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あれから一日経って、三人は病院にいた。
「……なんてことだ」
「リック兄さん……」
特別に用意された白い病室で燃え尽きて真っ白になったリックに、心配そうなクリスが寄り添う。
つい昨日までは爽やかイケメンと男の娘だった二人だが、今では立派な男装の麗人と愛らしい金髪美少女だ。
それというのも、マジックアイテム『ゼウスの愛』によって性別を女性に変えられてしまったせいだ。
二人は夢魔のインキュバス・サキュバスであり、幼い子供の頃は何度も男女の性別を自由に入れ替えて遊んでたりしていた。だから女の体自体には慣れている。
問題は、現状男に戻れる方法がない、という事だ。
まだ成人に至っておらず男のインキュバスか女のサキュバスを選択しようとしていたクリスはともかく、既に小さい頃から一生男のインキュバスとして生きて行こうと一大決心をして、長年男としての心構えが出来上がっていたリックの精神的ショックは果てしなく大きかった。モンブラン山がリックの頭に乗っかってくるぐらい。
ちなみに、ゼウスの愛で女性化した三人目、全ての元凶である強奪犯の覆面元男は素直に取り押さえられ、警察に引き渡されていた。覆面の下から現れたのは楚々とした美人さん。これもマジックアイテムの効果で、美人が約束されているとか。そんな彼女の表情はこの上なく幸せそうで、実に満足気だった。
その連行中、幸せボケした顔面に殴りかかろうと暴れるリックを、晴義とクリスが後ろから羽交い絞めにして必死に止める姿があった。
なお、普段はリックが暴走する晴義を止める立場である。
まあそんなこんなで神像の力の貴重なサンプル、もとい被害者の二人は女性化に伴う異常が他にないか検査するために大学病院へ送られていた。
「ほら家から持ってきた着替えだぞ。男物だけど」
晴義が両手に持った紙袋をベッドの脇に置く。
「リック、お前まーだ暗い顔してんのか」
「……お前だって、いきなり女の体にされたらこうなるさ」
「そりゃ困る。俺まだ彼女できないまま女にはなりたくねーぞ」
「その言い方だと、彼女さえできれば後は女になってもいいって聞こえるよね……」
「くそっ、こいつの頭にはヘリウムガスでも詰まっているのか」
「でも俺が女にかー…………うん、それも面白そうだな! わはは!」
「……」
「……」
「なーに犬が屁をかいだような顔をしてんだ、お前ら」
「ダメだからね」
「いや、何が?」
珍しくやけに気迫の篭ったクリスの声に、晴義は心底不思議そうな顔をした。
「それはともかく、クリスは男になるつもりだったんだろ。こんな事になって気落ちしてるんじゃないか?」
「あ、ううん、僕は……むしろこの方が良かったんじゃないかって思ってる」
「ん? そうなのか?」
「うん。おかげで踏ん切りがついたよ」
「そうか……いや、それならいいんだが。無理してないよな?」
「大丈夫だよ。ありがとう、ハル兄さん」
愛らしく、可愛らしい理想の金髪碧眼美少女になってしまったクリスがニッコリと微笑みかける。
「となると、一番ダメージがでかいのはやっぱ……こっちか」
晴義の視線の先には幾度目かのグラビティなため息を吐いているリック。
「ふーむ。重傷だなぁ」
長年の付き合いの親友が落ち込んでいる姿を見て、晴義は腕を組んで唸り声を上げる。
その晴義の背中を――クリスはじっと見つめていた。
「……」
背を向けた晴義は気付かない。
顔を伏せるリックもまた気付いていない。
クリスはただ、じっと見つめ続けていた。
「……本当に、オレは女になってしまったんだな……」
シャツの首元を引っ張って胸元を覗き込み、何とも情けない表情でリックが呻く。
その視線の先には、同年代女子の平均よりやや大きめの膨らみがある。
股の感覚の差もあり、数年ぶりの女の体はどうにも落ち着かなかった。
「まあそう落ち込むなって。大丈夫! たかが出っ張りが二つ、出たり凹んだりした程度だろ。わはは!」
「……」
イラッ。
「兄さん、落ち着いて……! ハル兄さんはこんなでもすごく心配してるんだから……!」
「ああ、分かってる……分かってるさ……でも一発ぶん殴らせろ」
「いってえ! 何すんだ!」
「ふう。少しスッキリした。ありがとうな、ハル」
「お、おう? まあ機嫌が直ったんならいいが……なんで俺は殴られたんだ?」
晴義がハテナマークを頭に浮かべるも、すぐに「まあいいか」と忘れる事にした。
「そういや夜におばさんに連絡したんだろ。おばさんは何て?」
「……ママンは『え、あんたたちサキュバスになるんじゃなかったの?』だってさ。前々から男になるって言ってたのに、本当話を聞かない人なんだから……」
「ママン、昔から娘になるのを勧めてたから……」
「おばさんの事だから、今頃超特急でヨーロッパからこっち来てるんじゃないか?」
「…………今週中には必ず顔を出すだろうな。電話での様子からしてかなり浮かれてるぞ」
「おお。ただでさえハイテンションなのに、それ以上か。こりゃ賑やかになるな!」
「疲れる……」
「リック兄さん、ママンはまだ来てないよ……」
くっきり明暗分かれる三人。
部屋の外から看護師さんの誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。
艶のある唇に愁いを帯びたリックの横顔。それは一枚の絵画のように美しく、どこか浮世離れしていた。
血の繋がったクリスですら目を奪われ、見惚れるほどに。
だが如何に女の体つきになったとしても、未だ親友というバイアスがかかっている晴義は何ら心動かされる事はなかった。
それから入院する二人はそれぞれ荷物を受け取り、晴義の両親から贈られてきたプリンでささくれ立った心を慰めていた。
「それで、今日は検査か」
「ああ。まず医学的に異常がないかの調査だと。それが終わったら、今度は呪いの方面からの調査があるってさ。八百比丘尼機関から人が来るそうだ」
「へえ、民間トップクラスの医療組織か」
「あのね、検査で一週間はかかるんだって」
「入学式や始業式にはギリギリ間に合うか。春休み中で助かったな」
「ああ、けれど今週は皆とカラオケ行く約束があったのに行けそうもない。残念だよ」
「検査が無くても、いきなりその体で行ったら『誰?』ってなるだろ」
「……サラシとか巻けば大丈夫なんじゃないか?」
「いや、さすがにお前のその姿、厳しいと思うぞ。明らかに細く、背も小さくなってる」
「ふ、服装でなんとか誤魔化せば……」
女になった事を認めない一心でなおも抵抗を続けるリックに、隣のクリスがぽつりと呟いた。
「あ、そういえば休みが明けるまでに制服買いに行かなくちゃ。下着も」
「……SHI・TA・GI……?」
「ああ、そっか。制服も女子にしなくちゃいけねーな。リックは注文してた高校の男子制服をキャンセルして急いで女子の制服を、クリスも始業式に間に合うよう制服を変えなきゃだな」
「……SEI……FUKU……?」
リックのその顔は、まるで不治の病に侵された事を宣告された患者のようだった。
「ハハハ。今度入学する高校は私服OKな高校だったよな」
「いや、ちゃんと男子、女子と着る物が指定されてるぞ」
「バカな!」
リックの拳がベッドに叩き付けられた。
ベッドが健気にも理不尽な暴力に耐えている間、リックは真剣そのものの顔でのたまった。
「ハル。オレは転校しようと思う」
「まだ入学すらしてないだろ」
「どこか……そう、どこかオレがオレのままでいられる所に。毎日女子の服を着ないで済む所に」
「地方なめんな。この県に私服OKの高校はY高校しかないぞ。しかもあまりお勧めしない」
「神は死んだ! いや死ね!! 特にギリシャ!」
元爽やかイケメン、壊れる。
こんな目に合わせた元凶の神を呪い、それはもう血を吐く形相だった。
「い、いやだ! オレは行かないぞ! 絶対、絶対にだ! もうとっくの昔にあんなスカートは決別しているんだ、今更どんな顔して手にとれと!?」
「そのままでいいんじゃないか? だって今のお前顔も体も女だし、誰も変に思わないだろ」
「メールド!」
「リック兄さんがそんな汚い言葉を!? ハ、ハル兄さーん! リック兄さんをこれ以上追い詰めないでっ!」
「ん? 俺変な事言ったか?」
なお翌日二人の母が急襲し、帰った後には顔中にキスマークをつけ、力尽きてベッドに倒れ伏す二人の姿があった。
検査結果は『他に異常なし』で、そのまま退院。
そして……制服の新調、女性服の購入という鉄板イベントがリックを待ち受けていた。