寺社対策 壱
結婚から暫くして、俺は矢作川西岸にある、とある寺を訪れていた。
姫城から南に2キロ程下った所にある、本證寺だ。
ここは三河浄土真宗の中でも特に力のある寺、三河触頭三ヶ寺と呼ばれる中の一つだ。
その中でも唯一、矢作川西岸にあるので、俺はこの寺を選んだ。
寺を訪れた理由は勿論、寺社対策にいよいよ乗り出すからだ。
まだ三河の浄土真宗に強い発言力を持つ石川清兼の協力は得られていない。
まぁ、今回は今後の政教分離のための仕込みの一つだ。
いきなりやろうとしても反発必至。
家康じゃなくて俺が三河一向一揆を引き起こしてしまいかねん。
最初は親爺の菩提寺の宗派である曹洞宗の寺に行こうと思ったんだけど、この時代の曹洞宗ってまだまだ力持ってないのね。
臨済宗と曹洞宗はどっちも禅宗で、鎌倉時代以降、武士の公的な宗教として人気があったんだけど、臨済宗は貴族、上級武士の間で流行ったのに対し、曹洞宗は下級武士、地方豪族の間で流行ったんだよな。
で、だ。
この時代の武士の教育は、基本的に寺から和尚を呼んで教えて貰う事が多い。
となれば、上級武士は自分達の間で流行っている臨済宗の僧を呼ぶし、下級武士は見栄を張るために上級武士の間で流行っている臨済宗の僧を呼ぶ。
法要や菩提寺となれば曹洞宗も出番があるけど、周辺豪族や独立領主への影響力で言えば臨済宗に及ばないんだよな。
そして臨済宗も、政治権力とは距離を取っていたので、大人しい寺が多い。
何が言いたいかって言うと、わざわざ俺が対策取らなくても、この二つの宗派は特に騒ぎを起こさないんだ。
で、他の宗派はどうか。
日蓮宗は自力本願で、釈迦信仰。つまるところ、お釈迦様のように修行をする事で悟りを開く事を目的とした宗教だ。
自衛のための寺領は持つがその程度。天文5年に起きた、延暦寺僧兵を中心とした京都日蓮宗の討伐でも、基本的にやられるだけだったらしいからな。
あと、日蓮宗の敵は日蓮宗から権力、利益を奪う国人、大名じゃなくて、法華経をないがしろにする他の宗派らしい。
こいつらは放っておいて、他の宗派と仲違いして貰った方が良い。
ヘタに味方に引き込むとまとめて攻撃されそうだ。
時宗は念仏を唱えながら踊り歩き、全国を遊行する宗教だ。「南無阿弥陀仏と唱えれば、信心のある無しに関わらず極楽浄土へ行ける」という思想は浄土真宗と同じだけど、彼らはどちらかと言えば見世物興行に近い。
室町時代に(今も幕府が残っているから、室町時代と言えなくもないけど)その性質から幕府や大名と結びついた事で、布教活動としての側面は薄れていったらしい。
結果、天台宗や浄土真宗に勢力を奪われていったらしい。
彼らも宗教勢力としてはほぼ無害だ。
浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土へ行ける、と説く宗派だ。先の時宗との違いは、念仏を唱える時に信仰心が必須である点だろう。
ちなみに時宗開祖の一遍は元々浄土宗だ。
宗教勢力は大なり小なり寺領を持っているし、ある程度権力者と結びついたり、権力者を操ったりしている。
けど戒律がきちんとあり、それを守る事で信心を現し、それをもって念仏に本願を込める以上、他の宗派程には腐らないんだ。
おまけに生臭寺より、真っ当な寺の方が浄土宗は力を持っているから、仮に浄土宗が母体となった宗教一揆が起こっても、上役の寺に叱って貰う事ができる。
ていうか、その権威とかは幕府や朝廷にまで及んでいるから、曹洞宗や臨済宗とは別の意味で俺の出る幕が無い。
真言宗は実利よりも権威を重視する宗派だ。元々空海が密教を重視して開いた宗派であるから、経典などを重視せず、口頭によってのみその思想は伝えられていた。
ある意味釈迦の意思を最も継いでいるとも言える宗派だけど、それ故に、ある程度高度な知識が無いと修行をする事すらままならない。
高野山や根来寺のイメージから、武闘派のように思えるけど、基本的には閉じられた宗派であるので、こちらから手を出さなければそれほど恐ろしい宗派じゃない。
天台宗は同時期に開かれた事で真言宗と比較される事が多いと思う。密教を基盤とし、それを思想体系の最上位とする真言宗と違い、天台宗は法華経、密教、戒律、禅を兼修する、仏教の総合商社のような宗派だ。
比叡山延暦寺に代表されるように、高い武力を保持していた、この時代ではトップクラスに危険な宗教勢力。
意外と思われるかもしれないけど、所謂『僧兵』を保持していたのは天台宗だけだ。
他の宗派も一揆や他宗派との戦いの時には信者や門徒兵を使うけど、あれは戦国大名における領民兵みたいなもの。それを指揮する武将=坊官が居るのも大名と同じだ。
僧兵は常備兵のようなもの。
長く日本の仏教教育の最高峰にあったせいで、権力者との結びつきも強く、そのせいで既得権益を強く求めてしまい、徐々に腐敗していったのだろうと思われる。
特に比叡山とその門前町の堕落ぶりはひどいもので、戒律で禁じられているにも関わらず、魚肉を食い、酒色に耽る程。
隠しているならともかく、それを大っぴらにやるんだから、その堕落ぶりと、同時に、当地での権力の大きさを物語っている。
浄土真宗は所謂一向宗ちなみにこの時代、浄土真宗と言うと、浄土宗の流派の一つの事で、一向宗とは別だ。
正直なところ、戦国時代で一番問題なのがこの一向宗だ。
「念仏を唱えれば、信心のある無しに関わらず極楽へ行ける」というのは時宗と同じだが、一向宗には戒律が無い。
作法や教義も非常にシンプル。
そのため、日本全国に莫大な数の信者がおり、その殆どが農民達だ。
そう、これが問題。
農民、つまり、この時代では有事の際に兵士となる存在。
彼らがこぞって信仰しているのがこの一向宗なんだ。
そりゃ一揆が起これば何万って数の軍勢になるよな。
寺社勢力の多くが寺領を持っている。
けど、ただ寺領を持っているだけじゃ意味が無い。そこは武士と同じように、その領地で農業に従事する領民や、商売をする者が居る。
商人は商売がうまくいかなくなれば、店を畳んで逃げる事ができる。しかし農民はそうはいかない。
逃げる事はできるよ? でも、逃げた先で農地を切り拓くのは、新しい店を構える事と比べて遥かに難易度が高い。
だから、不作や戦のせいで税が払えなくなった農民は、借金をする。
借金相手は基本的に寺社勢力だ。だって彼らは普段から寄進やなんだで金を蓄えているからね。
けど、税が払えない程不作の畑を復活させるような知識も技術も、この時代の農民には無い。
基本的には次の年も税が払えず借金を重ねる事になる。
最終的には土地を寺社勢力に売り払って小作人になる訳だ。
これが寺社勢力と寺領の関係だと思っていい。
そうして小作人は、有事の際には雇用主の意向に逆らえず、戦場に立つ。
武士なら暴力を背景に無理矢理だけど、寺社勢力は信仰心によって煽る事ができるんだ。
やってる事はまんま戦国大名だけど、そこに信仰心を加えるだけであら不思議。いつでもどこでも死を恐れない最凶の軍団のできあがりだ。
前世でも、信心深い信者は自分の命を省みずに敵対勢力に自爆特攻したりするからね。
それが万単位で突っ込んで来るんだから、もう、ね。
そして他の宗派と一向宗の最大の違いは、信仰が手軽かどうかだ。
他の宗派は信者になるのは簡単だけど、徳を積み、極楽浄土へ往生するためには、それなりの修行や信仰心が必要だ。
宗教のために死んでも極楽へ行けるとは限らない他の宗派と違い、一向宗は確実に極楽へ行けた(とされている)。
一向宗と同じくそれが要らない時宗は幕府や大名の『下』についたので脅威ではなくなった。
けれど、利害が一致せず、一向宗は幕府や大名と対等の関係にある。
どれだけ一向宗が他の宗派と比べて恐ろしいか、ある程度は理解して貰えたと思う。
そんな訳で、俺は三河一向宗でも特に力の強い本證寺に来ている。
土塁や水濠まで拵えられた城郭寺院だ。
もう城だよ、これ。
「織田五郎三郎信広と申します。本日はお目通り叶いまして、恐悦至極にございます」
「空誓と申します。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
俺を出迎えたのは、一人の高僧だった。
年齢は40歳くらいだろうか。
第十代、空誓。つまりこの本證寺で一番偉い人だ。
「まずはこちらをご覧ください」
そう言って俺は懐から懐紙で包まれたものを取り出す。
床に置いて懐紙を広げると、そこには薄い桃色をした花弁の花があった。
「ほう、綺麗な色の花ですな」
「これは、綿花と申します」
殆ど心のこもっていないお世辞を口にする空誓の表情が、俺の言葉で見事にひきつった。
今回取り上げた各宗派に対するコメントは、あくまでこの時代「のみ」を切り取り、武士である信広視点から主観的に語られたものです。宗派の中でも穏健派、過激派と別れていたようですので、これを一つ一つ拾っていくと膨大な分量になり、また、作者の頭も茹ってしまいます。
なのでまぁ、寺社勢力は今回紹介した順に大名にとって厄介だったが、中でも一向宗は頭抜けて厄介だった、とご理解いただければ問題ありません。
そして信広は、自分が今居る寺が、三河一向一揆の本拠地になった事を知りません。