第一部 黒界 帝都動乱篇 幕間③ 獅子の国の軍王
帝国最東端ガストレイル要塞よりおよそ一万五千マイル東、ミッドガルド王都ミッドチルダ近郊、高度千メイル上空にて
夜空に星々が広がっている。
その星々の下を、一機のスカイビーグル(通称SB、二人乗り用の蒸気式小型飛行船の総称)が飛んでいた。三セイルの分厚い装甲と最新式の蒸気機関を積んでいるこのSBは開発が終了したばかりの試作一号機であり、武装はなく量産もまだされていない。漆黒の機体の先端には、クリスタルに右から爪を立てる冠を被った雄々しい獅子の模様、ミッドガルドの国章が描かれていた。獅子が冠を被っているのは、これが王族が乗っている機体だからである。
「飛行士、王都まであとどのぐらいだ?」
SBの中、後部座席にいる長身の乗員が操縦席に座って機体を動かしている大尉の階級を持つ、飛行士と呼ばれるSBの操縦を任されている兵士に声をかけた。若く澄んだ男の声であるが、顔はSBに乗る際に着用を義務付けられているヘルメットのせいで口元しか見ることはできない。
「は、あと十分ほどです。そろそろマスクの着用を」
「・・・・・・ここは千メイルほど上空だが、ここまで汚染が広がってくるのか?」
「恐らく風に流されてきているのでしょうが、以前王都上空八百メイル付近を飛行していたSBの操縦士が、ガスで肺をやられて二日後に死亡しました。あれからもう二か月ほどです。いくらガスは下に溜まりやすいといっても油断はできません。どうかお聞き届けください」
「・・・・・・分かった。すまない、きつい言い方になってしまったな」
「とんでもございません。そろそろ王都からの迎えも来るはずです。お急ぎください、“閣下”」
飛行士の言葉通り、後部座席に座る男が機内に備え付けられたマスクをつけると、前方から四機のSBが飛んでくるのが見えた。どれも二人の乗っているSBに比べて二回りは小さく、機関音も随分と頼りない。四機のうち先頭のSBから何か光るものが見えた。七王国で共通して使用されている、操縦席に備え付けられているランタンの光を黒い紙で覆いその覆う長さを変えて文字とする発光信号である。
「お待ちください・・・・・・どうやら城の滑走路まで誘導するそうです」
「そうか。油断するなよ、一瞬の油断が大きな事故につながるからな・・・・・・しかし」
そこで言葉を切ると、男は眼下を見下ろした。四方を高い山々に囲まれた、天高くそびえる巨大な都市が見える。その都市こそ黒界七王国最大の領土と人口を持つ巨大国家、獅子国ミッドガルド最大の都であり、上に際限なく伸びることから“天空都市”、あるいは“螺旋都市”とも称される王都ミッドチルダであった。
「相変わらず、この都は好きになれんな」
ミッドガルドの王都であるミッドチルダは、広大なミッドガルドの東部に広がる山岳地帯のほぼ中央に位置する。なぜ交通や農業に適さない不毛な山岳地帯に王都があるのかというと、今より二万年ほど前、ミッドガルドにまだ三千の部族がひしめき合っていた時代、後に大帝とも虐殺王とも称されるミッドガルド初代大王デモンの故郷がここ山岳地帯に住まう部族だったためである。その後近隣の部族を吸収、あるいは攻め滅ぼしていったデモンがミッドガルドを統一すると、彼はここに石造りの広大な都を築いた。その後当時王国と呼ばれていた帝国に五十万の軍勢を率いて攻め込んだデモンが敗れ、逆に王国とその同盟国であるエルフヘイムの連合軍に討伐として攻め込まれたものの、山に囲まれた王都には容易に攻め込むことはできず、王国に多額の賠償金を支払う事、従属関係を結ぶ事などの条件でで和睦、その後ほそぼそと暮らしていたのだが、採掘技術の発達により周囲の山のほとんどが鉱山であることが判明すると、無限に産出される鉱物の商いで巨万の富を得たミッドチルダは急速に発展していき、今は高くそびえる巨大な都と化していた。
迎えに来た四機のSBに先導され、男を乗せたSBは徐々に高度を落としていった。眼下に見えるミッドチルダが徐々に近づいてくる。高さが十マイルを優に超す王都はその高さで六層に分けられ、六層は下町、五層は職人街、四層には海外からの訪問者を迎える巨大な飛行場があり、商人街や宿屋などもあるため実質ここが玄関口といえる。そして三層には城に努める武官や文官が住み、二層は貴族街、そして一層が城となっていた。先導していた四機のうち、三機が警戒のため周囲に散っていき、残った一機が城に隣接した巨大な滑走路に着陸する。それに続いて男が乗ったSBが滑走路に降りて速度を落として止まると、整備士が何人か駆け出してきた。
「おかえりなさいませ。乗り心地はいかがでしたか?」
「ご苦労、今戻った。そうだな、“スワロー”よりかなり馬力は高いが、ほとんど振動を感じなかった。それに長距離を飛行できるうえにこの重装甲だ。多少の攻撃を受けてもびくともしないだろう」
後部座席から降りた男は、駆け寄ってきた整備士にねぎらいの言葉をかけると、先ほどまで乗っていたSBの装甲を拳で軽くたたいた。
「そうでしょうとも。なにせ彼の“発明王”が開発に携わった機体ですからね。正式に量産が開始された暁には二十ミル機関砲を二門装備し、バイソンと名付けるそうです」
整備士の言葉に、男は機体の名前の由来となっているミッドガルド東部の草原地帯に生息する水牛の姿を思い浮かべた。彼の水牛は肉も乳も美味だが気性が非常に荒く家畜とするのは不可能であり、その外皮は並の攻撃を弾き、巨体による突進は鉄ですら簡単にへし曲げてしまう。重装甲、高馬力、そして重武装を施されるこの機体にふさわしい名前であった。
「バイソンか・・・・・・いい名前だ。だがこれを量産するとなると、かなりの鉄を使いそうだが」
「はあ、ですがそんなもの、奴隷にいくらでも掘らせればよいのでは?」
「・・・・・・そういった考えが、先の騒動を招いたとどうしてわからないっ!!」
「は? はぁ」
男の怒鳴り声に、整備士はぽかんとした表情を浮かべた。数百年前、当時の皇帝だったセフィロトの名で公布された奴隷解放令を批准していないミッドガルドでは、獣人は奴隷として使われている。食事を与えられるのはまだいいほうで、彼らを生き物ではなく単なる物として考えている者が多く、食事も睡眠も与えることなく働かせ、虫のように殺して楽しんでいるのが現状である。特にミッドガルドに数多く住まう小犬人は鉱山奴隷として過酷な労働に従事させられていたが、鉱山に送られた彼らの平均寿命はわずか二か月ほどであった。
「・・・・・・まあいい。整備のほうはしっかりと頼む」
「は、了解しました。任せてください、新品同様に磨き上げて見せますよ」
なぜ怒鳴られたのか全く理解していない整備士を見てマスクの中であきれたように気を吐くと、男は整備士にSBを任せ、城の中に入っていった。
滑走路から城に入るには三つの扉をくぐらなければならない。一枚目の扉をくぐった先には城に努める下級の文官がガスマスクをして控えており、彼らにマスク以外の服装、それこそ下着まですべて預け二枚目の扉をくぐるとその先はシャワー室となっている。ここにきて男は初めてマスクを脱いだ。首のところで切り揃えた淡い金髪と青色の瞳を持った端正な顔立ちがあらわになる。まだ五百歳(人間換算で二十歳)を少し過ぎたばかりの若者だっだが、堀の深い顔の眉間には年齢にそぐわない深い皺が刻まれていた。
「・・・・・・ふぅっ」
シャワーから出る熱い湯を浴び長時間の飛行の疲れを落とした男はようやく息を吐いた。眉間に刻まれていた皺が完全に消えないにしてもなんとかほぐれる。数分湯を浴びた後、備え付けのタオルで体を拭いて更衣室に向かい、用意されていた服を身に着けていく。先ほどまで彼が来ていた黒いシンプルな操縦服ではなく、黒く染められた木綿に金の装飾が施されたミッドガルドの上級士官に与えられる軍服であり、他に肩章・袖章・剣帯などを身に着け最後に頭に軍帽を被ると、男は最後の扉を開け、ゆっくりと中に入っていった。
「おかえりなさいませ、アモン様」
「ビルツか、出迎えご苦労」
城で侍従長を務める初老の男に迎えられ、若者・・・・・・ミッドガルド軍総帥にして“八王”の一人、“軍王”と称されるミッドガルド第一王子、アモン・ヴィ・ミッドチルダは薄く笑みを浮かべた。
「王都には久しく来ていなかったが、何か報告はあるか?」
「は・・・・・・あまりいい知らせはございません。地中から噴出するガスの量がまた増えました。城内に空気清浄機の数を増やし、開発局にも増産の命令を出しましたが芳しくありません。すでに最下層である下町の半分は、家の中でもマスクがなければ生活できない状態です」
「その件に関しては“空”でも聞いている。だがビルツ、お前の言葉には間違いがあるぞ。第六層は確かに下層だが“最下層”ではない。もっと下があるだろうっ!!」
「アモン様、お声が少々大きくございます。どこで誰が聞いているかわかりません。どうか、今少し声を小さくなさってください」
「・・・・・・そうだな。それで空気清浄機とやらだが、城内だけでなく王都にもっと供給できないのか?」
「難しいかと。何度か設計図を公開するように要請はしているのですが断られてばかりで。いまだに材料すら判明しておりません」
「開発局は陛下直属の組織だからな・・・・・・致し方ないか」
歩きながら侍従長と会話するアモンを見て、すれ違う武官や文官は皆脇に退いて平伏する。軽く返礼をして遠ざかる彼に向けられるまなざしは二つに分かれていた。一つは平民出身の者がむける期待のまなざし、そしてもう一つは、貴族がむける侮蔑を込めたまなざしである。文武両道、七王国最高学府である帝立大学を首席で卒業し、七王国最高の流派と言われるナイトロード流においてすべての武術で免許皆伝を受け、少々激しやすいところはあるが公明正大で寛容な性格、絶大なカリスマの持ち主であるまさに完璧といってよい彼はミッドガルドに生きるすべての民にとって希望であり、もし彼が王になれば帝国との間に何らかの進展があり、もしかしたら二万年の間互いに敵視する関係が解消される、そう考える者すらいたが、残念なことに彼は第一王子ではあるが、“王太子”ではなかった。
「そういえば陛下はおいでか? 北部で発生したデモの鎮圧について報告をしたい」
「離宮のほうにおられます。すぐに報告なされますか?」
「相変わらず離宮にこもりがちか・・・・・・そうだな、会おう。その後はすぐに出発させてもらう。司令部に仕事が溜まりきっている。それに」
長い廊下を歩き、端にある巨大な扉の前に立ったアモンは、顔をしかめつつ溜息を吐いた。彼の心情を理解しているのか、幼いころのアモンの教育係を務め、今は侍従長として補佐をしているビルツは気の毒そうな視線を向けつつ、取っ手に手をかけた。
「こんなところ、一刻も早く抜け出したいからな」
誰にも聞こえないように呟くと、アモンはビルツが開けた扉の中に、重い足取りで入っていった。
扉の向こうにある大広間では、贅を尽くした饗宴が催されていた。ダイヤアモンドの飾り付けがされた黄金製の巨大なシャンデリアの下、白い絹製のテーブルクロスが敷かれた丸テーブルがいくつも置かれ、その上には黄金製の皿に豪華な料理が嫌というほど盛られて、同じく黄金製の盃の中に色とりどりの飲み物がなみなみと注がれている。その周りにいるのはミッドガルドの貴族たちだ。彼らは連日この大広間に集まり、豪華な食事に舌鼓を打って話に花を咲かせている。それはまるで、ミッドガルドがガスに覆われている現実から目を背けるかのようだった。現実から目を背けるぐらいなら、まだアモンは許せた。彼が許せないのは
「おやぁ? アモン王子ではございませんかぁ。いつ頃王都に戻られましたかな」
「・・・・・・つい先ほどだ」
なるべく周囲を見ずに、急ぎ足で去ろうとしていたアモンの行く手を遮るものがいた。ミッドガルド西部の広大な穀倉地帯を領地として持つレンヤード侯爵である。禿頭にカイゼル髭を蓄えたでっぷりと太った中年の男で、強欲で怠惰という、アモンが最も嫌う性格の持ち主であった。
「それはそれは。先日発生した奴隷どもの反乱を見事に成敗されましたなぁ。げふっ、げふっ」
「彼らは反乱など起こしていない、ただ抗議集会をしていただけだ。話はそれだけか? 失礼する」
「まあまあ、そう急がなくてもよいではございませんか。それより、次の“見世物”が始まりますよ?」
アモンの肩をなれなれしく掴むと、侯爵はしかめっ面をしている彼にかまわず広間の西側に歩き出した。広間の西壁は透明なガラスになっており、隣の部屋の様子がよく見えた。隣部屋は広間より少なくとも二十メイルは床が低く、さらに部屋の中央には高さ十メイルほどの丸い大きな穴が二つ開いていた。そして、その穴の中では
「・・・・・・っ」
穴の中を見た瞬間、アモンは手をぎゅっと握りしめ、奥歯を噛みしめて、叫びだしたくなるのを必死にこらえた。なぜなら穴の中では、武器を持った屈強な四人の男に囲まれる中、がりがりに痩せた小犬族の女が二名、うつろな目をして取っ組み合いをしていたからだ。痩せているといっても小犬族の牙や爪は鋭い。そのため二人の体はあちこちが抉れ、欠けていた。
「実はあの獣人どもは儂の親戚の領地にいた小犬族の親子でしてな。最初は綿花畑で働かせていたのですが、子供のほうがよろけて管理官にぶつかりましてなぁ。ひどく鞭打たれて親子共々ここに送られて来たのですよ。一か月ほど食事も水も与えておりませんのでほれこの通り、わずかな肉片を喰うために親子で争っている。救いようがないですな。見てください、決着がつきますぞ」
震えるのを必死にこらえているアモンの横で、レンヤードがにやにやと笑いながら格闘を続ける親子を眺めた。親子はしばらく戦っていたが、やはり体格の差が出たのだろう。母親の振り下ろした手が顔にあたり、娘はくたりとその場に倒れた。それを見た男が二人進み出て、崩れ落ちた少女を両脇から抱えてつれだす。残った男の一人が勝利した母親にほんのわずかな肉片を投げ捨てると、母親は砂がこびりついた肉を弱々しく持ち上げ、一心不乱にむしゃぶりついた。
「やはり母親が勝ちましたか・・・・・・ま、予想通り過ぎて面白くも何ともありませんな。しかしお楽しみはこれからですぞ、王子」
「っ!! やめっ」
やめろ、そう叫ぼうとしたアモンの声は、騒めいた周囲の貴族たちの声にかき消された。負けた少女が、二人の男に両脇から抱えられる。運ばれていく途中で意識が戻ったのか、少女は悲鳴を上げてバタバタと手足を振り回して抵抗するが、さすがの獣人族も武装した屈強な男たちにはかなわないのか、簡単に押さえつけられ、穴の中に放り投げられた。少女が落ちた穴の中にいるのは数匹の巨大な鰐である。普段餌をごく少量しか与えられていない彼らは、久しぶりに投げ入れられた“餌”から発せられる濃厚な血の匂いに反応したのか、鰐たちは次々に少女に襲い掛かり、悲鳴を上げる彼女をむさぼり始めた。
「いやぁ、興奮しますなぁ。私は敗者が鰐に食われる瞬間を見るのが何より好きなのですよ」
「お前は・・・・・・お前たちはこの状況を見ても、なんとも思わないのか?」
少女が喰われていく光景を見てでっぷりと肥えた腹をゆすって笑うレンヤードを、アモンはこみあげてくる強烈な吐き気を堪え、何とかにらみつけた。
「何をおっしゃりたいのかよくわかりませんな。それより、そろそろクライマックスですぞ」
彼らが見ている先で、娘が悲鳴を上げて喰われている間も一心に肉片にかじりついていた母親に、背後からとげのついた棍棒を持った男がゆっくりと近づいていく。そして女の背後に立った時、男は頭上、つまり自分を見下ろしている貴族たちを見上げた。彼らは男も女も、子供も老人も、みなそろって親指を下に向けただ一言、同じ言葉を叫んでいた。殺せ、と。
彼らの声に頷くと、男は持っていた棍棒を振り上げ、そして
肉にかじりついている女に向かって振り下ろし、その頭を叩き潰した。
「最高のショーでしたなぁ。そう思いませんか、王子」
「・・・・・・・・・・・・失礼、気分が優れないので、これで失礼させていただく」
興奮して自分の肩に手を置くレンヤードを殴り殺したくなるのをアモンは必死に堪えた。この男は本人の能力は全くない下種であるが、親から受け継いだ広大な領地と膨大な財産を持ち、およそ一万の貴族がいるミッドガルドでも十指にはいる。さらには名ばかりの王国議会でも副議長を務めるなど、その権限は決して無視できるものではなかった。そのためアモンは彼を殴ることなく、絞り出すような声で一言そう告げると、広間の奥に続く扉へと、真っ青な顔で歩き去っていった。
「・・・・・・まったく、なんとも脆弱な王子だ。あれでは第一王子でありながら“王太子”になれなかったのも当然はないか」
「さようでございますなぁ。ですがよいではありませぬか、大王陛下がおられる限り、我々の未来は明るいのですから・・・・・・それより次の出し物が始まるようですよ。なんでも恋人同士の殺し合いとか」
「ほぅ、それは楽しみだ」
アモンと彼を追って侍従長のビルツが出て行った奥の扉をレンヤードは侮蔑を込めた表情でしばし眺めていたが、傘下の一人である伯爵の声に、うれしそうな顔をして隣室を見下ろした。彼が見下ろす先では、先ほど頭を叩き潰された穴の中にある死体の肉を、ゴミでも腐肉でもなんでも貪る事から掃除虫と呼ばれる犬ほどの大きさをした二匹の巨大な昆虫が、調教師である男に鞭で追い立てられながらむさぼっているのが見えた。彼らが掃除を終えると、穴の両側が開き、今度は同年齢と思われる獣人族が二名、手に錆びた武器を持って現れるのが見えた。彼らが殺し合いを始めるのを、広間にいるレンヤードやほかの貴族たちはぎらついた眼で見つめていた。
「・・・・・・げぇっ!!」
広間を出たアモンは、すぐそばにある手洗い場に胃の中のものを全て吐き出した。先ほど広間で殺し合いを見たせいで、強烈な吐き気に襲われたせいである。主人のその様子を、後ろに控えるビルツは気の毒そうに眺めていた。やがて吐くものがなくなり、ようやく吐き気が収まったのか、顔を上げたアモンはふらふらと壁によりかかった。
「・・・・・・ビルツ、“俺”は以前命じていたはずだな。あの“悪趣味”な部屋を封鎖しろと」
「はっ、確かに命じられました」
分に問いかけるアモンの低い声に、ビルツは直立不動の姿勢をとった。普段冷静なアモンの一人称は“私”である。それが“俺”に変わっているということは、彼が冷静さを忘れるほど激怒している証であった。
「ならばなぜまだあの部屋があり、そして殺戮が行われている!!」
「・・・・・・・・・・・・大王陛下のご勅命です」
「陛下が? 陛下がなぜそんな勅命を出された!!」
「は・・・・・・貴族たちは身を粉にしてミッドガルドのために働いている。その苦労に報いるためにも多少の娯楽は必要だろうと」
「奴らが身を粉にして働いているだと? 暴飲暴食を繰り返した挙句醜く肥え太り、親子が殺し合いをするのを喜劇か何かのように見て笑っている奴らが、いったい何を苦労しているというんだ。奴らが生まれてから今まで、一度だって汗水流して働いたことがあるとでもいうのか!?」
「・・・・・・申し訳ございません」
侍従長の謝罪の言葉に、アモンは近くの壁を殴ることで応えた。拳に伝わる鈍い痛みと大声を出してしまったことに対する後悔と恥とが、彼の激情を急速に冷ましていく。
「・・・・・・すまない、少々言い過ぎた。それも含めて陛下に問いただす。離宮にいるのであったな」
「はい、ここ一か月の間ずっと籠っておられます。一度も城のほうにお姿をお見せになられたことはございません」
「一か月もか。なるほど、ハゲワシどもが好き放題やっているわけだ・・・・・・っと、着いたようだな」
話すことに夢中になっていたのだろう、二人は廊下の突き当りにある、巨大な扉の前で立ち止まった。ビルツが扉を開くと中は巨大な部屋になっており、その部屋の中央に鋼鉄で作られた頑丈な四本のロープに吊り下げられたリフトが置かれていた。
「アモン様、どうかご無事でお戻りください」
「ああ、行ってくる」
鋼鉄製のドアをスライドさせ中に入り、見送るビルツに笑いかけると、アモンはドアを閉めた。鍵を閉め、何度か押して開かないこととビルツが部屋から出たのを確認すると、ドアの横についている赤い大きなボタンを押した。すると天井に備えられている大きなランプが赤い光を出して回転し、大きな音とともに前方の壁が横にスライドしていく。その奥にあるのは、前方の山まで続く、半透明の筒に囲まれた道だった。一番前の座席に座ったアモンが目の前のボタンを押すと、リフトは一度ガクンと大きく揺れ、筒の中を向かいの山にある離宮までゆっくりと登っていく。城から山の頂にある離宮までは十分ほどかかる。その間アモンは頬杖を突きながら、眼下に広がる光景をぼんやりと眺めていた。
紫煙に半ば覆われた、故郷である王都ミッドチルダを。
長年にわたる無理な採掘がたたったのか、それとも元から地中に溜まっていたのを掘り出してしまったのか、数百年前、ちょうど嘆きの大戦が終了した直後からミッドチルダの地下から紫色のガスが噴き出すようになった。このガスは非常に強い猛毒であり、吸い込んだものは体の内側から、皮膚に触れただけでもそこからずぶずぶと腐り、わずか数日で死に至るという恐ろしい性質を持っていた。原因も、ガスを消す方法もわからず、ミッドチルダに住む人々ができることは外を歩く際は分厚い防護服とガスマスクを着用し、外から帰ってきた際は備えるのが義務付けられたシャワー室で体に突き刺さるのではないかと思うほど強いシャワーを浴びなければならない。発生から数百年が経過した現在はさらにガスの濃度が濃くなり、下層区はもはやその半分がガスに侵食され、家の中でもガスマスクを脱ぐことはできないありさまだった。唯一の希望は開発局が開発した空気清浄機だったが、材料が手に入りにくいという理由で数に限りがあり、主に城や上層でしか出回っておらず、中層にはやっと数個、下層には全く出回っていないありさまだった。そのため開発局には何度か設計図と材料の公開を求めているのだが、開発局は“発明王”直属の組織であり、管轄が違う自分の要請はことごとく却下されていた。このままでは遠からず下層区は全滅し、中層区もその大半が死滅するだろう。自分の足が腐っていくのを全く気にすることのない死にかけの巨人のような都を、アモンは心底嫌悪していた。
アモンが紫煙に覆われている都を眺めている間、リフトは歩半透明な筒の中を通り、山の頂にゆっくりと登っていく。それからおよそ数分後、リフトは山の頂にある離宮に備え付けられている発着場に、無事たどり着いた。
「お待ちしておりました、軍王閣下」
「ああ。陛下はおいでか?」
「ええ、御部屋にいらっしゃいます。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
リフトから降りたアモンを出迎えたのは、離宮で働いている従者の一人だった。従者といってもここにはミッドガルドの王族が住んでいるため、従者も侯爵以上の貴族の子弟が務めている。そのため彼らは他者を見下しており、貴族であっても下級貴族なら従者か下男のように扱い、平民は奴隷、奴隷である獣人たちは彼らにとっては足元を這いずる蟻以下の存在だった。現にアモンを出迎えた従者も言葉遣いこそ丁寧であったがその表情には彼を嘲笑する表情がありありと浮かび、纏っている絹服の所々には大王から下賜された金細工の飾り物を見せびらかすように身に着けていた。それでもこの離宮にいる人物の中では、まだましな方である。
従者に先導されつつ、アモンは発着場から通路を通って離宮へと入っていった。そんな彼を、通路の左右に並ぶ黄金でできた神々や英雄の像が出迎える。これ一つで、下町に住むものが一年、いや十年は楽に生活できるな。そう思いながら従者の後に続いて離宮を歩いていたアモンの行く手から、数人の兵士が歩いてきた。彼らは近衛軍団に所属している近衛兵たちである。近衛軍団は正規軍から独立した組織であり、アモンと同じく八王である騎士王が率いている。また、大王を守る最後の盾であるためその権限は絶大であり、たとえ同じ八王であり、大王の息子であるアモンであっても簡単に意見することはできなかった。アモンでも数回見ただけだったが、彼らは高揚感とともに身体を強化し痛覚を一時的に喪失させる薬物を摂取しており、さらに鎧を機械化させ様々な箇所に暗器を潜ませるなど騎士らしくない戦い方をする。しかも彼らが闘うのはほとんど自分達より弱い相手、ロクな武器を持たない獣人達だった。噂では、自分の体の一部を機械化するなど、人体改造を施している者もいるようだ。
彼らの使用している薬物は、服用中は確かに高揚感を与えるが、それ以外では逆に強い鬱状態になる。そのためアモンが遭遇した近衛兵たちは、彼と従者に気づくことなく、うつろな目をしてひどいものだと口の端からよだれを垂らしながら通り過ぎて行った。
「・・・・・・あんな状態で、もしもの時に戦えるとは思えないが」
「戦いなど、下々の者に任せておけばよいでしょう。我々はここで、大王陛下とともに栄華を極めるためにいるのですから・・・・・・っと、着きましたね」
他者を見下すように話しながら、従者は金細工が施された他の 扉と違い、質素で所々欠けた扉の前にたどり着いた。その扉を開けると、従者は後方にゆっくりと下がり、深々と一礼した。
「申し訳ありませんが、私はここから先入ることが許されておりませんので、これで失礼いたします」
「ああ、ごくろうだったな」
ここまで案内した従者に謝礼として金貨を数枚渡すと、アモンは奥に続く通路を歩きだした。
それから数時間ほども歩いただろうか、周囲の壁が大理石から土を被ったまるで洞窟のような壁に変わっても、アモンはまだ歩いていた。もう離宮を軽く五十周できるぐらいの距離は歩いているがまだ先は見えない。それでも緩やかに下に向かっていることは分かっていた。どういう技術を使っているのか全くわからないが、文字通り彼は離宮のある山の中を底に向かって歩いているのだ。それからさらに二時間ほど歩き、さすがに精強なアモンも疲れを感じ始めたころ再び景色が変わり始めた。壁は鈍い光を放つ鋼鉄のような素材に変わり、通路もむき出しの地面から白一色の床に変わる。壁も床も、数日前ガストレイル要塞の鋼鉄製の壁に皹を入れた秘蔵の徹甲弾の一撃を至近距離で受けても、煤すらつくことがないほどに頑丈にできていた。さらに白い床は上に乗った者を自動で目的地まで運び、天井には侵入者を自動で迎撃する銃がいくつも備えられていた。そしてさらには
「・・・・・・やはり、見られているか」
白い床の上に乗り自動で前に進むアモンは、どこからか感じる視線に軽くため息を吐いた。幼少のころから彼はこの場所が嫌いだった。人の気配というものが全くなく、どこからか嫌な、今ではもうわかるが錆びた匂いがして、山の中ということもあり今にも押しつぶされそうに感じるためである。そして彼がここを嫌う最大の理由は、誰もいないはずなのにどこからか視線を感じるからだった。幼いころは、幽霊か何かが見ていると感じて内心恐怖していたが、いまではこちらを見ているものの正体が分かった。壁の天井部分に、十メイルごとに設置されている黒く細長い筒のようなものが、こちらの動きを監視するかのようにその先端を向けているのだ。少し前、その筒の中に何があるのか気になって覗いたがあったが、中にあるのは奥が見ない薄いガラスのような物体だけだった。
動く白い床に運ばれ、やがてアモンは通路の端に着いた。そこは透明な扉になっており、押してみても全く動くことはない。あきれたように首を振ると、彼は扉の横の壁に備えられた箱のようなものに手を入れた。ピッという音がして、透明な扉がスライドする。その奥にある通路を、アモンは再び、今度は自分の足で歩きだした。
「おやぁ? お久しぶりですな、王子」
「・・・・・・そうだな、騎士王」
目的地である部屋の前にたどり着いた時、出迎えた男を見てアモンは激しい嫌悪感に襲われた。彼こそが“上”で出会った近衛兵たちを統率する近衛軍団の軍団長であり、大王の最後の盾として、ここに無許可で入ることを許された数少ない例外である騎士王だった。黄金製の鎧と仮面に身を包み、無数の宝石を身に着けているそれは堕落している近衛兵の現状をこれでもかといわんばかりに表していた。もっとも先に述べたとおり、以前の彼は気さくな人柄で人望も厚く、暑苦しく重いという理由で鎧兜は必要最低限姿形を隠せるものだけを身に着けていた。さらに無類の子供好きで休日には教会に隣接している孤児院によく出向くほか、働き口のない彼らを近衛軍団に迎え入れることさえしていた。だが今では彼らを離宮から追いやり、自分の周囲にはおべっかを使ったり賄賂を渡した貴族が送り込んだものを侍らせている。おそらくは“中”が変わったのだろうが、“王”に任命できるのは大王だけであり、同じ地位にあるアモンには口を出す権利はなかった。
「相変わらずつれないお言葉ですな・・・・・・ああ、そういえば先日起こった奴隷どもの反乱鎮圧、お疲れさまでした。今回はその後報告に?」
「ああ。それと二点ほど伺いことがある。陛下は御部屋の中においでか?」
「ええ。少々お待ちを」
アモンに一言断ると、騎士王は部屋の中に入った。それから数分後、出てきた彼に促されアモンはわずかに体を強張らせつつ、部屋の中へと入っていった。
部屋の中は、ずいぶんと薄暗かった。調度品らしいものは部屋の中央に置かれた巨大なベッドと、その横にある、様々な酒とグラスが入った棚しか無く、部屋の主はベッドの上で体を起こし、入ってきた息子を出迎えた。
ミッドガルド第八十代大王、ガロン・ヴィ・ミッドチルダは当年千五百歳。第七十九代大王ザロンの三男として生まれ、若いころは文武両道に優れ、また王位継承権も低いことから見聞を広めるために黒界だけでなく、“海”を渡ってほかの世界にまで足を伸ばした冒険家でもあった。そんな彼が大王となったのは、ミッドガルドで発生した内乱により二人の兄がどちらも死んでしまったためである。その後失意の中にある父に呼び戻された彼は王位を退いたザロンに変わって大王となり、内乱に疲弊したミッドガルドの国力を回復させ、また緊張状態にあった帝国との関係も改善に努め、当時の皇帝の娘の一人を妻に迎えるなど良好な関係が続いていたが、義理の甥であることから親交の深かったセフィロトが皇帝になり奴隷解放宣言を行ってから帝国との関係が拗れ、嘆きの大戦で彼が死んでからは、帝国を滅ぼすために国力のほとんどを軍備の増強につぎ込んでいる有様であった。最近では王宮にもめったに姿を見せなくなり、離宮の地下にあるこの部屋で一日を過ごすようになっている。
「よう来たの、アモン。して何の用じゃ?」
「はい、先日北部で発生いたしました、獣人族の抗議デモの鎮圧についてご報告に参りました」
「ほう、抗議デモの鎮圧のぅ。ようやった、さすがは軍王じゃ」
「は、ありがたき幸せにございます」
跪き首を垂れたアモンの報告を聞き、右手にワインの入ったグラスを、左手に膨らんだ産着を大事そうに抱えてベッドに寝そべるガロンは大笑した。老齢に差し掛かっている彼の身体は老いさらばえ、あちこちに醜い紫色の斑点が浮かんでいた。それに加えて若いころの屈強の身体はすでに無く、真っ白になった髪や髭は伸ばし放題で離れて跪くアモンのところまで据えた匂いがしてくる。さらに肉体の衰えは精神にも影響を与えるのか、彼は徐々に正気を失いつつあった。
だがアモンは時折思うのだ。狂っている方が、まだ幾分ましなのではないか、と。
「要件はそれだけか? なら下がるがよい。余は今“エルネスト”の世話で忙しいからの」
「・・・・・・いえ、二点ほどお伺いし事がございます」
「ほう・・・・・・なんじゃ、言うてみよ」
「は、ありがとうございます。では第一に・・・・・・先日ガストレイル要塞に対し砲撃した、第十三飛行師団に所属する飛行船の艦長であるボラッジ元大尉以下搭乗員、彼らを英雄として祭るという情報が耳に入りましたが事実でしょうか」
「ああそのことか、事実じゃよ。彼らは憎き帝国に一矢報いたのじゃ。英雄として祭るのが当然じゃろうて」
「帝国とは確かに緊張状態にありますが、いまだ戦争状態にはなっておらず、国交も断絶してはおりません。この状況で宣戦布告もなしに要塞を砲撃し破損させたことは一歩間違えれば戦争にも繋がっていた重大な犯罪行為であり。今回はボラッジ元大佐が自分の部隊を連れて軍を脱走、盗賊に身を落として要塞を襲い、その修繕費をこちらで賄うことで何とか和解いたしましたが、彼らを英雄とすることはこの和解を根本から覆すことになるのですよ」
「和解じゃと? 帝国は開祖デモン以来、わがミッドガルドにとって最大の宿敵じゃ。今は確かに戦ってはおらぬが、それは来るべき大戦に向けて準備しているにすぎぬ。話は終わりか、ならば下がるが良い。儂は“エルネスト”の世話で忙しいでな」
アモンの抗議を一蹴すると、左目が白い膜で覆われたガロンは震える左手に持ったグラスを口に運び、右手で産着を大事そうに揺すった。
「・・・・・・いえ、もう一つ伺いたいことがございます。大広間に隣接している部屋で行われている、悪趣味な見世物のことです。記憶が正しければ、確か私はあの部屋の撤去を条件に北部で発生したデモの鎮圧に赴いたと思うのですが、なぜそれがまだ存在しているのですか?」
「ああ、あの部屋のことか。約束通り撤去しようとしたんじゃが、貴族たちから反対されてのぅ。ミッドガルドのために身を粉にして働く自分たちの、些細な楽しみまで奪うつもりかとな。そこまで反対されては無理に撤去できぬゆえ、そのままにしているというわけじゃ」
「貴族たちが、身を粉にして働いている、ですと?」
ガロンの言葉を聞いているアモンの脳裏に浮かんだのは、北部で発生したデモに参加していた獣人たちの、老若男女関係なく限界まで痩せ細った姿だった。それに先ほど大広間で見た、一片の肉のために殺し合う母と子の姿、さらにそれを見て狂ったように笑う肥え太った貴族たちを思い出した彼の我慢は限界に達した。
「肥え太り、豚に等しい貴族連中が一体どのように働いていると仰せかっ!! 文字通り身を粉にし、命をすり減らして働いているのは奴隷である獣人族です。彼らを奴隷から解放せよとは言いません、ですがどうかこれを奇異に待遇の改善を検討してくださっ!!」
激昂して顔を上げたアモンの言葉は、額に直撃したワイングラスで遮られた。額から紫色のぶどう酒と額が切れて流れた赤い血が滴り落ちる。
「ミッドガルドのために働いてくれておる貴族たちを豚じゃと? しかも奴隷どもの待遇の改善まで要求するとは・・・・・・そこまで奴らに毒されたか、息子よ」
産着を右手に抱き、ふらふらと立ち上がったガロンの目からは狂気の色が消えていた。代わりに光るのは、すべてのものを焼き尽くすほど強烈な憎悪の炎である。
「よいかアモン、獣人は養分を吸い取るダニに等しい存在じゃ。このミッドガルドで生息するのを許してやるだけでもかなりの待遇じゃろう。大体デモを鎮圧したなどという嘘の報告をして要求ばかりするおぬしのほうが批判されるべきじゃ」
「嘘? 嘘など申しておりません、確かに私はデモを鎮圧いたしま『ほう、軍王閣下の言う鎮圧とは、単なる話し合いのことをいうのですかな?』っ!!」
ガロンのあまりの言葉にアモンが反論しようとしたその時、彼の背後から機械音に似た男の声が響いた。
「き、機械王」
振り向いたアモンの頬を、冷たい汗が流れ落ちた。声の持ち主は漆黒の鎧兜に身を包んだ背の高いアモンよりさらに一メイル以上背が高い大男だった。おそらく三メイルは軽く超えているだろうその巨体の上に乗せているフルフェイスのスリットの部分からは、赤い眼光が不気味に光っている。機械王と呼ばれたその男は、無言でその場に跪くと、肩に担いでいた底部が赤黒く染まった巨大な袋を床に落とした。
「おお、早かったのう機械王よ。して、首尾はどうじゃ?」
『遅参いたしましたこと誠に申し訳ございません。ですがお喜びください、我が大王よ。北部において反乱を起こした獣人どもは、我が手により“都市ごと”完全に消滅しました』
「なっ!?」
「ほう、それは素晴らしい報告じゃ」
機械王の言葉に、その部屋にいる二人は異なる表情を浮かべた。ガロンは狂気の笑みを浮かべてベッドに座りなおし、アモンは真っ青を通り越し、真っ白になった顔で男を見た。
「獣人たちは二万人以上、その中には女子供もいたんだぞ。それに彼らが行っていたのはあくまでも約束履行を求めるデモ行進だ。それをお前は皆殺しにしたというのか!?」
『無論。証拠となるものも持参しています』
「証拠、だと? まさか、その袋の中に入っているのは」
『ええ、反乱を起こした者共の主耳です。不格好なのは御許しを。殺すとき、多少抵抗されましたので』
顔を真っ白にして詰問するアモンに対しさらりと答えると、機械王は傍らにある袋を開けた。袋の中からは獣人族が生やしている、赤黒く変色した大小さまざまな大きさの主耳が顔をのぞかせた。
『都市の壊滅自体は二十分ほどで終了したのですが、耳を切り取る作業が思いのほか難航しましたので、このような時間になってしまいました。お許しください』
機械王の言葉は誇張でも何でもない。彼は三メイルを軽く超すその巨体のほとんどを発明王の手で機械化されている。もはや元々の生体部分は脳だけといってよいだろう。そしてその機械化された体の中に、彼は無数の火器を内蔵していた。噂では帝国最大の兵器である蒸気圧縮砲すら内臓しているといわれる火力と戦艦の主砲を至近距離で受けてもなお耐えるその装甲により彼の戦闘力は八王の中で最強であり、中規模の城塞都市なら三十分程度で壊滅させることができた。
「遅れたことなど、そこの嘘つきに比べれば何の問題もない。どうじゃアモン、これでおぬしの嘘が暴かれたわけじゃが、いったいどのような言い訳をしてくれるのじゃ?」
「彼らは反乱など起こしてはおりません、ミッドガルド国民に認められている、平和的なデモをしていただけです。民あっての国、民あっての我らなのです。どうかその事をお忘れにならないでください」
「忘れてはおらぬよ。我が国に住まう民は無論我が子同然に慰撫しておる。が、獣人共は話が別じゃ。先ほども言うたが奴らはこの土地に巣食うダニに等しい。しかしそうじゃの、それほどまでに獣人共を労われというならばそうしてやってもよい。その指揮はアモン、おぬしが執れ。だがそうなるとお主の権限が強化されるのぅ。バランスをとるために、“軍王”の地位を返上してもらうが、それでも良いか?」
「っ!! そ、それは」
痛い所を突かれたアモンは押し黙ってうつむいた。彼はミッドガルド軍を統括する軍王の地位についてから今まで軍の改革を文字通り命を削って行ってきた。内容としては装備、食料品など物資の充実、それまで貴族の子弟しか上級士官になれなかった古い制度を廃止し、実力主義への移行、そして対帝国強硬派が過半数を占める軍の意識改革である。これらの改革を彼は本当に信頼を寄せることができる僅か数人の仲間と共に行ってきたが、今だ軍の中にある貴族主義、対帝国強硬派の力は強く、今自分が軍王の地位を失ったら改革のすべてが水の泡となるのは明らかだった。
「ふん、しょせんは貴様も偽善者よ。獣人共を救うなどとたいそうなことを言っておきながら、結局は自分の権限を取り上げられることを恐れるか。この痴れ者め、本当に軍王の地位を返上してもらおうか」
「・・・・・・っ、それは」
「まあ良いではございませんか。陛下」
ガロンの言葉に、アモンが声を詰まらせた時である。奥の部屋に続く扉が開き、中から一人の女が出てきた。まさに絶世の美女と言ってもよい艶やかでグラマラスな女で、豊富な体をこれでもかといわんばかりに見せつけるように、胸元が大きく開いた赤いドレスを着ている。その姿を見て、扉のところに立っている騎士王がごくりと唾を呑んだ。
「おお、ゼメリアか。身体の調子はもうよいのか?」
「ええ、陛下のお心遣いによりすっかり元気になりましたわ」
彼女の名前はゼメリア・ヴィ・ミッドチルダ。姓から分かる通りミッドガルド大王ガロンの妃でありアモンの義理の母、そして老いた大王が抱えている“エルネスト”の母親である。彼女は老いた夫が横たわっているベッドに近付くと、ガロンの真っ白になった髪を優しく梳いた。
「それはなによりじゃ。しかしそなたが良いといってものぅ、失態を犯したのじゃから何かしらの罰は与えねばならぬ」
「王子はまだ六百歳にもなっていないのですよ? 若いときの過ちは誰にでもある物。大切なのはそれを繰り返さないことです」
「ふむ、それもそうじゃのう。分かった、そなたの進言を聞き入れ、軍王の地位はそのままにしておこう。アモンよ、ゼメリアに礼を申すが良い」
「・・・・・・・・・・・・お助けいただき、誠にありがとうございます。ゼメリア妃」
「いえいえ、義理とは言えど母親なのですから、“未熟”な子を助けるのは当然の事ですのよ」
床に頭を擦り付け感謝するアモンを見て、ゼメリアは見た者すべてを魅了する笑みを浮かべた。
「さあ、これで一件落着じゃ。他に何もなければ下がるがよ・・・・・・おお、そうじゃアモン。おぬしに一つ仕事を与えよう。近々“大鳥”の試運転を行うゆえ、その指揮を取れ」
「なっ!?」
平伏していたアモンは、父王の口から出た言葉にはっと顔を上げた。
「試運転とはいったいどういう事です、まさか“あれ”を本気で使うおつもりですか!! おやめください陛下、“あれ”は兵器として全く役に立ちません。欠陥品もいい所ですっ!!」
「しかしのぅ、おぬしとて最終的には大鳥の建造に賛成したではないか」
「私が賛同したのはあくまでも建造だけです。それを実際に使うことについては反対したはずです。誤解しないでくださいっ!!」
「おぬしが何を言いたいのかまったく分からんな。兵器は使ってこそ兵器じゃ。命令は出した、退出するがよい。儂はエルネストの世話で忙しいからのう」
鬼気迫る勢いで自分に詰め寄ろうとするアモンを制すると、ガロンは呆けた顔で左手に持っている産着を大事そうに抱きしめた。
数枚の木片と、数本の藁が入っているだけの、泥まみれになっている産着を。
どれほど長く地下にいたのだろう、アモンが離宮の扉を開けて外に出ると、すでに星々は見えなくなっていた。といってもそれは朝を迎えたからではない。いつの間にか、空が厚い雲に覆われていたからだ。その雲から降り注ぐ土砂降りの雨の下で傘もささずに立ちすくみながら、アモンはふと、それでも変わらず世界を照らすクリスタルのある帝国の首都、パンデモニウムの方を向いた。
「・・・・・・クリスタル。黒界だけでなく、全ての世界を照らす太陽、か」
ミッドチルダに降る雨の成分は、鉱毒が気化した大気の水分である。そのため微量の毒を含んでおり、長時間雨の下にいるのは体に悪い。にもかかわらず、アモンは黒い雨に濡れながら、それでもただぼんやりとクリスタルの方を眺めていた。
「・・・・・・太陽、よ」
その時、ふと彼の口から呟きが漏れた。それはいつもの誇り高い彼の声とは違う、何か哀願するような、弱弱しい声だった。
「太陽・・・・・・クリスタルよ、なぜこの私を・・・・・・ア、モンを、このミッドガルドに、産み落とされた」
その頬を流れるのは雨だろうか、汗だろうか、それとも“ ”だろうか。否、“ ”ではない。“ ”のはずがない。なぜなら全てを捨てたあの時、
自分は“ ”もまた、捨てたのだから
続く