6
いよいよ高校の授業がスタートした。
皆新しい環境に馴染むため、活発に動いている。
例えば友達。
例えば勉強。
例えば部活。
やれ今日の授業は簡単だった。やれテスト勉強どうする。やれ街に遊びに行こうぜ。
毎日教室では色んな会話が繰り広げられ、その度に各々のコミュニティ、グループが徐々に固まっていっている。
そんな中、クラス一どころか全校一の美少女たるリックはといえば。
「この前やっとCDアルバム『心ステーション』買えたんだよー。毎日聴いてるぜ。幸せー!」
「いい曲だよね。オレも好きだよ」
「ねえねえセドリックさん、メアド交換しようよ」
「いいよ。ちょっと待ってね」
男子の輪に混じって談笑していた。
女子の輪ではなく、だ。
むろん女子とも会話をしたりはする。が、トータルの時間で見ると明らかに男子と一緒にいる事が多い。
当人が自分をどう思っているかはさておき、紅一点はよく目立った。
傍から見れば男子に気さくな女子高生に見える事だろう。時々スカートから除く無防備な太ももが悩ましかったりも。
また、体は女子でも心は男子として日々を過ごしているリックだが、その学校生活は決して穏やかなものというわけではなかった。
ある日の昼休み、三人の男子に囲まれて談笑していた時だ。
「なー、セドリック」
「なんだい」
「お前、男だったんだろ?」
「うん、そうだね。今もそのつもりだよ」
「じゃあさ……ちょ、ちょっと、ちょっとだけさ、胸触らせてくんね?」
「……」
ニヤニヤ笑いに囲まれるリックは、しかしそれでも微笑みを崩さなかった。
「えぇ、それは嫌だなぁ。大体男同士で胸揉むっておかしくないかな」
「なー、いいだろ。男なんだろ、だったら一回くらい胸揉まれても別にへーきだろー。本当に女の胸か確かめさせてくれよー」
「だよなー」
「もしかしてお前女のふりしてるだけじゃねえの? ほらほら、ちょっと見せてみろよ、なぁなぁ」
どうやら聞く耳もたないらしい。
心の中ではさぞかしヨダレを垂らしている事だろう。思春期の男子高校生ならさもありなん。
なお、リックの胸が平らに見えるのはサラシを巻いているからである。
「……ふぅ。ハルー、ちょっと来てくれないか」
「ん? どしたー?」
晴義は晴義で別の男子グループとアイドルについて盛り上がっていた所だったが、リックの呼び出しとあらば即参上。
そしてやってきた晴義の腕をおもむろに掴み、リックはそのまま上着を少しズラしてブラウスの上から自分の胸へと導いた。
晴義の手にやや硬い感触が伝わる。それと緩やかな膨らみも。
突然の事だったが、晴義は別段慌てる事なくされるがままにしていた。リックの胸に触った所で何ら感慨も抱いておらず、ただ何のためにこんな事したのか疑問符を浮かべるだけだ。
「ハル、オレの胸、あるよな」
「ん? あぁ、あるな」
「はい、これでいいかな。こいつがちゃんと体は女だって証言してくれたわけだけど」
あくまでリックは穏やかだった。
「は? ふざけてんの?」
だが男子達は面白いわけがない。
途端に不機嫌な声になり、聞こえるように舌打ちまでしてきた。
「おーっと、手が滑ったー!」
一人の男子が緩んだ顔のまま、手を伸ばしてくる。その先にあるのは言うまでも無く、リックの胸だ。
「……」
しかしリックとてただ者ではない。本物の刀剣を片手に妖怪退治を初めとした荒事を渡ってきた退魔術士だ。世界を見ても凄腕の退魔術士と評される彼にとって、ただの男子生徒の不意打ちなど後手に回ってもなお余裕が有り余る。
軽く体を開いてズラすだけで、男子の手は空を切った。
「わりーわりー。けど、なんでそんな嫌がんのー? おかしくね? もしかしてウソついてるんじゃねー? 俺らには触っちゃいけない理由でもあんのー? ねぇねぇ」
なおも食い下がる男子達に、リックはついに観念したのか。
「……分かったよ。ここじゃなんだし、ついてきて。人目が、ね」
「おー!」
俄然、盛り上がる男子達。
「リックー、俺もついて行こうか?」
「いや、いいよ。オレだけで十分だから」
「ま、いいか」と暢気な晴義。
オロオロと不安げに右往左往し、或いは無関心を決め込む他のクラスメイト達。
それらを置いて、リックはさっさと教室を出て行った。その後を男子三名がだらしない足取りでついて行く。
これからの事を想像しながら締まりの無い顔をし、リックの後ろからついてきていた男子達。なお想像の中では胸を触るだけでは済んでいない模様。
そんなピンク色の気配を後頭部に感じながら、元男のリックは彼らの行動が理解できる自分に頭痛がしていた。まぁさほど親しくも無い男にベタベタ触られるとか、男でも女であっても願い下げなので、リックのやる事は変わらないのだが。
そして体育館の裏手に向かう途中、ほとんど人目がない小さな階段にさしかかった時だった。
先頭にいるリックはそ知らぬ顔で自然を装って男子達へとわずかに振り返る。それと同時に稲妻のようにスカートの中から足が伸びた。
後ろにいた全員の足を、リックは目にも止まらぬ速さでそっと優しく刈っていった。
同時に自身は階段の端へと寄ると、そのすぐ隣を他の男子全員が一斉に雪崩れ落ちていった。
「うわあああああ!?」
「ぎゃっ!」
「いてっ!?」
階段の下で呻く彼らに、リックはいかにも驚いた様子で目を丸くした。
「大丈夫かい、急に転んでビックリしたよ」
「いつつ……なんか足に引っかかったような……」
「お前、俺を押しただろう!」
「あいたたた……押してねえよ! むしろお前の足が当たったんじゃないのか!?」
転んだ拍子に打ったのか、二人は頭にコブができ、一人は顔の擦り傷から血がにじみ始めていた。
「ああ、ケガしてしまったね。これは保健室に行かないと」
ニッコリ笑顔のリックがそう提案し、一人一人の目を見て腕を取る。
――エナジードレイン。
目で簡単な魅了を掛け、瞬間的に軽い催眠状態にする。そして腕から極わずかに精気を吸い取った。
ここまで一瞬の早業である。
基本的に退魔術士は魔法で一般人を傷つけるのはご法度ではあるが、多少の融通は利く。バレなければOK、というか表沙汰になってバレないよう上手くやれという業界の暗黙の不文律もあるくらいだ。
なおバレた場合は退魔術士業界の人員が調査に派遣され、クロであれば厳しい罰則を受ける事になる。
「ほら、そんなにフラついてるじゃないか……さ、大人しく保健室へ行こう。ね」
「う……そう……だな、おい、行こうぜ……」
「あ、ああ……いてて……保健室、行かなくちゃ……」
「…………あー…………」
男子達は貧血を起こしたようなフラフラとややおぼつかない足取りでクルリと引き返して行った。
それを見送っていると、入れ違いにやって来る人影が。
「よっ、鮮やかな手並みだったな」
「ハル。心配して見に来てくれたのか? 十分だって言っただろ」
「まあいいじゃねえの。でもよー、あいつらまた迫ってくるんじゃねえの? しつこそうだぞ」
「その時はまぁ……ちょっと真正面から痛い目を見てもらうさ。一度どっちが上か徹底的に教え込めば、二度と手出しはしてこないだろうしね」
キレイな笑顔だった。
ただその笑顔は黒かった。
またある時、体育の時間で男女別々の教室に別れて着替える時。
「じゃあ着替えを持って……」
女子達の視線を一身に浴びながら、着替えを持って教室を出て行く。
「セドリックさん、どこで着替えてるんだろうね」
不思議に思った女子数人がこっそりリックの後をつけようとするのだが。
「……」
リックが廊下の角を曲がる。
続いて足音を忍ばせながら駆け足で女子達が角に追いつき、顔だけを覗かせると。
「あ、あれ? あれ?」
既に廊下のどこにもリックの姿はない。
こうやっていつもいつも撒かれるのだった。
「むぅー。セドリックさん、足速いんだなぁ」
なお当然の事ながら女子達の尾行に気がついていたリックは、視界から逃れた途端に疾風のように最寄の男子トイレに駆け込み、窓から外に出ていた。
なお、用を足していた男子がいたが、影しか見えておらず、それが女子生徒だと気づく事はなかった。
あ、着替えは校舎の屋根に跳躍し、そこの給水タンクの影に隠れてパパっとやりました。
黒い霧の結界を作り出し、カーテン代わりにしたので覗き防止もバッチリです。
とまあ、こんな調子なので女子の友人作りは順調とは言い難かった。
授業が終わると晴義とリックは走って帰宅する。時折友人らと寄り道をするが、基本は真っ直ぐ帰る。立派な帰宅部である。なお平均時速は四十kmを超えている。裏道や林を三次元的に突っ切るその姿はまさにNINJAである。
帰ってする事は魔法の訓練や勉強、そして商売道具のメンテナンスなどがある。
今日は一度家まで帰った後、着替えて市内まで買い物だ。術符や小刀などを取り扱っているオカルトショップがあるので、消費した道具の補充に行く事になっていた。
リックとクリスが女性化する前は学校帰りに直接寄り道をしていたのだが、今ではリックの強い希望により一度家に帰る事になっていた。
それというのも。
「やっ、お待たせ」
「おー。さっさと行こうぜ」
玄関から出てきたリックは女子高生の制服を脱ぎ去り、男物のファッションで身を固めていた。ロゴ入りパーカーとスラックスの上下にスリッポンシューズ。パッと見、美少年か美少女か判断に迷う程度には誤魔化せるレベルにはなっている。
学校以外では一秒たりとて女子高生の制服を着ていたくないリックである。
だがそんな努力も虚しく、市内の繁華街で声をかけてくる男がいなくなる事はなかった。
「ヒューヒュー、そこのキミ、カワイイねー……って、あれ、男かぁ?」
「いや、女だろ。俺もお付き合いしてー」
「お前はこの前振られたばかりじゃん」
ビルの隙間を歩いていると、遠くから囃し立ててくる典型的な不良スタイルのグループが一つ。おそらくは大学生か。
大抵はスルーするか、ガタイがよくオッサン顔の晴義の威圧感が効けばそれ以上何もしてこないが、時折時間や場所が悪いと囲もうと寄ってくる連中もいる。
「……オレは男ですよ」
「えー? マジで?」
「そんな事言ってー。本当は女の子なんでしょー? ぎゃはは」
「俺達と遊ぼうよー」
イライラ。
「オレは、男、です」
やや剣呑な目つきになっても、元が高校入学したての女の子の体だ。男達や晴義と比べればどうしても小さく映るため、迫力不足は如何ともしがたい。本気になれば別だが。
「おーっと、ツレが困ってるみたいなんで、そこまでにしろよな」
むんず。
晴義が涼しい顔で左右片手ずつ男らの首根っこを掴んで持ち上げる。
軽々と男二人の両足が地面から離れた。
「な、何しやがんだ、テメエ!」
「いいからとっととどけよ、っと」
ポイっと前に放り出すと、男二人はたたらを踏んで勢いよく振り返った。
「テメエ……チョーシのんなよ、オラァ!!」
「おい、フクロにすっぞ」
晴義はメンチを切ってくる男らを無視して一度眼前で両手を合わせ打ち鳴らす。
一瞬男達は目をパチクリとさせたが、すぐに激昂した。
「おい、今更謝っても遅せーからな」
「……」
「お前ら二人ともタダで帰れると思うなよ」
「……」
「なんとか言えよ、オラ! 今更ブルってんのか!?」
「……」
男達は近くにある壁を蹴ったり、怒鳴り声を上げて威嚇している。
その後ろをリックと晴義は悠々と通り過ぎていった。
男達はそれに気づかない。彼らの目の前にあるのはコンビニの燃えるゴミ箱と燃えないゴミ箱二つ。
晴義の幻術だ。
今、彼らはゴミ箱を晴義とリックだと思っているのだ。
無機物相手に男達はオラついていた。
コンビニの店員さんがゴミ箱損壊で警察を呼ぶまでそう時間はかからなかった。
一方、リックはといえば。
「ったく、オレをナンパ? なんでオレが男からナンパされなきゃならないんだ、ふざけるなよ……!」
「おーいリック、そんなカッカカッカすんなよ」
「してない! これもそれも、あのマジックアイテムのせいで……こんな体になってからほんと、ろくな事がない……!」
行き場の無い怒りを必死に腹の内で抑えていた。
(けれど……今のオレが仮に本気で女子に「好きだ」と言っても……)
傍から見ると、女が女に告白しているとしか見えない。もし万が一付き合えたとしても、その先に何が待っているのか、リックはあまり考えたくはなかった。
かといって、自分が女として生き、男に告白されて喜ぶ姿をどうしても想像できなかった。むしろ嫌悪すら覚えた。
「おーい、どしたリック。急に黙りこくって。お、うまそうな匂い。饅頭か、一つ買ってくか?」
「お前はいいよな、悩みが無くて」
「おいおい、俺にだって悩みはあるぞ! 高校卒業するまでに一度くらい女の子と付き合ってみたいっていう切実な悩みがな!」
「……まぁ、お前は大丈夫だよ。たぶんな」
最悪、クリスがいるだろう、とリックは密かに思ったが、口にはしなかった。




