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四界戦記  作者: 活字狂い
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第一部 黒界 帝都動乱篇  第三話 銀豹との出会い 序幕①

三年前




「まったく、忙いわね」





 七王国を束ねる帝国の首都、帝都パンデモニウムの中心にある黒鳥城内部、帝国政府の中枢がある第四城壁内で、数年前に若くして筆頭執政官になったばかりの才女であるセフィリア・ヴォーダンは、目の前の机に山と積まれた書類を見て重い息を吐いた。これは昨夜から今朝にかけて、自身が所長を務める帝国研究所に勤める開発者や研究員から送られた、蒸気機関と呼ばれる新しい機関とそれを利用した様々な乗り物に関する開発計画書である。



「皆新しいことを思いついて夢中になるのはいいけれど、一気に送ってこないでちょうだい」


 蒸気を利用して飛行する乗り物の開発計画書をなんとなく眺めながらそう呟いた時である。廊下に続く扉が、控えめに二度叩かれた。



「あら・・・・・・はい、何かしら」

「し、失礼しまぁす」



 入室の許可を告げると、恐る恐ると言ったようにまだ少女といってよい年齢の執政官が入ってくる。右腕に見習いを示す腕章を付けた少女は今年帝立大学を卒業して執政官になったばかりの新人で、少々ドジなところがあるが言われたことをしっかりと聞いてメモを取り、同じ間違いをしないことからセフィリアの目に留まり彼女の秘書として働いている、カチュアという名の執政官である。



「あらカチュア、なにか用かしら」

「は、はい。それなんですが、そろそろ研究所の仮眠室に寝かせている方の素性調査の時間です」

「仮眠室・・・・・・素性調査? ああ、そうだったわね。忙しくてすっかり忘れていたわ」



 目の前の書類に開発資金を出すことを許可するサインを記入して決済済みの書類を入れておく箱に入れると、セフィリアは軽く伸びをして立ち上がった。机仕事が得意とはいえ、さすがに数時間座りっぱなしだと節々が痛くなってくる。気分転換にもなるしいいだろうと、先導するカチュアに続いて、彼女は自分が所長を務める帝国総合研究所へと足を進めていった。

 


 二人が黒鳥城に隣接する三階建ての建物、帝国総合研究所に到着したのはそれから一時間ほど後の事だった。すでにクリスタルの光が弱まり夜になって長いというのに、研究所のあちこちには灯が付き、中では多数の研究員や開発者が忙しく歩き回っている。通常の勤務は朝から夕方までと決まっており、夜は極力仕事をせずしっかり睡眠をとるように命じている。夜も仕事をすると集中力が落ち、危険な火薬や薬品の調合を行っているときに手順を間違えると大変なことになってしまうためだ。それでも彼らがいるという事は、突然降ってわいたアイデアに皆興奮して眠れないのだろう。




「お疲れ様。調子はどうかしら」

「あ、所長、お疲れ様です」



 

 二階にある仮眠室と繋がっている休憩室に入ったセフィリアを出迎えたのは、研究所でも古参に位置する女研究員だ。大学で教鞭をとったこともある優秀な女性で、新しい治療薬の開発をする部門のリーダーを務めているほか、温厚な性格のため若い研究員のまとめ役にもなっている。



「なんだか昨日から頭の中にたくさんのアイデアが浮かんだまま消えてくれなくて、興奮して眠れないのででこうして起きています。もっとも・・・・・・若い子たちは別の意味で興奮しているようですけど」


 研究員の言葉に、セフィリアは仮眠室に続く扉の方をちらりと見た。扉の前には数人の年若い女研究員達が集まっており、しきりに中の様子をうかがっている。


「ああ、皆彼を見に来たの」

「ええ・・・・・・あの所長、あの子本当に男の子なんですか?」

「そうよ。というか、彼の着替えを担当したのは貴女だったわよね、なら知っていると思うのだけれど」


 研究所に運びこんだ時、少年の身体は何かで焼け焦げたかのようなボロボロの服を身に着けているだけの状態だった。その状態ではさすがに気の毒であったため、結婚し子供を産んだ経験もある彼女に着替えを頼んだのだ。


「ええ、確かに男の子でした。ですが変なんです、確かに男の子と分かっているのに、こうして遠くから見ているとなんだか女の子のような気になってきて」

「それだけ女顔というだけの事でしょう。とにかく検査をするから、早く私の執務室まで運んで頂戴」

「分かりました。さあ皆、覗くのはもうおしまい。彼を所長の執務室まで運んで頂戴な」


「「「はぁい!!」」」



 手を叩きながら指示を出す彼女の声に元気よく返事をすると、仮眠室を覗いていた三人の若い女研究員はそろって部屋に入り、少年が寝ている移動式のベッドをゴロゴロと音を立てて運んできた。部屋を出るときにこちらとすれ違うが、一礼はするものの、その目にはこちらを尊敬したり親しみを感じたりするようなものは全くなく、逆に怨みや妬みの色がありありと浮かんでいた。自分達とほぼ同年代の彼女が、古参の研究員を差し置いて所長となったのだから無理もない、口の悪いものの中には、彼女の父親である元老院議長、ジャン・ヴォーダンに配慮したと話す者もいたが、そんなことは全くなかった。彼女が若くして所長となったのは、全て彼女の実力が認められた結果である。



 とはいえ、こうも頻繁に悪意を込めた視線を向けられればストレスになるのも確かであり、いくら有象無象の他人のことなど気にも留めない彼女でも、徐々に精神的に追い詰められていた。




「・・・・・・ああもう、イラつくわね」

「ま、待ってください、筆頭執政官っ!!」




 最近ひどくなってきた頭痛を誤魔化すように頭を振りつつ、少年を乗せたベッドを運んでいく少女たちを追いかける。後ろでカチュアが慌てて後を追ってくるが、ストレスを発散するためか、少々速足で歩いた。




 「それで、どう?」



 それから一時間ほど後、執務室に隣接している自分の研究室で、セフィリアは検査の準備をしているカチュアに何気なく尋ねた。検査と言っても難しいことはない。少年の腕から血を少々採取し、それを専用の機械に垂らして検査し、出された数値を見て四界のどこの出身かを調べるだけだ。



「ちょっと待ってください・・・・・・はい、採血が終わりましたので、後は機械にかけるだけです」



 セフィリアの問いに答えながら、カチュアはてきぱきと少年の腕から採血をすると、部屋の隅にある大型の機械までそれを持っていった。今から数百年前、聖樹帝セフィロトの治世に作られたこの機械は、整備こそできるもののどういう原理で動いているのかまったく分からない。噂では武器よりも機械を作ることが得意なドヴェルグが片手間に作った物らしい。片手間にこれほどの物を作るって、どれだけ腕が良かったのかしら。そんなことを考えているセフィリアの目の前では、カチュアが慣れた手つきで採決した少年の血を機会にセットし、横にあるハンドルを手で回していく。ほどなくして機械の下部にある横に伸びている隙間から、中に入れてある羊皮紙が彼女の手の動きに合わせて出てきた。


「はい、これでよ・・・・・・はぁっ!?」

「ちょ、どうしたのカチュア、そんな大声を出して」

「いえ所長、これ」

「これって、単なる測定結果でしょ。何、もしかして“人間”だとでもいうの・・・・・・は?」


 出てきた羊皮紙に目を通した途端、大声で叫んだカチュアに眉を顰めて近付くと、セフィリアは彼女から受け取った羊皮紙に目を通し・・・・・・さすがに大声は出さなかったにしても、ポカンとした顔で羊皮紙を眺めた。




「・・・・・・何これ、羊皮紙が真っ赤じゃない」


 セフィリアの言う通り、羊皮紙は隅の方が微かに緑色に染まっているものの、それを除いた九割以上が真っ赤に染まっていた。これはこの少年が四界の一つである赤界の出身者であることを意味しているが、これほど染まった羊皮紙を見たことはこの機械で検査を始めておよそ数百年一度たりともなかった。今まで見た中で一番染まったのは赤界の王家の遠縁という女性だったが、それでも紙の真ん中が真っ赤に染まっただけだ。王家の血を引く彼女でそれぐらいだというのに、この結果は間違いなくそれよりも濃い、もしかしなくとも王家の直系だろう。




「あ、あの・・・・・・セフィリア様、この方もしかして赤界の王子様なんじゃ」

「そうかもしれないわね。カチュア、このことは他言無用。結果を知りたがっている者には赤界の出身者とだけ答えておきな・・・・・・いえ、こちらの方が手っ取り早いわね」

「へ・・・・・・わぷっ」


 ため息を吐きながら胸元に下げてあるペンダントを取り出すと、セフィリアはそれをカチュアに向けて真ん中の突起を押した。ペンダントから紫色の霧が噴出し彼女の顔にかかると、カチュアはどこかぼんやりと虚ろな目をした。



「いいことカチュア、この少年を検査したところ、赤界の出身だという事が分かった。別の界の事だから素性を調べるのは難しいけれど、これでひとまずは良しとしましょう。それ以外はこれから少しずつ調査をしていく。そのことを、これから部屋を出て休憩室にいる小娘達に伝えて頂戴」

「・・・・・・は・・・・・・い」




 以前盟友であり義姉妹の契りを結んだココノ・スプリングスから譲り受けた、嗅いだものの記憶を僅かに消して暗示をかけることができる紫色の液体を、霧状にして噴射するペンダント型のスプレーを胸元にしまうと、セフィリアはぼんやりとした顔で部屋を出ていくカチュアを見送った。部屋の外で我に返った彼女が何やら叫ぶ声が聞こえるがそれをあえて無視すると、先ほどの羊皮紙に再び目を落とす。




「赤界の王子様、か・・・・・・“ありえないわ”。赤界の王家の直系は女性しか生まれない。しかもそれは自然的ではなく、意図的にそうしていると以前父から聞いたことがある。なぜなら終焉を告げる預言書には、“赤の王子がその原因の一つになる”と書かれているから」



 そこでいったん言葉を切ると、セフィリアはその羊皮紙を赤々と燃えている暖炉の中に放り投げた。羊皮紙は日の中で瞬く間に灰になっていく。これでこの少年の正体を知っているのは己一人という事だ。




「これで良し、と。けどもし本当に王子だとして、いったい誰の子なのかしら。今の赤界の王にはご息女が二人居られたはずだけれど妹姫様の方はお嬢様が一人おられるだけ。まさか行方不明になられた姉姫のスルト様? けれどあの方が、婚約者とお認めになられたリンドヴルム様以外と子を作られるとは思えないし、第一リンド様は先の嘆きの大戦で戦死なされている・・・・・・そういえば、羊皮紙の片隅に緑界の者である事を示す、僅かな緑色が」



 ぶつぶつと呟きながら、暖炉の中でほとんど灰になった羊皮紙を眺めていた時、背後から感じる気配に振り向いたセフィリアの口を、小さな、だが確実に男のそれとわかる手が塞いだ。声にならない叫び声を出したセフィリアが手の先を見ると、いつ目を覚ましたのだろう、自分より背の低い、細く華奢な少年がうつむきながら右手でこちらの口を塞いでいるのが見える。その手を何度とか振りほどこうと手首を掴んだ瞬間、床に押し倒された彼女の口を、少年の口が塞いだ。






 その夜何があったのか、セフィリアは決して語ることはない。分かっているのは心に余裕が持てるようになったのか彼女の表情が柔らかなものとなり、それから三日後、大河近くの下町の病院で記憶を失った一人の少年が目覚め、そして半年後には貴族街で皇帝と帝国に仇を成すことを企てていた貴族が、夜の鷹と書いてヨタカと呼ばれる暗殺者に次々と葬られるようになったという事だけであった。









 三年後 





「あれ、グレイ?」

「ん? おお、アベルじゃねえか」





 帝都パンデモニウムの下町と城壁外の集落の治安維持を目的として新設された黒羊騎士団、その第二大隊第三中隊で第二小隊長を務める龍人族の青年であるグレイが、同僚である団長ミネルヴァ直轄の分隊、特別分隊の分隊長を務めるアベルと出会ったのは三万年祭を半月後に控えた日の夕方、帝都正門である凱旋門の近くに建っている黒羊騎士団本部前でのことだった。



「お前が一人でこっちに来るのは珍しいな。団長に用事があったのか?」

「うん、月末まではまだ大分あるけれど、治安維持についての報告書を提出しに来たんだ。来月一日は三万年祭だし、少し早めに出しておこうと思って」

「ふぅん、そうか」



 アベルの話に頷くと、グレイは久しぶりに会う同僚の顔をまじまじと眺めた。自分より頭一個半分ほど背が低い青年は、龍人族の自分から見るとあまりに細すぎて柔らかすぎる。戦闘能力も皆無で、貴族出身の多い第一大隊の騎士からは、“体で騎士の身分を買った男娼”やら才能零の零騎士”と蔑まれる有様だった。



 それでもグレイはこの友人と言ってもよい同僚を気に入っていた。それはアベルがどれだけ叩きのめされても決して逃げない、要するに根性があるからである。これはグレイだけでなく龍族という種族全体に言えることで、元々身体能力が圧倒的に優れている彼らはそれを誇示する者をあまり好まない。彼らが好むのは中身、例えばどれだけ倒してもなお立ち上がってくる根性のある者であり、アベルという青年はまさに好みのど真ん中であった。



「ったく、どうしてお前は女に生まれてこなかったんだろうなぁ。女だったら間違いなく口説くのに」

「・・・・・・ん? 何か言ったかい、グレイ」

「いいや、何も言ってねえよ。それより久しぶりにこうしてあったんだ、これから一杯やらねえか?」

「ええと、それは嬉しいお誘いだけれど残念なことに、僕今持ち合わせがないんだ、ごめんね」

「ああ、そういやお前家に金送ってるんだったな。安心しろよ、今ちょうど懐が温まってるんだ。第一大隊の計算も確率も知らねぇ馬鹿なお坊ちゃん相手にポーカーで大勝ちしたからな。それに行くところはツケが効くところだからよ、ほら、お前も何度か行ったから知ってるだろ、あの場末の酒場」

「場末・・・・・・ああ、最外城壁の外れににあるあのこじんまりとしたところだね。うん、じゃあお相伴にあやかろうかな。それよりグレイ、また賭け事をしたのかい? この前パーシヴァル副団長にこっぴどくとっちめられたばかりじゃないか」

「う・・・・・・そのことには触れないでくれ、とっちめられた時にやられた首の鱗がまだ痛むんだ。それと、今回の賭け事の事も秘密な、その代わりおごるからよ」

「はいはい、それではお相伴になりますか」




 慌てた様子のグレイを見てくすくすと笑うと、アベルは彼と共に人ごみのなかへと歩き出した。







「でよ、その姉ちゃんがまた色っぽいんだわ」

「ふぅん・・・・・・ひっくっ」



 それから二時間後、黒鳥城の頂にあるクリスタルの光が弱まり夜空に笑う紫の三日月が昇るころ、アベルとグレイの二人は蒸気馬車に乗り、最外城壁の片隅にあるうらびれた酒場に来ていた。大きな灯りと言えば厨房の竈の火と入り口付近の壁に古いランプが吊り下げられているだけ、後は各テーブルに蝋燭が一本ずつあるだけでだいぶ薄暗い。テーブルの上にはこぼれた酒や油がどれだけ拭いてももう落ちないほどこびり付いており、それが蝋燭の灯に照らされててかてかと光っている。さらに何か据えたような臭いが漂っているなど、グレイの言う通りまさに場末の酒場といっていい雰囲気だが、意外なことに結構繁盛していた。あまり良い酒は置いていないが、店主が西方平原の海都オルディーネで数十年料理人として働いていたらしく、当時のつてを頼って海産物を安く仕入れることができるため、なかなかの料理を安値、場合によってはツケも大丈夫なこと、娼婦も兼ねた酌取り女を数人雇っていること、相手がどんな職業の者でも構わず入店させるためである。そのためそう広くない店の中には大勢の客がいたが、その大部分は洗濯女に売れない吟遊詩人、偽乞食に煙突掃除人、どぶ攫いにくみ取り人と言った低所得者たちである。そんな中で騎士であるアベルとグレイは若干浮いた存在だったが、店内は薄暗く二人とも店の隅の方に居り、さらに騎士の格好はしていないためそれほど注目されることはなかった。アベルの方は頭をすっぽりと覆うフードを被っているが、これは以前素顔で来た時、ちょっとした騒ぎになったためである。悪酔いした客の一人が、彼を娼婦か何かと勘違いしていきなり尻を触ってきたのだ。その時は一緒に来ていたグレイが男を殴り倒したため難を逃れたが、それからは目立たないように部屋の隅で、顔にフードを被って酒を飲むようにしている。その時の事を思い出しながら、アベルはあまり減っていない酒に口を付け、軽く顔を顰めた。この店は店主の料理の腕はなかなかだが、それに対し酒の味は不味いの一言だ。そのため自分は一杯の酒を飲むのに三十分ほどかかるのに対し、グレイはすでに九杯目の酒を口に流し込んでいる。酒に強い龍族の血を引く彼にとって酒は水のような物だろう。酔いが回って気をよくしたのか、横を通り過ぎた女の給仕の尻をサッと撫ぜるが、そんなことは日常茶飯事なのだろう。女は何でもないという風に鼻で笑い、グレイの手をつねって通り過ぎた。



「でだアベル。どうなんだお前さんのほうは、誰か気になってる女はいないのか・・・・・・っと、お前さんは女をひっかけるというよりは女にひっかかる方か」

「僕って引っかかる方なのかい? これでも恋人はいるんだけど」

「ああ聞いてるよ、三百人だって? なかなかやるじゃねえか」


 アベルの言葉にからからと笑いながら、グレイは口を大きくあけて酒を流し込んでいく。確かこれで十杯目だ。後で悪酔いしなければいいけど、そう思いながらアベルは木製のカップの中に残った酒を減らすため、必死に口に流し込んでいった。






「うぅ、気持ち悪い」

「しょうがないよ、質の悪い麦酒をあんなに飲むんだもの。僕も一杯空にするだけで精いっぱいだったし」





 それから一時間後、会計を済ませて店を出て、ちょうど通りかかった正門行きの蒸気馬車に乗ることができた二人は黒羊騎士団本部近くの公園の中央にあるベンチで休んでいた。結局一杯しか飲めなかったアベルの方はまだ意識がはっきりしており立っていられるが、いくら龍人族と言っても質の悪い酒を十杯以上も飲んだのはさすがに堪えたのだろう、グレイの方は立ち上がることすらできず、酔いが回って顔を青を通り越して真っ白にしながら、ベンチにぐったりと寄りかかっていた。


「本当に大丈夫? 何か今日はいつも以上に深酒していたけど、嫌なことでもあったのかい?」

「いや、第一大隊の連中とちょっとな、奴等今朝の会議で三万年祭の時の警備を全部こっちに押し付けてきやがった」

「警備の押し付け? そんなことできるとは思えないけど。団長がちゃんと配置計画を作っているし、お祭りの時も監督するんじゃないかな」

「そりゃそうだろうが、団長は伯爵様だ。三万年祭の際は城で行われる式典に参加したり、結構不在の時が多いんだよ。それに第一大隊の奴らはほとんどが貴族やその配下連中だろ、面倒くさい警備なんかやりたくねえのさ・・・・・・なぁ、アベル」

「何だい、グレイ」


 ベンチに寝そべるグレイの額に、すぐ傍の噴水に浸して濡らしたハンカチを乗せてやりながら、アベルはこてんと首をかしげた。


「三万年祭が終わったら、俺をお前の分隊に入れてくれないか? 第一大隊の連中と顔を合わせることが多い帝都勤務より、お前の分隊にいた方が気が楽だ」

「人では全然足りないからありがたいけれど・・・・・・本当にいいのかい? お給料、少なくなっちゃうけど」

「ま、それはそれで構わねえよ。んじゃ祭りが終わったら、よろしく・・・・・・な」


 さっすがに限界が来たのだろう、徐々に呂律がが回らなくなり、一度大きなあくびをするとグレイはそのままベンチに横たわった。ほどなく大きないびきをかき始めたのを見て苦笑したアベルだったが、労わるようにその額を軽くなぜた。残暑が厳しいこの時期、夜外で眠っていても風邪をひくことはない。だがさすがにこうも熟睡していては物取りか何かに狙われるだろう。それはさすがに目ざめが悪い、せめて起きるまでは傍にいてやろうと、グレイが寝そべっているベンチの僅かな隙間に腰を下ろし、ふと夜空を見上げた時だった。




 クスクス




「っ!?」



 彼の耳に、微かに、ほんの微かに、だがはっきりと、無邪気に笑う少女の声が聞こえた。

 


「誰の声? いったいどこからっ!?」


 自分のすぐ傍から、あるいははるか遠くから聞こえるその笑い声の主を探そうと、立ち上がったアベルが闇に覆われた周囲を見渡した時、暗くて何も見えないはずなのに、彼の視界の隅で闇の中誰かがわき道に入っていくのが見えた。確か道の先は行き止まりになっており、入る人はほとんどいない。にもかかわらず暗闇の中青年が見た人影は、何かから逃げるかのように慌てながらその道に入っていった。何もなければいい、けれどもし本当に何かに追われているならば助けなければならない。そう思ったアベルは、ごくりと唾を飲みつつ、普段慎重な彼にしては珍しく一人で、暗い道へと走っていった。









「こちらが、三万年祭における、軍の展開計画書になります」

「そうか、ごくろう」



 三万年祭を半月後に控えた日の夜、黒羊騎士団に所属するとある騎士が暗い夜の道に消えていったのとほぼ同じ時間、帝都から数千マイル離れたガストレイル要塞の総司令室では、オーダイン中将が目の前にいる男と話していた。


 帝国軍中将であり、ガストレイル要塞本部防衛隊司令官を務めるこの男が敬語を使う相手は、この要塞の中には一人しかいない。彼の前にある書類が置かれた執務室に両肘をついている肩幅の広いこの男こそ、東部方面軍総司令官にして東の要所たるガストレイル要塞の最高責任者、仮想敵国であるミッドガルドから最も警戒され、国内外から謀将と評される広大な帝国において四人しかいない元帥の称号を持つ、東方元帥マクバードその人であった。



東方元帥マクバードは当年千二百歳、そろそろ初老に差し掛かろうという年齢だが短く刈り揃えた金髪と同色の豊かな髭を蓄えた、歴戦の軍人らしい体格をした偉丈夫である。下級貴族の中でも最も最下位に位置する領地を全く持たない準騎爵家の三男として生まれた彼は、最初武勇で出世することを夢見て騎士となったが、当時まだ奴隷だった獣人に対する騎士の、虐待と呼ぶにはあまりにひどい扱いに怒り僅か三か月で騎士をやめ、その後比較的獣人への迫害が少ない軍に二等兵として入隊、順調に昇進を重ね、数年後には上官の推薦を受け士官学校に入学、そこで獣人達の身体能力が優れていることに気付き、彼らだけの偵察部隊を結成、模擬戦で完勝したことで当時士官学校校長だったレオンハルト・フォン・ナイトロードの目に留まり、彼と師弟関係を結び翌年には西方平原南部に侵攻してきたヨトゥンヘイムの巨人との戦いで偵察や奇襲、後方かく乱などの任務を行い勝利に大きく貢献した。それにより佐官に戦時任官となり、戦争終結後は最年少の将校として東部方面軍に異動、当時はまだ石造りだったガストレイル要塞に防衛隊の指揮官として配備された。それからおよそ八百年、“継承戦争”や“嘆きの大戦”の敗戦による混乱を乗り越え、ミッドガルドから津波のように押し寄せる獣人族を防いできた。百年ほど前に元帥に昇進し、数年前にガストレイル要塞が石造りから鋼鉄製に変わってからは獣人族を全く寄せ付けなくなり、彼の国から最大の敵と称されるまでになっていた。



「大河を挟んだ下町と呼ばれる帝都の大部分と正門である凱旋門を含めた十二の門の警護は、各方面軍から五十万ずつ割り当てられた二百万の帝国軍中央平原軍団と下級の騎士団、そして筆頭執政官殿が提案された、中央平原に住む六千万の住民たちを警備要員として雇い入れることで解決した。貴族街と黒鳥城の方は四大騎士団と近衛軍団が守る。では三万年祭時における方面軍の役割は何だね?」

「有事に備えることです」

「ではその有事とは?」

「は、我らに関しては第一に東の強国ミッドガルド、第二に革命団という名のテロリスト集団、そして第三に三万年祭の混乱の隙をついて国内に入ってくる傭兵団になります」

「ふむ・・・・・・それで、それらに対してどのように備えるべきか?」

「は、すでに東方平原を巡回する飛行船の数を倍に増やし、東方平原から帝都に伸びる全ての街道に軍の検問所を設けています。さらに予備兵力である第五軍団から三個師団、およそ三万の兵を帝都近郊に配置し三十分おきに定時連絡を入れる手はずになっております。これらの備えがあれば、いかにミッドガルドや、彼の国の域がかかった革命団や傭兵団と言えど手出しはできないでしょう」


 自信ありげに答える、部下でありかつての教え子を静かに眺めながら、マクバードはそうか、とだけ呟いた。


「それだけか?」

「はっ!! 何か不安な点がありましたでしょうか」

「・・・・・・まあいい、ご苦労だった。他に報告することがなければ下がるが良い」

「いえ、後一件だけ・・・・・・ミッドガルド方面防衛隊指揮官、シルク・バーモンド少将についてですが」

「ふむ、彼女について何かあるのか? よくやってくれていると思うが」



 つい先日、壁に砲撃をしたミッドガルドの飛行船を撃墜し、指揮官を生きたまま捕らえたことを報告しに来た小柄な少女の獰猛かつ凄惨、それでいて可憐な笑みを浮かべた顔を思い出し、マクバードは僅かに苦笑した。


「いえ、これは部下から聞いた話なのですが、どうも最近要塞内部で彼女を更迭せよという声が出ている話です」

「バーモンド少将の更迭だと? なぜだ」

「秘匿兵器であり、要塞の切り札である“大銛砲”を本部の許可なしに無断で使用したからでしょう。いくら他に対抗する術がないとはいえ、大銛砲を出ししかもミッドガルドの飛行船を破壊したのは大きな失態です。これにより、現在彼女に何らかの罰則を与える声が出ています」

「・・・・・・分かった、考えておく。ご苦労だった」

「いえ、失礼いたしますっ!!」


 敬礼し退出するオーダインを見送ると、マクバードは一度大きくため息を吐いて眉間に出来た皴をほぐした。




「若手のホープと呼ばれる彼も、随分と視野が狭いようですな」

「仕方あるまい、まだ若いのだ。経験も知識も何もかもが足りていない」




 不意に背後から苦笑する男の声がした。別段驚くことなく応えながら振り返ると、いつの間にか窓際のところに一人の男が立っている。中肉中背で平凡な顔つきの、すれ違っても直後に忘れそうな男で、右肩にある帝国軍中将の階級章だけが異様に目立っていた。


「若さは言い訳にはできますまい。閣下が“ビースト”を結成したのは、今の中将閣下より一回りも若いころだったではないですか」

「そうだったかな・・・・・・それで、どうだったラビルス中将」

「は、まず防壁襲撃についてですが、ミッドガルド議会の親帝国派と渡りをつけることに成功いたしました。今回の襲撃ではあちらに非があることは明白のため、何らかの形・・・・・・恐らく金銭という形で補償されるでしょう。またつい先日テロリストと認定された革命団についてですが、やはり南方平原の貴族の幾人かが革命団とそれを支援しているミッドガルドと繋がっていることを確認いたしました。事実確認のために多少手荒な真似も致しましたが、まず問題はございますまい」

「手荒な行為、か。そのようなことのために、“情報局”に戦闘に特化した部隊を置くことを許可したわけではないんだがね」



 その言葉に目の前の男、東部方面軍第二十三旅団団長であり、帝国の諜報部門を一手に引き受ける、かつてマクバードが士官学校時代に創設した獣人のみの偵察部隊“ビースト”を前身とする帝国情報局の局長を務めるラビルス中将は、軽く肩をすくめて見せた。



「ですが情報を入手、あるいはこちらの情報を守るには時には非合法な手段も必要であり、そのためにはどうしても戦闘部隊が必要なのは閣下もご存じでしょう。数年前、帝都にあるエルフヘイムの大使館で発生した人質事件を秘密裏に、一人の犠牲者も出さず解決したのがその戦闘部隊である“強襲偵察猟兵部隊”であることをお忘れなく」

「忘れてなど居らんよ。特に隊長であるリクト大佐の活躍ぶりはな・・・・・・確か、君の甥であったか」

「は、不肖の妹の子です」


貧民街で死にかけの妹から託され、その後今まで自分の子供として育ててきた“息子”が評価されたのがよほどうれしいのだろう。笑みを浮かべながら頭を掻くラビルスのその頭から、いつもは隠れている兎人族特有の長い耳がぴょこんと飛び出した。


「まったく、嬉しそうな顔をしおって・・・・・・話を戻すが、革命団を援助していた南方平原の貴族連中、動きは見張っているのだろうな」

「そこはぬかりありません。貴族以外にも有力商人、資産家についても報告書にまとめて記載しております」

「それはごくろうだった。しかし革命団も馬鹿な真似をしたものだ、まさか精霊議会に席を置いている樫の木の精霊であるオークの集落を襲撃し、住民を虐殺するとは」

「ええ、そのせいで精霊議会の議長を務めておられるエルフェリア女王陛下の怒りを買い、七王国全土にテロリストとして認識されましたからね。しかもあろうことか奴らは皇帝陛下を廃し、民主主義とやらを世界に広めようとしております。まったく馬鹿なことです、陛下が玉座に居られなければ我らの太陽、即ちクリスタルが輝くことなどないというのに。革命団を援助している奴らも、“偽帝”の時にそれは思い知ったはずなのですが」

「過ぎ去った脅威より、目の前の利益に飛びつくのが人の業という物だ。しかもそれが欲深な貴族ともなればなおさらにな」

「そういうものですか・・・・・・そうそう、話しは変わりますが先ほどのオーダインの陳情、どう処理なされるおつもりです?」

「陳情というと、バーモンド少将の更迭の話か。くだらん、秘匿兵器と言っても使うときに使わなければ、後後には単なる兵器に成り下がってしまう。そもそも大銛砲など秘匿でもなんでも・・・・・・おっと、これは言い過ぎだったな」

「ふむ、それでは拒否なされると?」


 どこか面白そうなラビルスの問いに苦笑しながらしばらく考え込んでいたマクバードは、明暗が浮かんだのかゆっくりと顔を上げた。


「・・・・・・いや、バーモンド少将にはしばらく防壁の警護から外れてもらう。むろん、彼女の部隊共々だ」

「それは更迭されるという事ですか?」

「そうではない。彼女と彼女の部隊には帝都で行われる三万年祭に私の護衛として同行してもらう。最近働きづめだからな、よい休暇になるだろう。その後は士官学校で行われる特別集中訓練に教官として行ってもらうとしようか」

「ああ、“特訓”ですか、そろそろその時期でしたね。教官として何人か派遣してくれと要請がありましたし、よろしいのではないでしょうか」


 特別集中訓練、通称特訓とは帝都士官学校で秋に一ヶ月という短期間行われる訓練である。この訓練を乗り越えると、たとえ浮浪者であっても士官への道が開けるが、その内容は非常に苛烈であり合格者は一割にも満たないのが現状だった。何せ課外実習として本物の戦場に連れて行かされ、そのまま戦闘に参加することすらあるためである。




「少将の件については了承しました。しかしそうなりますと、ミッドガルド側の防御に穴が開いてしまうのですが」

「その件については心配するな。少将の部隊の代わりに、第一旅団を当てる」

「東部方面軍、その精鋭中の精鋭を出すのですかっ!?」



 マクバードの言葉に、ラビルスは驚きの声を上げた。東部方面軍は総数二百五十万の将兵を五個軍団に分けて編成している。ガストレイル要塞を守護するのはマクバード元帥直属の第一軍団であり、その中の第一旅団は最新鋭の戦車や装甲車、そして飛行船で編成された彼自身が直接指揮する最精鋭部隊であった。



「精鋭中の精鋭と言っても動かなければ腕は鈍る。私は三万年祭に出席するため臨時の指揮官が必要だが・・・・・・ケイネス中将に任せるとしよう。彼ならば軽挙な行動はとらぬだろう。オーダインを唆したのがどこの誰かは知らないが、要塞の防御力を削ごうとしている愚か者どもめ、その浅はかな考えを後悔させてやる」

「そうですね・・・・・・そうそう、最後に一つお耳に入れたいことが、報告書にも書けない内容でして」

「・・・・・・どうやらかなりの物らしいな。聞こう、話してくれ」

「は、ミッドガルドに侵入させていた部下からの報告です。山脈が動いたと」





「山脈が動いたか」




 それから三十分ほど後、ラビルス中将が退出しすっかりぬるくなった茶を飲みながら、マクバードはぽつりとそう呟いた。



「ミッドガルドめ、随分と大規模かつ大胆に動いているな。もはやこちらの目を気にする素振りすら見せなくなったか・・・・・・アモン王子は反対しているようだが、ガロン王があの様子では戦争も近いだろう」


 茶をすすりつつ、彼は昔一度だけあったことのあるまだ若いが聡明そうな青年の顔を思い浮かべた。彼が王になれば、あるいはミッドガルドとの和睦も可能かと思われたが、残念なことに彼は王太子の地位を剥奪された。



「まあいい、今対処すべきはミッドガルドより革命団だ。支部の大半は潰され、本部の場所も判明している。本来なら今の段階で本部を襲撃し壊滅させるところだが、貴族共の中に味方するものがいる以上、完全に壊滅させることはできまい。それに今潰してしまったら何の得にもならん。せいぜい軍の発言力を高めるために利用させてもらうとしよう・・・・・・っと、いかんな。また悪い癖が出てしまった」


 

 結果のためならいかなる策も辞さないことから謀将と称される男は、自分の言葉に自嘲気味な笑みを浮かべると、軍服の胸の部分をぎゅっと抑えた。



「これでは、また君に怒られてしまうな。それとも軽蔑されるか・・・・・・まあいい、とっくの昔に覚悟はできている。それにしても革命団、か」


 ラビルス中将からの報告書に書かれている、革命団幹部の名前と詳細を目で追っていたマクバードは、窓を叩く雨音にふと顔を上げた。


「この者達は革命団として活動する前の情報が一切不明、いや、ないといったほうが正しいか。それが前触れもなく突然現れ、革命団という組織を作りオークを虐殺、民主主義とやらを声高々に主張する・・・・・・奴等にとって帝国は、いや、この世界は自分の好きにできる遊戯盤のような存在なのだろう。なあ、別の世界からの客人よ」




 革命団の正体を的確に見抜いた彼の瞳には、いつの間にか強い怒りが浮かんでいた。



「だがこの世界は貴様らの遊戯盤ではないし、我々も好きなように動かせるコマではなく、一人一人が意志と感情を持ち、家族と共に生活している。それを脅かすものは、何人たりとも許しはしない」



 東方元帥マクバードの呟きは誰にも聞かれることなく、外ではただ雨だけが降り注いでいた。










 落ちていく



 どす黒い泥の中を、もがきながらどこまでも落ちていく




 もがけばもがくほど泥は己に纏わりつき、口や鼻、耳の穴から中に入ってくる





 その泥の名を、絶望という






 何も救えぬことへの絶望




 何も為し遂げられぬことへの絶望





 それらが自分のなかに隙間なく入り込もうとしている





 もしかすると、抗う事を止めれば








 これは  









 蜜より甘い媚薬に変わるのだろうか














「・・・・・・か、閣下っ!!」

「・・・・・・・・・・・・う?」




 誰かが自分を呼ぶ声に、ミッドガルド第一王子(王太子ではない)アモン・ヴィ・ミッドチルダは苦しげに呻いて両目を開けた。目の前には執務机があり、その上には書きかけの書類が何枚か散らばっている。ぼんやりとする頭を振りつつ辺りを見渡すと、広いが調度品の少ない武骨な部屋が目に映った。確かここは、王都ミッドチルダ近郊にあるミッドガルド王国軍最高司令部がある軍王府、その最上階にある自分の部屋だ。どうやら連日の激務で、書類仕事の最中に意識を飛ばしてしまったらしい。


「すまない、少しの間眠っていたようだ」

「致し方ありません、最近は寝る間もないほどの激務でしたからね」



 僅かに染まった頬を誤魔化すように額にかかった髪をかき上げて謝罪するアモンを見て、彼の最も信頼する部下にして同志の一人でもある軍服を着たそろそろ中年に差し掛かろうとする男、すなわち王国軍筆頭元帥にして空軍総司令官を務めるキュロスは僅かに笑みを浮かべて首を振った。二百セイルを超す身長、それに違わぬがっしりとした肩幅の分厚い肉体、三白眼に閉じていても口の端から見える、ミッドガルドに広く生息している獣人族、犬人族の血を引いている証である鋭い犬歯を持つ偉丈夫で、一見すると子供だけでなく大人も泣きそうになるほど獰猛な顔つきだが、温厚で誠実、能力も実績も性格も軍のトップとして何ら申し分ない男である。まあ、彼が隠したがっている趣味がお菓子作りと裁縫、園芸であるのはすでに公然の秘密となっているが。




「もう少し休まれたほうが良いかと思いますが」

「いや、良い。夢見が悪かっただけだしな」

「いつもの夢ですか・・・・・・閣下、僭越ながら申し上げます。それほど頻繁に見る夢ならば“夢見師”にご相談されてはいかがでしょうか」

「夢見師に、か?」

「ええ、幸いなことに私の知人に一人信頼のおける夢見師がおります。腕は確かですので、必ずやお役に立てるかと」

「・・・・・・」


 キュロスの言葉に珍しく即答を避けると、アモンは腕を組んでしばし考え込んだ。目の前の男の言う夢見師とは、ミッドガルドで古くから知られている職業で、依頼主の見ている夢を覗き、夢が暗示していることを推測して依頼主に適切な助言を与えるという、一種の医師やカウンセラーのような存在だった。多くは辺境の荒野や日も差さぬ暗い森の中に住んでいるが、都市の中に家を建てて住んでいる者もいるため、アモンもキュロスに言われる前に一度見てもらおうと考えたことがあったが、辺境にいる者はともかく、彼にとって都市に住んでいる夢見師のほとんどは偽者、あるいは金を巻き上げることだけを考える愚者にしか思えなかった。




「都市にいる奴らのほとんどは信用できないが・・・・・・分かった、お前が勧める夢見師なら大丈夫だろう。今は多忙故行けないが、いずれ手の空いているときを見て赴くとしよう」

「かしこまりました。それではその時になったらお知らせください、何しろ彼女は神出鬼没で、ちょっと探さなければなりませんので」

「・・・・・・彼女? その夢見師は女なのか?」

「はい。何か不都合でもございましたでしょうか」

「・・・・・・いや、何でもない。少し知り合いを思い出しただけだ」



 顔に心配そうな表情を浮かべるキュロスを手を振って安心させると、話を断ち切るためと、眠気を覚ますためにアモンは机の上にある、もうすっかり冷めたしまったコーヒーを一口すすった。







 それから三十分ほど後の事である。アモンがキュロスと軍の編成について話をしていた時、廊下に続く扉が、大きな音を立てて開いた。


「おっすアッちゃん、生きてっか?」

「その言い方は失礼ですよ、姉上・・・・・・閣下、お待たせいたしました」


 開いた扉から入ってきたのは二人の女だった。先に入ってきたのはまだ少女と思われるほどの年恰好で、彼女の後から入ってきたのはアモンと同じぐらいの身長を持つ大柄な娘である。



「構わんポルネ。久しいな、ペルセ」

「おうよ、今まで東部にいたからな・・・・・・ほら、アッちゃんもこう言ってんだろ、気にしすぎなんだよ、ポルネは」

「いや、ペルセ殿は少し慎まられたほうがいいかと思います。閣下と同じ“八王”のお一人なのですから」

「けっ、なあにが八王だよ。こちとらたまたま絡んできた相手をぶちのめしたら、そいつが“傭兵王”だっただけだっつうのっ!!」



 キュロスの軽くたしなめる声に少女は、アモンと同じくミッドガルド最高幹部である八王の一人である“傭兵王”ぺルセは小さな可愛らしい口を尖らせてそっぽを向いた。



「申し訳ありませんキュロス様、最近ハディス様にお会いできなくて、姉上は気が立っておられるのです」

「おい、ばらすなよポルネッ!!」

「少し声の大きさを落とせペルセ。幸いこの部屋の付近はポルネのおかげで無人となっているが、誰がどこに潜んでいるかわからないのだからな」


 叫ぶぺルセを窘め、アモンは彼女の妹であるポルネ、ミッドガルド軍軍警察局長にして自身の親衛隊隊長、そして憲兵旅団団長を務める才女をちらりと眺めた。





「まあいい・・・・・・さて、これで全員揃ったな」

「はぁ? 何言ってんだアッちゃん、まだ爺さんが来ていねえじゃねえか。その年でもう呆けたの「ほっほっほ、儂なら先ほどからここに居りますぞ」げっ」


 亜門の言葉を聞いたぺルセが茶々を入れた時である。彼女の声にかぶせるように、どこからか老人の笑い声が聞こえてきた。少女が顔を引きつらせながら周囲を見渡すと部屋の隅にあるソファに、いつの間にか黒いフードをすっぽりと被り、床まで届く長い白髭を持つ老人が座っているのが見えた。髭の隙間からは、長いパイプがまるで枝のように突き出ている。


「いたのかよ爺ちゃん、相変わらず気配が薄いなあ」

「キュロスと共に部屋に入ってきておったのじゃ。鷲の気配に気づかんとは、まだまだ修行が足りんのぅ」

「アルタイル老、あまりぺルセを冷やかさないでいただきたい。貴方が来られたのはつい先ほどでしょう」

「おや、気づかれましたか。流石は閣下、一本取られましたな」


 老人の名はアルタイル、ミッドガルド王国軍の総参謀長であり、アモンの相談役でもある。この老人の名を知らない軍関係者は、ミッドガルドどころか帝国にもいないだろう。数千歳とも一万歳を軽く超えているともいわれるこの老人は、若いころから数多くの戦争に参加し、そのほとんどで勝利を収めてきた伝説の軍師として軍学校の教科書に載っている。ここ千年ほどは帝国に元老院議員として籍を置き、嘆きの大戦ではセフィロトに参謀として従っていたが、彼と仲たがいして帰国したのが嘆きの大戦の敗北の、大きな要因の一つとすらいわれているほどだ。



「さて、全員そろったところで本日の会議を始めよう。まず一つ目だが、近く帝都で行われる三万年祭に参加するため向かう使節団の代表として、我が弟が選ばれた」


「おいおい、そりゃまじかよ。あのクソ爺、どれだけハディスをこき使えば気がすむんだっ!!」

「姉上、お静かに願います」


 アモンの言葉に最初に反応したペルセが怒気を隠さずに叫ぶ傍らで、彼女の妹であるポルネが姉を窘める。だが彼女自身も目に静かな怒りをたたえていた。ハディス・ヴィ・ミッドチルダ。アモンの母親の違う年の離れた弟であり、現在は父であるガロンの命令でミッドガルドの南部に広がる砂漠地帯にある城塞都市の太守を務めている。武骨な自分とは違い、心優しくふわふわとたんぽぽの綿毛のように愛らしい弟を、彼は何より大事にしていた。


「噂ではハディス王子が南部の砂漠地帯に派遣されたのは、ガロン陛下のご不興を買ったのが原因とか」

「貴族の足に土を付けた獣人をかばったのが原因らしい。あの子は私と違って獣人達すら愛しむからな。それが陛下を怒らせたのだろう」

「・・・・・・南部は獣人達の反乱が多数発生しておる。そのようなところの太守とするなど死を願っての事とは思うておったが、まさか仮想敵国であるし帝国に派遣されるとは・・・・・・どうやら間違いないようじゃの」

「ああ、陛下はハディスの死を望んでおられる。私の耳にもつい先日精霊議会に席を置くオークの集落を襲撃し、住民を皆殺しにした革命団の奴らが三万年祭時に帝都を襲撃するという話は届いている」

「その襲撃の最中に死亡、あるいは負傷でもしたら帝国に対して戦争を仕掛けるための格好の口実になりますからな」

「それでは陛下は、ハディス様を死なせるために帝国へ派遣するとおっしゃるのですかっ!!」


 アモンにキュロス、アルタイルの言葉を耳にしたポルネが、冷静な彼女にしては珍しく荒い声を上げた。



「そういうことになるじゃろうな・・・・・・閣下、何か良き策でも?」

「策を考えるのはこちらではなく帝国側だろう。例えば東方元帥殿ならば、何か突拍子もないことを思いついてくれるのではないか? 最もこちらも相応の手を打っておくがな・・・・・・ぺルセ、ポルネ」

「俺らにハディの護衛しろってのかよ」


 アモンの視線を受けたペルセが彼の真意を読み取ってそう呟いた。そっぽを向いた彼女の頬が、僅かに桜色に染まっている。



「そういうことだ・・・・・・お前たち二人がハディスを男として好いているのは知っている。いい機会だ、弟と少し距離を縮めてみないか? 最後は当人の意思を尊重するが、お前達なら妹と呼んでもいいだろう」

「ありがとうございます・・・・・・ですがよろしいのですか? 万が一の場合、閣下をお守りする者がいなくなりますが」

「私の心配をしてくれているのか、ポルネ。嬉しいが的外れな心配だな」


 新鋭隊長として自分の身を守る責任者であるポルネの心配そうな声に、かつて今ほどガロンが正気を失っていなかった時代、帝国に留学し普通卒業まで四年は必要な帝立大学を二年で卒業し、七王国において武門の総本山であるナイトロード武術のすべてにおいて師範代級の腕前を身に着けたアモンは腰に差した長剣、飾りも何もなく、切れ味も鈍いが刃こぼれ一つしたことのない愛剣の柄に手を置き、僅かに意地の悪い笑みを浮かべた。




「たとえどれだけお強くとも、大勢に襲われたら確実に負けます。どうか護衛を付けてください」

「そうだな・・・・・・二人がいない間は、常にキュロスを傍に置くようにする。さて、この議題についてはもういいだろう。次に革命団についてだが」



 途中何度か休憩を挟み会議は進んでいく。その内容もエルフェリア女王がテロリストとした革命団への対処やガストレイル要塞襲撃事件をどこで手打ちとするか、軍の改革をどのように進めていくべきかと言った軍事的なものが多かった。軍の改革について縁故採用を減らすことを決めて疲れを感じたアモンが肩を叩きつつ時計を見ると、すでに深夜の一時を回っていた。



「もうこんな時間か、そろそろ最後の議題にしよう」

「ようやく終わりかよ、さすがに眠くなってきたぜ」

「この議題が終わったら寝室を用意するから我慢してくれ。さて、最後の議題だが・・・・・・陛下から“あれ”を動かすよう指示が下された」



 アモンがそう言った瞬間、彼の傍らにいたキュロスも、上手そうにパイプを吸っているアルタイルも、大きく伸びをしたペルセとそんな姉を窘めるポルネも、皆そろって固まった。




「・・・・・・・・・・・・おい、マジか」


 彼の言葉に最初に反応したのはペルセだった。ハディスが帝都に派遣されると聞いた時は怒り心頭だった彼女だが、今は静かで、何かを押し殺しているような口調である。


「ああ本当だ、まあ動かすといっても実際には起動実験だがな」

「同じことです。起動実験だけでも莫大な費用がかかります。また実験を行えば、我が国が行っていることが帝国に確実に勘付かれましょう。さらに付け加えますと、もし起動実験に成功したとして、どうやって運用していくつもりです? あれは普通の運用ができません。それほどまでに大きすぎ、重すぎるのです」

「分かっている。だから起動実験と言っても主機関を起動するつもりはない。起動実験を行うのは、あくまで十二基の補助機関、超弩級蒸気機関メガ・エンジンだけだ。何せ主機関の中心にあるのが何か、私にすら教えられていないのだからな」

「確か・・・・・・コアという名でしたか。科学王が開発したと聞いていますが、いったいどのような代物なのでしょう」

「重力とやらを操ることができるという話だが、詳しいことは全くわからん。なにせあの秘密主義者は八王会議にもめったに姿を見せないからな。陛下に対してだけは詳細を話しているようだが、それもどこまで本当なのやら」

「大王陛下のご病気は、そこまで進行していらっしゃるのですか」

「いや、どっちかと言うとありゃ病気じゃなくて、元々の気質が表に現れただけだろうよ・・・・・・っと、悪いアッちゃん、子の前で親の悪口はよくねぇな」

「構わない、正気を失っているのは事実だ。だがその狂人がこの国を支配していることも確かだ・・・・・・いいか四人とも、忘れるな」




 不意に、風も何もないのに暖炉の火が一瞬消え、そして再び灯った。





「我々は同じ道を歩む同志であり、その道の先にあるのはただ一つ」





 そこで一端言葉を切ると、彼は改めて、自分を見つめる四人の顔を見渡した。











「このミッドガルドの、緩やかな滅亡だ」











続く


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