表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四界戦記  作者: 活字狂い
16/17

第一部 黒界 帝都動乱篇  第三話 銀豹との出会い 中幕①

 

 その日、黒羊騎士団団長直轄の分隊に所属する衛兵であり、衛兵班第一班班長を務めるビッグスは朝から運が悪かった。最近まで入院していたためかついつい寝過ごしてしまい、元気に肥えた嫁さんに粗末なベッドから叩き落され朝食もそこそこに着替えると、木製の揺り籠の中にいる昨年生まれたばかりの愛娘を宝物に触れるようにそっと撫ぜ、その頬に軽く口づけし、髭がくすぐったいのかくすくす笑う赤子に見送られ急いで家を出ていった。彼が住んでいる家は分隊が駐留している集落の外れの方にある。以前は帝都の大河近くのあばら家が密集している所に住み、近くの波止場で大河を利用して運ばれてくる荷の積み下ろしをする日雇い労働者だったが、二年ほど前に些細な喧嘩で監督をしていた商家の男に怪我を負わせてしまい、普通なら逮捕・投獄は間違いなかったが、ちょうど近くを巡回していたアベルとクレアの執り成しと商家の男の方に非があったこともあり罰金刑だけで済み、その金をアベルに立て替えてもらったことがきっかけでビックスはアベルを若旦那、クレアを姐さんと呼んで慕うようになり、七日の間頼み込んで彼らの部下にしてもらったという過去がある。それからおよそ二年、軍人崩れのウエッジが同僚となり彼や自分が知り合いを募って衛兵となる若者が集まってようやく分隊としての形を成し、帝都近郊の集落に治安を維持する部隊として配備されてから、帝都から集落まで通勤するのは困難という事もあり、アベルの勧めで集落の外れにある長屋に家を借りることになったのである。


 少々軋みがする戸を開け走ること数分、ビックスは家からさほど遠くない場所にある建物の前で立ち止まると中に入った。この建物は集落に幾つかある黒紫商会傘下の雑貨屋の一つで、以前は商会で番頭の一人として働いていた老人が妻とともに経営している。顔なじみの老人に軽く挨拶をしてから、ビックスは店の片隅に置いてある切れ目に黒豚の脂身とレタスを挟んだパンを手に取った。老人の妻が料理上手であることもあり、雑貨屋では店の片隅で食物も販売している。なかなか味が良く、朝早く来ないと売り切れてしまうときもあるが顔なじみという事で取り置きをしていくれたのだろう。柔和な顔をした老人の妻に礼を言って数枚の銅貨を渡してから、ビックスは再び駆けだした。向かっているのは分隊の拠点となっている黒紫商会が倉庫として利用していた大きな建物である。分隊の本来の拠点だった大きな農家を改造した建物は、数日前集落を襲撃した自分達を“黒き戦斧”と称するテロリストの攻撃により破壊され、現在は倉庫を間借りしている状態だった。




「・・・・・・なんだ?」



 その建物が見えるところまで来た時、ビッグスはふと足を止めた。いつもは三万年祭の際に行う警備の訓練のため集落の男衆でにぎわっているはずの倉庫前が今日はやけに静まっている。男達は皆来ているのだが訓練をしてはおらず、皆恐る恐る窓から中の様子を覗いていた。



「おいおい、いったいどうしたんだ」

「あ、班長」



 尋常でないその様子にビッグスが慌てて近づくと、彼の班に所属している衛兵が声をかけてきた。大柄な体格をした、まだ青年になりたての若い衛兵は以前は中央平原の東に広がる森の側にある集落に住んでいた木こりで、伐倒した木を商人に売ることで生計を立てていたのだが、家族が病気になり医者に診せるためにまとまった金が必要になったことで貯めていた僅かばかりの金を旅費に使い働き口を求めて帝都にやってきたのだが、金が無くなり通行証を買うことができず、凱旋門の近くで途方に暮れていたところをビックスに声をかけられたことがきっかけでアベルの分隊で衛兵として働くことになったという経歴を持つ若い男である。そのためビックスを兄のように慕っており、彼も自分を慕ってくるこの青年を弟分として可愛がっていた。


「どうしたんだ、倉庫の前に集まって。巡回をする連中以外はすでに訓練をしている時間だろう?」

「そ、それが・・・・・・そのう」


 

 いいにくそうに口ごもる彼を見て、ビックスは軽く首をかしげたがその理由はすぐに判明した。倉庫の窓ガラスがいきなり内側から割れ、そこから机に飾っているはずの花瓶が飛んできたためである。




「・・・・・・・・・・・・誰だ?」

「その・・・・・・副長です」



 質問に答えた部下の言葉に、ビックスは一瞬ビクッと身体を震わせたが、やがて大きくため息を吐くと青ざめた顔で乳白色の天を仰いだ。彼が口にした言葉は、最も聞きたくなかった答えである。


「ダンナは・・・・・・隊長はいないのか?」

「そ、それが・・・・・・隊長は出勤時間を過ぎても来ていなくて、それで副長が激怒されて」

「なるほど、姐さんの“暴風”はそれが原因か・・・・・・うぉっ!!」



 そう呟いたビックスは次の瞬間しゃがみこんだ。今まで自分の頭があった場所を割れたガラス窓から今度は椅子が飛び出して通り過ぎ、後ろの地面に落下した。



「隊長がいなくともウエッジがいるだろう、あいつは今どこにいる?」

「そ、それが、こんな風になる前に班を率いて巡回に行きました」

「ウエッジの奴、逃げたな。奴は勘が鋭いからこうなることも感じ取れたんだろう。今日はコールのお嬢も久々の非番で実家に帰っているし・・・・・・分かった、俺が行く」

「は・・・・・・ですが大丈夫なのですか? 班長」

「ま、さすがに殺されやしないだろう。お前らは心配せずにさっさと三万年祭の警備の特訓に移れ」

「わ、分かりました・・・・・・ご武運を」


 そう言って敬礼してくる弟分の衛兵に右手をひらひらと降ってやると、ビックスは鍵付いていない扉をゆっくりと開き、中へと入っていった。




 日が高いというのに、ビックスが入った建物の中はひどく薄暗かった。いつもはこうではない、以前は倉庫として使っていた建物であったが、先の巨人との戦闘で文体が半壊したことにさすがに責任を感じたのか、黒紫商会会長であるグレイプリーが屋敷の中に眠っていた中古の調度品を使い、建物の中を小奇麗にしてくれたためである。中古の調度品と言っても黒紫商会の会長であり、裏では四者の一人でもある彼女は唸るほどの金を持っているのか、机も椅子も、そして壁に備え付けられた八個のランプも皆最低でも金貨十枚はする豪華なものだ。だがそのランプはその全てが無残に砕かれ床に転がっており、鉄靴の底に感じるガラスを踏み砕く感触に、ビックスは自分の背中を冷たい汗が流れているのを感じた。



「ふ・・・・・・副長、どこっすかぁ?」



 背中を流れる汗の冷たさに顔を引きつらせながら、ビックスは周囲を見渡しながら歩みを進めた。巨人との戦いで愛用の黒鋼の槍を失い、足を骨折したといっても帝国部門の総本山であるナイトロード侯爵家の令嬢であり、本人も若くしてナイトロード流槍術の印可状を授かっているほどの腕前である。彼自身、数か月前に集落の酒場で黒紫商会で荷運びをしている逞しい男達が外から来た男達と乱闘騒ぎを起こした際、十人はいたその男達を、クレアが木の箒を使って一瞬で叩きのめしたのを目撃している。そんな彼女が我を忘れて暴走しているのだ、気を抜いた次の瞬間には喉に彼女が持っている槍が突き刺さってもおかしくはない。



「副長、どこですかっ!!」


 こみ上げてくる死ぬかもしれないという恐怖にもう一度、今度は先ほどより一層声を張り上げて彼女を呼ぶ。と、仮眠室になっている倉庫の二階に続く階段の裏、部屋の中で最も暗い場所で何かが動く気配がした。ビックスが気配の方をじっと覗くと、暗い空間の中に、幽鬼のように白い顔がぼんやりと浮かび上がった。


「姐さん、そちらに居られますか?」

「・・・・・・・・・・・・ビックスか」


 今まで散々暴れて多少は気が静まったのだろう、彼の問いに対し小さな、それこそ小鳥が微かに囀るような声が聞こえてきた。その声に僅かに緊張を緩めたビックスが恐る恐る近づくと、暗闇の中体育座りをしているクレアの姿が目の前に現れた。


 今まで散々暴れ、部屋の中をめちゃくちゃにした少女の姿はひどい物だった。だいぶ泣いたのだろう、目は兎のように真っ赤に充血し、頬には涙が流れたいくつもの跡がある。普段きつく結わえている金髪はぼさぼさで埃まみれになっており、乱れた衣服の間から彼女の白い肌が見えた。





「だ、大丈夫ですか? 副長」

「だいじょうか・・・・・・だと? 私は何も問題はない。それより質問だが、アベルの馬鹿は出勤してきたか?」


 立ち上がり、ふらふらと歩いてきたクレアはうつろな表情でそう問いかけ周囲を見渡したが、探し人がいないのが分かると、その目に涙が浮かび上がった。


「いえ・・・・・・その、隊長はまだ出勤されては」

「そうか、やはりそうか・・・・・・アベルは、あいつは私を嫌いになったんだ、捨てたんだ。私がいつもきついことを言うから、嫌気がさしてとうとう見限ったんだ」


 ぶつぶつとそう呟く少女の頬を幾筋もの涙が滑り落ちていく。知らず知らずのうちに涙を流して想い人を探すその少女の姿を見てビックスはふと、不謹慎ながらも可憐だと思った。といっても別に彼はクレアを女として見てはいない。五百歳にもなっていない彼女はあまりに若く、その身体はあまりに小さく細すぎて、好みからはだいぶ外れているためだ。何より自分には妻と生まれたばかりの愛娘がいて、他の女に目をやるつもりはなかった。だがまるで泣きじゃくる妹を見守る兄のような気持になったビックスは、今度の訓練の際、アベルをしごいてやろうと、そう心に誓ったのだった。





「いやいや、隊長に限って副長を置いていくなんてことありませんて」

「そうか? うん、そうかもしれないな」


 ビックスの言葉に、クレアの顔にようやく生気が戻り始めた。その時になってようやく自分が泣いていることに気付いたのか、腕で慌てて目をごしごしと擦る。



「どうやらこれからは奴に縄を付けて、その先を握っている必要がありそうだ。しかし置いて行ったのでないならアベルはいったいどこに行ったんだ? あいつが無断欠勤するような男でないのは知っているだろう」

「隊長の事だから、また妙な事件に巻き込まれたんじゃありませんか? あの人おせっかいすぎて、困っている人を見て見ぬ振りがどうしてもできませんからね」



 約二年半前、誰からも見捨てられそうになったところを助けれらビックスは、苦笑しながらそう答えた。



「そうだな・・・・・・そういえば昨日は何か変だった。私が入ってきたことにも気づかず、変な棒のようなものを弄っていたからな。その後グレイプリー殿に訓練の報告をしに行って思いつめた表情で戻ってきて、帝都に行くと言って出ていったきり会っていない。最悪の場合、あの年増が何かしたとも考えられる」

「い、いや、それはさすがにないのでは?」

「最悪の場合と言ったはずだ。たとえそうでなくても、彼女が何か知っている可能性は十分にある。これからグレイプリー殿の屋敷に行くぞ。ビックス、お前もついて来い」

「え、お、俺・・・・・・いや、自分もですが? すいませんが、自分はこれから男衆達の訓練をするという仕事が」

「大した怪我でもないのに今まで休んでいたし、今日も少し遅刻してきたんだ。それぐらい付き合え」

「そりゃ命令なら従いますが・・・・・・グレイプリー殿の屋敷と言いますと、まさか」

「そのまさか、空中楼閣の方だ」

「・・・・・・まじっすか」


 地上にある接客用の屋敷ではなく、空に浮かぶ彼女の本拠地に行くことに、ビックスはがっくりとと肩を落とした。








「なるほど、それで昨日の事を聞きに来た、というわけですね」




 それから二時間後、集落の上空に浮かぶグレイプリーの本拠地“空中楼閣”の一室でビックスは身支度を整えたクレアがグレイプリーと向き合っているのを、彼女の後ろに護衛として立ち背中に冷や汗を感じながら眺めていた。すぐ傍の台には銀のティーカップに注がれた高級な紅茶が置かれていたが、一口飲んだものの向かい合うというよりはにらみ合う二人のせいで味など全くわからなかった。


「はい、隊長は先日報告書を持参してこちらに伺っているはずです。その時の事をお聞かせいただきたいのですが」

「聞かせてほしいと言われましても・・・・・・確かに彼は昨日こちらに報告書を持参してきましたが、三十分ほどで帰られました。その後の行動は把握しておりませんが」

「それはおかしい、隊長は一度こちらに戻った後、何か思いつめた様子で帝都に行くといって出ていかれた。この屋敷で、間違いなく貴方と何か話されたはず。それをお聞かせいただきたいのですが」

「あらあら、随分と必死なこと・・・・・・まさか、彼の身に何かあったのですか?」


 余裕のないクレアを、最初は嘲笑交じりの微笑みを浮かべて見ていたグレイプリーだったが、不意に真顔になってそう尋ねた。


「・・・・・・他言無用に願います。実は隊長は、今朝から出勤しておりません。恐らく何らかの事件に巻き込まれた可能性があります」

「なるほど・・・・・・どうやら一歩、遅かったようですね」

「その言葉、何か知っていらっしゃるんですね。お願いです、どうか教えてくださいっ!!」


 隠していた自分を詰問せず、必死の形相で詰め寄らんばかりに身を乗り出したクレアを、グレイプリーはしばし眺めていたが、やがて観念したように口を開いた。





「・・・・・・そうか、アスタリウス教か」



 それから一時間後、空中楼閣を“降り”地上の屋敷から外にでたクレアは近くの石垣によりかかり、先ほどグレイプリーから聞いた話を思い出して痛み出した米神に指をあてていた。



「まずいですよ副長、アスタリウス教といやぁ帝国だけでなく七王国すべてで国教となっている宗教だ。信徒は何千何万なんて規模じゃねぇ、十億は下りません」

「十億か、確かにそれは敵にするのは手間がかかるな」

「・・・・・・あの、副長? まさか本気でアスタリウス教と事を構えるおつもりではありませんよね」

「無論、そのつもりだが?」


 ほとんど冗談で言った自分の言葉に、さも当然という風にそう答えたクレアをビックスは唖然とした顔で眺めた。彼の前でクレアはしばし黙って目を瞑っていたが、やがてため息を吐いて頭を振った。


「もっとも敵に回すのはアベルが死んだ場合の話だ。生きているならそれでいい・・・・・・が、さすがに宗教が絡んでくるとなると我々の手に余るな。仕方ない、帝都に行って団長に報告し指示を仰ぐとしよう。ビックス、共に来い」

「ま、まだ同行するんですかいっ!?」

「“本気”を出したお前の戦闘能力は隊でも五本の指に入るからな、もし実際に戦闘になった場合頼りになる。グダグダ言っていないで、いいからさっさとついて来い」

「し、しかしもうじき昼時だというのに、自分は朝飯もろくに食ってはおりませんぜ」

「昼食ぐらい、味も量も満足できる店をおごってやる。早く行かないとアベルが本当に殺されかねん。愚痴をこぼしていないで、いいからさっさとついて来い」

「・・・・・・へぇ~い」



 そう言って走り出したクレアを追って、ビックスは空腹を訴え始めた腹を右手で押さえげっそりとした顔で駆け出した。








「そうか、アベルが」


 クレアとビックスが帝都正門“凱旋門”近くにある黒羊騎士団本部となっている建物に到着し、執務室にいる黒羊騎士団団長ミネルヴァと会いグレイプリーとの会話を話したのは、正午の少し前だった。



「はい、隊長は先日こちらにいらしたはずです。その際、先ほどの話をされたと思うのですが、その後どちらに行かれたか分かりませんか?」

「・・・・・・いや」


 鬼気迫る勢いでこちらに質問してくる少女をミネルヴァは最初静かに見つめていたが、やがて小さく首を振った。


「アベル分隊長とは、先日会っていない」

「そ、それは・・・・・・行き違いになったという事でしょうか」

「そうではない。私は昨日三万年祭時の警備の配置計画を話し合う必要があったため一日中この建物の中にいたが、彼は昨日一度たりともここには来なかった。彼が本当に事件に巻き込まれたと仮定した場合考えられることはただ一つ、集落からこちらに来るまでの間に、彼の身に何かあったという事だ・・・・・・クレア副長」

「はっ!!」


 ミネルヴァの何かを押し殺すような声に、クレアは一度身体をびくりと震わせると直立不動の姿勢を取った。




「これより一時の間、貴官の集落における治安維持の任を解く。騎士アベルの捜索に全力で当たれ。こちらでも人手を使って探してみる」

「ありがとうございます。その間、集落の治安維持の指揮はどうしましょうか」

「問題ない、そなたの代わりにパーシヴァルと彼の指揮する部隊を向かわせて対処させる。奴も常日頃現場に出たいと思っていたからちょうどよい。話は終わりだ、さっそく捜索にかかってくれ」

「は、特別分隊副隊長クレア、これより特別分隊隊長アベルの捜索を開始いたします。行くぞビックス」

「りょ、了解です。失礼いたします」



 ミネルヴァにさっと敬礼し、きびきびした動作で退出するクレアの後を深々と一礼したビックスが慌てて追いかける。一度も後ろを振り返らなかった二人は気づかなかった。ミネルヴァの身体から隠し切れない怒気が、赤い“靄”となって周囲に漂い始めたことを。





 そんな彼女の下に旧友が尋ねに訪れたのは、それから数時間後の事であった。


 






「アベルが行方不明だって!?」

「声が大きい・・・・・・そうだ、何か知らないか?」

「知らないかと言われてもなぁ、ううむ」



 クリスタルの光が陰り始めた夕刻、クレアとビックスは黒羊騎士団本部の一室で巡回を終えて戻ってきたアベルの友人であり、二人にとっても仲間といってよいグレイと向き合っていた。二人の目に疲れが見えるのは、先ほどまで手掛かりを求めてあちこちを探し回っていたためである。


「お前がアベルと共に一昨日の夜酒を飲みに行ったのは分かっている。別にお前が怪しいといっているのではない、ただ何か知らないかと聞いているだけだ」

「なにか知らないかと聞かれてもなぁ、あの日はアベルを誘って酒を飲みに行っただけだぜ。ほら、ビックスもよく知ってるあのまずい酒を出す店だ・・・・・・っておい、どうしたビックス、腹なんか抑えて」

「い、いえ、なんでもありませ・・・・・・うぷっ」


 クレアの問いに腕組みをして考え込んだ龍人族の青年は、ふと顔なじみで何度かアベルと一緒に酒を飲みに行ったことのある顔なじみの衛兵が、腹を抑えて苦しげな顔をしているのを見てそう聞いた。


「こいつは単なる食べすぎだ。あまりに腹の音がうるさいんで、裏にある食堂に連れて行ったんだが、そこで大食いチャレンジをしたんだ」

「おいおい、裏の食堂の大食いチャレンジって、確か巨大肉盛り丼だろう? 厚さ五セイルの黒牛肉が一メイルも積み重なった、重さが三キルという化物丼じゃないか。お前さん、よくあれに挑戦する気になったな」

「は、はい」

「挑戦するのは勝手だが、結局食べきれなかったじゃないか。四分の三まで食べ終えたところで顔を真っ青にして倒れて、代金の銀貨一枚は私が支払ったんだからな」

「ま、今度からあまり無理はせんことだな・・・・・・で、話しを戻すが、さっきも言った通り三日前の番は、アベルと一緒に酒を飲んだだけで何もしてないぜ」

「だから別にお前を疑っているわけじゃない。酒を飲んでいる最中や帰り道に、アベルに何か変わったことはなかったかと聞いているんだ」

「変わったことねぇ」

 クレアの問いに唸りつつ、グレイはすぐ傍のテーブルの上にある水の入ったコップを手に取り、中身を一気に呷った。今日は一日中巡回の任務に就いていたのだが晩夏だというのに帝都は蒸し暑く、巡回から帰ってくると暑さに強い竜人族の彼でも汗びっしょりになっていた。本部に帰宅し、報告書を掻き終えてシャワーを浴び終えた時、共同浴場の前でちょうどクレアたちと鉢合わせしたのである。


「変わったことと言っても、アベルと一緒に飲みに行った酒場はビックスも知っている場末の酒場で、俺はともかくアベルは厄介事を避けるために終始フードを被っていたから、誰もアイツを気にする奴なんかいなかったぜ。絡んでくる奴がいるとしたら、むしろ俺に対してだろうからなぁ。酒場から出た後も、ちょうどこっち方面に行く蒸気馬車が来たから帰り道で何かあったという事もなかったし・・・・・・あ、待てよ」

「何か思い出したのかっ!?」

「や、ちょっと落ち着けって」


 口ごもった自分を見て、興奮したように身を乗り出してくるクレアを、グレイは両手を挙げて制した。


「大したことじゃないんだが、酔いが回りすぎて気持ち悪くなってな。馬車から降りて帰宅する前に、すぐ近くの公園で酔いを醒ますために、アベルの膝を借りて少し横になっていたんだ」

「アベルの膝に・・・・・・だと?」

「おいおい、変なところで反応するなよまったく」


 自分の言葉にピクリと右の眉を上げたクレアを、グレイは両手を挙げてなだめた。


「・・・・・・まあいい。それでその後どうした?」

「いや、しばらく横になっていたら酔いが少し冷めたんで、起き上がってみたらアベルがいなくてな。数分ぐらいで戻ってきたからどこに行っていたか聞いてみたら、人が死んでいるというんだよ。それでアベルと一緒に現場に行ってみたんだが、死体どころか血の跡すら見つからなくてさ、ほんの数分で死体を完全に消すなんてことはどう考えても無理だから、あいつの見間違いだと思ったんだよ」

「なるほど・・・・・・探すとすれば公園の周囲からか」

「探しても何も見つからんと思うぜ。休憩していた時間は三十分もなかったしな。それよりそろそろ教えてくれよ、あいつにいったい何があったんだ?」

「・・・・・・それは」

「副長、グレイの旦那は信頼できると思いますが」


 不意に真顔になったグレイの問いに口ごもるクレアに、彼女の後ろに立っているビックスがそう声をかけた。同じ酒好きという事もあり、よくアベルを加えた三人で酒を飲みに行っていることもある彼の事だ。気心も知れているのだろう、しばらく考えた後、クレアは小さく頷いた。



「分かった。だがグレイ、くれぐれも他言無用に頼むぞ」



 最初に念を押してから、クレアがアベルが今朝から行方不明なこと、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いことなどを話すと、さすがにグレイの顔も真っ青になってきた。


「団長はこのことを知っているのか?}

「ああ、一番最初に知らせている。集落の治安維持の任務を一時中断し、アベルの捜索に全力を入れるようにとの指示を受けた」

「そうか・・・・・・分かった。明日は俺も非番だし、アベルを探すのを手伝うよ。人手は多いほうがいいだろう」

「久々の休みなのにいいのか? 三万年祭が間近でなかなか休みが取れないのだろう?」

「いいさ、休みの日なんざ酒を飲んでいるか、武器の手入れをしているかのどちらかだしな。一人で酒を飲んでいてもつまらん」

「・・・・・・すまない、私たちはこれからお前の話にあった公園に行き、何か手掛かりがないか探してみる」

「今からか? もう夜になるからやめた方がいいと思うがなぁ。あの公園の付近は、表通りはともかく裏通りは結構治安が悪いぜ・・・・・・といっても、言って聞くお前さんでもないしな。ビックスもいることだし止めはしないが、くれぐれも気を付けろよ」

「言われずとも分かっている。行くぞビックス」

「はい、グレイの旦那、失礼します」

「おう、またアベルと三人で酒でも飲もうや・・・・・・さて、と」


 

 退出するクレアと、一礼して彼女を追いかけるビックスを見送り、グレイは一度目を瞑り息を吐いた。


「アベルは俺の友人だ、人の友人に手を出すような輩は、この手で思い知らせてやらなきゃならんな」



 そう呟き、再び開いた彼の目は、強い怒りにより爛々と輝いていた。











「さ、さすがに無理ですよ副長」

「うるさい、黙って探せ」



 それから一時間後、クリスタルの光が弱まり周囲が暮れ始めた頃、クレアとビックスは先ほどグレイが話していた公園に来ていた。地面にはいつくばって痕跡がないか探し、ゴミ箱をひっくり返して何か手掛かりがないか探す二人を、公園にいる僅かな人々は遠巻きに見ながらひそひそと話していたが、クレアがじろりと睨むと皆慌てて去っていった。


「さ、さすがに目立ちすぎますって」

「人一人、しかもアベルの命がかかっているんだ。人の視線などどうでもいい、無視しろ」

「わ、分かりましたよ。しかしこれだけ辺りをひっくり返しているのに何もないという事は、公園にはもう手掛かりは何もないという事になりませんか?」

「・・・・・・・・・・・・そうだな。となると何かあるとすれば公園の外か。グレイが眠っていたベンチはここで、アベルが離れていたのは最大でも三十分以内、それも往復で移動できる距離だとすると・・・・・・アベルが出たのは東口で間違いないな」

「東口の外にあるのは、表通りに店を出すことのできない商人たちの小さな店や屋台ですよ? 扱っている物も大したものはないし、犯罪に加担している奴がいるとは思えませんが」

「それにアベル達がここに来たのは夜も更ける頃だ。店は閉まっていただろうが、さすがに近場で何かあったら一人ぐらい見に来るだろう。だがそれがないという事は」

「それがないという事は、隊長が向かったのはさらに裏の方ですかい。この辺りの裏通りは結構厄介ですよ、今でこそ“うち”の騎士団の皆様方が巡回してくれているおかげで収まりましたが、数年前までここいらはチンピラやギャング共の縄張りでしたからね。しかも“盗賊王”と敵対していたと来たもんだ。奴らが手強いという事はありやせんが、何事もないのが一番です。そちらの捜索は明日朝一番にグレイの旦那を含めた三人でいたしましょう」


 立ち上がって膝に着いた砂を払うと、クレアはベンチのすぐ近くにある外へと続く東側の出入り口に目をやった。大通りがある西口と正反対の位置にある東口の先は、表通りに店が出せない個人経営の小さな店や屋台が立ち並んでおり、そのすぐ奥はビックスの言う通りチンピラや盗賊のたまり場となっている。近くに黒羊騎士団の本部ができ、騎士たちが巡回するようになって表立った行動はしなくなったが、それでも夜の時間、不用意に近づいた氏民が襲われる被害にあっていた。




「・・・・・・・・・・・・そうだな、お前の言う通りだ。明日グレイと合流して三人で探すとしよう。だがその前に」


苦虫を思いっ切り嚙み潰したような顔をしてビックスの言葉に頷いたクレアは、それでも最後に一番近い裏路地をのぞいてみた。彼女が覗いた裏路地は、入って数メイルもいかないところで行き止まりになっており、それ以外には何もなかった。悲痛な表情で空を見上げた彼女の瞳に、笑う紫の三日月が見える。ケタケタ、ケタケタ、ケタケタと笑うその三日月の表情は、遥か下にいる無力な少女を、まるであざ笑っているかのようであった。
























 それから数時間後、夜もとっぷりと更けた頃である。帝都のどこか光のまったく差さない場所で壁に繋がれた鎖に、四肢だけでなく首までつながれた青年が一人、無言のまま虚ろな表情でガクリと項垂れていた。光が差さない暗闇と言っても、長い間闇の中にいたため目が慣れたのか周囲の様子がなんとなくわかるようになっていた。前後左右のうち、前方はネズミすら通れないような僅かな隙間しかないがっちりとした鉄格子であり、他の三方は頑丈な石壁になっている。つまりここは牢獄なのだ。周囲に漂う濃い臭気は、この牢獄に幾人もの人々が繋がれ、誰に知られる事無く死んでいったことを明確に表していた。どれぐらい時間が経過しただろう、不意に視界の片隅に光が灯り、青年はびくりと体を震わせた。なぜなら光が現れるという事は、自分をここに閉じ込め、鎖に繋いだ者達が来た証拠に他ならないからである。


「この男が、“草”が最期に話した男か?」

「へ、へい。そうです」


 光とともに現れたのは、つい一時間ほど前まで自分をさんざん拷問していた二人の男と、その二人に挟まれるようにして立っている、全身を黒いローブで覆い隠し頭に鉄の仮面を付けた長身の男だった。その仮面の男が立場が上なのだろう。二人の拷問官は必死にへりくだっていた。



「“草”は回収したのだろう、なぜ殺さない?」

「は、はい。草とどのような関係か聞き出そうと思いまして。それに」

「それに・・・・・・なんだというのだ?」

「いえ、口を割らないので殺そうとしたのですが・・・・・・ご自分で確かめられるのがよろしいかと」

「・・・・・・ふむ」



部下の言葉に首を傾げた男の袖から光が飛び出す。暗闇の中、光・・・・・・細長い長針のようなレイピアの切っ先は鉄格子の狭い隙間を正確に通り抜け、青年の首に深々と突き刺さった。



「か・・・・・・はっ」



 首にレイピアが突き刺さった青年は、空気が漏れるような軽い悲鳴を上げたが、男が手を動かしレイピアで首を抉ると、二・三度痙攣し、そのまま動かなくなった。



「たったこれだけの事だろう、いったい何をそんなに手間取って・・・・・・なっ!?」


 レイピアを死んだ男の首から外し部下達を怒鳴りつけようとした男は、次の瞬間青年の方を向いた。確かに先ほど自分が殺したはずの青年の身体が、今では微かに動いている。



「馬鹿な・・・・・・不死身だと言うのかっ!?」

「は、はい。あまりに華奢すぎて、拷問の間何度か殺してしまったかとも思いましたが、そのたびにこうして蘇生するのです。もう気味が悪くて・・・・・・いかがなさいましょうか」

「ふむ、面白い」

「お、面白い、ですか?」



困惑する部下の前で、男は鉄格子に近付き持っていた鍵で錠を開け中に入り、青年の顎を持ち上げ強引に上を向かせた。炎に照らされて、青年の汚れてはいるが中性的な美しさが露わになる。そのどこかはかなげな美しさを見て、男は仮面の中でにいっと気味の悪い笑みを浮かべた。


「不死身というのはそれだけで希少だ。確かに生命力の強い龍であれば、時間をかければ蘇生できるともいわれているが、この者は一瞬で生き返った。本国に持っていけば狂った科学者たちがさぞ面白がって切り刻むだろう。だがその前に、これだけ華奢で美しい青年だ。近々行われる品評会の、良き目玉となるだろう」

「ま、まさか品評会に出品されるおつもりですか? こいつは女ではなく男なのですが」

「だから目玉になる。それに客たちには男か女かなど関係あるまい。もっといえば、客の中には女より男を甚振る変態も多い。それに本来“調達”を担当する者の行方が分からなくなってな、数が足りなくなりそうだったから、まさに渡りに船というわけだ・・・・・・しかし、ふむ。良い趣向を思いついた、お前たちもついて来い」

「し、しかし我らが二人ともいなくなると、ここを見張る者がいなくなるのですが」

「“あの男”を見張っている石の木偶の棒がいるだろう。それ以前にこの場所が、その辺の無能共に見つかるとは思わん。それより貴様、品評会を台無しにして資金の調達に失敗し、“あの方”のご不興を買いたいのか?」

「め、滅相もございません」

「す、すぐに準備いたします」


 男の言葉に、二人の男は顔を青ざめて動き始めた。この男を怒らせても殺される“だけ”ですむが、あの方と呼ばれるはるか上にいる存在を怒らせたが最後、最低でも一族郎党皆殺し、知亜悪な時は、殺してくれと懇願しても無理やり生かされ永遠の責め苦を味わうことになるからであった。


「それでよい。さて、死ぬことが出来ぬ哀れな青年よ、お前にはこれから、死よりもなお残酷な運命が待っておる。それまでの間の僅かな自由を、せいぜい楽しむが良い」


先ほどとは違い、その目に理知的な光が宿り始めた青年を見て哄笑を上げると、仮面の男は二人の部下と共に去っていった。














 どうしてこんなことになったんだっけ




“一度死んだこと”で頭の中の靄がはれた背年は、それでもぼんやりとした表情で繋がれている牢屋の中を見渡した。昨日集落から帝都に入った際、凱旋門の近くで彼はいきなり物陰に引きずり込まれた。そしておそらくは眠り薬か何かをしみこませた布を押し当てられたためか、もがいているとすぐに意識を失い気が付いたら鎖につながれてこの牢屋の中にいた。そして先ほど牢屋の外にいた屈強な二人の男から死んだ男との関係や、何か知っていることを吐けと散々拷問を受けたが、むろん青年には何のことかさっぱりわからなかった。気を失えればよかったのだが、激しい拷問の中意識を失うことは何回かあったが、次の瞬間には意識が覚醒し鮮明になる。そのため完全に意識を失うことも、正気をなくすこともできず、彼は長い時間拷問を受け続けてきた。皆に合いたいな、ぼんやりとした意識の中でそう考えていると、ふいに眠気が襲ってきた。これが恐らく安心して眠れる最後の機会だろうと目を閉じかけた時、




「な・・・・・・に?」





 真っ暗闇で何も見えない牢獄の中でも一番闇が濃い隅で、まったく見えないはずなのに、それでも確かに何かが蠢いているのが見えた。一つにも無数にも思えるそれを見て、青年は喉の奥で声にならない悲鳴を上げた。なぜならそれは、丸い黒い身体から無数に触手を生やした、いかにもグロテスクな姿をしていたためであり、そして不気味に蠢きながら、ゆっくりと獲物を探すように動き始めたためである。



「ひ・・・・・・あ」


 こみ上げてくる悲鳴と吐き気を何とか飲み込み、青年は身をよじって逃げようとしたが四肢と首を鎖でつながれているためか、ただ鎖を揺らして鈍い音を立てるだけだった。その音を聞いたのか、それは身体から生えている触手を器用に使い、青年の方に近付いてきた。




「・・・・・・?」


 だが、しばらくして青年はふと首をかしげた。なぜなら少し触手を伸ばせば触れられる距離まで近づいたというのに、それは動きを止めそれ以上近付いてこなかったからだ。それだけではない。形は確かにグロテスクであったが、それからは先ほどの男達のように、自分を害しようとする感情が感じられなかったためだ。それから感じるのは拒絶されるという恐怖と、触れてもよいのかという戸惑い、そして圧倒的なまでの怯え、ただそれだけであり、そして青年は相手が何であれ怯えている物を拒絶することは、どうしてもできなかった。





「・・・・・・おいで」



 自分の言葉に、闇の中でも怯えていたそれが明らかに狼狽しているのが見える。その様子を苦笑しながら見ていた青年は、そっと右手を伸ばした。鎖につながれているためか、右手は僅かに動いただけだが、それでもこちらが必死に手を伸ばしていることに気が付いたのだろう、それは伸ばされた右手を見て、それでも最初は怯え戸惑っていたが、やがて自分の身体から生えている触手の一本を恐る恐る伸ばすと、伸ばされた右手に、僅かに触れた。




「っ!?」


 その瞬間、青年の身体を激痛が走った。肉体に感じる痛みではない、そちらはもう慣れてしまった。この痛みは精神に、心に感じる痛みだ。それもただの痛みではない、触れた部分の通して、これが内に抱える無尽蔵の絶望が青年の中に流れ込み、痛みとして襲い掛かってくるのだ。だが、それで青年は右手を放すことはなかった。一度自分が決めたことを覆すようなことはしたくなかったし、なにより痛みを感じたことで、頼子の存在に対して憐憫の情を抱いてしまったためである。激痛の中、それでも青年は・・・・・・アベルは自分に向かって伸ばされる無数の触手を、その胸にしっかりと受け入れた。









続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ