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――ふと目を開けると、そこは先程の殺風景な子供部屋とは打って変わって、カラフルなマットが立ち並ぶ不思議な空間だった。所々にブロック状のマットがピラミッドの様に山積みにされており、それらの上に点々と大きなオモチャが転がっている。
そして真は下を見て、自分が空中に浮いている事に気が付いた。
「へっ……?」
その瞬間、仕事を忘れていた重力が、途端に真の体を床へと引きずり下ろした。
「またなのぉぉぉ!?」
ジタバタと体を捩る抵抗も虚しく、真は真下に合った椅子の形をした柔らかいマットの上に、うつ伏せの状態で不時着する。
その椅子は落下の衝撃を和らげ、痛みを伴うことは無かったものの、肘掛けに胸と脚が引っかかり、体がくの字に曲がった変な姿勢になってしまった。
「あいたたた……グヘッ!」
そして体を起こそうとした真の上に、少し遅れてぬこが落下してきた。
持ち上げた腰の上に落下してきたぬこは、真の上でバウンドすると椅子の前に転げ落ちて尻餅をついた。真は再び体をくの字に曲げて悶絶する。
目が回った様子でいるぬこは、フラフラと上体をよろめかせてから、顔を左右に振って瞼の裏の星を振り払う。そして、ハッと顔を上げると辺りを見渡した。
真は腰に手を当てながら、椅子の上でゆっくりと体を起こす。それから柔らかい椅子の上に腰を掛けて落ち着くと、キッと鋭い視線を目の前のぬこへと向けた。
「ぬこぉ……。何度も人の上に落ちてこないでよ!」
「そんなことより真。周りを見てごらん」
「周りって……え?」
真はその言葉に、ぬこの見つめる方向へと視線を移した。
そしてそこに居た、“住人達”を目の当たりにする。
一瞬言葉を失い掛けるも、真はゆっくりと口を開いた。
「これって……オモチャ……だよね?」
真とぬこの見つめる先、カラフルなマットが立ち並ぶ空間には無数の大きなオモチャが転がっている。いや、先程までは転がっていた。
今二人が視線を向けるその先には、まるで生きているかのように立ち上がってこちらを見つめる、オモチャ達が居たのだ。
丸い頭から棒のような手足を伸ばして、靴を履いたオモチャのキャラクター。
可愛げのあるデフォルメされた、マスカットグリーンの恐竜のぬいぐるみ。
帽子を被って身を寄せ合う、たくさんの小人達。
それ以外にも、先程のオモチャ箱で見たようなオモチャやぬいぐるみ達が点々と佇んでいる。
そして次の瞬間、彼らはてくてくと二人の元へと歩み寄ってきた。
真とぬこは突然動き出したオモチャ達を目の当たりにし、互いに顔を見合わせる。そしてずりずりと後退りをした。
ぬこは真の座る椅子の横へ。真は脚を抱き寄せて背もたれへと身を寄せる。
「え? え?? 何この状況!?」
「そんなの僕にも分かる訳がないだろ?」
徐々に二人の元へと歩み寄るオモチャ達。その可愛げのある無垢な表情すら、今この状況ではなかなかのホラーな雰囲気を助長している。
尚も歩みを進め、ずらっと二人の前へと立ち並んだオモチャ達は、一斉に歩みを止めた。真は堪らず、グッと目を閉じる。
そして、先頭に立つ恐竜のぬいぐるみが、徐にその口を開いた。
「お帰りなさいませ! “女王様”!!」
「「「お帰りなさいませ! “女王様”!!」」」
真はその声を聞いて、ゆっくりと目を開ける。
「……へ?」
ふと見渡せば、眼前に集まったオモチャ達は各々可能な限りの体勢で片膝を突いて頭を下げていた。よくよく見れば、今真とぬこが居る場所は、周りの床から段差を挟んだやや高い位置にある。
そして、その中心にある真の座っている椅子は、背もたれが高く、黄色の枠に赤いふかふかのマット。それはまるで、玉座のようなオモチャの椅子だった。
真はこの状況が理解できず、玉座に腰を掛けたまま隣に居るぬこへと顔を向ける。
「ねぇぬこ、これってどういうこと??」
ぬこは顎に手を当てながら一考し、ついさっき落ちてきた真上を見上げる。それに釣られて真も、ぬこの視線を追って顔を上げた。
空中には、四角形のカラフルなマットや、オモチャのブロック、雲のような形の綿がふわふわと浮かんでいた。更にその奥には、星の瞬く夜空のような空間が広がっている。そして見上げる二人の視界を横切るようにして、オモチャの飛行機が通り過ぎた。
ぬこは視線を、目の前にいるオモチャ達に戻して、口を開いて応える。
「ここは恐らく、ジャンの部屋のオモチャ箱の中だろうね。そして真、君の座っているそれはどう見ても玉座だ。それに、このオモチャ達が真のことを“女王様”と呼んでいるということは……」
真はふと思い出して、頭の上に手を伸ばした。そこには、ジャンの部屋で被った王冠が乗っている。ついさっき宙から落ちてきたというのに、それは頭から落ちることなくそこに留まり、真の頭にピタッと張り付いているようだった。
跪くオモチャ達。
その中心にある玉座。
そしてそこに座る、王冠を被った真。
そこで真はある一つの答えに辿り着く。
「もしかして私って……オモチャの国の女王様になっちゃったの!?」
「どうやらそうみたいだねっ」
真は肘掛けに勢い良く手を突いて、困惑した面持ちで、声を上げながら立ち上がった。
呆然と立ち尽くす真を見て、恐竜のぬいぐるみは顔を上げ、不安気な表情で首を傾げながら、柔らかそうな顎を開けて問い掛ける。
「女王様、どうかなさいましたか?」
真はその問い掛けに、なんと応えて良いものか分からなかった。
それもそうだ。ついさっき、ジャンの部屋で王冠を被った時は、その気になって少しばかり偉くなったような優越感をも抱いた。しかしそれは、言わば飯事での話だ。いざこの状況、生きているかのように跪くオモチャ達を目の前に、それも女王様だなんて呼ばれたら、戸惑いを抱かずにいられるはずもない。
それでも真は、何か発言を求められている事に対して、目を泳がせながらも口を開こうとする。しかし、まるで圧迫面接かのようにいくつもの視線を浴びるこの状況に、真はキリキリと痛み出した胃を抑えた。
「あ、きっと女王様はお腹が空いてるんだミョ!」
「え?」
そこに、丸い頭から手足を伸ばしたオモチャが、重そうな頭を揺らしながら声を上げた。その声に振り向くオモチャ達は、「あ~」と一様に納得した様子で、せっせと走り回りだす。高台に佇む二人は、それを見守ることしか出来なかった。
ふとそこで、ぬこが真に声を掛ける。
「このオモチャ箱の中で真が王様になった、と言うのは間違いないみたいだね。ここから出る方法が分かるまでは、話を合わせよう」
真はそれを聞いてから、改めて眼前で走り回るオモチャ達を見渡した。それから、止められていた画鋲を抜かれた紙のように、フラフラと脱力して玉座にもたれ掛かる。すると自分を落ち着かせるように、小さく息を吐いた。
「こんなの、本当に夢みたい……」
「ま、絵本の中だからね。真の居た世界とは違っていて当然だよ」
そして二人は、そのオモチャ達を暫く見据えていた。
それから程なくして、まるで準備が整いましたとでも言わんばかりに、オモチャ達は玉座の正面に花道を作る。その奥を覗くと、大きな木のお皿を持ち、足並み揃えて行進する行列がこちらへ進んできた。
オモチャ達は花道を通り抜けると、いつの間にか玉座の前に置かれていたテーブルの上に、そのお皿を並べていく。
そこで真は、お皿の上に盛られている物に気が付いた。
それはお飯事でよく見る、オモチャの食べ物だった。オモチャの包丁で切る事の出来る、内側がマジックテープでくっついてるやつだ。それも、オモチャ達と同じようにとてつもなくデカイ。
「これ、プラスチックだよね……?」
真はそれらの料理、と呼べるか定かではない食材達へと顔を向けながら、ぬこへ言った。
それに、真と同じように皿の上を見つめるぬこが応える。
「う~ん。でも、なんか良い匂いがするような……」
見たところオモチャの材質はプラスチック、樹脂、シリコン、フォーム素材など、食材に合わせてリアリティを持たせる加工がなされている。高校生の真が見ても関心するその造りなのだから、子供が間違えて食べてしまうのではないかと心配する親の気持ちも、理解に固くない。
そこへ、先程の丸い頭のオモチャが段差を登って歩み寄る。
「私はオモチャ箱の料理長。ペペロ・チーミョと申しますミョ。ペペロとお呼びください。女王様、お食事の準備が整いましたミョ」
そう言うとペペロは、頭に被っていたコック帽を顔の前へ翳して、お辞儀をして見せた。そのままの姿勢でピタリと静止したかと思った次の瞬間。手に持つコック帽の中へと手を突っ込むと、そこから包丁を取り出した。そのままコック帽を放り投ると、テーブルに並べられた食材をサクサクと両断していく。
目にも止まらぬ速さで、オモチャの料理はマジックテープを剥がされていき、食べやすい、かどうかは分からないが、先程よりは細かくお膳立てがなされた。
包丁を入れられた料理がパカッと綺麗に分かれる音がしてから、ポーズを取るペペロの頭の上に、宙から落ちてきたコック帽が綺麗に被さった。
「「お、おぉ~」」
真とぬこはその早業に、思わず賞賛の拍手を送る。
ペペロは、「決まった……!」とでも言わんばかりに口角を僅かに上げてから、また真に一礼をして、段差を降りていった。
と、そこまでは良かったのだが、女王様となった真とぬこの前に料理が並べられてから、またオモチャ達は黙って真達を見つめている。それらはまるで、「さぁ、思う存分召し上がれ!食べ終わるまでは見守っていますよ」とでも言うように佇んでいた。
「あ、ありがとうございます……」
真は困っていた。目の前に配膳された料理は、何処からどう見てもオモチャなのだから。いくらこの世界に来た時がお昼前だったからと言って、それらを食べることはできない。それでも、オモチャとは言いつつもお昼時に食べ物を連想させる物を目の前に並べられて、真は僅かばかりにも食欲がそそられることを隠せないでいた。
すると、鼻を立てて興味有りげに、三枚おろしならぬ、三等分された魚の匂いを嗅いでいたぬこが、何を血迷ったのかペロリと舌を出してそれを舐めた。
それからぬこは、少しばかり舌鼓をしてから真へ振り向いて言った。
「真! これ美味しいよ!」
真はそれに苦笑で応えた。
案外、ぬこはお飯事が好きなのだろうか。そう言えばぬこって、たまに子供っぽい所があるよな。なんて事を考えるように一瞥してから、真はまた視線を戻す。
とは言ったものの、真は錯覚でも覚えたかのように小首を傾げる。何故なら、先程からどことなく良い匂いが漂っているような気がしたからだ。野菜、スープ、チキン、ピザ、ハンバーガー、パイ、ドーナツ、ケーキなどなど。品目は申し分ない。
真は一つ試しに、手前にあるパンのオモチャを指で啄いてみる。
「……柔らかい」
それは確かに、パンらしい柔らかさと弾力を兼ね備えていた。恐らくそれは、食材のリアリティを出すために用いられた、フォーム素材によるものだ。
しかし不思議なことに、真には段々とそれらが美味しそうに見えてきていた。
躊躇う真を心配気に見つめるペペロと、その周りにいるオモチャ達を上目に一瞥してから、真は意を決してパンを口元へ運び、ゆくりと歯を当てた。
「……?」
それから真は、パクッとそれを噛み切る。吟味するようにゆっくりと咀嚼してから、ゴクリと飲み込む。そしてハッと顔を上げると、目を輝かせながら言った。
「美味しい!!」
真は、痛快に想像を裏切ったそのパンの味わいに、それを両手で抱えたまぬこへと振り向いた。
「んん、ん~。っふごいよまこほ!ほんなにほいひいはかなたへたことなひ!」
するとぬこは既に、大きな魚の切れ端を両手で抱きかかえ、口いっぱいにそれを頬張っていた。
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