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三月の卒業式が終わり、九州の某県では学ラン姿の三人の少年が昼間の市街の商店街を歩いていた。
「いやー、しかしこれで俺らも四月から高校生かー」
「オレらはともかく、ハルは最後までヒヤヒヤさせたよな。合格判定ギリギリだったし、受験日に迎えに行ったら『受験票がねぇっ!?』ってドタバタしてるんだし。おかげで試験会場に遅刻するかと思ったぜ」
「あ、あはは……ハル兄さんとリック兄さんとボクとで、部屋中ひっくり返してたよね」
「まさか筆箱の中に入れ忘れてたとはな……筆箱の中に入れておけば絶対に忘れない! 俺天才! って思っていいアイデアだと思ったんだがなぁ……あの時はクリスにも迷惑かけたな」
「ううん、ボクは全然。ハル兄さんにはいつも助けられてるし……これくらい平気だよ」
「おい、オレに対しては一言ないのかよ」
「お前はいいだろ。普段から迷惑かけられてるし。この前も俺、女子にお前の事聞かれたぞ。声かけられてドキっとした所にお前の名前を出され続ける俺の気持ちがお前に分かるか! いーや、分かるはずがないね! トータルで見れば俺の方が苦労してるんだぞ!」
「いや、オレの方が苦労してるね! お前の考え無しの行動でどれだけ振り回されるハメになったことか、この熱血バカ! そっちこそ先に、その抜けた頭の底をなんとかしろ!」
「言ったな、リック」
「ああ、言ったさ」
「よし、なら決着を着けるぞ。そうだな……裏道使って先にラーメン屋に着いた方が勝ちだ」
「いいぜ、乗った。負けたら今日全員分オゴリだぞ。クリス」
「う、うん、またなんだね。じゃあよーい、どんっ! あっ、ボクは自分で払うから……ああっ、二人供速いよー。待ってー!」
二人の少年が平日の商店街を駆け出して行き、最後の一人も置いていかれないようそれを追って行った。
少年らは幼馴染、親友だった。
一人目はハル、ハル兄さんと呼ばれた長身の少年。
東城晴義、15歳。四月から高校に入学する。
明るく元気な声がよく通り、ガタイもしっかりし堂々としている。ただ年の割に濃い老け顔をちょっぴり気にしてる繊細なお年頃の少年だ。もしガハハと笑うとまんまオッサンだ、と言われている。
二人目はリック、リック兄さんと呼ばれた少年。
セドリック・ジョゼット・ド・フィリベール、15歳。四月から晴義と同じ高校に入学する。
足の長い細身の爽やか系美男子で、ヨーロッパの血が入ったライトブラウンの髪にアンバーの瞳をしている事もあり「どこの王子様だ」と女子によく言われている。
性格も表向きは人当たりが良く、運動神経とノリも良い。笑顔と白い歯が眩しい、そんな少年だ。
三人目はクリスと呼ばれた少年。
クリストファー・ミレーヌ・ド・フィリベール、14歳。四月から中学三年生になる。セドリックの弟に当たる。
金髪碧眼の背の小さな可愛らしい少年で、大人しく純真な性格をしている。気弱な事もあり、そのため前述のポジティブな二人に引っ張られて、その後ろにくっ付いていく姿がよく見られていた。
女装すればもうそのまんま女の子にしか見えないレベルで可愛く、当の本人はその外見と内面を気にしていて、もっとハル兄さんのように男らしくなろう、と目標にしている。二人の兄達と真正面から堂々と付き合えるようになりたいと思っていた。
晴義とセドリックが同年代で、クリストファーが一つ下。
フィリベール兄弟は異父兄弟であり、幼い頃から頻繁に日本を訪れてきては、母親が仕事で知り合ったという晴義の両親、東城家に顔を出して来ていた。
そして二人がフランスで五年制小学校を卒業すると日本へ転校し、二人は東城家の居候となって、小学生から一緒に通う事になった。
なお、三人の中で一番勉強のできるクリストファーは頑張ってフランスで一学年飛び級している。
三人は中学校から本格的に一緒に行動するようになり、小さなケンカをしつつも親友と呼び合える間柄になっていった。
「くっそー! 負けた!」
「ふー、危なかった。ハルも随分と足が早くなったな。コーナーでの加速が勝敗を分けたね。じゃあご馳走になろうかな」
「もう兄さん達、あんまり目立つ事してちゃだめだよ。いくら裏道だからって、どこで見ている人がいるか……駐車してたトラックをジャンプして飛び越えちゃうんだもん」
「そー心配すんなって。ちょっとくらいヘーキヘーキ」
「ま、誰かに見られてもNINJAだって思われる程度だろ」
「リック兄さん……一応表向き、日本にはもう忍者はいないから……いるのは神魔、退魔士の世界や漫画やゲームの世界だけだからね」
実はこの三人はただの学生ではない。
それぞれが魔法の類を扱える退魔士と呼ばれる者達であり、妖怪や魔物や超常現象といったオカルトなトラブルを解決する組織の下部構成員でもある。
本来なら正式な構成員並かそれ以上の力はあるのだが、未だ中卒及び中学生という壁は如何ともし難かった。なので現状アルバイトの身分である。
晴義は道士だ。
道術や符術を扱い、家宝のマジックアイテムであり貴重な宝貝『断識縄』『風伯鞭』と若き霊獣『青眼睛鶏』を保有している。もっとも風伯鞭は本物の劣化版だが、それでも彼が使えば小屋程度は吹き飛ばせる。
セドリックは侍だ。
中学の時に西洋剣から日本刀に乗り換え、最近入手した大刀・備前小反秀光を愛用している。闘気と呼ばれる剛体剛力の力を使い、その脚力はバイク並で、その腕前は戦車の装甲をも断つほどだ。
クリストファーはガンナーだ。
オーストリアの自動拳銃グロッグ17やドイツの短機関銃MP5を愛用している。
銃弾には魔法が篭められ、貫通力や衝撃力や速度を高めるのを始め、消音化、爆発化、獣化、呪毒、必中など様々な効果がある。
クリストファーは兄ら二人より一つ格が落ちるが、それでもこの年にしては優秀な退魔士だった。
そして、セドリックとクリストファーは人間ですらなかった。
彼らはサキュバス或いはインキュバスと呼ばれる夢魔の種族なのだ。
ちなみにサキュバス・インキュバスは美男美女が多い種族である。
「ありがとーござーっしたーっ」
「ぷはー。食った食った。いや、しかしこの店とんでもねえモヤシの山と肉と油のスープだったな……おい、リック、クリス、大丈夫か?」
「うっぷ……」
「き、気持ち悪いよぅ……」
ラーメンを食べ終え、満たされた顔で三人分を支払う晴義が見たものは、口元を押さえながらよろよろとゾンビのように席を立つ親友らの姿だった。
ラーメンを食べる前は「僕はいいよ、自分で払うから」とささやかに主張していたクリスも、今はもはやそんな余裕はなかった。
近くの川沿いのベンチまで移動し、晴義はコンビニで買ったお茶のペットボトル三本をぶら下げて帰ってきた。
「お前ら食細ぇよなぁ……もうちょっと食べた方が体、しっかりするんじゃね? ほれ、お茶」
「いや、これは無理……さんきゅ」
「……」
クリスはもはや無言だった。
それでももうすぐ四月になろうかという午後、熱々のラーメンで火照った体を冷ましつつ休んでいると二人もすぐに本調子に回復してきた。
「クリスはそろそろ『成人』だろ。もう男になるって決めたのか?」
『成人』、それはサキュバスにとって一生に一度きりの重大な選択だ。
彼らインキュバス・サキュバスの種族は男女の区別がついているものの、子供の頃は己の意思一つで男女自由に変化できる。
だが15歳頃になると夢魔としての能力に目覚めて、夢を介して相手の精気を吸う事ができるようになり、初めて精気を吸った相手が男ならサキュバスに、相手が女ならインキュバスへと己の体が変化し、以後永久にそのまま固定される。
即ち、クリスは今でこそ男性ではあるが、今後の選択一つで女性にもなれるという事だ。
「ボクはね……リック兄さんと同じインキュバスにしようって思ってる」
「そっか。昔っからインキュバス一本だったリックはともかく、クリスもそう決めたか」
セドリックは既に夢魔としての能力に目覚めており、男であるインキュバスで性別を固定済みだ。
なお、その際に夢を介して女性にエロい事をして精気を得たわけだが、むろん当人には事前承諾済みである。
基本的に、魔法を知らない一般人に対して無差別に精気を吸い取れば、それは悪魔だ。もしバレたらしかるべき組織から罰を与えられ、最悪追討の対象に認定され、殺害される事だろう。逆に言えば、自らを弁えて一般の人間に害せず生きるのであれば、夢魔たる種族の彼らも人間社会の中で生きて行く事を許されている。
そんなわけで、リックもクリスも一般人であるクラスメイト相手にエロい夢を見させて精気を頂戴するつもりは一切なかった。
「うん。ボク、ハル兄さんみたいに男らしくなりたいんだ!」
「おー! そうかそうか! 嬉しい事言ってくれるじゃねえか」
クリストファーは晴義にとっても可愛い弟分だ。こうも子犬のように慕って、尊敬の目で見られるとついつい可愛がってしまう。
上機嫌になってカッコイイポーズなんかとってしまう。漫画なんかでイケメンがするキザなポーズだ。バラなんか持ちそうな。
チョロイ。そしてオッサン顔には似合っていない。
「でも……最近はサキュバスでもいいかなぁ……なんて……」
「なんだ、やっぱりまーだ迷ってるのか? まぁ一生の事だしな……でも俺はクリスはインキュバスがいいと思うぞ! 女になったらこうはいかねーしな、今のクリスが俺は好きだな!」
腕を組んで陽気に笑いながら晴義。
「……うん、そっかハル兄さんがそう言うなら……あ、ハル兄さん。袖のボタン取れかけてるよ」
「ん? あ、本当だ」
「もう、ちょっとそのまま袖貸して。すぐ繕うから」
そう言ってクリストファーはカバンから裁縫キットを取り出し、針と糸の準備を一瞬で終わらせた。
「悪ぃな。頼むわ。今日着るのが最後とはいえ、そのままにするのもなんだしな」
「うん、任せて」
クリストファー。炊事洗濯掃除裁縫を得意とする来月中学三年生の男子であった。
精緻な針仕事であっという間にボタンを再び縫い付けてしまった。
「はいお仕舞い」
糸を切り、クリスは花がほころぶような笑顔を見せた。
見た男のほとんどが可憐だと思う、そんな笑顔。
だが男だ。
こんな可愛い男の子が女の子のわけがない。
「クリスー、お前本当にサキュバスにならないのか? オレ、やっぱりお前はサキュバスになった方がいいと思うぞ。オレも人並みに家事はできるけど、クリスはオレよりずっと上手いからな。今だって、その容姿やお菓子作りの趣味でクラスで色々言われてるんだろ?」
「リック兄さん……うん……だからこそ、やっぱりボクはもっとちゃんと男らしく、格好よくなりたいんだ。もっとちゃんと男らしい好きな事を見つけて、もっとしっかりして……だから……」
「いやー、でも別に料理や菓子作りが上手だからイコール男らしくないっていうのは違うと思うぞ。ほら、ホテルのシェフとかパティシエとかいるだろ。白く長い帽子被った人。ああいうのって男の人がやってると変か? そうでもないだろ。テレビにもバンバン出てるし。男の人でも料理はするし、甘い物作ったりする。だからそう気にすんなよ。第一、俺、お前の作るチャーハンとか好きだしな!」
「おおー、言ったねぇ。っていうか、それクリスのタダ飯をこれからも食べたいってだけなんじゃぁ……?」
「わはは! その通り!」
悪びれず仁王立ちで呵呵大笑する晴義、呆れたようにジト目でそれを見やるセドリック、何故か少し頬を染めるクリストファー。
「……でも……」
「い、い、か、ら! お前は趣味よりもーちょっと胸を張って堂々とする方が先だと思うぞ」
「ま、それはハルと同意見だね。クリス、お前はもっと自信を持て。隣の熱血バカの能天気さを1%でいいから、いや1%でもう十分だから、むしろそれ以上は人間として文化的な最低限度の生活を営むには支障をきたすから、ほんの少しだけ見習ってもいいと思うよ」
「そうそう! ……ん? なんか引っかかるような……?」
「え、オレは何もおかしな事は言ってないだろ。ハルの気のせいさ」
「そうか、気のせいか! うん、そうだな! リックの言うとおり、少しは俺を見習え! わはは!」
「…………クリス、お前に足りないのはこの無闇やたらに根拠の無い自信だ。だが間違ってもこいつみたいになっちゃだめだぞ」
「……えっと……」
能天気に笑う晴義、それを脇目に神妙な顔で異父弟に説くセドリック、そして困ったように笑うクリストファー。
これがこの三人のよくある光景だった。
この時はまだ、三人とも無邪気に笑いあえていた。
それが一変したのは数日後の事だった。
ヨーロッパから渡ってきた神の力が篭められた秘宝、それを巡るトラブルが発端となる。