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四界戦記  作者: 活字狂い
15/17

第一部 黒界 帝都動乱篇  第三話 銀豹との出会い 序幕②



 帝都パンデモニウムの下町と周辺の集落の治安を守る騎士団に所属する騎士が人知れず姿を消した次の日は、あいにくと朝から雨が降っていた。雨は夜遅くになってもまだ降り続き、帝都に入る十二の門のうち東にある門の一つ、巡礼に行く者が出入りする事から“巡礼者の門”と呼ばれる門の番をしている男は、暗い街道を見ながら今日何度目かのくしゃみをした。


「うぅっ、寒・・・・・・んぁ?」



 少しでも暖を取ろうとすぐ傍の壁にかかっている松明に手を伸ばした時である。松明の灯で、暗い街道をこちらに向かってくる何者かの影が見えた。



「だ、誰だぁ? よ、よ、夜は門は出入りで、出来ねえだどぉ!!」



 右手に持った棍棒の先端を陰に向け、少々どもり気味な田舎者丸出しの野太い声で誰何すいかすると、影は門から十数メイル前で止まった。どうやら影は一つではなく複数のようで、こちらに一番近い影がゆっくりと近づいてくるのが見えた。



「よう兄弟ブラザー、夜遅くにすまんな」


 松明の灯に影の持ち主が映し出される。雨よけのフードを被った壮年の男だ。まだというほどの年齢ではないのに、整った顔を覆う顎髭も髪も白く染まっている。だが金色の目はまるで若者のような好奇心の光を放っていた。




「お、おらお前のような兄弟なんていねぞ、へ、変なこと言って無理やりと、通る気だな」

「ああいや、そんなつもりはないよ。これで通れるだろ?」




 棍棒を振り上げた門番に男はさして慌てもせずに首を振ると懐に手をやり、銀色の鎖の先端に拳大の丸く平らな物体が付いたものを取り出した。門番が松明を近づけると、平らな物体の上に銀色に光るクリスタルと、それの左右に剣のような文様が描かれているのが見えた。


「な、何だこれ? まさかわ、賄賂のつもりだか? おめ、もしかして悪党か!?」

「待て待て兄弟ブラザー、困ったな、昔はこれを見せればちゃんと入れたんだが」

「・・・・・・おいハンス、この夜中にいったい何大声で話してやがる」


 興奮して今にも棍棒を振り下ろそうとする門番を見て男が苦笑した時である。門のすぐ近くに建てられている木造の門番小屋から一人の年寄りが出てきた。もう二千歳近く、頭は禿げ上がり腰も曲がっているが丈夫な身体つきをしており、長年門番を務めてきたためかその目は鷹のように鋭くなっている。


「と、とっちゃん。変な奴が中に入れろって、う、うるせえんだ」

「変な奴ぅ? お前さん、どこの誰かは知らんが門は夜中は通行禁止だ。悪いが朝まで待ってくれんか?」

「こちらも女子供の連れがいるんでね。しかも明日の朝一で寄る所がある。できれば今夜中に中に入りたいんだが。それにしても・・・・・・ひさしぶりだな、親父さん」

「親父さん? 俺をそう呼ぶのはもうほとんど・・・・・・って、お前、いや、貴方は」


 年のせいか、最近視力が落ちてきた老人は松明に照らされた男の顔をじっと見つめていたが、やがて何かを思い出したのか、はっと顔を上げた。



「旦那? まさか旦那さんですかい!? いやあ、何百年ぶりだろうか」

「やれやれ、やっと思い出してくれたようだ」


 大きく目を見開いた老人を見て、男・・・・・・グヴェンはほっとしたように息を吐いた。












「にしても久しぶりだなぁ親父さん、俺が帝都を出奔して以来だから、およそ四百年ぶりになるか」

「そうなりますねぇ。しかし旦那さん、どうして“印章”を提示しなかったんで? あれを見せればすぐに通したはずなんですが」

「ん? ああ・・・・・・いやぁ、それがすっかり忘れていてな。悪い悪い」



 案内された門番小屋の中で囲炉裏火に当たりながら、グヴェンは老人の言葉にすまなそうに頭を掻いた。その隣では彼の連れである妻と娘に、ハンスが小さな台所を使って入れた茶を出している。その様子をちらりと見てから、グヴェンは懐から先ほどの物体、老人から印章と呼ばれた物を取り出した。



「そうそう、これだこれ。これを見せればたとえ真夜中でも止められることなんかなかったでしょうに。特に旦那のそれは、た」

「おっと、そんな事よりどうだ、帝都の様子は。俺も旅先で随分といろいろな噂を聞いているが」

「ええ・・・・・・そりゃまあ良いことも悪いこともいろいろありましたよ。特にレフィロスが生きていたころはひどかったですね。裏切りや密告が日常茶飯事に発生して、いつもどこかで誰かが処刑されていました。奴が死んだ後は“先生”が貴族と協力して何とか帝国を立て直したんですが、今はその貴族連中が幅を利かせている状態でさ」

「・・・・・・そうか、すまんな。そんな大変な時に帝都を出て行ってしまって」

「仕方ありやせんよ、“あんなこと”が起こった後ですからね。それより此度はいったいどうして帝都にこれらたんです? しかも奥さんと娘さんまで連れて」

「ん? ああ・・・・・・ちょっと昔馴染みに頼まれごとをされてな。親父さんも面識があるだろ、“姫”だよ」

「姫・・・・・・ああ、あのお嬢さんですかい」

「そうだ・・・・・・っと、親父さんにお願いがあるんだ。今日一晩うちの嫁さんと娘を親父さんの家に泊めてくれないか? あいにくと懐が寂しくてな」

「お二人をですか? ええええ、お任せください。久しぶりににぎやかになって婆さんも喜びますよ」




 すまなそうに頼むグヴェンに向かって、老人は任せろと言わんばかりに胸を叩いた。

 

 

 




 次の日の朝早く、門近くにある老人の家に妻と娘を預け(老夫婦は孫ができたように喜んで世話をしてくれた)ると、グヴェンは中央広場に行く蒸気馬車に乗り込んだ。ここから目的の場所まで歩けば少なくとも三日はかかるためである。帝都を走る蒸気で動く馬車の事は旅先で幾度も耳にしたし何度か目にしたこともあるが、実際に乗るのは初めてだった。馬が引く馬車より揺れもなく速度も安定しており事故もない。なるほど、これでは馬車が廃れるのもうなずけるな。そう思いながらグヴェンは窓から見える外の景色をぼんやりと眺めた。自分がいた頃は木造の家屋が多い帝都だったが、今は下町も煉瓦や漆喰の壁の家屋が多く道行く人々の顔にもレフィロスが統治していたころの、恐怖に満ちた表情はない。置き去りにした仲間の内、“先生”と呼ばれる友人がレフィロス亡き後帝都を立て直すためにした苦労を思い、彼はそっと目を伏せた。



 それからおよそ二時間かけて中央広場に着くと、噴水の側に出ている屋台で買った黒羊の骨付き肉を大河の見えるベンチに腰掛け食べ、残った骨を近くにいる腹をすかせた野良犬に放ってやってから、グヴェンは大小さまざまな船が移動する下町と貴族街を隔てる巨大な大河をぼんやりと眺めた。この大河の流れだけは子供の時と同じだった。変わらない物が一つでもあることに安堵の息を吐いたグヴェンの視界の片隅を数人の子供が駆け抜けていく。その姿と自分がまだほんの子供だった頃の姿が重なり、彼は右腕で目をごしごしとこすると赤く鳴った眼を誤魔化すように頭を振りつつ、到着した正門行きの蒸気馬車へと歩いて行った。







 その日、正門近くにある黒羊騎士団本部で門番を担当していたのは第一大隊に所属する騎士だった。貴族の子弟が多い第一大隊所属だけあって彼も中央平原に猫の額ほどの広さの領地を持つ騎爵家の三男であり、実力ではなくコネで入団した騎士で仕事もまったくやる気がなく、門番をしている今も歓楽街にあるなじみの娼館に勤める娼婦の事を考えているありさまだった。そのためすぐ目の前に男が立ったことにも、彼がため息を吐いて自分の右頬をぺちぺちと叩くまで全く気付かなかった。



「うおっ!? な、何をする貴様っ!!」

「おいおい、そう怖い顔で睨むなよ兄弟ブラザー。魂がどこかに飛んで行って、右頬に蚊が止まっていたことにも気づかないようだったんでな、手で潰してやっただけさ。ほら」


 真顔でそう言った白髪に同じ色の顎髭をした男の右手の手のひらには、確かに潰れた蚊がこびり付いている。



「ぐっ・・・・・・と、とにかく何の用だ。ここは黒羊騎士団の本部だぞ、貴様のような浮浪者が近づいていい所ではないっ!!」

「・・・・・・やれやれ、ここにも昔と変わらんものが一つあったか」

「は?」

「いや、何でもない。実はここの団長に来てほしいという手紙を受け取ってな、こうしてやってきたというわけだ」



 周りにいる通行人が皆自分を見て笑っているような気がした騎士が顔を真っ赤にしてこちらに誰何するのを見てあきれたように息を吐いたグヴェンだったが、そのことに騎士が気付く前に話題を変え、懐から封を開いた手紙を出した。


「団長が貴様などに手紙を出すわけがないだろ・・・・・・こ、これは団長の印!?」

「そういうわけだ、ここの団長・・・・・・ミネルヴァ殿は今居られるかな?」

「す、少し待て、確認してくる」


 手紙の最後に書かれたミネルヴァの署名と、彼女の印を見た騎士が青ざめて建物の中に消えていくのを面白そうに見送ってから、グヴェンは壁によりかかり人が行き来する凱旋門と呼ばれる正門を眺めた。凱旋門にはいくつもの鳥の彫刻が施されている。大きな力強い鳥、小さな可愛らしい小鳥など形も大きさも違うが、上を向いて今にも飛び立とうとしているその姿は皆同じで、帝都から必死に逃げ出そうとしているかのようにグヴェンには思えた。



「・・・・・・そりゃ、こんな糞の詰まったズタ袋からは、一刻も早く逃げ出したいだろうよ」

「何がズタ袋じゃ、何が」

「痛っ!?」



 つい何気なくつぶやいた彼の後頭部を、誰かがいきなり叩いた。慌てて振り向くと、自分と同じ白髪と同じ色をした顎髭を持つ、だが無精な自分と違い見事に整えられている男がこちらを睨んでいた。



「ひ、久しぶりだな、パーシヴァルの爺さん」

「誰が爺さんじゃ、誰が。しかしおぬしは全く変わっておらんのグヴェン、昔と変わらず無作法で、それでは嫁もできんじゃろう」

「いや爺さん、俺もう結婚してるし、娘もできたから」

「何とおぬしにかっ!? いや、時が立つのは早いのう。まあとにかく入るが良い、良くも悪くもおぬしは目立つからな」

「人を惹きつけるといってほしいね・・・・・・いや、それは俺じゃなくて“あいつ”の方だったか」


 叩かれた頭を撫ぜつつ、昔と全く変わらない彼の態度に苦笑しながら、グヴェンは先に入ったパーシヴァルに続いて黒羊騎士団の本部へと入っていった。








「久しいな、グヴェン」

「ああ、久しぶりだなミネルヴァ・・・・・・どこか戦争にでも行くのか?」




 黒羊騎士団副団長のパーシヴァルに案内され団長室に入ったグヴェンは、目の前にいる女の姿に思わずそう尋ねた。なぜなら古い友人であり黒羊騎士団団長をつとめるミネルヴァは、いつもの騎士服ではなく彼女の髪同様赤一色に染まった鎧を身にまとい、傍の床には背丈の実に三倍はある巨大な馬上槍が置かれていたためである。



「そうだな、もしかすると戦になるかもしれぬ」

「おいおい、そこは否定してほしかったんだがな」

「・・・・・・まったく、お前は昔と全然変わらないな」



 にこりともせずに言い放つミネルヴァを見て、グヴェンが呆れたように頭を掻くと、そんな彼の様子に彼女もようやく軽い笑みを浮かべた。



「そうそう、女はそっちの方が魅力的だ・・・・・・それで、いったい何があった。俺を呼び出したことと関係があるのか?」

「あると言えばあり、ないと言えばない。そうだな、まずは座ってくれ」


 ミネルヴァに促されたグヴェンが部屋の真ん中にあるソファに座ると、ほどなくして従者の少女が茶を持って入ってきた。彼女も普段と様子が違うミネルヴァに怯えているのだろう、挨拶もそこそこに逃げるように部屋を出ていった。




「おいおいミネルヴァ、駄目だぜかわいこちゃんを怯えさせちゃ」

「すまんが今お前の冗談に付き合っていられる余裕はない。だが彼女には後で謝っておくとしよう。さて・・・・・・まずお前を呼び寄せた理由を話そう」



 グヴェンの指摘にミネルヴァも悪いと思っているのだろう、軽くため息を吐いて紅茶をすすると改めて彼に向き直った。



「実は私の直属の分隊を率いてもらっている騎士がいたのだが、彼を鍛えてもらいたかったのだ」

「騎士を鍛える? そいつはおかしいな、その騎士は騎士養成学校を出ていないのか?」

「ああ、一般公募で採用した騎士だからな、数週間の研修の後に配属された」



 普通騎士は貴族か裕福な家が自分の親族を推薦し、能力・性格に問題なしと判断された者が軍でいう士官学校に当たる騎士養成学校で数年学んだ後最終試験を経てなるものだが、それでは数が足りないため下級の騎士団に限り、一般から少人数採用することがあった。



「要するにその騎士が無能なんだろう、ならそいつを首にして、新しく誰か優秀なものを騎士にすればいっ!?」



 そう言いかけたグヴェンは、背中に寒気を感じて思わず右手を何もない腰にやった。目の前の旧友から、ものすごい殺気があふれ出したためである。




「す、すまん」

「・・・・・・次に同じことを言ったら、たとえお前でも許さん」

「あ、ああ悪かったよ・・・・・・・・・・・・しかし意外だな、お前が“ロト”以外にそれほどまでに執着するなんて」


 謝ったことでようやく殺気を消したミネルヴァに、先ほどの寒気を誤魔化すようにそう言ったグヴェンは、目の前にいる美しいが堅物で知られる彼女が僅かに頬を染めたことを驚愕した表情で眺めた。


「マジかよ・・・・・・その騎士、お前にとって一体どんな存在なんだ」

「どんな存在、か。そうだな、こう言えばわかるだろう・・・・・・“子”にしたいと、そう考えている」

「子っ!? そうか、“姫”がなぁ」



 数百年前までは自分や友人達の後をついて回り、皆から“姫”の愛称で呼ばれていた彼女の言葉に、グヴェンは何かを思い出すかのように目を細めた。



「・・・・・・分かった、どうやらその坊や、お前にとってかなり特別な存在のようだからな。なら俺にとっても弟分のような存在だ、鍛えてやるよ」

「そうか、すまない。ありがとう」

「何、いいってことよ。それで、その坊やの名前は何て言うんだ?」

「一応私直属の分隊を率いる隊長なのだから、坊やではなく騎士と呼んでほしいのだがな・・・・・・騎士の名はアベルという。夜空のきらめく星の輝きを凝縮させた光輝く美しい黒髪と、どんなに美しいブルーサファイヤでも決して勝つことのできないほど綺麗な蒼い瞳を持った青年だ」

「いや、名前だけで容姿までは聞いていないんだが。まあいい、それで? どういう風にそのアベルとかいう騎士を鍛えればいいんだ・・・・・・って、どうした?」


 アベルという名の青年について力説するミネルヴァを呆れたように眺めていたグヴェンがそう尋ねると、我に返ったミネルヴァの表情にが硬く引き締まった。



「アベルが指揮する分隊は人手が足りぬゆえ、お前が仕事を探している手、旧友である私を頼ってきたという理由でその分隊に配属させたかったのだが、一つ問題が発生してな」

「問題? どんな問題だ」

「これは他言無用で頼む。実はお前に鍛錬を頼もうとしていたアベルだが・・・・・・実は二日前から行方が分からなくなっている」

「それは・・・・・・穏やかじゃねぇな」


 ミネルヴァの言葉で、グヴェンはようやく彼女がここまで余裕がないのが分かった。“子”にしたいほど気に入っている青年が消えたとなれば、確かに心穏やかではいられないだろう。


「大方酒場か娼館にいるんじゃないのか?」

「お前と一緒にするな。彼は確かに酒も女も嗜むが、今まで一度として無断欠勤をしたことがない。それに」

「それに・・・・・・なんだよ」

「それに、彼は何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。しかもこれは私の個人的な知り合いからの報告なのだが、その事件にはグヴェン、どうやらお前の“古巣”がかかわっているようなのだ」

「古巣・・・・・・くそっ、太陽騎士団か」



 ミネルヴァからかつて自分がいた騎士団の名を聞き、グヴェンは顔を歪ませ忌々しげに舌打ちした。



「ああ、お前にはつらい事だと思うが彼を探すのに協力してくれるとありがたい。これは当座の生活費と探すのに必要な費用だ」



 忌々しげな表情を隠さない彼に謝ると、ミネルヴァは机の引き出しから銀貨が詰まった小袋を取り出すと、次に自分の懐を探って財布を取り出し、中から金貨を五枚出して机の上に置いた。





「分かったよ。俺もお前がそこまで執着するアベルという坊やが気になっていたところだ。帝都で暮らす以上まとまった金も必要だしな。まあ探してみるとしよう」

「頼む。三万年祭が近いため派手に動けぬが、こちらも何とか動いてみる。もっとも、私の指示なしで独自に探している者もいるが」

「ほう、随分と慕われているじゃないか。能力はないにしても性格は良いようだな」

「能力がないわけじゃない。これまでにいくつもの事件を解決しているからな。だが少し自分に自信がないだけだ。そこをお前に鍛えてもらいたのさ」

「ま、確かにそりゃ堅物なお前さんには無理だな・・・・・・じゃあ失礼するぜ」

「まて、どこに行く」

「心当たりが幾つかあってな、ちょいと行ってくるよ。気楽にいけ気楽に、大丈夫だから」



 ソファから立ち上がり、ミネルヴァに近付いてその右肩をポンッと叩いてやってから、グヴェンは銀貨の入った重い袋と数枚の金貨を懐にしまい、手をひらひらと揺らしながら去っていった。







「相変わらずのようですな、奴は」

「ああ、だが根は誠実でまじめな性格をしているからな。必ずやアベルの良い師となってくれるだろう。そのためにも」


 グヴェンが出ていったのを見計らい、隣の部屋から現れたパーシヴァルの言葉に頷くと、ミネルヴァは胸の奥から湧き上がってくる怒気を抑えるためにぎゅっと右手を握り締めた。




「そのためにも必ずアベルを探し出し、無事に見つけ出す。もし彼に何かあったら、相手がたとえ大貴族であろうとも決して許しはしない」

「儂にとっても孫のような存在です、三万年祭が近い故大々的には動けませんが、少しでも動いてみましょう」

「頼むぞ、私は少し水を浴びてくる。その後は怖がらせてしまった部下に謝りに行ってくるか」













「いやぁ、マジでおっかなかったな」


 

 黒羊騎士団本部を出て数十メイルほど離れると、グヴェンはがっくりと肩を落とした。



「だがまあ、それでもブチ切れてはいないか。“姫”が切れたらそれこそあの建物だけでなく、周囲十マイルが一瞬で“融解”するからな」


 グヴェンが覚えている限り最後に彼女がそうなったのは親友であり、彼女の初恋の相手が戦死したという一報が届いた時である。その時はちょうど援軍に向かうため荒れ地に陣を敷いており、周囲に何もなかったため大惨事にならなかったが、それでも当時はまだ主流だった魔法を使える一流の魔術師が総出で冷凍魔法を唱えて一か月かけてどうにか鎮静化させたほどだ。



「となると、もしそのアベルとかいう坊やが死んでいた場合、少なくともこの辺りは全部融解するか。人、建物の区別なくな・・・・・・急いでやるか」



 

 そう呟くと、グヴェンは背後の建物からせかすように熱気があふれたように感じ、慌てたように歩き去った。








「さて、ここだ」





 その日の夕刻、クリスタルの光が徐々に弱まり始めた時である。グヴェンは一件の古びた酒場の前に立っていた。一度妻子がいる老人の家に戻り妻であるダフネに十枚ほど中身を抜いた銀貨が詰まった袋と金貨を四枚渡して遅い昼食を済ませ、再び外に出た彼が次に向かったのは帝都の南東にある、帝都にいくつかある中でも特に大きな歓楽街である。まだ明るいにもかかわらずすでに娼婦や酌取り女が道に出て客の呼び込みをしており、何人かの男達が店の中に入っていく。グヴェン自身何度か娼婦に呼び止められたが、若いころはともかくダフネと出会い、娘のダナエを授かってからは酒はともかく他の女を相手にしたことは一度もなかった。




「あの頃と変わらず営業しているのはここだけか。さて、見知った誰かが居ると良いが」


 

 念のために持ってきた太い木の棒を腰に差し、襤褸を纏った浮浪者の様な格好で外れかかった扉を開くとすぐに据えた臭いが漂ってきた。昔よく嗅いだその臭いに顔をしかめ、それでも懐かしさを感じて苦笑しながら入り口近くの椅子に座ると、間もなく胸元を大きく開けた女中が気怠げな顔でやってきた。




「いらっしゃぁい、何にしますぅ?」

「そうだな、エールと適当に摘まめるを幾つか持ってきてくれ」

「はぁい、わかりましたぁ」



 昨晩客の相手をしてあまり寝ておらず、こちらの身なりを見てあまり金のない客だと思ったのだろう、大きなあくびを手で隠そうともせずにしながら奥の方へと歩いていく。そんな女中を苦笑しながら見送ると、グヴェンは辺りを見渡した。数百年前、まだ若いころに来たときは店の中は広く、酒を飲んでいる客にもいずれこうなりたいとあこがれを抱いたが、今の彼の目には店は狭く汚れが目立ち、男達の姿は自分同様皆みすぼらしい。





「まったく、俺も年を取ったという事かね」





 そう呟き、寝ぼけ顔の女中が運んできたエールに口を付ける。だが限界まで薄められたそれはほとんど酒の味がせず、グヴェンは一口飲んだだけで後は手を付けなかった。元々酒を飲みに来たのではない。つまみとして出された干したイカの足を噛みながら、薄暗い酒場の中でひそひそと話す他の客たちをぼんやりと眺めていた時、店の外で場違いなほど大きな笑い声がした。




「・・・・・・来たか」



 外の笑い声がだんだん近づいてくることを悟ったグヴェンは髪留めを外して銀髪をバラバラにし、盃の中の酒をこぼしながら飲みほすと、もったいぶって服の中を探り懐から数枚の小汚い銅貨をさも大事そうに取り出し机の上に置いて立ち上がった。彼がそうしているうちに笑い声はだんだん近づいてきており、グヴェンが酔いが回ったような千鳥足で扉に向かって歩き出すのと、その持ち主が中に入ってくるのはほぼ同時であり、グヴェンがそのまま外に出ようとした時彼の右肩が相手の左肩に僅かに触れた。





「おい待て爺」

「ひっ!?」



 何事もなかったかのように外に出ようとした彼の肩をぶつかった男の手が抑える。肩を掴まれ、グヴェンはわざとらしく悲鳴を上げた。



「あん? どうしたよバクス」

「この爺がぶつかったにもかかわらず謝罪もしなかったんだよ」

「おやおや、それはいかんなぁ」



 すでにほかの店で飲んできたのだろう、顔を赤くしたバクスという男が、グヴェンの肩を掴んだまま話すのを聞いて、彼の二人の仲間はにやにやと笑みを浮かべた。



「も、申し訳ねぇ旦那さん、き、気づかなかったんでさ。おらぁ屑鉄拾いで小銭溜めて、半年に一度こうやってほんの少し飲むのが楽しみの爺でして、どうか許して下せぇ」

「ちっ、乞食の爺か。なら金を持ってるわけがねえよな・・・・・・そういえば近くに下水溝があったな、どうよバクス、俺らで教育してやるというのは」

「お、そりゃいいな。喜べ爺、俺達が直々にお前を教育してやる」

「とと、とんでもねえです、皆さまの御手を煩わせるだけでさ」

「うるさいっ、せっかく太陽騎士団の騎士である我らが教育してやろうというのだ、さっさと来いっ!!」


 三人の酔っぱらった騎士に引きずられるグヴェンは周囲を見渡したが、店の中にいる他の客たちは関わり合いになるのを避けるためかうつ向いたまま目を合わせようとはせず、三人も彼の方を碌に見なかったため誰も気づかなかった。



 グヴェンがため息を吐きつつ、腰に差した木の棒に手を伸ばしたことを。










「それで? いったい何をどう教育してくれるというんだ?」

「あ・・・・・・が」




 それから三十分後、歓楽街の路地裏でグヴェンは三人の騎士のリーダー格であるバクスという口の中に木の棒を差し込んでいた。他の二人の騎士のうち、一人は下水路に顔を浸しておりもう一人は土で出来た壁に顔をめり込ませている。




「まったく・・・・・・連携が全然なっていない。三対一でなく一対一が三回あっただけだ。それでよく騎士を名乗れるな」

「お・・・・・・おぐっ」

「何か言いたいのか? ならちゃんと喋ったら・・・・・・ああ、今の状態じゃ話せないな。悪い悪い」

木の棒を持っていないほうの手でぽんぽんとバクスという名の騎士の肩を叩くと、グヴェンは彼の口から木の棒を勢いよく引き抜いた。同時に彼の口から血と欠けた歯が吐き出され、バクスは口を押えて転げまわった。


「で? いったい何を言いたいんだ?」

「お、お前何者だ、太陽騎士団の小隊長であるこの俺にこんなことをして、ただで済むと思ってるのか!?」

「あん? バクス、お前小隊長になったのか。あの時はまだ騎士候補生で、問題ばかり起こしていたお前がねえ。いや、逆にあれから数百年は立ったのにまだ小隊長というほうが、お前の無能ぶりを証明しているか」

「お前、何でそこまで詳しく・・・・・・おい待て、その顔どこかで」


 

 血まみれの顔でグヴェンを睨みつけていた男は、何かを思い出そうと眉をひそめたかと思うと、その数秒後大きく目を見開いた。




「ぐ、ぐ、グヴェン団長っ!?」

「元を付けろ、元を」



 ガタガタと震えだしたバクスを見て彼は・・・・・・アスタリウス教で大司教の地位にあり、かつて親友であった聖樹帝セフィロトの治世の際太陽騎士団団長を務めていたグヴェンは苦笑しながらそう訂正した。



「な、なぜあんたが帝都に!? あんなことがあったから、寄り付かないと思っていたのに」

「ちょいと野暮用だ。それより二、三聞きたいことがある。正直に答えろ。そうすれば・・・・・・まあ今日の事は忘れてやってもいい」

「は、ははははい、な、なんでも聞いてください」

「よし、ではまず一つ目の質問だ。現在帝都に駐留している太陽騎士団、これを取り仕切っているのはしているのは誰だ?」

「はは、はい。げ、現在俺達を取り仕切っている方々は三名おられます。副団長のレインド司教と、赦免官長のヘクトル司祭、後審問長のダニガン司祭の三名です」

「レインドの爺さん、まだ現役だったか。いや、俺が後継者を決めずに出奔したもんだから退役できないだけか・・・・・・それにしてもヘクトルにダニガンだと? 手間ばかりかけさせてくれた奴らが、随分と出世したものだな」

 かつて太陽騎士団団長の地位にあった際、部下で会った二人の男の顔を思い浮かべたグヴェンは嫌悪感で顔を歪ませ深く息を吐いた。貴族出身の二人は実力はそれほどなく、さらに家の金で騎士団に入ったためか非常に傲慢で他者を見下すため何度か指導したのだが、結局自分がすべてに嫌気がさして帝都から去るまでその性格が改善されることはなかった。


「奴らについてはこの後騎士団本部に言って確認するか・・・・・・じゃあ二つ目の質問だ。バクス、“品評会”はまだ続いているのか?」


 少々殺気を込めたその質問を受け、バクスはびくりと肩を震わせると視線を泳がせた。


「・・・・・・そ、その、はい」


 それでも黙ってこちらを見つめるグヴェンの目に誤魔化せないと思ったのだろう、ガタガタと震えなる顔で何とか小さく頷いた。



「そうか。“あの時”完全に潰したと思っていたが、やはりひそかに続いていたか。それで今の主催者は? それと場所といつ行われるかはわかるか?」

「い、いえ、自分は“今”参加しておりませんから」

「そうか・・・・・・まあいい。そちらはおいおい探るとしよう。さてバクス、最後の質問だ」

「は、はい。何でも聞いてください」


 これでやっと解放させる、その考えから幾分ほっとした表情を浮かべたバクスだったが、次の瞬間その表情のまま凍り付いた。



「お前、どのように死にたい?」



 暗い闇の中、金色の瞳がギラリと光った。







 それから一時間後、路地裏から出てきたグヴェンはふと、自分の右手が微かに震えていることに気付いた。


「・・・・・・」



 震える右手を見ていると不意に喉の奥に吐き気がこみあげてくる。ペッと唾を吐いて吐き気を誤魔化すと、グヴェンはフードを被り、無言のまま群衆の中へと消えていった。








 太陽騎士団に勤務し小隊を預かるバクスという騎士が行方不明となり、家族の願いで捜索が行われたのはその三日後の事だった。彼が最後に目撃されたのは帝都にいくつもある歓楽街の一つで、同行していた彼の部下の証言では酒場で無礼を働いた屑拾いの粗末な老人を連行していた途中何者かに襲われ意識を失い、気づいたらバクスも老人もいなくなっていたらしい。その後一か月以上にわたって捜索が行われたが見つからず、素行の悪さから家族の方でも彼を持て余していたようで結局捜索願は取り消され、生死不明のまま除隊という形で一応の決着が付いた。

 


 彼が行方不明になったその少し後、帝都近くの集落の川辺に一つの男の死体が流れ着いた。釣りをするため河にやってきた老人が発見したその死体は全身、特に顔の部分がズタズタに引き裂かれており、検死した集落の医者によると刃物というよりも獰猛な獣に襲われたという事であり、結局身元不明のまま教会に隣接する墓地の片隅に無縁仏として埋められた。




 そのずたずたに引き裂かれて死んだ男がバクスという騎士であったかどうかは、今もわかっていない。









続く

















































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