未来の英雄との邂逅
その日は古渡城に泊まる事になった。
周りの家臣達のまー、俺への態度の冷たい事冷たい事。
いくら嫡男の信長がうつけな行動を取っていると言っても、まだ子供だからな。
正当な後継である信長を脅かす存在である俺は警戒対象でも仕方ないんだけどさ。
「のぶひろあにうえか」
厠からの帰り、俺は廊下で突然呼び止められた。
振り返ると、初陣の前に俺にドングリの飾りをくれた、気の強そうな目をした美少年が立っていた。
「うむ、いかにも儂が信広じゃ。そなたは吉法師じゃな?」
「おれのことをしっているとはさすがじゃな。おやじどのがほめるわけだ」
やはり彼が信長だったか。
片方の肩を出した独特の着物の着方は、もう代名詞だな。
しかし褒めた? あの親爺が?
まぁ、今日は色々訊かれたもんな。
「いずれおまえのてきになるかもしれんからすきをみてころしておくというておった」
こいつ、全文平仮名でなんて恐ろしい事言いやがる。
「敵になどなりはせぬ。儂は父上の息子であるが家臣でもあるからな。父上の命に逆らう事などせぬよ」
「ちちうえにたいしてはそうでもおれにたいしてはどうだ?」
こいつ本当に六歳児か?
うつけうつけと言われてるけど、頭良過ぎて周りがその言動を理解できてないだけなんじゃ?
前世で読んだ信長の物語だと、大抵うつけの振りをして、敵味方を振るいにかけ、織田家当主の座を狙う相手から身を守っていたって描写が多いんだけど、この様子を見る限り、ふりをしているようには見えない。
普段からこの様子だとすると、あまりに子供らしくないこいつの振る舞いを見て、周りが勝手に怖がってるだけなんじゃ?
「そなたに対してもそうじゃ、吉法師。そなたは織田弾正忠家の跡取りであろ? ならば将来の儂の殿様ではないか。どうして敵対する?」
「あにうえがあにうえだからじゃ」
これは相続権の無い長男だから、と言いたいんだろうか。
しかしあれだな。
鋭い目つきを除けば年相応に可愛い顔立ちに舌足らずな感じでこの口調。
のじゃロリ好きの気持ちが理解できる気がするぜ。
有体に言ってすげぇ可愛いんですけど。
なにこの可愛い生き物。あれですか? 俺を萌え殺すっていう作戦ですか?
自分の敵になる前に俺を殺そうとする先見性と行動力。
そして今の自分が持ち得る最強の戦力を惜しみなく使うその才覚。
ふー、我が弟ながら末恐ろしいぜ。
流石未来の第六天魔王。
「兄だからこそ、そなたと敵対などせぬ。兄は弟妹を守るものじゃろう」
「うそじゃ。せんごくらんせにそのようなきれいごとはつうようせぬとおやじどのはつねづねいうておるぞ」
あの親爺は年端もいかない子供に何を教えているんだろう?
いや、まだ全然治まってない尾張に生まれた子供に対する教育としては間違ってないんだろうけどさ。
考えて見れば今川義元も兄を排除して家督継いだんだっけ。
兄とは違うけど、武田信玄も父を追放して武田家を掌握したんだよな。
戦国時代において、血の繋がり何て水より薄いって事だよな。
哀しいけど、これ戦国なのよね。
寒い時代だよ。戦国時代は実際気温低いし二重の意味で。
「吉法師よ、兄や姉が何故先に生まれて来るか知っておるか?」
折角だしここは有名な漫画からパク、もとい言葉を拝借しよう。
適材適所、とはちょっと違うけれど、俺が自分で考えるより、先人の知恵を借りた方が良い。
「さきにうまれたからあになのであろう。なぜもなにもない」
「後から生まれて来る弟妹を守るためよ」
おい、信長、お前の捻くれた言葉のせいで俺の名言台無しじゃんか。
「…………」
無言はやめてくんねぇか? 響いたかどうかの判断が難しいよ。
「そういっておれをゆだんさせるつもりじゃな……!」
どうやら何かしら、相手の心を揺さぶる事には成功したらしい。
頬が若干赤いな。警戒心を強めたというより、照れ隠しか。
「やはりのぶひろあにうえはゆだんならぬあいてじゃ! あんしょうじょうごとほろんでしまえー!」
そう叫んで信長は俺の前から走り去った。
「吉法師、一つそなたに言わねばならぬ事がある」
しかしそこは六歳児。俺がその背中に声をかける時間は十分にあった。
「あんしょうじょうではなく、あんじょうじょうじゃ。こういう言い間違いは恥ずかしいぞ? 遠い異国の地では、一国の主が漢字を読み間違えただけで罷免されてしまう事もあるからな」
まぁ、うちの国なんですけどね。未来の。あれもそれだけが原因って訳じゃないけどさ。
それ以外に関しては、色々まずそうだから深く言及しないけども。
「う、うるさい! おれがあにうえからうばったらあんしょうじょうにかえる! ならばまちがえているのはおれではなくあにうえになる!」
「地名を変えるのは滅亡フラグだぞ」
井ノ口を岐阜と変えたり、今浜を長浜と変えたり。
「めつぼう、ふら……ぐ? ぐ、むずかしいことばをつかえばおれをごまかせるとおもうな!」
顔を真っ赤にして両腕をばたばたさせながら地団駄を踏む信長がたまらなく可愛い。
抱きしめたら変かなー? 変だよなー? でも弟だしいいかなー?
「いずれおれがかとくをついだらまっさきにあにうえをころす! それまでだれにもころされるでないぞ! おれのすごさがうすまるからな!」
うん、言っている事滅茶苦茶だな。頭良いように思えてもやっぱり子供だなー。
あとなんだろう、戦闘宇宙人的なツンデレっぽさも感じる。
今度こそ信長は走り去ってしまった。
うーん、寝る前に良いもの見たな。今日は健やかに眠れそうだ。
ところであいつって既に那古野城城主だよな。
なんでこの時間に古渡城に居るんだ?
「おう、先に始めてるぜ」
首をひねりながらあてがわれた部屋に戻ると、四椋が盃を掲げて声を掛けて来た。
公円も酒をちびちびやりつつ、干した魚を炙ったものを肴にしている。
こいつら、一応俺の護衛だから同室になってる筈なんだが、なんで既に酒宴を開いてるんだよ。
「其方ら、俺が戻って来るまで待てよ」
「五三郎(俺の通称五郎三郎の略称)、固い事言いっこなしだぜ」
四椋の物言いは幾ら乳兄弟とは言え気安過ぎだと思うけど、まぁもう慣れた。
俺が気にしないから、俺の家臣達も誰も気にしなくなったもんな。
一応、他の人間の前では敬うフリをするくらいの分別はあるしな。
「さっきの餓鬼が噂のうつけかい?」
「お前、城の人間に聞かれたら打ち首もんだぞ」
「そんときゃ五三郎が武功を使って守ってくれりゃいい」
四椋は既に顔が赤い。もう酔ってやがるな。
わずかに微笑みを浮かべて無言で飲む公円も、多分同じように思っているんだろう。
まったく頼りになる家臣共だ。
「うつけってより、生意気そうな餓鬼だったな」
「見てたのか?」
「まぁ、少しな。傍目には女子かと思える程顔立ちが整っているが、口を開けばあれだもんな」
「いいじゃないか。跡取りが早熟なのは悪い事じゃない」
「本当にそう思ってるか?」
問う四椋の声には、さっきまでのおちゃらけた感じは無かった。
公円も、こちらに鋭い目を向けている。
「そりゃそうだろ。それだけ弾正忠家が安泰だって事じゃないか」
勿論、四椋がどういう意味で聞いて来たかわかってる。けれど今は鈍感力を発揮しておく。
「五三郎、そなたがそのつもりなら俺達はいつだって……」
「三郎兵衛、主君を御屋形様と呼びたい気持ちはわかるが、儂にはそのつもりはない」
尚も食い下がる四椋を真っすぐに見据えてはっきりと言い切る。
やめろよ、お家騒動の火種にしようとすんなよ。
「だがな五三郎」
「くどい。儂は織田信秀の長男ではあるが、織田弾正忠家の跡取りではない。兄として、弟妹を害するような真似はできぬ」
そしてこれまで、無言で盃を傾けていた公円に向き直る。
「与四郎、そなたもじゃ。妙な気は起こすでないぞ」
「……俺は五郎三郎様に従うだけだ」
ならせめて目を見て言ってくれないか?
「とにかく、親爺が吉法師を跡取りと定めておる以上、儂が何か言う事は無い」
そう言って俺は盃をあおった。
沈黙が部屋を支配する。
そんな空気を破ったのは、外から聞こえて来た誰かの叫び声だった。
「なんだ?」
すわ敵襲か!? 四椋と公円が刀を掴んで立ち上がる。
しかし誰かが争うような声は聞こえてくるが、戦っているような音はしない。
「ちょっと見て来る」
言って四椋が部屋を出る。
暫くすると声が聞こえなくなり、四椋もそれからほどなくして戻って来た。
「件の餓鬼が、探しに来た教育係と追いかけっこをしていたらしい」
抜け出して来たのかよ。
だけど何の為に? 決まってる。俺を値踏みするためだ。
将来の敵になるかもしれない相手だもんな。今のうちから情報を集めておいて損は無いってところか。
考えは間違っていないんだけど、それを六歳児が行うなんて誰も想像できねーよ。
言わずに来るからうつけって言われちゃうんだよ。
あれだな、信長は自分の行動の理由をちゃんと周りに言うべきだ。
明智さんの卓袱台返しもその辺に原因があったんじゃねーかな。
「五三郎……」
座り直して盃を改めて手に取り、四椋が俺を見る。
「これでもまだ、あの餓鬼が相応しいと?」
「餓鬼が餓鬼らしくて何が悪い。まだ七歳。これからじゃ!」
「その言い訳は苦しいぞ!」
俺は盃を一気に飲み干し、そのまま近くにあった夜着をひっつかんでくるまると寝転ぶ。
流石にそれ以上、四椋は何も言わなかった。
確か信長の奇行って元服後も続くんだよな。
あー、あと十年以上も家臣からねちねち言われんのかな。
早いうちにもっとでっかい釘刺しておかないとな。俺の知らない所で家督争い勃発とか、勘弁して欲しいぜ。
信長との初対面。
そして若干漂う不穏な空気。
感想にてご指摘いただきました「御屋形様」についての解説を活動報告にてさせていただいております。
戦国時代の文化についてあれこれ「御屋形様」「諱」
をご覧ください。
2/20追記
活動報告だと新しい読者が探すのに苦労する旨のご指摘を受けましたので、こちらでも解説させていただきます。
「御屋形様」について
多くの方からご指摘いただきました通り、「御屋形様」という呼称は、本来幕府から「屋形号」を賜った家にのみ許されるものです。
ですので、今話内の信広のセリフ「主君を御屋形様と呼びたい気持ちはわかるが~」は、弾正忠家がこの時点では屋形号を賜っていない以上、不適切です。
しかし、作者の調べた中で「御屋形様」は「武家の棟梁(武士の家の棟梁という意味で)を差す場合にも使える」ようです。
勿論、制度上では不可能です。しかしこの時代、幕府の権威が地に墜ちていた事もあって、役職を自称する武士(〇〇守みたいなやつ)が沢山いました。
当然、制度上はこれらも本来の呼び方ではない筈ですが、資料に残っているため、「織田上総介信長」にツッコミを入れる人は居ない訳ですね。
となると、「制度上は不可能だけど、地方にはもう幕府の威光が及ばないから、自称する武士が居た」としてもおかしくないと解釈できます。
太鼓持ち武将「おやかたさまー、おやかたさまー」
主君「おいおい、儂は幕府から屋形号を賜っていないから御屋形様ではないぞ(にやにや)」
太鼓持ち武将「てへへ、すいやせん、つい」
主君「まったく其方は無知よの(愛い奴め)」
みたいな会話があってもおかしな話ではないですよね。
ついでに信長の上総介も、元々は今川家が代々上総介を称していたのに対抗して、「介」の上役である「守」を自称して上総守としていましたが、「上総は親王任国ですから守は存在しませんよ」と注意されて上総介に直した、という説があるくらいですから、この時代の幕府由来の制度は形骸化していると言っても過言ではないでしょう。
東国武士に多く見られる、左内、数馬なんかは自称どころかニセ官名ですしね。
流石に公の場で、信広を家臣が「御屋形様」と呼ぶような事はあってはならないと思いますが。