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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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悲運の武将、松平広忠 玖

三人称視点です。


天文16年5月。

岡崎城の評定の間。


そこの空気は、暗く、淀んでいた。


上座に座るのは城主である松平広忠。

松平家宗家の重臣が並んで座っているが、誰もが口を閉ざしていた。


天文14年の4月に岡崎松平が中心になって、矢作川を挟んで向かいにある、安祥城へ戦を仕掛けた。

お互いに万の大軍を動員するその大戦は、ある種の引き分けのような形で終わった。


安祥側は、矢作川の東に持っていた、唯一の城、上和田城を失った。

松平家は、目立った実績は上和田の奪還だけであり、結局矢作川を越える事ができなかった。


それ故に、外から見れば引き分け。

広忠も、矢作川東岸の領地では、上和田城の奪還を理由に、安祥に勝ったと触れ回った。

それは簡単に受け入れられた。


松平家も大きな損害を受けたとは言え、それは安祥も同じ。

お互い、暫くは軍事行動を行えないだろうと思っていた。


その間に、松平は今川の支援を受けて勢力を盛り返す。

安祥が弾正忠家の力を借りようと思っても、相手は美濃との問題があり、そう簡単にはいかないだろうと思っていた。


松平家の国力は順調に回復していた。

元は安祥家が建造した矢作大橋を修復し、その袂にある東橋元町からは交易の利益が入るようになった。

一部は、矢作大橋修復に助力した今川に流れる事になったが、それでも十分な収入になった。


戦らしい戦がこの二年間無かった事で、領地の復興も順調だった。


松平家宗家の側から見れば、この二年間は予定通りに、否、想定以上の成果を上げていた。


しかし、安祥はそれ以上の発展を遂げている。


安祥城の城下町も商人や職人が移り住み、その人口は大幅に増加していた。

西条城を攻め落とし、周辺を囲って総構えとし、湊を整備し、三河湾の東西を繋ぐ交易を始めている。

親織田派とは言え、あくまで立場の表明に留まっていた東条吉良家と改めて正規の同盟を結んだだけでなく、百年にわたって分裂していた東西吉良家を統一し、室町幕府の名門、吉良家を復活させてしまった。


岡崎の北では、東広瀬城が弾正忠家に降ったが、実際に攻め落としたのは安祥の兵だと言う。

その管理を任される事になった西広瀬城は、当主、佐久間全孝の娘が安祥城城主、安祥長広の正室だ。

これにより、松平家は南北から圧迫される事になった。


矢作川の西岸に残っていた、松平家分家、福釜松平は弾正忠家の跡取りによって居城を攻められ降伏。

それを受けて、最後に矢作川西岸に残った、松平家分家、鴛鴨松平が安祥に降伏した。


矢作川西岸の南西に残っていた、松平方、今川方の領主、豪族も軒並み安祥家や弾正忠家に降ってしまった。


頼るべき今川家は、東三河の取り込みで忙しいらしく、矢作川の東西を巡る争いには関与しようとしない。


「誠意を、示さねばならん……」


重苦しい沈黙が続く中、広忠がそう呟いた。


「と言いますと?」


尋ねたのはかつての居城、上和田城を取り戻した重臣、大久保忠俊。

しかし、先の大戦で激しく損傷していた上和田城はすぐに使える状態ではなく、最近ようやっと、その修復が終わったところだった。

彼の息子の忠勝は、今は亡き忠俊の弟、忠員の息子、大久保忠世と共に駿河で今川の人質になっている。

これは大久保党が上和田城に入るための条件として今川から提示され、忠俊が飲んだためだ。

岡崎城のすぐ南にあり、矢作川の西岸を攻める際の重要拠点と成り得るこの城を、今川に渡す事は避けたかったのだ。


「竹千代を人質として今川に差し出す」


「殿……! よろしいのですか!?」


批難の声を上げたのは、本多忠高だった。

件の大戦で広忠と共に撤退。その際、父忠豊が広忠を逃がすための犠牲になった。

元々松平家宗家の重臣であった本多家は、これにより、岡崎城で更なる発言力を得るに至った。


「かねてより今川からはその要請があった。間違いなく、松平家宗家を取り込むためだろう。それがわかっていたから、今までこれを拒否していた」


それは、家臣達もわかっていた。

だからこそ、これを受け入れる事を表明した、広忠の覚悟の程も知れた。


「だがそれ故に、今川の助力が消極的なのだとしたら……!?」


「…………」


家臣達は何も言えない。

その可能性は十分にあり得るからだ。

今川家は、自分達の力を殆ど使わずに三河を掌握しようとしている節がある。

ならば、相応に松平家宗家が犠牲を払わねばならなかった。


「しかし、それで本当に今川が助けてくれるでしょうか?」


疑問を呈したのは鳥居忠吉だ。

家督こそ息子の忠宗に譲ったが、しかしそれ故に、彼は広忠の家老として、岡崎城に勤めている。

鳥居家自体は、矢作大橋の袂の東西橋元町の管理を任されていた。


「それは儂も考えた。だから、一計を案じる事にする」


松平家宗家宿老の林忠満がその言葉を聞いて周囲を見回す。

阿部定吉がいない。


広忠の幼少時から彼に付き従い、家老として重用されている定吉の不在は、評定が開かれた時から不思議に思っていた。


だが、広忠が今川を利用するために欺くつもりであったなら。

広忠の岡崎帰参を助けた今川にも忠誠を誓っている定吉がこの場に居ない事は納得できた。


「大蔵は、竹千代を今川の人質に送る事を伝えに、岩略寺城へと向かって貰っている」


今川との使い番として山田景隆が岡崎城には居るが、彼も定吉に同行していた。

当主の息子を人質に送る話だ。他所に漏れては大変な事になる、と言われれば、景隆も納得せざるを得なかった。


「この情報を敢えて安祥、そして弾正忠家に流す」


「え!?」


「竹千代が今川に渡れば、松平家宗家は完全に今川に取り込まれる。さすれば、今川の三河支配は更に進み、弾正忠家の脅威となるだろう」


当然、そうなった場合に矢面に立たされるのは安祥家だ。

あの長広が、これを見逃すとは思えない。

武略によって支配圏を広げる信秀も同様だ。


そもそも松平家宗家がこれほど逼迫する原因は、先代当主清康の横死にある。

その原因となる虚偽の噂を流したのは信秀だった。


尾張に食い込んでいた今川方の城、那古野城も、信秀は戦ではなく、武略によって奪っている。


彼らがこの情報を聞いて、何もしない訳がなかった。


「まさか、敢えて織田に竹千代さまを攫わせるのですか!?」


「そうだ。面子を潰された今川は、当然弾正忠家、安祥家を攻めるため本腰を入れざるを得まい」


「し、しかし、竹千代さまを盾に弾正忠家から臣従を迫られたらどうなさるので!?」


むしろ、それが自然の流れだろう。


「当然、拒絶する。嫡男を人質に取られても弾正忠家に従わず、今川に臣従を示す」


「誠意を見せるとは、その事ですか……」


唖然とした様子の忠俊だったが、内心では広忠に感服していた。

そうだ、何も誠意を見せると言っても、心底からその足元に傅く必要は無い。

むしろ、戦国乱世を生きる大名だからこそ、いつでも背後から刺す用意はしておくべきだ。


「渥美の戸田氏は、現在こそ今川に臣従しているが、三河支配の野望を捨ててはおらぬ。今川には、戸田の忠誠を試すためとし、戸田氏の領地、老津の浜から船で駿河へ送らせると伝える」


「戸田氏の惣領である戸田康光の娘は殿の正室。その名が出て来ても、不自然には思われますまい」


於大と離縁したのち、広忠の継室として迎えられたのが、康光の娘、真喜姫だった。彼女との間には、一男一女の子がある。


「三河支配に野望を見せる康光は、自らの娘が産んだ男子を松平家宗家の跡取りにしたいところだろう。弾正忠家からの誘いがあれば乗る可能性は高い」


「なるほど……」


呟いたのは誰だったのか。

それが誰のものかわからないほど、居並ぶ家臣達は広忠の計略に感心していた。


「しかし、竹千代様を康光殿が害する可能性もあるのでは……!?」


異議を唱えたのは忠高だった。


「それならそれで問題無かろう」


「無いわけがございません!」


広忠の言葉に、忠高は思わず声を荒げてしまう。


「落ち着け、平八郎。其方の父はいつでも冷静であったぞ」


「しかし……!」


「康光めが竹千代を害したならば、それを口実に今川家を三河に引き込む事ができよう。康光もただでは死なぬはず。弾正忠家を、安祥家を巻き込んで渥美で戦となろう」


「西尾の地に港を築きましたからな。安祥が海路で援軍に向かう事は可能でしょう」


「それでよろしいのですか!?」


忠吉は同意するが、忠高はまだ納得がいかないようだった。


「竹千代様は殿の第一子である嫡男。田原戸田家はお方様のご実家! そのどちらも危険に晒して、それで良いのですか!?」


「松平が三河を再び支配するためならば、最早手段は選んでおれぬ。真っ当な手段では、取り戻す事ができぬのだ!」


「そこに、栄誉はあるのですか……!?」


「若いな、平八郎」


尚も反論しようとする忠高を、しかし広忠は落ち着いた声で諭した。

勿論、広忠は年齢の事を言っている訳ではなかった。そもそも、忠高と広忠は同い年だ。


「儂もかつてはそうであった。勝ち方を重視し、武士の矜持を重視し、自らの自尊心こそを重要視していた」


「殿……」


「だが、それでは駄目だと気付いたのだ。重要なのは勝ち方ではなく、勝つ事だと気付いたのだ。勝たねば、誇りなどなんの意味も無い」


最後の呟きには哀愁が漂っていた。

それは、元服してから約八年。一度も戦に勝てなかった男の言葉だ。


戦は勝てばいい、というものではなく、勝ち方こそ重要である、とする孫子に則れば、広忠の考えは下の下であるだろう。

しかし武士とは、犬と言われようと畜生と言われようと勝つ事こそ本分である、の言葉に則れば、広忠の考えは間違っているとは言えない。


「それほどのお覚悟であれば、この本多平八郎忠高、最早何も申せませぬ」


「いや、其方の松平家を想う忠誠を嬉しく思う」


広忠の考えが正しいか間違っているかはともかく、忠高は広忠に頭を垂れ、彼の計略に賛同の意を示す。


「五郎右衛門。今川に竹千代の護送に田原戸田家を使うよう進言する書状を届けよ」


「はは」


「監物。弾正忠家に竹千代護送の情報を流せ」


「はは」


「平八郎は竹千代と共に今川へ向かう小姓を選別せよ」


「はは」


忠俊、忠吉、忠高にそれぞれ広忠が命じ、こうして竹千代を今川の人質として駿河へ送る事が決まった。

この決断が、松平家宗家の運命を、大きく変えていく事になる。

三河の歴史の中で、三河一向一揆、広忠の殺害と並んで、諸説が多い竹千代の誘拐。

拙作では本文のようにさせていただきます、ご了承ください。

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