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「嫌だからな! 嫌だからな! オレは絶対に行かないぞ!」
「そんな女の体して男子制服なんか着れるわけないだろ。ほら行くぞ!」
「くっ、何か、何か手段はあるはずだ! パスカルだって言っている。『人は考える葦である』と。自然の中で最も弱弱しい葦だが、考え工夫する事こそ価値があると!」
「お前は夢魔だろーが」
「さ、差別反対!」
「ええい、いつまでもグダグダと! クリスはもうとっくに済ませてんだぞ。おらいくぞ!」
「あっあっぅんっ!? こら変な所触るな!」
「裏声出すな、気色悪ぃ」
「裏声じゃない! 誰のせいだと――ちょ、待て! 待てって! あああああ!」
「……じゃあおじさん、おばさん行ってきまーす。二人とも待ってよー」
「おう、行ってこい」
「帰ってきたら皆で制服着て写真とりましょーね」
「コケー」
東城家の両親とダチョウのごとき大きさの鶏に見送られ、三人はリックの新しい制服を新たに購入するために店へと向かった。
「ちょうどいいサイズの制服があるかなーっと。ほらリック、モタモタしてないでもっとシャキっとしろ。ちゃんと選べよ、お前の制服なんだから」
「うるさい。オレが買うなんていつ言った」
「店まで来ておいて、往生際が悪いぞ」
「お前が無理矢理連れてきたんだろ!」
「兄さん兄さん、リック兄さん。お店の人が見てるよ……!」
アーケード街の一角にある学生服の店。マネキンが立ち並び、棚に色んな学校の制服が陳列されているそこで少年と少女達が賑やかに騒いでいた。
騒いでる一人は明るい茶髪をした、キリっとした目鼻立ちの格好いい中性的な美少女で、スラリと伸びた身体にシャツとズボンが似合っている。
オロオロとしている一人は小柄で愛くるしく、フリルやリボンがこれでもかというほど似合いそうな、金髪碧眼の絵に描いたような可愛い女の子。
騒いでるもう片方は、濃いオッサン顔の少年で、前述の二人と並べると美女と野獣という表現がピッタリだった。
「無理矢理……? そのわりには道中素直についてきてたじゃねーか」
「往来の真ん中で駄々こねるようなマネができるか……!」
クリスに周囲の目を指摘され、ややトーンダウンしながらも抗議を続けるリック。
「でも……騒いでなくても、今日はよく見られてたね」
「だな。今までは女の人ばっかだったけど、今日は男ばっかだな。それも、遠慮がない興味津々な視線ばっかだった」
三人が並んで歩くとそれはもう周りの目を引いた。
モデルさんばりのオーラを持つ美少女と天使かと思うくらいの童顔美少女が揃って歩いているのだ。どこかの芸能人かと思った通行人も少なくなかった。
ガラの悪そうなグループがニヤニヤしながら声をかけようとしていたが、すぐ側を歩く晴義の顔とガタイの良さを視界に入れた途端、彼らは行動に移す事を止めた。素晴らしい虫除けである。
まあ声をかけようとしていた美少女二人も立派な全身凶器ではあるのだが。
これでも14、5歳ながらも優秀な部類に入る退魔術士。チンピラがガチ軍人に挑むようなものだ。
「今までとは違った視線だからな、やっぱり慣れないな。なんというか、嘗め回されてるようで正直気分は良くない」
「そう? ボクは以前とあんまり変わりないように思えたんだけど……」
晴義とリックの視線が集中する。
「な、なに……?」
「いや」
「なんでもないよ、クリス」
急に二人の視線を集めてちょっと頬を赤らめながら縮こまるクリスは、小動物のようでそれはもう可愛らしかった。
「まあいいや。それより早く制服決めて帰ろうぜー。そして早く訓練メニュー消化しようぜー」
「お前な……ちょっとはオレの身になって考えてみろ! お前だって今、ここでスカートを穿いてフリルやレースの服着ろよ、って言われてもできないだろうが!」
「むう……それは確かに」
「ハッ、所詮他人事だから晴義はそんな簡単に言えるんだよな!」
ささくれた心がダークサイドに墜ちた元イケメンの親友のその言葉に、晴義は一度沈黙し、何かを決意した目で重い口を開いた。
「……俺がここで女装すれば、お前は素直に女物の服を買うのか?」
「え?」
「へ?」
イケメンボイスだった。
顔は劇画調で、まるでどこぞのサーティーンな殺し屋さんのようだった。
「ハ、ハル兄さん……何を?」
「いや、ここでまだグダグダやるより、それでリックの気が済んで大人しく女子の制服を着るというのなら…………」
「……と、いう……なら……?」
「ま、まさ……か……」
晴義は澄んだ目で二人を見据え、厳かに告げた。
「俺は、ここで着よう」
リック、クリス姉妹仲良くフリーズ。
「……」
「……」
「ふーん、大きめのサイズは少ないけど……お、これならなんとか着れそうだ」
その間にも男、晴義はズンズンと進み、堂々と女子の制服を手に取り物色し始める。
「うわーーーー! バカバカ! 止めろこのバカ!」
「ハル兄さん、止めてーーーー!」
腕と背中に縋りつく二人の必死の制止の甲斐もあって、自爆テロは未然に防がれた。
なお、一番助かったのは声をかけるか否か迷っていた店の奥の店員さんだろう。
「もういいから……分かったから…………着るよ。オレが着ればいいんだろう」
「お。やっとその気になったか」
上半身をゆらゆらとさせ、ゾンビの如き力ない足取りで己の女子制服のハンガーを手に取るリック。
その肩は落ち、見るも無残に憔悴していた。
「なんでこんな事になったんだろうな……」
「なあ、一人が気になるならやっぱり俺も一緒に着てやろうか?」
「もうお前は外出てろ」
一蹴。
何もかもが面倒になってやけっぱちになったリックのその背中は、まるでダメ男に流されるまま人生を転がり落ちて行くキャリアウーマンの哀愁が漂っていた。
「ただし! 今回着るのはあくまで制服だけだ。それ以外は絶対に女の格好なんてするものか。後下着は絶対女物なんて買わないからな」
「スカートの下にトランクス履くのか?」
「ああ」
「……に、兄さん。体育の着替えの時とか、どうするの……? 変人だって噂になるんじゃぁ……」
少なくとも見た目は凛々しくも綺麗な少女がトランクスなんて着けていようものなら、まずイジメや爪弾きの対象となり誰も近寄らなくなるだろう。
綺麗で目立つ事も相まって、周りの女性からの包囲網はとんでもない事になるだろう。
「……まあ、見られないよう注意するさ。なんだったらトイレで着替えるという手もある」
「リック兄さん、それは女を甘く見すぎだよ。絶対止めておいた方がいいよ」
「そうか? まあいざとなったら、姿消しや認識障害とかそれ用の術符でも買うさ。幸い金ならある」
「兄さん……そこまで……」
リックの女性人生は前途多難そうだった。
そんなこんなでリックが試着室へと入って数分後。
「こ、これでいいか……」
試着室のカーテンが開かれ、出てきたのは……
「おおー。へー、うん、意外とよく似合ってるじゃないか!」
「リック兄さん、綺麗……」
「うう、やっぱりズボンじゃないと違和感が……足がスースーしてて落ち着かない……」
上下紺色の三つボタンのセーラー服にえんじ色のネクタイを付け、屈辱と羞恥に頬を赤く染めながら睨んでくる新米女子高生の姿があった。
なお、その凛とした綺麗な顔とは裏腹に、腹の奥底ではぐぬぬと猛獣のような唸り声を上げっぱなしである。
「いやー、あれだな! 今まで優等生だった親友が女装癖に目覚めたのを目の当たりにした時ってきっとこんな感じなんだろうな!」
「うわああ! そこになおれ、ハルゥゥゥ!」
「うおっ危ね!? いきなりグーで殴りかかってくんな! ちょ、蹴んな! ほら、そんなんで蹴るとスカートがー」
「うがあああ!」
「いてっ、いててっ、わーったわーった、俺が悪かったって!」
ちょっぴり涙目のリックからフック、ストレート、アッパーと乱打を食らってあっさり白旗を掲げる晴義だった。
「フーッ、フーッ」
「どうどう、落ち着いた? リック兄さん」
「ああ……もう後ろから羽交い絞めしなくていいからクリス。いいか、ハル。今後女でおちょくったら一回につき拳骨一発だからな」
「おう。分かった分かった」
「不安しかない返事だな……まあ三日忘れないでくれれば上出来か。後は徐々に体に覚えさせていくから。ハルはこっちの方が手っ取り早い」
悪い事をしたらすぐ叱る。
ほとんど犬の躾けと同じ扱いである。
「んじゃ、制服はそれでいいか」
「ああ。とりあえず入学式に間に合わせられれば十分だから、夏服はまた今度にしよう。そういう事だから、ちょっとこれを店員さんに渡して買ってくる」
「おう、行ってこい」
「いってらっしゃい」
そう言ってリックはもう一度試着室に入り、脱いだ制服を片手に出てきた。そしてあくまで営業スマイルを崩さないプロの店員さんの所へと歩いて行く。
支払いを済ませ、制服を包んでもらって三人が店を出る。
「あー、やっと終わったな。さ、帰って術の練習しねーとな」
隣でそんな事を言いながらちょっと伸びをしている友人を少しだけ見上げて、リックはふと考え込んだ。
(こいつ……そういえばオレ達が女になる前と後とで全然距離感が変わってないな)
それを、今の今までずっと当たり前のように受け入れていた事に気付いたリックは改めて怪訝に思う。
いつもと変わらない。
それは普通な事のようで、普通ではない。少なくともリックはそう思う。
今まで隣にいた男が、女に変わったら果たして自分はいつも通りでいられるだろうか。
(いや)
リックは首を振って考え直した。
(晴義はきっと深く考えていないんだろう。うん、そうに違いない)
自分で導き出した解に一人満足していると、クリスが横からなにやら難しい顔で覗き込まれていた。
「どうした、クリス」
「あのね、そういえば……ボク、リック兄さんの事、ジョゼット……ジョゼ姉さんって呼んだ方がいいのかなって。ほら、いつまでも兄さんじゃ、周りの人が変に思っちゃうよ」
「……………………今、なんて?」
サキュバス・インキュバスは将来男子になるか女子になるか分からないため、男子名と女子名の両方が名付けてある。
リックの場合、フルネームはセドリック・ジョゼット・ド・フィリベールで、男子名がセドリック、女子名がジョゼットに当たる。
これがクリスになると、フルネームはクリストファー・ミレーヌ・ド・フィリベールで、男子名がクリストファー、女性名がミレーヌ、愛称ミルとなるのだ。
今まで男性名で呼んでいたが、女性化してしまった今、これからは女性名の方で呼んだ方がいいんじゃないかというクリスの提案だった。
「あー! 確かにそうだな、外じゃ『兄さん』は変だろ。俺もジョゼって呼ぶか」
「うっ……いや、ちょっと待って、ちょっと待ってくれ……」
「クリスはまぁ……クリスティーヌとかあるし、クリスのままでもそうおかしくはないけど、リックはなぁ……リック、リック……うーん、やっぱり男のイメージしかねぇな」
「ううっ……」
一つ一つ、自分が男であった名残が消えて行く感覚にリックが呻く。
「いや! 姉さんって呼ぶのはいいけど、ジョゼットはダメだ! せ、せめて姉さんで頼む……」
ガックリと肩を落としながらのリックの懇願に、晴義とクリスは一度互いに顔を見合わせてリックの左右に移動した。
「兄さん……じゃなかった、姉さん、元気だして」
「あー、もうそんないじいじすんなって! ほら、帰る前にちょっとゲーセンでも寄って行くか? 対戦しよーぜ!」
突然の変化に一人は未だ受け入れ難いまま凹み、一人は素直に受け入れ、一人は特に何も考える事なく今まで通り。
そうして三人は新学期を迎える。