5
新学期。
「セドリック・ジョゼット・ド・フィリベールです。出身中学は――」
凛とした涼やかな美声が教室に響く。
ライトブラウンの髪はサラサラで、アンバーの瞳は力強く、その艶やかな唇から発せられるのは流暢な日本語。
華奢な身体だが、堂々とした自信に満ちた態度。
そして何よりも整った目鼻立ちは男子の目を引くに余りある魅力に溢れていた。
新しく始まる高校生活。その始まりとなるホームルームで、完璧な外面で自己紹介をする女子高生リックがいた。
「すっげ、何あれ、ハーフの子?」
「はー……キレイだ…………」
「惚れた!」
「この高校受かってよかった……神様サンキュー」
「ん? あれ? セドリック……? え? なんで女子の制服着てんの?」
「うわ、何食べたらあんなスタイルになれるのよ」
「足と腰細っそ! 顔ちっちゃ!」
「ちょ、なんか一人だけ漫画のキャラがいるし、なにあれ! なにあれ!?」
「やだ、カッコイイ……お姉さまって呼びたい……はぁはぁ」
などといった諸々の注目を浴びながら、リックは自己紹介を終えて着席した。
その所作すら感嘆のため息がでるほど華麗で、背筋をピンと伸ばして無駄な音一つ立てないその姿は大和撫子のイメージにぴったりだった。いや、外見は外人さんまんまなんだけど。
リックの第一印象はこれ以上ないくらい大成功だった。
「ぃよっす! 俺は東城晴義! 皆今年一年よろしく!」
なお同じクラスになった晴義の自己紹介は有り余る元気を持て余した大声で、良くも悪くもクラス全員に強い印象を残すことになった。
HRが終わり、同じ中学の顔見知り同士や近くの席同士で談笑の輪が作られようとする中、注目の美少女リックの行動は素早かった。
声をかけようと隙を窺っていた男子、女子を尻目にきびきびと晴義の席まで歩いていき、親しげに声をかけた。
「ハル、あの自己紹介はないんじゃないかな」
「いーんだよ、俺はあれで。それよりお前、今までよりずっと視線集めてたな。よっ、人気者!」
「嬉しくないよ、それ」
「余裕だな、くそったれ。見てろよ、今年こそは絶対初彼女を作って吠え面かかせてやるからな!」
「そのセリフ、去年も聞いたよ」
愛称を使って親しげに話す美少女とオッサン顔の二人に、周囲の一部が色々な想像を働かせていると、同じ中学出身の男子三名が二人に近づいていった。
「なあ、セドリック君だよな。ほら、同中で一緒のクラスだった……」
「ん? ああ、刈谷君か。久しぶりだね、卒業式の日以来か。ごめんね、休みの間は家の事情で忙しくて……カラオケも急に行けなくなってしまって」
「いや、それはもういいんだ……それより、セドリック君、その……なんで、そんな制服を着てるんだ……?」
困惑でひきつった顔で刈谷と呼ばれた男子生徒がセドリックを指差す。スカートを指すその指は震えていた。
周囲のほとんどが刈谷少年の意図するところが分からず首を傾げる中、刈谷少年の後ろにいた男子生徒が恐る恐る呟いた。
「お前……男だろ?」
その音波が教室中に伝播しきった直後、教室が大揺れした。
「えええええええええええええええ!?!?!?」
こんなに聞き耳をたてていたのか、とリックが呆れるくらいたくさんのクラスメイト達が一斉に振り返る。そしてもう隠す事すらせずマジマジと華奢なスカート姿の美少女をガン見した。
そんな皆に、セドリックはゆっくりと両手を挙げ、沈痛そうに頭を振ってゆっくりと口を開く。
「そう。オレは確かに男だったよ。中学を卒業した時はね。けれど卒業から高校入学するまでの間、オレはある奇病にかかったんだ。ホルモン異常の『性転換病』っていう病気だけど、たぶん知ってる人は多いんじゃないかな。あ、感染するようなものじゃないから安心していいよ」
「あ、ああ。あの一日寝たきりになって、起きたら性別が逆転するっていうあの珍しい病気の事?」
「そう。オレも翌朝気がついたらこうなってたってわけさ。このスカート、オレも違和感あって好きじゃないんだけどね……」
「た、大変だったんだな」
「うん。ほんとにね」
江戸時代ならこういったファンタジーな異常などは全部『天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!』などで片付けていたのだが、明治期以降はさすがに誤魔化すのも面倒、もとい厳しくなってきたので、西洋から病名を大量輸入したのだ。
元々はサキュバス・インキュバスなどといった性転換と関わりの深い種族や魔法による性別転換を一般社会にも受け入れやすくフォローするためにでっちあげた病名であり、中世には既に存在していた。数自体も極めて少ないためマイナーではあるのだが、そのインパクトのある症状は遥か昔から小説などで使われ、古典的名作にもこの病状を取り扱ったものがあるため、マイナーな割には世間の認知度は高いのである。
例えば土佐○記では、一時期女性になってしまい、その時の旅の出来事を綴っているという具合に。
「へ、へぇー……」
「こんな事になってしまって皆には迷惑をかけるだろうけど、なるべくそうはならないよう努力するよ」
「えっと、これからは女子として扱えばいい……のか?」
「社会、学校の扱いとしてはそうなる。ただ、オレ自身は心は男子のつもりだよ。女子の皆には……不快にならないよう注意して行動するつもりだ」
ザワリと教室にさざめきが起きる。その発生源は女子だった。
困惑やら戸惑いといった、リックの扱いをどうすべきか決めあぐねている雰囲気だ。
「まあこいつ、いい奴だから大丈夫大丈夫! 女子の皆も仲良くしてやってくれよ!」
横からリックの肩を抱いて能天気な笑顔をするのは晴義。
周囲は「なにが大丈夫なのか?」という顔ばかりだったが。
「あ、俺はこいつの親友で、ただ今絶賛彼女募集中! よろしくなっ!」
親指立ててサムズアップ。
白い歯がキラリと光ったような気がした。
けど反応はなかった。
後に残ったのは地獄のような静寂だけ。晴義は気にしていなかったが。
そんな高校初日だった。
☆☆☆☆☆☆
「まー、俺らはそんな感じだったけど、クリスはどーだった?」
「…………ボクの方はあんまり。ああそう、みたいな感じで……」
「ふぅん? やっぱり中学三年となると友人や顔見知りも多いし、ちゃんと受け入れてくれるんだろうね」
「なんか皆、むしろ納得したような、安心したような顔をしてた気がする……」
「……あー」
「……なるほど」
入学式や始業式が終わり、帰ってきた三人は家の部屋に集まっていた。三人は揃って仕事道具の手入れをしながら学校初日の事をのんびりお喋りしているところだ。
どうやらクリスの方はつつがなく学校生活を送れそうだった。
それでいいのか、という一抹の不安はあるが。
「特にすごかったのが女の子の反応で……ボク、ずっと囲まれてあれこれ質問されてた」
どうやらクリスは女子になった事で以前よりより人気になったようだ。
むしろ、今までは「可愛くてもあの子は男の子」というブレーキ働いていたのだが、それが外れただけなのかもしれない。
果たして大丈夫なのだろうか、クリスのクラスは。
「服とか口紅とかマニキュアとか色々聞かれて、つい持ってないって言ったら早速女子の皆でショッピングに行く事になっちゃった」
「もうクラスを篭絡したのか。我が弟ながら末恐ろしい……あぁ、今はもう妹か」
「クリスは男でも女でも愛玩系の可愛らしさがあるからなぁ」
「えっ、ハル兄さん、可愛らしいって…………ぇへへ」
てれてれ。
そんなクリスとは対照的に浮かない顔をしているのがリックだ。
彼女は自分の立ち位置が微妙な所に置かれているのを自覚していた。おそらく学校生活は順風満帆とはいかないだろうと一人覚悟している。
(まぁ、まず間違いなくこいつだけは隣に残ってくれるだろうし、孤立する事はないからその点は心強いかな。まあどうせ晴義は今のクラスの雰囲気にまったく気がついてないだろうけど)
「ん? どした、俺に何かあんのか?」
「いーや、別にないさ。ただ同じクラスになって良かったって思ってただけさ。ハル、今年一年よろしくな」
「おお! 俺も一緒で嬉しいぜ、親友! わはは!」
阿吽の呼吸で拳を突き合わせる二人を、クリスは微笑ましそうに隣から眺めていた。
その間、ずっとクリスの手は晴義の裾を握ったままだった。