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四界戦記  作者: 活字狂い
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第一部 黒界 帝都動乱篇  幕間① ある筆頭執政官の憂鬱



 それは、三万年祭の間中央平原に住む六千万の人々が警備に着くことが、中央平原に多大な権力を持っている四者の間で合意されてから四日後の事だった。帝都パンデモニウムの中心にある黒鳥城の中、城で勤務する文官や武官、執政官の執務室がある第五城壁内を、筆頭執政官であるセフィリアは自分の案が見事合意されたにもかかわらず、険しい表情で自分の執務室に向かって歩いていた。右手には何枚かの報告書を携えている。城壁内の長い廊下を移動し、いくつか扉の前を通り過ぎ、彼女はようやく通路の一番奥にある執務室にたどり着いた。軽く息を吐いて取っ手に手を掛けた時、彼女はふと眉をひそめ、やがてため息を吐きつつ扉を開けた。




「ふん、遅かったな筆頭執政官殿」

「ココノ・・・・・・いつもは招集をかけても面倒くさがってなかなか来ないくせに、事前の連絡もなしにいきなり来ないでちょうだい。しかもこんなに散らかして」



 彼女の執務室にいたのは、帝立大学の副学長であり、薬学部教授、そして自分と同じく黙示録の四姉妹の一人であるココノ・スプリングスだった。彼女は来客があったときいつも座らせているソファにだらしなく寄りかかっており、目の前のテーブルや床の上には空になった何本もの酒瓶が転がっていた。


「まぁそう固いことを言うな。良い酒というのは、飲まなければ宝の持ち腐れだからな・・・・・・さて、今日私が城に来た理由は三つある。実は所有していた蜂蜜酒がなくなってな、こうしてお相伴にあずかりに来たのだ。それともう一つ・・・・・・最近、随分と宮廷雀共がやかましいようだな」



 棚の中に入っていたイスファール産の最高級品の蜂蜜酒を飲み干しながら、遠慮なく話す九尾族の女を、セフィリアは涼しげな顔で眺めた。



「あら、珍しいわね。雀が嫌いな貴方が雀の話をするなんて」

「本物の雀は嫌いではないさ。囀るだけだからな。家でも二羽ほど飼っている。だが宮廷雀共は話が別だ。奴らは毒を持っている上に欲深い。一度餌を与えれば持っている毒でこちらを脅し、もっともっとと際限なく餌をねだるだろう。それこそ自分の体重で巣穴が崩壊することなど気にも留めずにな・・・・・・竜呪の実、いったいどの雀がこの城から持ち出した?」

「調査中よ」

「帝国政府のトップであり、本来皇族とそれの世話をする女官、護衛を行う近衛騎士団しか入ることしかできない第三城壁から中に無許可で入ることができるお前が分からんとはな・・・・・・まあこれについては仕方ないか。この城の地下深く、クリスタルとは別の意味で守らなければならない代物が、ほんの微量であれ外部に流出したんだ。どの雀も知らぬ存ぜぬで通すしかないだろうよ。なぜなら持ち出しただけでも一族郎党皆殺しになるのだからな。では次の問いだが我らの、というよりお前の盟友であるグレイプリー“様”、いったい誰が襲撃なんぞ企てた? そちらについてはさすがに調べがついているのだろう?」


 ココノの問いに答えず、セフィリアはしばらく目の前の書類を片付けていたが、やがて重々しくため息を吐いた。


「帝国貴族の頂点、南方平原の支配者と言えばわかるかしら」

「・・・・・・まて、ブランヴァイク公だと? 彼とは面識があるが、老獪で軽挙妄動を行うような人物には見えなかったぞ」

「彼はそうよ。私も何度か貴族院で対決したことはあるけど、こちらに決して隙を見せないやりづらいことこの上ない狡猾な老人だわ。流石はレフィロスの時代を乗り切った御仁だけはあるわね。ま、その性質を長男は全く受け継いでなかったようだけど」

「長男・・・・・・なるほど、“ルーキス”の餓鬼か」


 ブランヴァイク公の嫡男であり、彼の後継者である青年の端正といってはいいが、強欲と神経質なせいで醜く歪んでいる顔を思い出し、ココノは吐き気を抑えるように奥歯をかみしめた。


「私は彼の事好きではないけれど、貴女も随分と嫌いなようね」

「当然だろう。あの男が大学に在籍していた時何をしていたか知っているか? 禁止されている派閥を作り、奨学金で入ってきた、こちらが目をかけていた優秀な学生を何人も退学に追い込み、さらには奴の横やりのせいで本来なら“五姉妹”になっていたはずの我々が四姉妹になったんだぞ。私が副学長になってから問答無用でたたき出してやったが、今でもそのことを恨んでいるらしい。まあ奴の取り巻き程度に負ける気はさらさらないが・・・・・・しかし、そうなると分からなくなるのは父親の方だ。まさか、息子の行いがどういう結果になるかわからぬわけでもあるまいに」

「ご健在ならね」


 その質問に短く応えると、セフィリアは差机の上にあった書類に目を通し、小さくため息をしてから署名すると、決済不可と書かれた箱の中に落とした。


「ご病気だと?」

「この前貴族院で対決してから急に体調を崩されてね、十日以上前にご自分の飛行船を使ってお住まいの公都ブランヴェールまで戻られたわ。それからは一歩も部屋から出てこれないそうよ」

「毒でも盛られたか・・・・・・するとルーキスを止める奴が誰もいなくなるな。まったく、あの餓鬼は誰に手を出したのかわかっているのか? “虐殺帝”レフィロス、その最後の皇妃に当たる方だぞ」


 前皇帝であるレフィロスには五百を超える皇妃がいたが、ほとんどは彼と彼の正妃である蛇腹族の女によって楽しみながら虐殺され、残りは彼が死んだ後の混乱で皆行方不明になるか死亡した。現在確認が取れている唯一の皇妃が、レフィロスが死んだ当時大学にいた彼女だけだったのである。幸いだったのは彼女が皇妃だという事をほとんどの者が知らず、最初に気づいたのが当時帝都知事から元老院に入ったばかりのジャン・ヴォーダンであったことだ。彼はグレイプリーと話し合い、皇籍から離脱するのを条件に資金を援助し、彼女は学生のころからその金を元手に商売を始め、最終的には四者の一人にまで数えられるようになったのだ。



「あの方のことはアベルに任せておけば大丈夫でしょうけれど、問題はそれだけではないのよ」

「ふむ、聞いた話だとお前が発案した城壁外の住民を雇うという案が成立したという事だが、まだ何か問題があるのか?」

「それについてはすでに中央平原に住む人々の訓練が、町や村で始まっているから問題はないわ。私が悩んでいるのは、つい先日届いた、二つの報告書についてなの。見て頂戴」

「拝見しよう・・・・・・なんだこれは」



 セフィリアから彼女が持っていた書類を渡され、ココノは何気なく読み進めていったが、すぐに眉をひそめた。その書類にはこう書いてあった。




『南方平原にあるオークの村の一つ、革命団によって壊滅す』  と










 その事件が起きたのは、十日前の霧深い朝のことだった。





 中央平原から南におよそ五千マイル、中央と南部を隔てる関所としての役割を持つ南部大要塞を抜けた先は帝国の一大穀倉地帯と称される南方平原であり、古くから帝国一豊かな地域として知られている。またこれら農作物を売買するため商業も盛んであり、その膨大な利益は南方平原を実質的に支配しているブランヴァイク公を筆頭に帝国貴族の懐を潤し、煌びやかな貴族文化が花開いた土地でもあった。また、恩恵を受けているのは貴族だけではない。商売をする商人や農業を営む農家、実り豊かな森の中で生活する獣人族やほかの種族にとっても、この地は非常に暮らしやすかった。




 だが、豊か故に様々な陰謀が張り巡らされるのも、ここ南方平原の大きな特徴だった。





 その村は、南方平原北西部にある広大な森の中に点在する村の一つだった。住んでいるのは緑色の肌と帝国人に比べがっしりとした体格を持ったオークである。彼らは皆温厚で、肉を食べず森の恵みを収穫し、少量の野菜や果物を栽培して生活している種族だった。むろんそれだけでは生活できないので年に何度か村の若衆達が森の外にある街に出稼ぎに出るが、温厚で怪力を持つ彼らは街の人々から非常に慕われていた。だがすべての住民に慕われていたわけではない。特に彼らが出稼ぎに来たせいで仕事を奪われたと考えている日雇い労働者からは、殺意までもたれていた。




「あれが、凶暴なオークの住む村か」



 霧がまだ明けきれぬ中、森近くの小高い丘の上に、三十名ほどの“人間”がいた。彼らの戦闘にいる四人は馬に乗っており、ピカピカに磨いた鎧兜に身を包む者、過去に魔術師が使っていたローブを羽織る者など、かなり時代遅れな格好をしている。だが、それでも彼らの持っている剣や槍、メイスなどは今でも十分に通用する武器だった。




「それにしても、ようやく冒険らしいことができるわね。“雄介ゆうすけ”」

「そうだな“博美ひろみ”。今まではほとんど冒険らしい冒険をができなかったが、たびたび街に来て略奪を行うオークの群れ、まさしく冒険の始まりにふさわしいクエストじゃないか」


 隣にいる大道芸人の魔女のような姿をしている少女の声に、彼らのリーダー格なのだろう、きらびやかな白銀の鎧兜を着込んだ少年が応えた。


「しっかしひどい世界だぜここはよ。魔王もなんもいない。ゴブリンとかそう言ったやつはいるが、そいつらも法を守り税を納めている限りはは帝国の住民ときていやがる。しかもギルドはないし、酒場や宿屋に張ってあるはずの怪物退治の依頼もないと来た」

「それに技術がものすごく進化してるよ。火薬や羅針盤、活版印刷なんてずっと大昔にセフィ・・・・・ロス? って奴が発明してるし、銃や大砲、製鉄技術、さらには蒸気で動く自動車や飛行船まで発明されてる。内政チートなんてできやしない」

「そうだ、それに、確かに“異世界転移”ものの御約束である帝国が支配している世界ではあるが、法律はできているし、定番の奴隷も二代前の皇帝とやらが解放してしまっている。だからいままで俺たちがやれたことは、悪の帝国を倒すために街頭で少しずつ民主主義を訴えていくしかなかった。幸い支援者も日に日に増えてきてはいるが、今回のオーク討伐をきっかけとして、俺たちの名は一気に高まるだろう。その時こそ、俺達の物語というわけだ。皆、準備はいいか?」



 何かに酔いしれるような自分の言葉に、手に武器を持った仲間がおうっと叫ぶ。それを聞いて、演説を行った少年が満足げに頷いた時、



「ちょ、ちょっと待ってよ」

「・・・・・・なんだ、何か文句でもあるのか、“義男よしお”」


 馬に乗っていない仲間の間から、背が小さく肥満体の少年が一人転がり出てきた。黒羊の皮を使った服を身に着け、腰にも一応長剣を帯びているが、太っているためか少し動いただけですぐハアハアと息を吐いている。その醜さから、元の世界ではひどいいじめを受けていた。この世界に転移してからはさすがにいじめはなくなったものの、それでもクラスメイトからはかなり格下に見られていた。




「い、いや、オークが略奪をしているのって、酒場で噂として聞いただけだろ? それだけで凶暴と決めつけて、討伐するのは無理があるんじゃないか「ああっ!?」ひっ!!」



 義男と呼ばれた少年がしどろもどろにそう答えると、元々短気なのだろう、雄介という名の少年は、優し気なその表情を悪鬼のように歪ませ、手を伸ばして彼の襟首を掴んだ。


「テメエ、ゲームやったり小説読んだりしてねえのか? いいか、オークは凶暴な魔物なんだよっ!! そしてそれを暢気に住まわせてる帝国も悪で、それを倒す俺らが正義なんだっ!! 手前の鼻くそより小さな脳みそじゃ、そんなこともわからねえのか!?」

「ま、まあまあ雄介君、いら立ちはオークにぶつけなよ」

「・・・・・・ふん、命拾いしたな義男。ああ、何なら来なくていいぞ? お前の豚顔じゃ、オークと間違えるかもしれないしなぁ」


 掴んでいた襟首を離し、あざ笑う雄介の言葉に同調するように、周囲のクラスメイトから笑い声が響く。その中央で無理やり笑みを作りながら、義男は右手を血が出るほど強く握りしめた。



「さてと、それじゃあ余計な時間は食ったが、いよいよオーク討伐だ。行くぞ皆っ!!」



「「「「おうっ!!」」」」



 自分たちを正義の使徒と妄信している三十人の少年少女が、手に凶器を持ってオークの集落がある森に向かって駆けだす。そして











「そして、虐殺が始まった・・・・・・か」

「助かったのは母親によって大甕の中に隠されていた少女ただ一人だけだったそうよ。彼女の証言で、オークを虐殺したのが革命団というのは分かったのだけれど」

「ああ。だが一つ疑問がある。犯罪を犯す者が多い小鬼族や北方に数多生息する蛮族であるトロールやオーグルではなく、なぜオークなのだ? 彼らは精霊議会にも籍を置いている“樫の木の精霊”だぞ。元締めであるエルフヘイムが黙ってはいないだろう」

「ええ、さっそくエルフヘイムに滞在している外交官に抗議と詰問があったそうよ。まあ、革命団は陛下に仇名すテロリストであるのだから、こちらとしては討伐する良い理由になるのだけれど。こっちの本気を示すために、クリスティアにエルフヘイムに行ってもらったわ」

「なるほど、だからあのうるさい奴がいないのか。ま、奴はエルフェリア女王陛下を尊敬していたからな。良い人選なのではないか。さて、次の案件だが・・・・・・こちらの方がよほど厄介だな」



 この話は終わりだと言わんばかりに机に報告書を放ったココノが、二枚目の報告書に目を落とす。読み続けてしばらく、彼女はうんざりしたように首を振った。




「“あの国”は相変らずのようだな」

「しょうがないわよ。征服戦争のときからずっと、この国を逆恨みしているんですもの」

「絶えぬ憎悪が目を曇らせるか。東の脅威、東方の獅子国ともいわれる七王国最大の領土と人口を持つ国・・・・・・ミッドガルドが」



 “征服戦争”より二万年という長い間、帝国にとって最大の仮想敵国となっている七王国最強の国の名を呟いたココノは、二枚目の書類に目を落とした。







『ガストレイル要塞外壁、ミッドガルド空軍の砲撃により破損す』
















 帝都より東におよそ一万五千マイル、東方平原最東端“ガストレイル要塞”にて










「ふん、今回も随分と多いな」






 東の強国ミッドガルドとの国境に建てられた帝国軍最大の要塞であるここガストレイル要塞、そのミッドガルド側の外壁を守護する防衛隊の司令官を務める“黙示録の四姉妹”の末妹、左目を眼帯で隠したシルク・バーモンド少将は、建物でいえば十二階建ての高さに相当する外壁の屋上から眼下を見下ろし、癖である意地の悪い笑みを浮かべた。彼女の見つめる先にはミッドガルド中から集まった数万、数十万規模の獣人達がいる。セフィロトの奴隷解放令を批准せず、獣人族の奴隷制が続いているミッドガルドでは獣人の自由はほとんどなく、ひどい所だと物やそれ以下の扱いをされる。そんな彼らにとっては奴隷の身分から解放され自由を謳歌している同胞がいる帝国は、あまりにまぶしく見えるのだろう。そのため収穫期に入り自分たちの育てた作物が根こそぎ持っていかれると、彼らは深い絶望を感じ、帝国へ入ろうと唯一の街道を通ってここガストレイル要塞の外壁前まで押し寄せてきているのだ。年に少なくとも二回、多いときだと五回も六回も起きる、“獣人族の大移動”と呼ばれる現象である。





「本当ですねぇ。それで、どうなさいますかぁ?」

「ふん、いつも通りだ」


 意地の悪い笑みを浮かべている少女の背後で間延びした声がする。シルクが振り返ると、背の高い大柄な士官が立っていた。彼女の副官兼護衛を務めるターリア特務中佐である。強大な腕力と二メイルに近い強靭な肉体の持ち主だが心優しくおおらかな性格で、休日には近くにある孤児院でボランティア活動をしたり、所属しているお昼寝クラブというクラブで暢気に昼寝を楽しんでいる。彼女の背後には防衛隊の指揮官を務める四人の士官が控えていた。


「群がっている獣人達がこのまま帰るのならばよし。要塞に向かってくるようであれば外壁に開けた射撃穴から空に向かって空砲で威嚇射撃をする。それでも帰らないようなら催涙ガスを発射し、煙幕を飛ばして追い払え」

「かしこまりましたぁ・・・・・・四人とも、分かりましたね」



「「はっ、了解しましたっ!!」」




 上官であるターリアの声に敬礼すると、四人は踵を返して屋上から去っていく。それからほどなく、群がる獣人に対し要塞の前面に無数に開いている射撃口から数百、数千発はくだらない銃の音がした。だが空に向かって発射されたそれは、先ほどシルクが言ったとおり全て空砲であり、それが彼らにもわかっているのだろう。まったく退く気配のない獣人達に、今度は催涙ガスと煙幕が発射された。




「ふん、いつもならこれで帰るのだがな」

「うぅん、今日はなかなか帰らないですねぇ。やはり“上にいる奴”のせいでしょうか」




 催涙ガスと煙幕を浴び、せき込みながらも要塞前からまったく引かない獣人達を見た後、ターリアは困った顔で上空を見上げた。彼女の視線の先には、空を飛ぶ巨大な船が一隻、まるで獣人達を監視するかのように浮いていた。




「あれ、やはり監視役でしょうか」

「そうでなかったら自分の目を疑うところだ。恐らく報告にあったミッドガルド空軍の二等巡空艦“ヤクシャ”だろう。全面装甲張りに両舷に装備された二門の対艦用の長身砲、どれ一つとっても立派な条約違反だ」



 蒸気革命の結果誕生した飛行船に関する技術を帝国は昨年、周囲六ヶ国との協議の末装甲を張らない、武器を搭載しないことを条件として設計図を公開するという条約を締結した。これはもし帝国に他国のスパイがおり、彼らが飛行船の設計図を入手した場合、他国で飛行船が秘密裏に開発される事を考えての事であり、むろん違反した国には厳しい罰が下る。ミッドガルドがひそかに武装した飛行船を建造しているのは諜報局からの知らせで知っていたが、実際に見るのは初めてだった。



「これで条件違反でミッドガルドに制裁できますかねぇ」

「無理だな。見ろ、艦首にあるはずのミッドガルドの国章がない。あれでは盗賊が奪った飛行船を改造して使用していると言い逃れされるのがおちだ。もっとも乗っているのは間違いなくミッドガルドの軍人だろうが」

「つまりあれがミッドガルド軍の者であると証明したければ、撃墜してなおかつ搭乗員を生きたまま確保すればいいんですねぇ。けど、さすがにあそこまでは飛んでいけないなぁ」

「まあ奴らが何もしてこなければ無視でいいさ。もし奴らが賢明ならこのまま何もせず立ち去るだろうが、厄介なのは奴らが愚者である場合だ・・・・・・さて、どうなるか」


 胸に満ちてくる不安を押し殺すように、シルクは右手の親指の爪を噛んだ。そしてその不安は、その後すぐに的中することになる。










「まだ奴隷共は壁を越えられんのか」









 要塞の前に群がる獣人達を見下ろす巡空艦“ヤクシャ”、その艦橋にある艦長席に座るミッドガルド空軍第十五師団に所属するボラッジ大尉は、隣に立っている副官に忌々しくに尋ねた。がっしりした肉体を誇示するかのようにに一回り小さな軍服を着込み、右胸にはいくつものミッドガルド獅子勲章が着けられている。そしてその手には何をいつ打って出来たのかはわからないが、所々赤錆が浮いた鉄の指揮棒が握られていた。




「は、何せ鋼鉄製の壁ですからな。獣人共の爪や牙では歯が立ちますまい。しかも要塞からは催涙弾や煙幕が雨あられと降っています。そろそろ退却するのではありませんか?」

「ふん、それでは“間引き”にもならんではないか。帝国の奴らもふがいない、押し寄せてくるならば殺せばよいものを」

「追い返すだけならまだしも下手に殺してしまえば国際問題になりますからな、彼らも慎重なのでしょう。それでどうなさいます? そろそろ我々も退きますか?」

「このまま何の成果もあげられずにか? そんなことをすれば我々は国中の笑いものになる・・・・・・主砲発射準備っ!!」

「は? お、お待ちください閣下、まさか要塞に対して砲撃を行うおつもりですか? それはさすがに問題が・・・・・・ぐあっ!?」


 上官であるボラッジの言葉に、彼の隣に控えていた彼より一回りほど大柄な副官はさすがに反対しようと口を開いたが、その言葉を最後まで発することはできなかった。彼の方を振り向いたボラッジが、彼の右目にいきなり指揮棒を突き刺したためである。


「誰が貴様に意見など求めた!! 貴様はただ言われたことをやっておればよいのだ・・・・・・砲術長!!」

「ひっ!? は、はいっ!!」


 前方の席に座っていた砲術長は、ボラッジの言葉に慌てて立ち上がった。彼の目には、右目を貫いた指揮棒が脳まで達してビクビクと痙攣している副官の姿が映っていた。


「貴様は分かっているな?」

「は、はい、要塞に対し、ほ、砲撃を仕掛けます」

「うむ、それでよい・・・・・・ああ、最初は要塞ではなく奴隷共を撃てよ? そうすれば奴隷を鎮圧しようとして、誤って要塞に砲撃を当ててしまったことにできるからなぁ。できるな、ん?」

「も、もも、もちろんでございますとも」

「よし、いい返事だ。砲術長、貴様を今から俺の副官に任命してやろう。後ろに立て」

「は、ははは、はいっ!!」




 事切れた副官の頭を踏みつけ、高笑いをあげるボラッジの両目はすでに狂気の色に染まっており、彼にできることは黙って命令に従うこと、ただそれだけであった。





「ふん、ようやく退いていくか・・・・・・いや、妙なを動きするな」

「そうですか? 確かに後退していきますねぇ、もしかしてそろそろ撤退されるんでしょうかぁ」

「いや、あの位置はむしろ・・・・・・まさかっ!?」



 敵艦の砲術長が部下の砲手たちに命令を出したころ、要塞の屋上でシルクは副官であるターリアと共に煙幕と催涙弾により後退していく獣人達を見て息を吐いたが、山に囲まれた狭い街道を退いていく獣人達の上空を、彼らと同じように後退していく飛行船を見てふと眉をひそめた。ターリアの言う通り撤退することも考えたが、それにしては何の障害もないのに、獣人の動きに沿って退いていくのはおかしい。そう考えたシルクの脳裏に、恐ろしい光景が浮かんだ直後、その光景は現実のものとなった。



 街道を退く獣人に向かって飛行船の両舷に装備されている、主砲である長身砲が向けられる。そして次の瞬間、巨大な轟音とともに二発の砲弾が要塞ではなく獣人達に向かって発射された。砲弾は退こうとしていた獣人達の先頭に着弾し、彼らの身体を地面ごと抉り飛ばした。大地に大穴が開き、その周辺に多数の仲間が肉塊となって散らばるのを見て恐慌をきたしたのか、他の獣人達は再び要塞へと殺到してきた。



「あららぁ、さすがにあれは駄目ですよぉ。守らなければならない国民を自分たちの手で殺すなんて」


 飛行船からの砲撃に怯え、再びこちらに向かってくる獣人の大群を見下ろし、ターリアはその目に怒りの炎を灯して呟いた。本来ならば喚き散らしたいが、それは自分の上官が目の前で行っているため逆に彼女は冷静にならざるを得なかった。そして彼女の敬愛すべき上官であるバーモンド少将はと言うと、艦が自国民に対して砲撃をしたのを見て、彼らを口やかましく罵っていた。この世のありとあらゆる罵声の言葉をその可愛らしい口から発しながら。



「落ち着かれましたかぁ?」

「・・・・・・・・・・・・ああ、すまん。嫌なものを見たせいでつい興奮してしまった」



 十数秒後、ようやく落ち着きを取り戻したシルクはターリアの心配そうな声に謝罪すると、相変わらず獣人達を砲撃しつつこちらに近付いてくる巡空艦を、憎悪を込めた目で見上げた。



「しょうがないですよ。けど、何であんなことをするんでしょう」

「ミッドガルドでは奴隷である獣人達は物以下の扱いしかされていない。今彼らを砲撃している連中にとっては、道に落ちているゴミを蹴り飛ばしているような感覚なのだろう」

「そんな・・・・・・それはあまりにひどいです。何とか助けてあげられないのでしょうか」

「それは無理だ。巡空艦が爆撃しているのはあくまでも自国の民だ。こちらが止めれば、それは内政干渉に繋がる。だが備えだけはしておくか・・・・・・“大銛砲”、発射準備用意!!」

「なっ!? 要塞の切り札の一つを使用するつもりですか? 考え直したほうが良いかと思います「復唱はどうした大尉っ!!」はっ、“大銛砲”、発射準備いたしますっ!!」


 シルクの指示に、部下の兵士に命令を出して戻ってきた四人の指揮官の一人が驚きの声を上げたが、ターリアにじろりとにらまれると、命令を復唱し、背後にいる護衛に指示を出した。それから数分後、屋上の床が十か所沈み、中から巨大な砲身がせり出してきた。




「まったく、知りませんよぉ。いくら飛行船が砲撃していて、もしかしたらそれが要塞を攻撃する可能性があるから事前に迎撃手段を用意しておいて、それを見せて相手を威圧することで獣人達に対する攻撃をやめさせるためといっても、この要塞の切り札の一つを仮想敵国に見せるなんて」

「・・・・・・別に彼らのためではないさ。もしかしたらあの砲撃が獣人の退路を塞ぐだけでなく、この要塞を攻撃するために行っているとも考えられる。実際飛行船は少しずつこちらに近付いてきているからな・・・・・・砲術長、有効射程はどれぐらいだ?」


『最高でも距離六百、高度三百ってところです少将殿。それ以上離れるとどうしても威力が落ちやす。しかも、今回は下から上に向かって撃つわけですからなおさらでさ』


「わかった、“六”の“三”だな」


 屋上にあるいくつかの伝声管の中から、大銛砲の指揮を執っている砲術長へ直通している伝声管を通して彼に話しかけると、野太くしわがれた、だが落ち着いた声が返ってきた。それに頷くと、顔を上げたシルクは砲撃を続ける二隻の飛行船を見上げ、要塞との距離を目で軽く測った。


「まだ千メイル以上距離があるな。それに要塞に攻撃を仕掛けられていないのに、こちらから攻撃を仕掛けるわけにもいかないか・・・・・・発射のタイミングはこちらで指示する。くれぐれも軽はずみな行動はよせ」


『了解です。ですが撃つにせよ撃たないにせよ早く言って下せぇ。こちらには獣人族もいやす。彼らをいつまで抑えていられるか分かりやせんから』



「分かっている。いったん切るぞ」




 伝声管から顔を上げると、シルクは軽くため息を吐いた。砲術長の言う通り、ガストレイル要塞に勤務する兵の中には獣人達も多くいる。たとえ仮想敵国であるミッドガルドにいるといっても、仲間意識の高い彼らが自分たちと同じ獣人族が一方的に虐殺されるのを見ていつまで我慢できるのか、シルクにはわからなかった。








「わははははっ!! 見ろ、ゴミ共もたまには楽しませてくれるではないかっ!!」

「さ、左様でございますね」



 砲撃により地面に血と肉片で出来たどす黒い花を咲かせる様子を見て、ボラッジが哄笑を浮かべると、彼の隣にいる砲術長であり、先ほど彼の気を損ねて殺された先任の代わりに新しく副官となった男は慌てて追従した。 




「しかし、帝国の連中はいったい何をやっている? 目の前で砲撃が繰り返されているというのに、何もせずにただ亀のように要塞にこもっているだけではないか」

「彼らからしてみれば所詮対岸の火事ですからね。それでいかがいたしましょう、そろそろ要塞に攻撃を仕掛けるべきかと具申いたしますが」

「ほう、なかなかいいことを言うな。だが要塞の外壁は鋼鉄製だ。生半可な攻撃では傷一つつかんぞ?」

「ええ。そこでどうでしょう、“あれ”を使用なされては」

「あれ? あれとは何だ?」


 不意に、副官の声の調子が変わった。だがもはやほとんど正気を失っているボラッジはそれに気づくことなく、彼が言ったものの正体が分からずに聞き返した。



「つい先日開発局で開発されたばかりの徹甲弾でございます。出立する前に弾薬庫の奥に厳重に保管したではありませんか。あれを使えば、要塞の壁など簡単に粉砕できるでしょう」

「お、お待ちください、あれは決して使うなど厳命されていたはず・・・・・・がっ!?」



 二人の会話を聞いているうち、ついに我慢の限界に来たのだろう。艦橋にいる搭乗員の一人が立ち上がって制止しようとした時、彼は短い悲鳴と共に床に倒れた。倒れた彼の胸の部分から出た赤い液体が、徐々に床を濡らしていく。




「他に反対の者はいるか?」


 

 固まっている他の搭乗員を、右手に銃口からわずかに煙を出している短銃を握ったボラッジが睨む。その視線から逃れるため、彼らは慌てて前を向いた。



「いないな。ならば全員の賛成により、これより弾薬庫にある徹甲弾を主砲に装填する」

「お待ちください、徹甲弾は僅か一発、至近距離で打たねば外れるかもしれません。ここはぎりぎりまで艦を近づけるのが最善かと」

「ほう、それはなかなか良い提案だな・・・・・・よし、貴様の提案を受けてやろう。舵手、聞いていたな。艦を要塞手前まで近づけろ」

「は、はい」


 ボラッジの命令に、舵手は慌てて艦を動かした。ぼやぼやしていると先ほど殺された二人のように自分も殺されるだろう。そう考えた彼は、体中から汗を流しつつ、ただひたすら艦を要塞へと向かわせた。






「そう、それでいいのです。全ては・・・・・・そう、全ては」


 その時、全速力で要塞に向かう飛行船のエンジン音で、ボラッジはすぐそばにいる男の最後の言葉を聞くことはできなかった。否、もし聞いていても、正気を失った彼には理解することなどできなかっただろう。








“全ては、我らの望む終焉のために”







「敵巡空艦、獣人への砲撃を停止し、こちらに高速で近づいてきますっ」

「奴らとうとう覚悟を決めたか・・・・・・距離が九百を過ぎたら報告しろ、高度の報告も忘れるなっ!!」

「了解しましたっ!!」



 部下からの報告を受けずとも、屋上にいるシルクの目には高速でこちらに迫ってくる巡空艦“ヤクシャ”の姿が見えていた。舌打ちしつつ近くにいた観測員に指示すると、再び伝声管に手を伸ばす。



「またせたな砲術長、いよいよ出番だぞ」

『そいつはようございやした。はっきり言って、部下を抑えておくのも限界だったんでさぁ』

「そうか、それは苦労を掛けたな。いいか、最初の一発は絶対奴らに撃たせろ。もしかしたら砲弾が外壁を直撃するかもしれんが、この要塞の壁に並の砲弾など効くものか。もし破損したとしてもそれはそれでやりようはある。発射のタイミングはこちらで指示する。任せたぞ」

『了解っ!! 任せといてくだせぇ!!』







「敵巡空艦、距離九百五十、九百、八百五十を切りましたっ!!」

「高度五百五十、五百、四百五十、四百三十・・・・・・有効射程高度まで、およそ百っ!!」

「敵巡空艦、正面より右に三度移動っ!!」

「了解、砲身を右に三度向けるっ!!」



「随分あわただしくなってきましたねぇ、そろそろ中に入られてはいかがですかぁ?」


 突如として騒がしくなった屋上で、砲術長との会話を終えた彼女に傍らにいるターリアが退去するように勧めてきたが、シルクは首を横に振った。


「そうもいくまい。ここでなければ正確な距離が掴めないからな。攻撃を受けて万が一反撃に失敗したとなれば末代までの恥だ。怖いなら先に中に入っていていいぞ」

「まさかぁ、シルク様を置いて自分だけ中に入っちゃったら、ファンクラブの仲間に殺されますよ。だからここにいます」

「・・・・・・そうか、なら傍にいろ」



 万が一屋上に砲弾が直撃したら肉片も残らず消し飛ぶ状況だというのに、自分の事をよほど信頼しているのか、ターリアはにこやかな笑みを浮かべたまま自分の傍を離れようとしない。そのことに胸の中で感謝しながら、そもそもファンクラブなどいつできたのだという困惑と多少の恥ずかしさもあって、シルクはその小さな頭には大きすぎる軍帽のつばで、わずかに紅くなった目尻を隠した。




「高度三百八十、三百五十・・・・・・二百九十、有効射程内ですっ!!」

「射程距離七百五十、七百、六百八十・・・・・・待ってください、敵巡空艦六百六十メイル、射程範囲の六十メイル手前で停止しましたっ!!」

「撃ってくるか・・・・・・総員、耐衝撃防御っ!!」

 


 部下から報告されるまでもなく、巡空艦が停止したのを目で確認したシルクの叫びに屋上にいた彼女と彼女の部下は慌ててしゃがみ込んだ。その瞬間、艦の右舷に装備されている長身砲から外壁に向けて砲弾が発射された。壁の中で兵士たちが迎撃しようと小銃を続けざまに発砲するが、銃弾が当たるのも物ともせず、ほんの数秒で砲弾は外壁に直撃、爆発した。




「・・・・・・っ、観測班、記録写真は撮ったなっ!!」

「は、ばっちりですっ!!」



 立ち込める黒煙の中で発したシルクの問いに、彼女と同じように壁に身を寄せた、カメラを持った数人の兵士が応えた。要塞には証拠写真を撮るため記録係を担当する兵士が数人いる。これは偶発的な戦闘が発生した場合、後の調停でどちらが先に仕掛けたかを明確するためだった。


「ミッドガルドの連中もそれは知っているはずなのだがな・・・・・・まあいい、大義名分はできた。砲術長、いよいよだ。有効射程距離から少し遠いが大丈夫かっ!?」


『へい、絶対当てて見せやす、まかせといてくだせぇ!!』


「その言葉、信じるぞ。よし・・・・・・“大銛砲”、撃てぇっ!!」



 もうもうと立ち込める煙の中、自分の問いに豪快に答えた砲術長の声ににやりと笑うと、シルクは大声で叫んだ。その叫びと同時に、屋上に設置された十門の高射砲から先ほど攻撃してきた巡空艦に向かって一斉に砲撃が行われた。




 “大銛砲”から発射されたのは、細長い柄のような物体の先に三又に分かれた先端が付いた、まさしく銛と呼ぶにふさわしいものだった。この細い柄の中は三つの層に分かれており、それぞれには極限まで圧縮された蒸気が詰まっている。高射砲から発射されてから三秒後、一番先端の柄の部分に詰まっている蒸気に火花が引火し爆発、その衝撃で速度を増した砲弾は、三秒後に真ん中の柄の部分に詰まっている蒸気が爆発しさらに加速度を増し、最後に残った柄の部分に詰まっている蒸気を爆発させることで、三又に分かれた先端の部分は爆発的な加速を保ったまま巡空艦に突き刺さった。むろん、ただ突き刺さっただけでは衝撃を与えることはできるが大きな損傷を与えることは難しい。そのため先端には爆薬がぎっしりと詰まっており、刃先に当たる部分が標的に衝突して潰れた衝撃で爆発する作りになっていた。今回巡空艦に発射された砲弾のうち、初弾で命中したのは十発中八発で、巡空艦の艦底に衝突して爆発、破損した部分に再び発射された砲弾が入り込み、巡空艦の内部で次々に爆発した。






「な、なにが起こったぁっ!」

「よ、要塞からの反撃ですっ!! 最初の砲撃で艦底が破損、次の砲撃で砲弾が内部に入り込み貨物室で爆発、火災が広がっていますっ!!」




 強い衝撃で揺れる艦橋で、バランスを失って片膝をつきながら叫んだボラッジの言葉にクルーの一人が悲鳴にも似た叫び声をあげて報告した。



「要塞からの反撃だと!? 馬鹿な、我々は空にいるんだぞ、ここまで届く砲弾の中で、これほどの威力があるものなど効いたことが・・・・・・ぐわっ!!」


 三度発射された砲弾がさらに内側で爆発しついに平衡を保てなくなったのか、巡空艦は右にぐらりと傾いた。身体を投げ出されたクルー達が窓に激突し、割れた窓から地上に向かってばらばらとゴミのように落ちていく。




「ふ、副長、これは一体どういうことだ、奴らは反撃しないのではなかったのかっ!?」

「そんなことは一言も言ってはおりませんよ。先ほど獣人達に砲撃していた際に奴らが何もしてこなかったのは、しょせんミッドガルドの軍が自国の奴隷たちを殺しまわっていただけですから、そりゃあ攻撃する理由はないでしょう。ですが要塞が攻撃されれば話は別です。当然反撃するに決まっているではないですか」

「そ・・・・・そんな、どういうことだ、俺は英雄になれるのではなかったのかっ!!」

「死ねば英雄でもなんでもなれますよ。ただ生きて帰った場合、彼の“軍王”が貴方の事を許すとは思えませんが・・・・・・どうでしょう大尉、一つだけこの状況を打破する考えがあるのですが」

「何だ、いったいどうすればこの状況から抜け出せるっ!!」

「簡単なことです、この艦で要塞に体当たりすればよろしい。いくら爆発寸前の艦といっても、生存者はゼロではないでしょう。彼らと大尉ご自身が銃を持って、外壁を制圧するのです。そうすればあなたはまごうことなき英雄となるでしょうよ」


 椅子に必死にしがみつき、落ちそうになるのを何とかこらえているボラッジに、いつの間にか立場が逆転した副長は、傾いている艦の中、よろけることすらせずに冷笑を浮かべた。



「え、英雄・・・・・・そうだ、俺は英雄になるべく生まれてきたのだ。俺が、俺こそが英雄にっ!!」



 熱に魘されるかのようにぶつぶつと呟きながら、ボラッジは傾いた艦橋から落とされないよう必死に固定されている椅子にしがみつきながら操舵席に向かった。そして何とか舵のところまで着くと、彼は必死に舵を操作し平衡を保ちながら、艦をゆっくりと外壁に近づけていった。








「・・・・・・あんまり威力無いですねぇ」

「しょうがないだろう、有効射程距離より六十メイルも遠いんだ。それに今まで訓練で使った事はあるが、実戦ではこれが初めてだからな。だが確かに威力が足りん、まさか三射目を受けてもまだ艦が沈まないとは・・・・・・改良が必要だな」

 

 ボラッジが艦を動かすその数分前、外壁の上では“大銛砲”の直撃を受けて傾く巡空艦を見上げ、ターリアと話をするシルクの眉は険しかった。先ほどの三連射で三十発は撃った大銛砲は、その八割ほどが命中したにもかかわらず巡空艦を撃墜することができなかったためである。



「“龍滅砲”か、せめて“蒸気圧縮砲”があれば楽なんだが、“龍滅砲”は陛下の座乗艦にしか搭載されていないし、“蒸気圧縮砲”は・・・・・・まあいい、威力の向上は今後のかだ「敵艦に動きありっ!!」ちっ、奴らまだあきらめていなかったか」


 考え事をしていたシルクの耳に、敵の巡空艦を監視していた観測班からの声が聞こえてくる。舌打ちしながら顔を上げると、今にも沈みそうだった艦が、平衡を保ちながらこちらにのろのろとやってくるのが見えた。


「こちらに衝突するつもりでしょうかぁ」

「ふん、ゴキブリ並みの生命力だな。羨ましいとは全く思わんが・・・・・・大銛砲、次弾発射できるか?」

『申し訳ありやせん、先ほどの三連射で砲身が焼けやした。一度冷やさないと危険な状態でさ』


 こちらに向かってくる敵艦を迎撃するため、砲術長に声をかけたシルクは、彼から帰ってきたあまり良くない報告に顔を顰めた。


「ええい、耐久性も今後の課題かっ!!」

「そんな悠長に言っている場合ですかっ、いざとなったら力づくで退避させますからねっ!!」


 敵艦が間近に迫っているというのに、大銛砲を気にしているシルクはのほほんとしているターリアから見てもかなり暢気に見えたのだろう。万が一の時には担いでいこうと、上官の華奢な肩に手を掛けた時、




「・・・・・・いや、どうやら間に合ったようだ」

「え? ひゃっ!?」



 今まさに担ごうとしていたシルクの呟きを聞いたターリアが首をかしげるのと、彼女の背後を爆風と共に通り過ぎていった何かが、間近に迫った巡空艦の艦首に直撃するのは、ほぼ同時だった。



「あ・・・・・・間に合ったって、そういう」



 慌てて振り返った彼女の視線の先では、二隻の飛行船に守られた大型の飛行船から、再び砲弾が発射されていた。








「ふん、見回りからようやく帰ってきたか」


 肩に置かれているターリアの手を払うと、シルクは悪態をつきながらも安堵の表情を浮かべた。敵巡空艦に砲撃を加えたのはガストレイル要塞を本拠地とする東部方面軍が所有し、東方平原の巡回を行っていた重巡空艦“グリフォン”である。グリフォンの両側を守っているのは、同じく東部方面軍所有の駆逐艦“アエロー”だ。“アエロ―”は蒸気革命の最初期に開発された飛行船で、軍備増強計画により百隻ほどが建造されている。生産性と速度を重視するため機関部や艦橋、弾薬庫など重要箇所のみに装甲を張り付けた半装甲飛行船であり、武装もあまり重い物は装備できず、小型の短距離砲を両舷に一門ずつ装備するしかできなかった。そのため一線で活躍することはできず、通常は物資や人を運ぶ非武装の飛行船の護衛を任務としている。また現在はその半分ほどが武装を外して民間に払い下げられており、商会などで使われていた。これに対してグリフォンは蒸気革命中頃、ある程度飛行船建造の技術を身に着けてから開発された飛行船で、艦体のほぼ全てに装甲を施したほか、機関などの重要部分の装甲は二重張りとなっている。武装も主砲として中型長距離砲を両舷に二門ずつの計四門と対空砲を十基、脱出艇として小型飛行船を内部に二隻搭載し、さらには艦底にある秘匿兵器を搭載した艦で、重巡空艦に分類されている。しかしその重武装のためか速度は極めて遅く、飛行の際にはアエロ―の護衛を必要としていた。




 グリフォンの主砲から放たれた砲弾は外壁にいるシルクたちの頭上を通り過ぎ、目前に迫ってきた敵巡空艦の艦首下部に命中した。砲弾が命中、爆発したことで速度が落ち、僅かに浮き上がった巡空艦の艦首にさらに砲弾が突き刺さる。至近距離での爆発にシルクが目を細めている間に、敵巡空艦は彼女たちのいる外壁を大きく飛び越え、壁の内側の荒野に激突した。それを見て外壁にいる防衛隊の面々から歓声が上がる。




「よっしゃ、落ちたなっ!!」

「ああ、だが爆発はしていないようだ。よほど装甲が厚いんだろうな・・・・・・あの様子だと、何人か生存者はいるんじゃないか?」

「貴方達、喋っている暇はありませんよぉ」



 墜落した巡空艦を眺める四人の指揮官の後ろから、ターリアののほほんとした声がする。彼らが慌てて振り返ると、視線の先には右手に長い包みを持った彼女が、にこやかな顔で立っていた。


「も、申し訳ありません副官殿」

「いえいえ、別に怒ってはいませんよぉ。それよりこれからの事について伝えますねぇ。これより防衛隊を二つに分けます。片方は墜落した敵巡空艦の捜査と生存者の捕縛。もう片方は破損した外壁を調査し、応急処置をする作業員さん達の護衛を行ってもらいます。どちらもまだ戦闘が発生する可能性がありますので、武器は忘れずに携行してくださいねぇ。分かりましたかぁ?」


「「りょ、了解しましたぁっ!!」」




 上官の言葉に背筋をびしりと伸ばして敬礼すると、彼らはそれほどまでに恐ろしかったのだ、いつも通り間延びした口調で、笑いながら話しかけているのに、目がまったく笑っていない彼女が。



「ターリア、そう脅かすな」

「すいません、戦闘が終わって気が緩んでいたようなので、ちょっと引き締めさせていただきましたぁ」

「・・・・・・まあいい。皆も聞いていたな、念のためもう一度話すが、これより隊を二つに分ける。第一、第二連隊は私と共に墜落した巡空艦の調査、第三、第四連隊は外壁を修復する作業員の護衛をするように。以上、散開っ!!」


 部下を叱るというよりは、脅しているターリアを窘めると、シルクは横一列に並んだ四人の指揮官、それぞれ連隊を率いる連隊長に指示を出した。自分の指示を受けた彼らがバタバタと外壁の屋上から姿を消すと、彼女は腰に差していた大型の拳銃を取り出し、軽く手でこすった。


「あら、司令も行かれるのですかぁ?」

「部下に命令を出しておいて、自分だけ安全な場所にいることはできないからな」

「かしこまりましたぁ、護衛はお任せください。司令には指一本ふれさせませんから」

「・・・・・・期待している」


 にこりと笑みを浮かべる自分の副官にそう呟くと、シルクは屋上の隅に向かった。十二階建ての建物に相当する外壁の高さは五十メイルを軽く超える。そのため普段は階段を使って昇り降りするものの、緊急の際には内部に備えられている蒸気式の自動昇降機を使うことが許されていた。シルクとターリアが乗り、屋上に残った部下がレバーを操作すると、昇降機は一階に向かってゆっくりと降りていく。ゆっくりと言ってもその時間はわずか十数秒ほどで、もちろん階段を下りるよりずっと早かった。



「皆揃っているな」

「はい司令、第一、第二連隊で動ける百名、すでに準備は整っております」


 先に伝令を出したためか、外壁から外に出たシルクとターリアを百名の兵士が出迎えた。彼らの両脇にはそれぞれ二両ずつ、計四両の装甲車があり、前には装甲車より一回りほど大きく、二回りは頑丈で、上部に長身砲を装備した車両が一両置かれていた。彼らの敬礼を受けて返礼すると、シルクは一マイルほど先の荒野に墜落した巡空艦を睨んだ。



「よし・・・・・・これより墜落した敵巡空艦の制圧に向かう。“ナイチンゲール”を先頭に、装甲兵、槍兵、弓兵、銃兵の順に出発せよ、装甲車は彼らの両脇を守れ。装甲兵は“柄”のスイッチを入れておくのを忘れるなっ!!」


 

「「「イエスッ、マムッ!!」」」



 彼らの力強い声に敬礼で応えると、シルクは三両の車のうち、真ん中にある車に近付いて行った。たどり着くと、車体の横についている取っ手を掴み、履帯に足をかけてひらりと飛び乗る。



「ターリア、すまんが先行し、歩兵たちの指揮を頼む」

「かしこまりましたぁ・・・・・・もし撃たれたら、反撃していいですよね」

「・・・・・・まあ、ほどほどにな」


 分かってますよぅ、そう答え、ターリアは兵を指揮するため、整列する彼らの下へ駆け出していった。右手に自分と同じぐらい長い包みを持っているのに軽やかに走る彼女を見て苦笑すると、ターリアはナイチンゲールと呼ばれた巨大な車の中に身体を滑りこませた。




「ターリアも相変わらずだな・・・・・・よし、ナイチンゲール始動ッ!!」

「了解、安全装置解除、機関点火!!」


 

 巨大な車体の中は広い。その広い空間のほぼ中央にある自分の席に座ったシルクがすぐ目の前にいる操縦士に声をかけると、大尉の階級章を付けている女操縦士は握っているハンドルの横にある小さなボタンを押し込んだ。車体後部に取り付けられた大型蒸気機関が稼働し、車体がガタガタと揺れる。ナイチンゲール、正式名称SBT-03(スチーム・バトル・タンク三型)は、帝国軍が初めて正式採用した蒸気式戦車である。軍備増強計画では、飛行船を軍艦にするのと合わせて陸上における装備の更新が図られた。そこで目に留まったのが、蒸気革命で開発された蒸気馬車だった。開発は最初軍が単独で行っていたのだが、その成果は芳しくなかった。最初にできた試作機(SBT-01)は既存の蒸気馬車を鉄で覆い、その上に攻城用の大砲を乗せるだけという簡素なものだったのだが、蒸気馬車に搭載された蒸気機関では八十トルクを超す重量となった車体を動かすことなどできなかった。そのため次の試作機(SBT-02)は鉄を極限まで薄く延ばして車体を作ったのだが、今度は上に乗せた大砲の重みで車体がつぶれるなどあまりにもばかげた結果となった。これらの結果を受け(なおこれら試作機は、どちらも帝立博物館の軍事関係の展示物に過去の試行錯誤の結果として今も展示されている)、東方元帥の異名を持つ東部方面軍総司令官マクバーン元帥は軍単体での開発を中止、黒鳥城の敷地内にある帝国総合研究所と帝立大学機械工学科の学科長であり、帝国における機械工学の権威であるヴァイスハルト教授に軍が開発費を負担することと、好きなように開発させることの二つを条件に開発を依頼し、完成したのが新しい鋳造方法によりそれまでの強度を保ちつつ薄く延ばすことに成功した鋼板を二重に使用し、傾斜させることで被弾する面積を少なくした傾斜装甲と厚さ十セイルの鉄版を四百メイル先から粉砕することを可能とした七十五ミル長身砲を装備し、さらに本来なら小型飛行船の補助機関に使われる蒸気機関を改良、小型化した参式蒸気機関を組み込んで完成したのが、このナイチンゲールだった。なお主任開発者のヴァイスハルト教授は正式名称をビヒモスにしようとしていたのだが、そう呼ぶほど巨大ではないという事もあり、結局は鳥の一種であるナイチンゲールの名前を付けることになった。その後増強計画に基づきナイチンゲールは五百両ほど生産されることが決まったが、今までに生産されたのは二百両ほどで、最大の仮想敵国であるミッドガルドと隣接している東部方面軍には現在百両ほどが配備されており、外壁を守る防衛隊にもその内の十両ほどが割り当てられていたが、五両は整備に出しており、実際に動かせるのはシルクが乗る指揮車を合わせても三両ほどであった。



「機関温まりました。いつでも発進できますっ!!」

「よし、ナイチンゲール発進。目標、墜落した敵巡空艦っ!!」



 シルクの指示に、彼女達を乗せた蒸気式戦車は墜落した巡空艦に向け、ゆっくりと動き始めた。









「・・・・・・う、何が、起こった」


 瓦礫と化した艦橋の中で気絶していたボラッジは、頭に感じる激痛で目を覚ました。彼が覚えているのは外壁に砲撃を与えたことと、それに対しての反撃を喰らったこと、せめて一矢報いようと、半壊した艦を外壁に向けて体当たりさせようとしたこと、そしてもう少しというところで、外壁の向こう側に三隻の敵飛行船の姿を見たことだった。



「くそっ、敵艦の砲撃を喰らって墜落したのか。だが待て・・・・・・俺はなぜ砲撃なんぞ喰らった? それは、俺が外壁を砲撃したからで・・・・・・いや、そこからしておかしい。なぜおれは砲撃などした? だいたい、なぜ俺はここにいる?」


 ひどく痛む頭を押さえながら、ボラッジはのろのろと立ち上がった。彼の上に折り重なるように乗っていた死体が横に転がる。どうやら砲撃を受けた瞬間、彼の身体は床に固定された椅子の間まで吹き飛び、さらにその上に近くにいた乗組員が重なったことで落ちてきた天井板やパイプから守られたらしい。現に彼の上にある死体のいくつかは無残に潰れ、中にはパイプが突き刺さっている死体もあった。




「なんだこれは・・・・・・誰か、誰かいないのかっ!?」



 痛む頭を抑えつつ発したボラッジの叫びは、崩れた艦橋の中に響いたが、それに対する返事はなかった。ひとまずここを出ようと、通路に続く扉に足を向けた時である。その扉は、彼の前で突然開いた。




「なっ!?」

「・・・・・・おや? まだ生きていましたか。随分と頑丈な体をお持ちのようですね」


開いた扉の向こうから現れたのは砲術長だった。だが先ほどまで自分に媚びへつらっていた臆病な様子は全く見られず、余裕たっぷりと言った様子はまるで別人のようだった。


「ほ、砲術長か。これはいったいどういう・・・・・・いや、貴様“誰だ”?」

「おや? どうやら死ぬかもしれないという恐怖で、暗示が解けてしまったようですね」


 こちらを見下す彼に詰問しようとした時、ボラッジは妙なことに気付いた。この艦の砲術長は、初老の男だったはずである。なら、自分が今まで砲術長と思い込んでいたこの男はいったい誰だ?


「貴様、砲術長ではないな・・・・・・本物の砲術長をどこへやったっ!!」

「十日前にあなたがこの艦と共に脱走した基地の自室に居ますよ。もっとももう死んでいるでしょうが・・・・・・それより、早くここから逃げなくてよろしいのですか?ほら、聞こえてくるでしょう、貴方を地獄へといざなう声が」

「脱走だと? な、何を」


 何を言っている、そう男に問いかけようとした時、




『艦の乗組員に告げるっ!!』



 飛行船の外から、甲高い女の声が聞こえてきた。







「墜落した艦の乗組員に告げるっ!! 貴官らは帝国軍所属、ガストレイル要塞の敷地内に無断で侵入しているっ!! 今すぐ武装を解除しこちらの指示に従えっ!!」



 出発してから十数分後、墜落した艦のすぐそばまで来た戦車のハッチからわずかに身を乗り出したシルクは、拡声器を使って降伏勧告を行っていた。数分おきに呼び掛けているが、相手からの返答はまだなかった。


「だんまりですかぁ。もしかして、全滅してしまったんですかねぇ」

「そちらの方が手間がかからなくてよいが、問題は生存者がいる場合だ。仕方ない、こじ開けて突入するか・・・・・・装甲兵前へっ!!」


 傍らにいるターリアの愚痴にも似た言葉に首を振ると、シルクは背後に控えている部下たちに声をかけた。その声に応え、十数分熱し続けたせいでもはや刃物の部分が赤く染まるほど熱くなったハルバードを持った重装備の兵達が数名、前に進み出る。



「これよりナイチンゲールの主砲で艦の出入り口をふさぐ扉を攻撃、破壊する。貴官らは扉に入った皹をさらに切り開け。そこから歩兵隊が突入して生存者を確保する」


「「「了解しましたっ!!」」」


「頼むぞ・・・・・・主砲発射用意、目標敵艦搭乗口っ!!」

「目標敵艦搭乗口、了解っ!!」



 戦車の中に戻った自分の声に応え、操縦手が車体を缶の出入り口をふさぐ扉に向けた。それを見て、左右にいるナイチンゲールも砲身を搭乗口に向ける。


「司令、ナイチンゲール三台、準備完了いたしましたっ!!」

「分かった。主砲・・・・・・撃てっ!!」



 シルクの号令に遅れること数瞬、彼女の乗る戦車とその左右にいる戦車の主砲から発射された砲弾は、目標たがわず搭乗口を守っている壁に直撃した。装甲が厚いのか一度の射撃では表面が焦げてへこんだだけだったが、二度、三度と射撃を繰り返すうち、ついには耐えきれなくなったのか壁の一部に大きな亀裂が入った。それでも人が通れる穴は開いていないため、まず装甲兵がその亀裂に近付いて、ハルバードの先端で回転している過熱しすぎて赤く染まった刃を押し当てる。刃はガリガリと音を立てて亀裂を広げ、十分後には人が一人何とかくぐれるほどの穴が開いた。二人の装甲兵が中に入り数分後、内側から搭乗口の扉がゆっくりと開いていく。飛行船の搭乗口には緊急時に内側から扉を開閉するための装置が取り付けられており、それを操作したのだ。


「扉が開いたな・・・・・・よし、四十名は外で搭乗口の監視、六十名は私やターリアと共に内部に突入し、生存者の有無を確認する。皆、直ちに散開せよっ!!」



 シルクの言葉に、戦車の後ろに控えていた歩兵の半分が搭乗口に向かい、銃を所持して周囲を警戒する。それを見て頷くと、戦車から降りたシルクはターリアや残りの部下と共に艦の内部へと入っていった。








「おや、戦車の砲撃の音がしますねぇ。帝国の輩がここまで来るのも時間の問題だ」

「き、貴様のせいでこうなったのだぞ、何とかしろっ!!」


 シルクの指示で戦車から発射された砲弾が、搭乗口にある鋼鉄の扉を砲撃していたころ、その音をどこか心地よさげに聞いている男に、ボラッジは泡を吹いてわめきたてていた。



「こうなってしまっては応戦する術がございません。大人しく最後の時を迎えられることですな」

「ば、馬鹿なことを言うなっ!! 貴様が英雄になれるというから外壁を攻撃したのではないかっ!!」

「ええなれますよ、少なくとも死ねば二階級昇進になります。まあもっとも、何の成果もあげられなければ単なる犬死でしかございませんが・・・・・・さて、そろそろですね」

「そろそろ、何がそろそろというのだ・・・・・・ひっ!?」



 理解できない言葉を聞いて、男に詰め寄ろうとしたボラッジは、だが悲鳴を上げて後ずさった。すぐ隣で、鉄骨に頭を吹き飛ばされて到底生きているとは思えない部下が、頭がないままふらふらと起き上がったためである。起き上がったのは彼だけでなく、周囲で数人の死体が同じように起き上がった。もちろんその中には、自分が刺した鉄棒がそのままになっている、死んだ副官の姿もあった。



「な、なんだこいつらはっ!!」

「私からのちょっとした置き土産です。ああ、早くどこかに身を隠したほうが良いですよ。まだ“出来たばかり”ですので何もしないですが、そのうち生きている物を見境なく襲いますので」

「な、なんだとっ!? 貴様、何とかしろぉっ!!」

「さすがにそこまで面倒は見切れません。英雄になりたいのでしょう? ならばご自分で何とかしてください。では私は失礼させていただきます」



 ボラッジの悲鳴にも似た叫びに蔑むような微笑を浮かべて応えると、男は右胸を胸に当てて深々と一礼した。次の瞬間、その身体は掻き消え、ただ一枚の人型の紙がひらひらと舞いながら床に落ちた。












「ひどいありさまだな」

「そうですね、それにひどい臭いです。こんな状況で、本当に生存者などいるのでしょうか」


 開いた搭乗口から艦内に入ったシルクは、ガスマスクの中で顔を顰めた。彼女の言葉に、同じようにガスマスクを着用したターリアが隣で頷く。墜落した飛行船からは人体に有害なガスが噴き出している恐れがあるため、救助や探索などで中に入る場合、ガスマスクの着用が義務付けられていた。帝国軍が正式装備として採用しているガスマスクである防護マスク三型は、従来のガスマスク同様ガスを完全に遮断できるほか、臭いもある程度緩和できるが、それでも艦内に立ち込める臭気はすさまじいものがあった。しかも臭気の正体はガスだけではなく、死体から発せられるいわゆる死臭も混ざっていた。


「それを調べるのが我々の役目だ・・・・・・これより艦内の捜索を行う。二つに分けた隊のうち、片方は私とともに艦橋に進み資料の押収に向かう。もう片方はその間艦内を捜索し、生存者の確保に当たれ」




「「「了解っ!」」」



 彼女の指示に、整列していた兵士は二つの隊に分かれ、突入の合図を待った。


「ターリア、すまないがお前は別動隊の指揮を頼む」

「了解しましたぁ。ですが大丈夫ですか? 私が一緒でなくても」

「自分の身ぐらい自分で守れるさ」



 副官であると同時に護衛を務める彼女の心配そうな声を聴いて苦笑すると、シルクは腰に下げている大型の拳銃を取り出した。帝国軍で年に一度開催される射撃大会で優勝した者に送られる、軍研究所がコストを度外視して年に数丁だけ製造している特殊な拳銃である。



「分かりましたぁ。装甲兵もいるので大丈夫だとは思いますが、くれぐれも気を付けてくださいねぇ」

「無論だ。そちらも十分に気を付けろ、自分だけでなく部下にも気を配れ」

「了解です。まぁ、一人の方が気が楽なんですけどねぇ」


 自分の身長よりも大きい長物を右肩に軽々と担ぎシルクにさっと敬礼すると、ターリアは自分が指揮する隊のほうへと走っていった。











「おい、そっちはどうだ」

「ちょっと待て・・・・・・クリア、しかしひどい臭いだな。どこに行っても死臭だらけか」


 “それ”に初めて遭遇したのは、ターリアが指揮する別動隊の兵士達だった。重装備の装甲兵が周囲を警戒し、残りが生存者の捜索をしている。これまで艦のあちこちを捜索したが、見つかるのは見るも無残な死体だけで、生存者を見つけることができなかった。さらにガスマスクをしていても入り込んでくる臭気に、戦闘経験の多い彼らもさすがに疲弊の色を隠せないでいた。



「そもそもなんだって砲撃なんかしたんだ? 記録班がいるからどちらが最初に手を出したかなんてわかると思うんだが」

「さてね、“狂人”が王をしている国の軍隊の事なんかわかるかよ・・・・・・っと、ここで終点のようだな」


 吐き気とわずかな恐怖を紛らわせるために会話をしながら周囲を探っていた彼らの前に、ふと壁が現れた。どうやら一番奥までたどり着いたようである。


「よし、いったん戻ろう。そっちは何か変わったことはないか?」

「あ、はい。こっちも特に問題はな・・・・・・うわっ!?」

「おい、どうしたっ!?」




 彼らの中で一番年上の兵が戻ることを促した時である。貨物室の東側を調べていた兵士の一人が甲高い悲鳴を上げた。その悲鳴に他の兵士が手に持った携帯式の蒸気ランプの灯を向けると、剥がれかかった天井板を見て驚き、躓いている若い兵士の姿があった。


「すいません、いきなり天井板がはがれたものですから驚いてしまって。すぐそちらに戻りま「伏せなさいっ!!」へ?」


 頭を掻きつつ謝罪した兵士に向かって後方にいたターリアが叫ぶのと、体勢を崩した兵士のすぐ上を彼女が装甲兵から奪って投げた斧が、天井裏から兵士に向かって飛びかかった“それ”の胴体に直撃して吹き飛ばしたのは、ほぼ同時であった。


「へ? な、何が・・・・・・」

「グールだっ!! 各員集まれ、一刻も早くここから撤退するっ!!」


 呆然としている若い兵士とは違い、ターリアの動きは迅速だった。彼女の投げた斧の直撃を受け、それでもなお動いている“それ”の正体を瞬時に理解すると、床にへたり込んだ若い兵士の襟首を掴んで立たせ、頬を二、三発張り飛ばして正気に戻し、他の兵士と共に貨物室の入り口まで走った。その判断が間違っていなかったことを証明するように、剥がれた天井板の上から十数体のグールがズルズルと這いずりながら“落ちて”きた。




「な、なんでミッドガルドの飛行船の中にグールがいるんですかっ!?」

「分からないが、それを調べるのは私達の仕事ではない。逃げ遅れた者はいないな、扉を閉めろ!!」


 さすがに緊張しているのか、いつもの間延びした口調とは違う真面目なターリアの声に、二名の装甲兵が両開きになっている鉄製の扉に近付き、両側から閉めていく。流石に分厚い鉄製の扉はかなりの重量があるのか一気に閉じることはできず、ずりずりと少しずつ閉じていくしかない。その間にも天井裏から這い出たグールがこちらに向かってくる。だが間一髪、扉を完全に閉じ、取っ手の部分に曲がった鉄の棒を差し込むほうが早かった。完全に閉じた扉の向こう側から、ガン、ガンッと何かを殴りつける音が絶え間なく聞こえてくる。


「何とか間に合ったな・・・・・・よし、これより本隊と合流する。それが不可能な場合は艦の外に脱出、グールが出てきた時のために待機する。異論はないな?」


 ターリアの声に、周りの兵士は皆神妙に頷いた。彼らの本来の目的である、生存者の確保という任務は失敗だが、そもそもグールがいる狭い空間に、生存者がいる可能性は限りなく零に近かったためである。








「・・・・・・まずいな」

「司令? 周囲警戒っ!!」


 貨物室でターリア達がグールと鉢合わせしたころ、散乱する死体のせいで死臭が漂う薄暗い通路を艦橋に向けて歩いていたシルクは、ふと足を止めた。その呟きに、彼女を守るように前を歩いていた指揮官が何事かと振り返り、次の瞬間右手をサッと挙げた。それを見て、周囲にいる装甲兵と歩兵が二人を守るように囲む。だがそれよりシルクの動きのほうが一瞬早かった。ベルトに付けた三つの袋の真ん中に手をやり、中から黄色く染められた大型の弾丸を一つ取り出すと、右手に持っていた大型拳銃に素早く装填し、目の前の通路の奥に向かって撃った。発射された弾丸は僅かな距離を飛んだあと、前方の壁に衝突し周囲を眩く照らしだす。特殊な塗料と苔、そして火薬を調合し、信管がつぶれると同時に周囲を照らす閃光弾の一種であった。眩い光の中、シルクとその周囲を固める兵士は確かに見た。肌が紫色に変化し、所々腐敗しながらそれでも活動を止めることのない複数の不死者の姿を。


「グ、グールだぁっ!!」

「落ち着けっ!! 総員対グール戦用意、射撃開始っ!!」

「了解、射撃開始、装甲兵はその間、壁となってグールの接近を伏せげっ!!」


 精鋭なはずの兵士が、紫色に変色した身体を持つ不死者を見て悲鳴を上げる。その兵士を叱り飛ばして落ち着かせたシルクの指示に、兵士たちはようやく動き出した。向かってくるグールを鋼鉄の鎧兜に身を包んだ装甲兵がその身体を壁にして防ぎ、その間に他の兵士がグールに銃を発射する。だがいくら銃弾を命中させても相手は僅かにふらつくだけで、致命傷を与えることはできなかった。




「駄目です、銃が効きませんっ!!」

「それでも足止めにはなるだろう、弱音を言わずに撃ち続けろっ!! 司令、どういたしますか? このままではじり貧ですが」

「分かっている・・・・・・全員戦いながら聞け、グールがいる閉所において生存者がいる確率はかなり低い。よって先の命令である生存者の捜索を放棄、艦から脱出後に上空からの砲撃によって、この艦もろともグールを粉々に吹き飛ばすっ!! 装甲兵を殿とし、徐々に後退せ「うわぁっ!!」どうしたっ!!」


 後退の指示を出そうとしたシルクの耳に、後方を守っていたまだ若い兵士の悲鳴が聞こえてきた。何事かと振り返った彼女の目に、割れた壁の隙間から十体のグールが這いずるように出てくるのが見えた。



「囲まれましたか、さすがにまずいですね」

「分かっている。前方のグールは四体、後ろは十体か。やむを得ん・・・・・・全員聞け、どうやら後退するのは無理なようだ。よって我々は前方のグールを排除し、当初の予定通り艦橋に向かう。そこからなら、まだ脱出できる可能性がある」

「艦橋からですか? ですが進むにせよ目の前のグールを排除しないことには」

「本当はあまりあてにはしたくなかったのだが・・・・・・仕方ない、か」


 自分の指示に首をかしげる部下を見て一度大きく息を吐くと、シルクはベルトに下げている三つの小袋に手をやり、先ほどの照明弾とは違い、表面が赤く染まっている弾丸を取り出し、装填した。



「装甲兵達、左右に避けろっ!!」


 シルクの叫びに、装甲兵たちは咄嗟に左右に避けた。その動きに、元々死人であるため動きが鈍いグールたちは一瞬遅れ、その場に立ち尽くす。そのグールたちに向け、シルクは手に持った拳銃の引き金を引いた。撃ちだされた弾丸は四体のグールのほぼ中央に着弾すると爆発し、グールを巻き込んで燃え上がった。



「す、すごい威力ですね。ですがこれがあるならばもっと早く使ってもよろしかったのでは」

「まだ開発中の弾丸なんだ。試し撃ちも兼ねて一発だけ渡されたが、安全に使えない弾丸などどうしようもないとき以外では使いたくないからな」


 燃えながら崩れ落ちるグールを見て少佐が感心したようにつぶやくその横で、シルクは不機嫌そうに手に持った拳銃を見た。先ほど開発中の弾丸、携行型の小型焼夷弾を発射した拳銃の銃口は煤で真っ黒になっている。


「確かに、安全性がしっかりと保証されていない物は使いたくありませんね」

「そういうことだ。話している暇はないな。後方のグール共がまだ遠いとはいえ、十体ともなれば相手をしていられん。艦橋に急ぐぞ、全員駆け足っ!!」


 シルクの指示に、周りにいる彼女の部下は慌てて駆けだした。






「そういえば司令」

「何だ大尉」


 横にいるシルクに指揮官の一人が口を開いたのは、細長い通路を艦橋まで走っている時だった。


「どうして艦橋に行けば、この艦から脱出できると考えられたのですか?」

「なんだ、そのことか」


 彼の問いに走りながら答えると、シルクは左手の人差し指を上から下に動かした。



「この艦が墜落するとき、艦首の方から落ちただろう? 艦橋は艦首付近に作る決まりになっているからな。艦首から落ちたという事は、地面に近いという事になる。それに艦橋は指揮所も兼ねているからな、墜落した際の脱出口が用意されているはずだ」

「なるほど、その脱出口を使ってこの艦から脱出するという事ですか」

「そういうことだ・・・・・・っと、着いたようだな」


 話しながら移動しているうち、暗い通路の先に大きな扉が見えた。その扉の上には黒界の公用語で、艦橋と書かれている。どうやら目的の場所に着いたようだ。だが墜落の衝撃を受けてか、扉は大きく歪んでいる。


「装甲兵、開けられるか?」

「難しそうですね・・・・・・ですが何とかしてみます」


 シルクの問いに答えると、四名の装甲兵は扉に近付き曲がった取っ手を左右から引いた。だが原形をとどめないほど歪んだ扉は思うように開けることができない。それでも渾身の力を込めて弾くと、ゆっくりとではあるが左右に開きだした。後ろから漂ってくるグールの腐敗した臭いに、暗い通路に銃口を向けている兵士の喉がごくりと鳴る。


「し、司令、まだ開かないんですか?」

「落ち着け伍長。どうだ装甲兵、まだかかりそうか」

「いえ・・・・・・いま、っと」


 歯をカチカチと鳴らしながら自分に質問してくる部下の一人を落ち着かせながら、シルクが重ねて装甲兵に質問した時、艦橋に続く扉に、ようやく人一人が通れそうな隙間が開いた。だがその時、背後からひたひたとこちらに近付く足音が聞こえてきた。




「ひっ、ひぃいいいいいいいっ!!」

「ま、待て伍長・・・・・・きゃっ!?」



 その足音を聞いた途端、先ほど不安げな顔でシルクに質問した兵士が、制止しようとする彼女を振り払い悲鳴を上げながら他の兵士をかき分け、ようやく開いた扉の中へと駆けこんでいった。だが



「うぎゃあああああああっ!!」

「なっ!?」


 だが、扉の中からすぐに駆け込んだ彼の悲鳴が聞こえてきた。押しのけられて尻餅をついたシルクが見つめる扉の中から、今日嫌というほど見た紫色のグールの顔が、にゅっと現れた。


「っ、くそっ!!」


 突然目の前に現れたグールに向け、シルクは右手に持った拳銃を向けた。煤まみれで、中には一発の弾丸も入ってはいなかったが、座して死を待つなど彼女にはできなかった。そして、自分に拳銃を向けてくる少女を見下ろしたグールが、その口を大きく開いた時、



「・・・・・・あなた、何をなさっているんです?」


 

 何かを耐えるような言葉と共に、本隊と合流できなかったことからいったん外に出て、改めて自分だけ艦内に入り、天井を突き破って落下してきたターリアが右手に持っている、白い布が被せられた巨大な棒が、グールの口に突き刺ささった。



「あなた・・・・・・司令を傷つけようとしましたね? 私の司令をっ!!」


 ターリアの顔には笑みが浮かんでいる。だがそれはいつもののほほんとした笑みではなかった。口は確かに笑みを浮かべているが、目がまったく笑っていない。そしてなにより、怒りのあまりその身体から暗い中でもはっきりとわかるほど濃い湯気が立ち昇っていた。


「人の大切なものを害しようとする方は、生きている資格がありませんね。ああ、失礼、もう死んでいらっしゃいましたかぁ」

 

 凄惨な笑みを浮かべてそう言うと、ターリアは棒にかかっていた白い布を取り払った。布の中から出てきたのは、一人で持てるとは到底思えない巨大な杭打機である。十年ほど前、敵の要塞の鉄門を打ち破るため十人一組となって使用できる新しい杭打機が開発されたのだが、飛行船が開発されたことと、持ち運ぶのに十人どころか二十人いても無理なことから結局先端部の試作品が一つ作られただけで開発は中止され、要塞の倉庫の隅に埃をかぶって置かれていたこの試作品を、佐官になったターリアが発見、改造して自分用の武器としたのだった。


 先端を改良したものと言っても、それでも数人がかりで持ち上げるのがやっとの杭打機を軽々と振り回すと、ターリア白衣の先端に突き刺さっているグールを近くの壁に打ち付けた。ぐしゃりと音がして壁と杭の間に挟まれたグールの身体がつぶれる。それでもまだぴくぴくと動いていたが、さすがに原形がとどめていないのではもうこちらを襲うことはできないようだった。この光景を呆然と眺めている兵士の中には、まだ配属されて日の浅い兵士もおり、その中には彼女が最初からグールを蹴散らせばよかったのではと思う者もいたが、それは拙速な考えだった。グールを叩きつぶしたターリアの目は真っ赤に染まるほど血走り、口からは四本の犬歯が不気味に伸びている。




「し、司令、副長が」

「分かっている。やはり血は抑えられんか・・・・・・やむを得ん。ターリア、“好きに暴れろ”」


 

 事情を知っている古参の兵士の手を借りて立ち上がったシルクは、ターリアの様子を見て首を振り、一言そう呟いた。その呟きを聞いたターリアは唇の端をにっと上げて獰猛な笑みを浮かべると、その場にしゃがみ、次の瞬間風のような速さで艦橋へと走っていった。



「よし、私達もすぐに艦橋に入る。全員が入った後、装甲兵は内側から扉を閉めてくれ」

「りょ、了解しました。ですが副長は大丈夫なのですか?」

「・・・・・・まあ大丈夫だろう、幸いなことに私の言葉には反応するからな」








 シルク達が乗り込んだ艦橋は、文字通り地獄絵図と化していた。艦橋の中には十体ほどのグールがいたが、すでにそのうちの六体が粉砕され、叩き潰され、すり潰されて原形をとどめていない。そしてターリアと言うと、彼女は部屋の中央で残った四体のグールと戦っていた。だが緩慢な動きのグールでは、素早く動く彼女を捕らえるのは無理なようだ。グールがのろのろと伸ばした腕を掻い潜り、杭打機の表面に付けたギザギザののこぎりのような刃物で切り刻んでいく。それでさらに二体が吹き飛ばされ、残った二体のうち小柄な方の頭に蹴りを叩きこんでから、倒れたグールの頭をぐしゃりと踏み抜き、最後に残った目に鉄の棒を刺している一際大きなグールの懐に飛び込むと、その胸に杭打機の先をぴたりと当てて引き金を引く。ガグンッ、という鈍い音とともに杭打機の先端の杭が飛び出しグールの胸に突き刺さると、その切っ先が背中から突き出していた。



「これでこの部屋のグールたちは無力化したが・・・・・・」

「ああ、副長があの状態ではな」

「ああなったあの人は、グールよりも恐ろしいからなぁ」



 グールたちを倒してもなお体中から湯気を出し、目を血走らせて獲物を探すターリアを見てシルクの後ろにいる兵士たちは不安そうな顔をした。彼女は東方平原に領地を持つ伯爵家の次女であるが、母方の曽祖父が北部平原の先、ニブルヘイムとの境に広がる辺境に住む蛮族、その中でも屈強な体力と力を持つオーガだった。そのオーガが人の娘に産ませた子供は、幸いにもオーガの特徴をほとんど継いでおらず、唯一受け継いだその力で傭兵として活躍し、貴族にまで取り立てられた。その貴族の娘が東方平原に住む貴族に嫁入りし、生まれたのが彼女であったが、隔世遺伝によるものなのか彼女は曽祖父の持つ腕力と強靭な体、なにより好戦的なオーガの気性を濃く受け継いでいた。幸いだったのは軍の影響力が強い東部で生まれたことだろう。父の勧めで軍に入隊した彼女はその力を使って盗賊の討伐などで功績を挙げ、七年ほど前にシルクの部隊に配属された。それから数度今回と同じ“状態”になっているが、そのすべてに共通しているのが、たとえ敵を全滅させたとしても、その“状態”がなかなか収まらないことだった。




「おい、どうする?」

「どうするって・・・・・・前回同じようなことになったの覚えてるだろ? あの時は止めに入った装甲兵が数名、装甲を引きちぎられて半死半生の状態になったんだぞ」

「その時は確か、三日三晩暴れまわって何とか収まったんだったよな。すぐにここから脱出しなきゃいけないってのに、さすがに長時間暴れさせるわけにはいかないぞ」

「・・・・・・仕方ない。鉄網砲の準備をしろ」

「て、鉄網砲をですかっ!?」




 ため息を吐きつつ発したシルクの言葉に、兵士の一人が目を見開いた。鉄網砲とは文字通り鉄でできた網を発射する砲のことであり、獣人族の大移動の際、外壁前に取り残された獣人達を尋問のため捕らえているのだが、抵抗された際に彼らを捕縛するために使用している。蛮族の血を引いているターリアであってもさすがに抜け出せないだろうが、上官に鉄の網を討つのはさすがに気が引けた。それでも動きを封じなければ自分たちも襲われると思ったのか、装甲兵が肩に担いでいた大きめの砲筒を降ろして狙いを付けると、敵を探して唸り声をあげているターリアが向こう側を向いた瞬間、彼女に向かって発射した。



「ガッ!?」



 砲口から発射された黒い網は一直線に彼女に向かって飛んでいった。自分に向かってくる黒い網に気付いたターリアが素早く飛びのくも、飛び退いた箇所にさらに発射された別の鉄網が彼女の足を捕らえた。そこに三度みたび発射された網が身体に覆いかぶさる。ターリアは網から抜け出そうともがいたが、網は内側に細かいかぎ爪状の突起があり、それが彼女の髪や服に引っ掛かってもがけばもがくほど食い込んでいった。


 


「よし、これで無効化できた。これより脱出の手順を説明する。どうやら脱出口はないようだ。よってまず窓ガラスをすべて破壊、その後破壊した窓より艦外に脱出、全員の脱出を確認したら上空で待機するグリフォンに合図を送り、砲撃によりグールごとこの船を爆破する。装甲兵、窓ガラスの排除にかかれ。その他の者は当初の予定通り書類を確保する。だが扉がいつグール共に破られるかはわからないからな、書類を確保するより、脱出を優先させろっ!!」



「「「了解っ!!」」」



 多数のグールがはびこる艦からようやく脱出できると考えてか、兵士たちの動きは迅速だった。シルクの指示に従い床に散乱した書類を片っ端から集めていく。そのうち窓を割り終えた装甲兵の一人が部屋の隅にある大きな金庫に気が付いた。仲間の装甲兵に目配せして近付くと、頑丈で重そうな金庫を二人がかりで持ち上げ、割った窓から外に投げ飛ばす。窓から放り投げられた金庫はあちこちぶつかりながら十数メイル下の地面に落下していった。



「司令、そろそろ限界ですっ!!」

「そうか・・・・・・作業終了、負傷者に手を貸しつつ撤収準備が終了した者から脱出しろ。傾斜は十分にあるが、万が一の事があるとも限らない。慎重に慎重を重ねて飛び降りろっ!!」



 艦長席と思われる椅子の周囲に散らばっていた書類を物色していたシルクが、ガタガタと揺れだした入り口を見張る兵の声に顔を上げ、血のこびり付いた書類を懐にねじりこんで指示を出すと、周囲にいた兵士たちはわっと歓声を上げた。だがさすがに統制が取れているのか他者を押しのけてまで自分が助かろうと考える者はいない。負傷している仲間を両脇から抱え、ゆっくりと艦の上を滑っていく。



「司令、副長はどうしましょうか」

「ターリアか、そうだな・・・・・・まあこいつなら多少雑に扱っても死にはしないだろう。そのまま窓から放り投げてやれ」

「は、はぁ・・・・・・了解しました」


 彼女の言葉に、質問をした装甲兵はさすがに兜の中で呆れた顔をしたが、すぐに仲間の装甲兵と頷き、数人がかりでいまだ暴れている彼女を持ち上げ窓際まで運ぶと、掛け声とともに外に放り投げた。網に包まれた彼女の身体はごろごろと艦体を転がり落ちていく。それ見届けてから、次は艦橋に残った装甲兵全員で彼女の持っていた杭打機を持ち上げ、同じように放り投げた。



「よし、お前たちも早く脱出しろ」

「分かりました。司令もお早く」

「ああ・・・・・・心配するな、こんな艦と心中するつもりはないさ」



 自分を心配する年配の装甲兵に苦笑して彼らを送り出すと、シルクは振り向いて廊下に続く扉を眺めた。この扉一枚隔てた向こう側には、おそらく百を超す数のグールが押し寄せているだろう。彼らを防いでいる扉は今にも破壊されそうであり、取っ手に差し込まれている一本の鉄の棒が、かろうじて防いでいるありさまだった。




「死してなお労苦を強制されるか・・・・・・哀れだが、それに付き合ってやる義理はない」



 右目に憐憫の情を込めて扉を眺めたシルクは、窓際に移動すると振り返って右手に持った大型拳銃を撃った。発射された弾丸は寸分たがわず扉を塞いでいた鉄の棒に当たり、大きな亀裂を作る。亀裂の入った鉄の棒は、外からの衝撃を支えきれなくなり、バキリと音を立てて折れた。その途端扉は部屋の中に吹き飛び、廊下から数十体のグールが部屋の中に押し寄せてきたが、その時すでにシルクは窓から身を躍らせ、両足で器用にブレーキをかけながら艦体を滑り降りていった。


「そろそろか」



 艦体の中ほどまで滑り終えると、彼女は破損して抉れた外壁に足をかけて止まり、左目にかけていた眼帯をむしり取った。その中から現れたのは本物の目ではなく、光沢のあるガラス玉だ。それを上空に浮かんでいるグリフォンに向けると、ガラス玉はクリスタルの光を反射して数度光った。それを艦の観測員が捉えたのだろう、空に浮かんでいる艦はゆっくりと降下してくると、地上百メイルほどのところで止まり、艦底を左右にスライドさせた。



 開いた艦底の中から出てきたのは、長さ五メイル、幅十メイルにも及ぶ折り畳み式の巨大な砲身だ。これこそ帝国軍が艦隊決戦用に開発した最強の兵器であり、強国ミッドガルドが帝国に戦争を仕掛けるのを躊躇する大きな理由の一つである、超圧縮された高密度の蒸気を放つ巨大兵器“蒸気圧縮砲”である。一撃で山をも崩すこの兵器は、一歩間違えれば虐殺を容易にする兵器でもあるため元老院で定められた七ヶ国憲章において他国に攻撃してはならないなど、その使用を厳しく制限されていた。最も今回は帝国領内で、しかも中にグールをため込んだ船を破壊するために使用するのだから文句を言われることはないだろう。





「・・・・・・っと、随分と動きが早いな。仕方ない、“飛ぶ”か」




 折りたたまれた砲身が、自分の予想より素早く展開されたのを見て搭乗員の手際のよさに感心するとともに、このまま滑っていては爆風に巻き込まれると思ったシルクは、苦笑すると右手で左肩を抑えた。するとコキッという小さい音がし、彼女の左手首に一筋の線が走る。その線の上、つまり手のひらの部分が上にめくりあがると、その中には本来あるはずの肉も骨もなく、空洞の真ん中に細い鉄の筒が伸びているだけだった。



「身体を引っ張られる感覚は、あまり好きではないんだがな」



 自分の左腕を見て自嘲するような笑みを浮かべると、シルクは左手の中にある鉄の筒を近くの森にある大木に向け、右手の人差し指で左肩に付いているボタンの一つを押した。シュッと風を切る音がして、鉄の筒から鈍色で先に杭のようなものがある細長い紐が飛び出す。紐は大木に向けて一直線に伸びていき、地面から十メイルほどの高さにある太い枝に突き刺さった。“望遠鏡”の役割も兼ねる左目で杭が枝に突き刺さったのを確認すると、シルクは歯を食いしばり、三度みたび左肩を押した。途端に彼女の身体は宙に浮き、肩が抜けるほどの衝撃と共に杭が刺さった大木に向かっていく。一度外に飛び出した鈍色の紐が、再び腕の中に戻ろうとしているのだ。それから遅れること数瞬、重巡空艦の底部に備え付けられた蒸気圧縮砲から発射された、極限まで圧縮した蒸気に、ミッドガルド巡空艦は中に巣食うグールともども押しつぶされ、完全に瓦解した。




「相変らずものすごい威力だな。それほど大きくはないが、一隻の艦を跡形もなく粉砕するとは・・・・・・っと」



先ほどまで自分がいた艦が押しつぶされていくのを感心した表情で眺めていたシルクは、ひょいと顔を横に倒した。その直後、彼女の顔があった部分にどこからか鉄の棒が飛んできて突き刺さる。彼女は覚えていないだろうが、それは艦橋で一番大柄なグールが右目に差していた鉄の棒だった。と、ここで予想外の事が起こった。彼女が乗っている枝が突き刺さった鉄棒により亀裂が入り真ん中から折れたのだ。だが地上十メイルの高さから枝と共に落ちるシルクの顔に焦りはない。なぜなら地面に衝突するその前に、彼女の身体は大柄な副官に受け止められるのが分かっていたからである。




「どうやら正気に戻ったようだな。なりよりだ」

「もう、心配させないでください。司令は元々身体能力がそんなに高くないんですから」

「しょうがないだろう、こんな体なんだ。そのおかげで男に言い寄られることはないが・・・・・・もっとも、私を抱く男はかなりおぞましいものを見ることになるだろうが」




 自分を受け止めたターリアの心配そうな顔を見て皮肉気な笑みを浮かべると、シルクは彼女の腕から降りた。どこで破けたのか、彼女の左足が露わになる。だがそこから現れたのは彼女の本物の足ではなく、左腕同様作り物の足だった。



「それで、皆無事か?」

「ええ、艦の中で司令をほったらかしにして、自分だけ逃げようとして殺されたお馬鹿さん以外は、傷を負っている者もいますが命に別状はありません。今は取り残された獣人達の捕縛作業の手伝いに行ってもらってます・・・・・・向かわれますか?」

「・・・・・・そうだな、ねぎらいの言葉をかけないわけにもいかんだろう。外壁に向かう。車を手配してくれ。ああ、それから」

「はい、何でしょう?」


 車を持ってくるため走り出そうとしたターリアは、シルクの声に立ち止まり首をかしげながら振り向いた。



「装甲兵たちに感謝しておけよ。お前の武器は、彼ら全員で何とか持てる程の重さだったんだからな」









 それから三十分ほど後の事である。外壁に戻ったシルクは部下達の出迎えを受けた。すでに逃げ遅れた獣人達の捕獲が終了しているのか、捕らえられた百名ほどの獣人達は鉄の鎖に手足を縛られ一か所にまとめられていた。


「ご無事で何よりです、司令」

「お前たちも無事なようで何よりだ。外壁の破損はどのぐらいだ?」

「はい、ひどいものです。砲弾が直撃した箇所に、直径五メイルもの大穴が開いています。それ以外の場所も被害を受けていますので、十五メイルほど修復する必要がありますね」

「そうか、ごくろうだった。ところで」




 出迎えた部下から外壁の破損状況を聞いて眉を顰めていたシルクは、ねぎらいの言葉をかけつつ逃げ遅れて捕らえられている獣人達の方を眺めた。




「奴らが、今回逃げ遅れた連中か?」

「はい。いつも通り動く気力すらない女子供が大半です。おそらく何日、何か月・・・・・・いえ、何年もろくに食事をしていないのでしょう。皆がりがりに痩せています」


 彼女の問いに先ほど艦内にともに突入した装甲兵の一人で、曹長の階級を肩に張り付けた熟練の兵士であり、捕縛された者達同様獣人の男は沈痛な面持ちで答えた。



「珍しいことではないだろう。ミッドガルドでは獣人は使い捨ての道具以下の存在でしかないからな。しかし、今回もほとんど犬人族コボルトか。どこの出身かは分かるか?」

「恐らくはミッドガルド西部の者達でしょう。中部の獣人も多少は混ざっているかもしれませんが、東部はあり得ません。外壁にたどり着く前に飢え死するか捕まってしまいますからね。それと犬人族コボルトが多いのは仕方ありませんよ。ミッドガルドに住む獣人族は大半が彼らですからね。後は兎人族ラビトニアン虎人族ワータイガー、それに人狼族ウェアウルフが少数居りますが、他はほとんど見かけません」


 男がそう言った時である。敷地内にある詰め所の開いた窓から食欲を誘う匂いが漂ってきた。シルクがふと空を見上げると、いつの間にかクリスタルの光は弱まり夕暮れ時になっている。そういえばそろそろ夕食時かと思ったシルクの耳に、キュルルルと甲高い音が響いてきた。それは捕らえられている獣人族から聞こえてくる音で、見ると母親だろう女が空腹で泣きじゃくる子供を隠そうと必死に抱きすくめているのが見えた。だがそれは無駄な努力だったのか、やがて彼らの中から甲高い音が一斉に鳴り響いた。



「ふん、腹の虫が夕餉の匂いを嗅いで騒ぎ始めたか」

「も、申し訳ございません。黙らせますか?」



 腹の音を響かせながら泣き出した子供達を見て傍らにいる兵士は心底気の毒そうな顔をしたが、シルクが不機嫌そうなのを見て慌ててそう尋ねた。



「・・・・・・・・・・・・腹を空かせて泣く子供の声ほど耳障りなものはない。備蓄庫の食料を出してやれ、あるのは固い黒パンに塩辛い干し肉、不味い豆のスープぐらいだが、腹に入れれば泣き止むだろう」

「は・・・・・・はっ、了解いたしましたっ!!」


 彼女の言葉がよほどうれしかったのだろう。さっと敬礼すると、男は髭を生やした厳めしい顔いっぱいに笑顔を浮かべて仲間のところまで走っていくと、皆で詰め所に隣接している大きな倉庫に入り、中からた複数の木箱を持ってきた。それを持って捕らえられている獣人達のところへ歩いていくと、他の兵士たちに声をかけ、皆で木箱の中から取り出した食料を配っていく。



「お優しいですねぇ。ですが後で兵站部から怒られませんかぁ?」

「ふん、その時は私が頭を下げればいいだけの話だ。兵站部の部長は階級は低いくせにプライドの高い男でな、こちらが譲歩すれば留飲も下がるだろう」




 配られた食料に、涙を流しながらかぶりつく獣人達を無表情に見つめているシルクに質問したターリアは、彼女の言葉に肩をすくめると心配そうな顔をした。




「いえ、私が心配しているのはそちらではなくてですね、司令ご自身の事です。その、司令のご家族とお身体は、獣人達のせいで」

「ふん、何を言うかと思えばそんな事か。いいかターリア」



 副官のこちらを気遣う言葉にため息をつくと、シルクは背伸びをしてターリアの襟元を掴み、彼女の胸元までもない自分の顔までぐっと引き寄せた。


「確かに家族もこの身体の四割ほども、私は獣人族のせいで失った。だが今私を煩わせているのは凄惨な過去の出来事ではなく、腹を空かせてなく子供の耳障りな泣き声だ・・・・・・っと、どうやらようやく、演習から戻ってきたか」




 至近距離まで近づいたターリアに左目のガラス玉を光らせ、半ば凄むような口調で話すシルクは、自分の言葉に重なって空中から聞こえてきた轟音に、掴んでいたターリアの胸元を離して顔を上げた。彼女と同じくターリアも、周囲にいる兵士たちも、そして何年ぶりかのまともな食事をしていた獣人達もそろって顔を上げている。空に浮かんでいたのは六隻の重巡空艦と十隻の軽巡空艦、そしてそれらに守られるように中央に浮かぶ他の艦より一際巨大な艦だった。重巡空艦より一回りほど大きな艦体とその左右に二つの副体を持ち、主翼に備えられた六基もの蒸気圧縮砲を始めとした無数の兵装に守られたこの艦こそ、帝国が飛行船技術のすべてを駆使して旗艦とするべく開発し、いまだ十隻ほどしか製造されていない現時点において黒界最強を誇る飛行戦艦、アキレウス級第一等飛行戦艦である。


「まったくもって巨大な船だ。しかもあれほど巨大なくせに機動力は巡空艦並みときている」

「それはそうですよぉ、なにせ各方面軍や上級騎士団の旗艦、さらには皇帝陛下の座乗艦として作られましたからねぇ。普段反発しあう総合研究所と軍の開発局が、今回ばかりは全面協力して開発したそうですよぉ」

「・・・・・・陛下の座乗艦、か。無駄にならなければよいが」

「あれ? 何か仰いましたか司令。あちらの騒ぎが気になって聞いていませんでしたぁ」

「別に大したことではないさ。さて、そろそろ私達も夕食にしよう・・・・・・っと、確かに何やら騒がしいな」



 飛行戦艦の轟音に紛れるように呟いた言葉を耳聡く聞いたターリアの問いに軽く首を振り、士官用の宿舎に向けて歩き出したシルクの目に、宿舎の隣で装甲兵たちが何やら騒いでいるのが見えた。




「何だあの騒ぎは」

「ああ、先ほど艦橋から放り投げた金庫を開けようとしているんですよぉ。結局艦橋に散らばっていた紙に書かれていたのは、文字をただ羅列した意味不明なものばかりでしたからね」

「そうだったのか。まあ、何が入っているか少し興味があるな」



 彼女たちの見守る先で、整備士の一人がダイヤル式の錠前を弄っている。錠前は複雑そうだったが、鍵屋の出身であるその整備士には慣れたものなのだろう。ダイヤルを弄ること数分、錠前はかちゃりと音を立てて開いた。



「さて、何が入っているのや「うぉおおおおおおおっ!!」うわっ!?」


 持ってきた権利で最初に扉を開けた装甲兵が中を覗き込もうとしたその時、金庫の中から大きな影が絶叫を上げてぶつかってきた。突然のことに装甲兵は躓くが、幸いなことに鎧をまだ着込んでいたことと屈強な体をしていたため怪我をすることもなく、その大きな影は周りにいる仲間に取り押さえられた。



「無事か?」

「は、はい。すいません、油断いたしました」

「今度から気を付ければそれでいい。それよりも」

「放せ、放さんかっ!! 私を誰だと思っている、ミッドガルド空軍のボラッジ大尉だ。貴様らが触れていい存在ではないぞ!!」



 装甲兵にねぎらいの言葉をかけると、シルクは取り押さえられて地面に押し倒されている男の、いかつい髭面を不機嫌そうに眺めた。



「ボラッジ大尉か、階級から考えて先ほどの巡空艦の艦長らしいな」

「ええ。最後に大きな収穫でしたねぇ」



 ターリアの言葉に口の端を吊り上げて笑うと、部下に取り押さえられ、それでも喚いている男に近付くとその前に立ち、シルクは右手で完璧な敬礼をした。


「お初にお目にかかります。私は帝国軍東部方面軍所属、ガストレイル要塞外壁防衛隊司令を務めるシルク・バーモンド少将です。貴官はボラッジ大尉ですね、階級から言って先ほどミッドガルドから帝国領内に入られた巡空艦の艦長とお見受けいたしますが、入国許可書はお持ちでしょうか」

「ひっ!?」


 穏やかな口調で話しかけるシルクを見て、だがボラッジは悲鳴を発した。確かに彼女は穏やかな笑みを浮かべている。だが




 だがその目は、全く笑っていなかった。











「やれやれ、結局ほとんど成果は上げられませんでしたか」



 先ほどまで自分が乗っていた巡空艦が高圧縮の蒸気で跡形もなく押しつぶされるのを、ガストレイル要塞から遥か東、ミッドガルド西部のとある山の頂から眺めながら、男は身に着けた仮面の中でつまらなそうに眺めていた。



「・・・・・・ま、欲をかいても仕方がないですか。今回は開発された徹甲弾が鋼鉄製の外壁に傷をつけた事と蒸気圧縮砲の威力を確認できた事、そして改良されたグールパウダーが、屍使いではない私にも使える事が判明しただけで良しとしましょう」


 そう呟くと、男はぱちりと指を鳴らした。その途端、彼の身体は徐々に薄くなっていく。


「さて、それではこの結果を主の下へと持っていきましょうか。今回流れた血は多量ではありませんでしたが、それでも流れた血は憎悪を掻き立てるには充分ですからね。全ては我らの望む終焉のために」




 仮面の中で男がにやりと笑みを浮かべた時、彼の身体は山の頂から、完全に掻き消えていた。












「なるほど、これは確かに厄介な案件だ」

「そうね。いろいろ書かれているけど、大きく分けて外壁の修理及び補強のための費用請求と、鋼鉄の壁を損傷させたミッドガルドの新兵器及び艦内にいたグールについての調査以来、それとミッドガルドに対する損害賠償の請求の三つね。新兵器とグールについては早急に調査させるし、修繕費についても金貨八万枚ほどで済むから、予備予算から出せるから大丈夫だけれど・・・・・・ミッドガルドに今回の件の責任を認めさせ、謝罪と損害賠償を要求することは難しいわね」



「報告書には砲撃された証拠の写真が張り付けられているし、艦長だった男も生きたまま捕らえたと書かれているが、それでも無理か?」



 報告書に張り付けられている、巡空艦が確かに外壁に向けて砲撃を加えている白黒の写真を眺め、ココノは険しい顔でセフィリアに尋ねた。



「撮影したのが被害を被ったこちら側だから捏造を疑われる可能性があるのよ。そこまでいかなくても、艦長の単なる暴走か、それとも賊の仕業と片付けられるだけかもしれない。まあそれでも証拠として提示すれば何かしらの効果はあると思うけど、私が危惧しているのは詰問されたミッドガルドが暴走する可能性ね」

「暴走すると思うか? 確かに領土は三倍、人口は五倍もあちらが上だが、それでも暴走したとなれば他の五か国はこちら側に味方するだろう。そうなればたとえ強国と言っても不利は免れんぞ。もっとも、彼の“狂王”がそこまで考えられるかはわからんがな」

「・・・・・・どちらにせよ、この件は元老院に持っていかなければならないわ。それから抗議するかどうかはあちらが決める事。まあ今の元老院議長は聡明だから、何かしらの譲歩は引き出してくれるでしょうよ。それでこの件に対して、私たちができることはお終い。そういえばココノ、今日は三つの用件で来たといっていたわね。最後の用件は何かしら」



 ココノから受け取った報告書を、決済前の他の書類が入った箱の中に入れると、セフィリアは一息つくために机に置かれた蜂蜜水の小瓶を手に取り、蓋を開けて一口飲むと、ふと座っているココノにそう尋ねた。



「・・・・・・ん? ああ、言っていなかったか。お前の恋人にあったのでな、冷やかしと、少々尋ねたいことがあってきたのだ」

「あら、彼にあったの・・・・・・それにしてもちょっと飲みすぎじゃない? 高いのもあるのだから少しは遠慮してほしいものね」

「固いことをいうな。お前の恋人の命を救ってやったんだ。これぐらい安いものだろう」



 彼女の周囲に散らばっている安いものでも金貨十枚、高いものだと百枚はするワインや蜂蜜酒が散らばっているのを見て、瓶から口を離したセフィリアは蓋を閉めて懐中時計を懐から出し、時間を確認した。懐中時計の時刻は十七時を二分ほど過ぎている。執務時間が終了したのを確認してから、セフィリアは立ち上がり、ココノの腰かけているソファの反対側にあるソファにゆっくりと腰を下ろすと、彼女が右手に持っている蜂蜜酒の瓶を取り上げ、グラスに注がず一気に呷った。


「おい・・・・・・まあいい。しかしセフィリア、お前随分と面食いだったんだな。しかもかなり華奢な男だったぞ。まあ、頭の回転は悪くなかったがな」

「あら、そこまで褒めるなんて、随分と気に入ったようね」

「ふん、毒のある雀よりはましだからな。しかしあの坊やいったい何者だ・・・・・・そもそも、どこで知り合った?」

「そういえば言ってなかったわね・・・・・・三年前、緊急招集をかけたことは覚えてる?」

「三年前の招集といえば、確かクリスタルが過去に例がないほど輝いた時だな。あの時は周囲にどれほどの混乱があるかどうかの確認と対策を話し合っただけだと思うが・・・・・・おい、まさか」

「私は直接見たわけではないのだけれど、陛下のお話では突然現れたそうよ。空間を切り裂いてね」




 セフィリアがそう話した瞬間、壁にかかっているランプの光が、風もないのに軽く揺れた。




「それこそあり得ないだろう。皇族が住まう第三城壁より内側には、それこそ万を超す結界が張り巡らされており、許可のないものは一切出入りできない。空間転移に対する結界も、私の知る限り千以上は施されているはずだ。それをすべて潜り抜けるなど・・・・・・あの坊や、いったいどこの者だ?」



 ココノの鋭い視線を受け、セフィリアは何も話さずに肩をすくめて首を横に振った。




「分からないと? 検査はしたのだろうが・・・・・・まさか、“人間”ではなかろうな?」

「それだけはないわ。ありとあらゆる検査を行ったけれど、彼は“間違いなく人間ではない”。これだけは断言できる」

「なら一体、何が分からないというんだ?」

「・・・・・・言っておくけど、これは他言無用よ。口外すれば貴女であっても極刑は免れない。それを心得て頂戴」


 ココノが自分の脅迫じみた言葉に躊躇なく頷いたのを見て、セフィリアは首にかけているネックレスを取り出した。ネックレスの先にはどこにでも売っている、銅で拵えたクリスタルを模した飾りが施されている。そのクリスタルの先端をくるくると起用に回すと、彼女は手を広げ、クリスタルを何度か振った。すると手のひらの上に、丸めた小さな紙がコロンと落ちる。




「それでは読ませてもらう・・・・・・おい、これはいったい何の冗談だ」



 セフィリアから受け取った小さな紙を開いて中を覗き込んだココノは、すぐに顔を上げて彼女を睨みつけた。だが睨まれているセフィリアは何も言わず、小さく息を吐いた。


「体内に含まれる“赤”の数値が高いのは問題ない。それはあの坊やが赤界の出身だという確かな証拠だからな。だがその数値が測定不能だと? 私の記憶が正しければ、今まで検査して最高の値を出したのは赤界の王族だったが、それでも数万という数値だった。測定不能という事は坊やはその王族すらしのぐ・・・・・・少なくとも直系という事になるぞ」

「でもそれはあり得ない。そうでしょう?」

「ああそうだ。赤界において王家の直系は女しか生まれていない。いわゆる女系家族というやつだが、これは偶然ではない。意図的に女のみ生まれるようにしている。なぜなら」

「なぜなら、予言において“赤の王子”が終焉をもたらすと記録されているから」


 ココノの言葉にかぶせるようにセフィリアが呟いた時、窓の外で激しい稲光が鳴った。立ち上がったセフィリアが窓を見ると、先ほどまで雲一つない快晴だった空がいつの間にか厚い雲に覆われ、大粒の雨を降らせている。


「なるほど、口外すれば極刑というのがどういうことか分かった。確かにこの件を他の奴が、特に予言を信じる者が知れば、坊やを亡き者にしようとする者や、担ぎ出してそれこそ終焉を引き起こそうとする者も出てくるだろう。だがなセフィリア、終焉も全くの嘘とはいえんぞ。ここ数年だけでも国家転覆を狙う革命団やら、先ほどの報告にもあったミッドガルドとの衝突やら、不吉なことが相次いでいる。晴天の日がいつまでも続かないように、いずれはこの危うい平和も崩れるだろう。それがいつかは分からぬが、おそらくはそう遠いことではあるまい」

「そうね・・・・・・でも、できれば少しでも長く続いてほしいわ。その危うい平和が」



 どこか遠い目をして呟いたセフィリアの願いをかき消すように、雨は雷鳴と共に、いつまでも帝都に降り注いでいた。








続く

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