摩訶不思議な夏休みは、このナギサ書林から始まった。
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