合コン二十年やりました。
合コン…それは男女合同の飲み会(=コンパ)、つまりは「男女合同コンパ」は、略称「合コン」と呼ばれ、その文化は一九七〇年代から始まったといわれている。すでに四十年近くの時を経て、若い男女の間で形を変えながら夜な夜な楽しまれてきた「合コン」。近頃では、高齢化社会に比例してか、この合コン実施平均年齢も高齢化しているように思われる。今年三十九歳の私にさえ未だにお声がかかるのだから。
私が長きに渡りこの年齢までおこなってきた合コン。どれだけの場数を踏んだだろう。人生初の合コンはさかのぼること約二十年前。北海道の片田舎から短大に通うのに都会に出てきた年の冬、初めて「合コンなるもの」を経験した。昔すぎて具体的展開図は記憶の片隅にも見えてはこないが、誰もが眩しいはずの高校時代を人生史上、最高のブス期で終えて間もなかった私にとって、それはまさに見たこともない世界。自分だけが場違いな存在である気がして、女子ヅラで男子と当たり前に話をしたりするのが何ともおこがましい行為に思え、申し訳ない気持ちが膨らむばかり。当然居心地がよいはずもなく、ただただその場の雰囲気にのみ込まれ、もじもじと、なんとかその場をやり過ごしていたという、今の自分からは甚だ想像もできぬほどウブだった十代。
そんな無垢な時代も過ぎ去り、社会に出たのは二十歳。学生時代とは付き合う友人も変わり、当時すでにバブルがはじけてから何年もたっていたが、週末は当時でいうディスコで過ごすことが何よりカッコイイと思い込み、逆に激しく夜遊びをしていないと落ち着かない日々。ディスコ、メンパブに時々合コンを織り交ぜその繰り返し、深夜までススキノで過ごすことがステイタスな毎日。朝まで遊んで帰ったならば、それはカッコイイのパーフェクト。そんな感じでろくにご飯も食べず遊んでばかりいた。
さて、そんな逸脱的な生活の中にも稀に単発的に彼氏ができたり、フラレたり、その後どっぷり趣味にはまったりなど、何やかんやと慌ただしく過ごした二十代も後半にさしかかった頃、そろそろまともな恋愛をしないとまずいことに気がついた。本作品のテーマである「合コン」に腰を据えるようになり、それが日常の一部として当たり前になった時にはアラサーになっていた。遅咲きの合コンアラサーメジャーデビューだ。そこからは、年間二十~四十本の低打率な合コンを繰り広げる生活がスタートした。
合コンは基本的に男女同じ頭数のメンバーで構成される。私の場合、女性レギュラーメンバーは何となく確定しており、そこに相手の人数に合わせて友達の友達を加入させたりして人数調整をしていく。いつも誘われてばかりだと悪いので、自分からも合コンを持ち込もうと、新たな合コンにつなげるためにとりあえず男性メンバーの一人とアドレス交換をする。そして新しいメンツを用意することを互いに約束し、改めて合コンを取り付ける。元々は出会いの手段のひとつとして参加していたはずの合コンは、そんな合コンが、当初の目的からどんどん妙な方向へと変化していることに気がついていなかった。いつの間にか「合コンへ行く」=「次なる合コンに繋げる」、のようなルーチンワークが身につき、「次の合コン」というお土産を持ち帰らずには参加する意味がない。「あの人、いつも誘ってあげるけど、一回も自分で合コン持ってきたことないよねぇ」などと仲間に思われてはならぬ! そんな気持ちでいつも参加しているものだから「とりあえず繋ぐ!」ことが第一優先。当然「彼氏つくる」の目的はいつまでたっても達成されず、手段であるはずの合コンは「エンドレスなチェーン飲み会」という形に変化していったのだ。あの頃、本気でこの状況を続けることでステキな恋愛が叶う! と固く信じていた自分が今思えば懐かしくも愚かしく、とてもお恥ずかしい時代だ。
三十歳を過ぎた頃、職場が変わった。環境が変わって合コンの頻度は減るどころかさらに加速していった。いつの時代も、どの場所に行っても、私の周りに集まる女性たちはみな、恋人を欲しているのだ。「類は友を呼ぶ」ということわざがあるくらいだから、最もな現象なのだろう。ここでは私の転職歴の多さを特権に、昔の会社、その取引先、従兄弟、考えつく限りの合コンやってくれそうな人脈という人脈をフルスロットルに活用し、尽くせる限りの手を尽くして実行した。もう彼氏がほしいのか、メンズと飲みたいだけなのか、あるいは同僚に恩義をきせたいのか、参加した全員に楽しかった!! と言わせたいのか、自分はただの合コンウォッチャーなのか…。闇雲にそんな事を数年間続け、そろそろこの「チェーン飲み会」の疲労の色もだいぶ濃くなってきた頃、ようやくひとつ思い立った。「合コンの堂々巡りを続けていても、彼氏なんて奇跡だ。これからは自分のことだけを考えて合コンしよう!」と。結局は合コンという手段を手放す気はサラサラなく、合コン頼みなスタンスも変わらず。合コンとは縁が切れるどころかますます濃密なものになっていった。
この後は、出会いの手段をさらに合コン一本に絞るという愚かさを強め、合コンで彼氏ができないと意味がない、女として、いや人間としての価値すら薄いとまで考えるようになっていった。しかしそんな私をあざ笑うかのように、合コンライフを送らない女性たちに彼氏ができた、結婚したという情報が届く。口では祝福の意を述べるが心中穏やかではなく、そのハラの中にはうっすらと、いや、くっきりと敗北感が広がり、心にはじっとりと妙な汗をかいていた。実際のところめちゃくちゃ焦っていることを必至で隠していた。そんなゆがんだ精神のまま止むことを知らない私の合コンライフ……。
この頃、このように死ぬほど合コンをやっているなかで、思い返せばたくさんのしくじりも犯していた。ハズカシついでにこれまでの私の失敗パターンを振り返ってみる。
合コンという「ステージ」にたつとき、男性陣に対して「誰よりも一番にキレイに映らなくてはならない」そんな不可能なことを本気でできると信じ、戦場(合コン)へと向かう……。最初はおとなしめで、とか、あまり飲めない感じで、とか無駄にキャラも設定すしたりする。合コンでのモテ服だのモテ仕草だの、狙った相手との距離の取り方だの、合コンにおける様々なアドバイスが載っているウェブサイトや書籍なんかも一通り読み漁り、一応アタマではイメトレも充分に。しかし数打つ合コン、たまにはイマイチ自分にとってヒットしない会話が延々続くような場合もあるってもの。適当に受け流すことが苦手なうえ、心理描写が顔に出やすい私。輪に入れ(ら)ない→退屈顔→仏頂面→最後に余計なひと言で場を盛り下げる、という失礼極まりない行動に出たりした。また逆に絶好調に自分中心モードにギアチェンジしてしまった時には、調子にのって喋りすぎ、その場は盛り上がるには盛り上がるが、気がつきゃお笑いキャラまっしぐら。スタート時のいちばんキレイな私を! という高い志もどこかへすっ飛んでいた。こんな事もあった。「王様ゲームをやろう」と誰かが威勢よく言いだし、なんとなく勢いでやることに。しかし私はこのメンバーじゃ企画倒れになるだろうと予想していた。そこまでハメを外せるメンツじゃないと踏んだからだ。予想通り王様が命令をくだしても恥じらうばかりで誰もまともに命令に従えないのにダラダラと続ける状況。自己中な私はイライラしてきた。沸々とその思いは膨らんでいき、そしてついに私に王様の順番が回ってきた瞬間「もうやめよう!」のコールとともにボキッと鈍い音。割箸10本まとめて真っぷたつにへし折った。当然全員どん引き。大体こんな感じの失敗で合コンの夜は更けていき閉幕→帰りに近所の馴染みのバーに寄りマスターに終始報告→一人反省会、というパターンを何度となく繰り返した。
「自分のための合コンを!」と決断してからすでに数年経過した現在。色々あったが、結論は「不毛」のひと言だった。目が覚め、ようやく合コンの執着から解き放たれれば、すでに三十路も半ば過ぎ。自分にとってこれまで培った合コン技術にはまるで縁結び的な素養はなく、出会い目的の意味において、合コン不適合者の烙印を押されたのだ。私の合コンは例えるなら「刺身」。ネタは多いが、キラキラひかる銀シャリとは出会えない。しかし合コンの全てを否定するつもりはない。楽しい出会いの場であることに変わりはないし、素晴らしい伴侶をゲットした人もたくさん知っている。合コンへ行く時のあのワクワクは決して無駄ではなく、女性ホルモンにも多少なりとも影響を与える。出会いを求めて合コンする女性達は皆キラキラしている。だから合コンで彼氏をゲットしたいと願う女性は可愛いと思うし応援したくなる。今後も合コンに誘われればまた行くかもしれない。もう私にとってこれからの合コンは「出会いへの期待」ではなく「日常のスパイス」と執筆のネタのため。そう思えばまた新しい合コンの楽しみ方が見えてくるのかもしれない。
「幸せになるには努力が必要、でも苦労の種類は選べるよ。幸せは人それぞれよ」。先日手相をみて頂いた方の言葉。私は好きな苦労を選ぼう。「幸せは人それぞれ」何度も耳にしたこの言葉。ようやく少しは理解できた気がする。今夜もどこかで開かれている合コン。頑張るネタ多き合コン女子達に素敵な銀シャリとの出会いが訪れることを祈る。