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09 動き出す歯車

 黄緑の目が私に向かって語りかける。

(約束だよ)

 雨の音がする。

 雨の音がするのに、瞳子は雨に濡れていなかった。

 黒い影が瞳子に覆いかぶさるように視界を塞いでいた。

(まあ、約束しなくたって**の*も、あいつも、絶対にやるだろうけど)

(死なないようにね)

(俺ができることはここまでだ。――じゃあね)

 ちりん、と頭上で音がした。



 瞳子はバチっと目が覚めた。

(……………………なに?)

 訳のわからない夢を見ていた。最近、あまりにも不可思議な夢を見るせいで、頭がごちゃごちゃとする。覚えているような、いないような。あっという間に夢の残滓は手のひらからこぼれ落ちていって消えていった。

(……そんなことどうでもいいか)

 彼女はのそりと起きあがると、枕元に置いてあった紙の上に線を引いて「正」の字を完成させた。

「……これで十五日。……あと十五日」

 暗い声で呟いて、彼女は大きく伸びをして、朝ごはんを食べるために身支度を始めた。


 あの日からもう数日すぎている。

 瞳子も、バロックも、デイも、あまり変わらない。いや、変わったか。

 最近、瞳子はバロックではなく、デイのそばに居ることが多い。

 彼はどこか値踏みするような目で見て来るし、最近は刺さるような殺気すら感じるが、彼はとても「使える」。

 バロックはいつかデイを天才と称したが、瞳子の目から見ても彼は恐ろしく多芸であった。彼は、細工師らしく、普段は石の研磨をしたり、薬品で指輪らしき飾りを磨いている。ふと目を向けると難しそうな本を読んでいる時もあるし、かと言えば布に月が描かれた刺繍をしている時もある。訳の分からない色の液体を混ぜている時もあるし、それを試飲している時もあった。絵は瞳子の状況をさっと描いてしまうほど上手であるし、そして料理すら作るのもうまかった。

 そして何よりバロックよりも意思の疎通が取りやすいのだった。

 ここ数日はバロック立会いの下、言葉と文字を彼に教えて貰っている。

(何屋なのかしら……この人)

 デイは大抵、瞳子がぼうっと見ているともともと悪い目つきが三割増しになる。彼にはいつもくっきりとした目のくまがあった。以前瞳子が寝ていないのかと聞くと、寒気がする程目を細め、無言で席を立つことがあった。

 慌ててバロックが追いかけていったが、頭にたんこぶを作ってとぼとぼと戻って来たので、瞳子は何か地雷を踏んでしまったらしい。

 何にせよ、たぶん何でもできる人というのは、ああいう人を言うのだと思う。


 瞳子もある程度できる人間だったが、あれが、きっと俗にいう「天才」なのだろう。


 ぼんやりとした頭で一階に通じているはしごを登る。

(……わたしはこの十五日までに言葉を覚える。そして、それと同時にここから出る算段を、たてる)

 瞳子は噛みしめるように一歩一歩階段を登った。

(欲張らないで)

(わたしが出来ることを、する)


 デイはキッチンのテーブルで頬杖をついて呟いた。彼はいつも通り目の下に隈があり、濃い疲労を感じさせたが、そばで朝ごはんをよそっていたバロックは首を傾げた。

「頭がいい。良すぎる。……高い教育を受けてるが、なんだあいつは?」

「……?」

「四則演算を知っていた。しかも、計算式も書かずに答えたんだぞ。……学者か何かなのか? ……それにしては俺が使っていた術式には全くわかっていなかった。意味がわからない」

「……それは、まあ、他の世界から来たんだから、そんなもんじゃないのか?」

 俺たちの常識じゃあ測れないだろう、とバロックが答えると、ギっと音がなるほどデイに睨まれた。バロックは彼に睨まれても痛くもかゆくもないが、瞳子に文字と言葉を教えてもらえなくなると困るので、反射的に「すまん」と謝る。デイは半眼でバロックを見ていたが、舌打ちを一つした後、それきりバロックを無視してぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。

 そんなデイを、困ったように見つめたバロックは、もう質問しても問いが返ってこないので、くるりと背を向けて瞳子を起こしに向かった。

 ドアを開けると、目の前に瞳子が立っていた。

 反射的にバロックの頬が赤くなる。

「あ」

「あ、ああ。おはよう。トーコ。今日もいい天気だな」

「……雨だぞ」

「……おはよう、ございます」

 瞳子はぱちぱちと大きな目を瞬かせて、バロックを見上げた後、困ったように目を逸らした。そしてぺこりと頭を下げると、固まっているバロックのそばを通り過ぎ、自分の分の朝ごはんを入れ物によそうと、デイの隣に座って黙々と食べ始めた。

「…………?」

 デイが不可解そうに目を細めた。

「おいバロック」

「……何だ」

「お前らそんなによそよそしかったか」

「……わからん。……デイの目にも変に映るか」

「映る。……お前はその残念な顔を直せ。うっとおしい」

 あきらかに「落ち込んでいます」という表情をしたバロックを鼻で笑うと、デイはちらりと魔女を見た。

 バロックの過剰な好意に気付いたらしい魔女は、傍目にわかるほど距離を取ろうとしている。そこにあるのは「困った」という困惑である。

 デイは内心でバロックをせせら笑った。とんだ脈なしである。バロックが払っている犠牲を考えるとほら見ろ使い捨てられるぞと嘲笑しかない。数日前までの方がよほど親密である。ただ、少し意外に思ったのが、魔女には「嬉しい」も「照れ」も肯定的な感情が一つもないことだった。


 物憂げな魔女の表情を一言で表すのなら、「陰鬱」。そして、少しの怯え。

 

 何となく、何故魔女がそのような表情をするのか予測がついたデイは顔をしかめた。魔女ならば名前を握っている時点でバロックが何かするわけがないのだが、もし仮に魔女でなく、この世界の魔術も知らないのなら、バロックは図体のでかい異性のままだ。好意を隠しもしないバロックよりも、明らかに邪険に扱っているデイの傍にいるということは、言語を知りたいのもあるのだろうが、おそらく。

(……。俺には関係のないことだ。ただただ、愚かだがな)

 どう考えても先日のやりとりを振り返れば、魔女にとってはデイの方が危険だからだ。

 それでもバロックを避けてデイの方にいるということは、好意を持つ異性関係で何かあったのだろう。

(この美貌で何の力もないのだとしたら、当たり前か)

「……いやはやどこの世も地獄だな」

「……なにか、いいましたか?」

「いいや? 見る目がないと思っただけだ。いや? あるのか」

「……?」

 魔女は首を傾げた。粥をすくっていた手を止めている。そういうところすらも育ちが良い。

「さあな」

 デイは席を立った。眠たくて頭が働かない。正直、魔女の身の上に思いをはせてもデイの知りたいことは知れないので、さっさと頭を切り替える。

すべてをバロックのように「別の世界から来た」と関連づけるのは、デイにとっては考えなければならない部分すらもそこに帰結しそうで気に喰わない。

 デイは考えなければならないのだ。

 知りたいのは、昔からたった1つだけ。



 見下されるような目で見られた後に、デイは席を立った。何か、いつもとは違う視線の質を感じて、戸惑う。バロックが慌ててフォローを入れてくれたが、まだ挨拶と簡単な文章しかわからない瞳子では、励まされているということだけが伝わった。

「あ、安心。気をつけてない」

「?? ……あ、ああ。大丈夫、気にしていない、か? ……だが、貴女は、数日のうちにこちらの言葉が上手くなったな」

「そう、ですか?」

「ああ……。それは、きっとこれから力になると、思う」

 バロックは安心させるように微笑んだが、反対に瞳子の肩には力が入った。

(……まただわ)

 バロックのあの、特有の熱を持った視線が、瞳子には駄目なのだ。バロックが良い人なのはわかっているつもりだ。……彼は優しい。こちらが一歩引いてしまうほど、献身的だ。


 それが、どこか空恐ろしいのだった。


「わ、わたし、本読む。バロック、ご飯ありがとう」『ございます』

 ガタン、と音をたてて瞳子は立ち上がると、本がある部屋の方を指した。

「あ、ああ。行ってくるといい。ここは片づけておくから読んできていい。……デイは機嫌が悪いから、しばらく部屋にこもると思う。困ったことがあったら呼んでくれ」

 ばたばたと慌ただしく瞳子が出ていくのを、バロックはしばらく見送っていた。それほど距離がある訳でもない、しばしば長い別れでもない。しかし、バロックはただただ瞳子が出ていった扉を見つめていた。

 そして、自分の利き手を持ち上げて、まじまじと見つめる。

「…………?」

 バロックは一人、首を傾げた。



 瞳子は本がある部屋の扉を閉めると、一人うずくまった。

『このままいくとまずい気がする。バロック、いい人なんだけどなあ……』

 いくら部屋に鍵が掛っているとはいえ、年の近い男女が一つ屋根の下に住んでいる。しかも女の方は戸籍もなければ、おそらく、人権もないのだ。今の状況がおそらく破格の待遇であることは何となく勘付いていた。

(……私が魔女であると思われてて、その魔女がこの世界だか国だかでは迫害されているのが本当なら、だけど……)

 だが、嘘をついている風でもないのだ。彼らが時折自分のことでもめているのはわかっているが、その争点は「魔女かどうか」であり、本当のことをいうかどうかの言い争いではない、と思われた。

(……私がそう思い込みたいだけかもしれないけど……)

 瞳子は、ポケットから紙を取り出した。以前、デイが描いた魔女が火あぶりにされた絵だ。その裏には、地図が描かれている。

 そう、地図だ。

 瞳子は、楓子が来る前に、黙ってこの家を出るつもりだった。

(馬は、昔乗馬体験とかでしか乗ったことないから、多分難しいのよね。たぶん、徒歩で街に行くことになるはず。着替えと、マントと、食料と、うう、あと何が必要なの?)

「……あまり、死ににいくような真似はしないほうがいいぞ?」

「……っっ?!」

 突然、隣から聞こえてきた低い男の声に、文字通り瞳子は飛び上がった。

「で、デイ」

「お前の考えてることは手に取るようにわかるが、やめておいた方が賢明だ。もし動くなら、あの馬鹿は連れて行った方がいい」

『い、いつからいたの?! っていうか、どうやって入ったの?!』

「あいからわず何をいっているかわからんが、内容はだいたいわかる。どうやって入ったかは、秘密だ。それより」

 デイは、瞳子の腕を掴んで、見下ろした。

「……どうやって出ていくつもりだ? もう一度言うが、死ににいくのか?」

「……いいえ」

 瞳子は唇を噛んだ。もう少し話の内容はわからないが、「死」「出ていく」という言葉が聞き取れたあたり、忠告されているのだろう。

「出てくならバロックは連れて行った方がいいぞ」

 瞳子は首を傾げた。彼の視線は観察されていることがよくわかる視線だ。その癖、彼は時折瞳子を手助けするような言動をする。瞳子は思わず聞いていた。


「……あなたは?」


「……?」

「あなた、何も言わない、出ていく、なに?」

(……あなたは私が何も言わずに出ていったらどうするの? って聞きたかったんだけど、これ、伝わっているのかしら……)

 デイは何も言わない。ただただ、真っ赤な目が瞳子を見下ろしている。瞳子は、目を逸らしたら負けであるような気がして、まっすぐ見つめた。

(…………この人、私やバロックを見下しているのはわかるんだけど、何だか、……何だか、世界の全部を見下ろしてるみたい)

「―――――か」

『え、何言って、……っ』

 デイがぼそりと何かを呟いた瞬間、何故か瞳子の肌が泡立つ。人形よりも恐ろしく整った顔立ちの男は、赤い目を細めた。瞳子を掴む腕の力が、強くなる。


(…………こわい。目を逸らしたい。俯いてしまいたい)


 瞳子は背中に嫌な汗を感じながら、腕を掴まれたまま後ずさった。その途端デイの腕の力が強くなる。目は、逸らさなかった。逸らしてしまえば、ここを出ていくことを、妹を探すことから逃げてしまう気がしたから。

『ッいた』

「……」

 デイは何も言わない。瞳子はどうしてか彼の赤い瞳から、血を連想した。真っ赤な、体から流れ出たばかりの、鮮血の色。


「……デイ」


「……ああ。魔女に名前を教えた間抜けか。どうした?」

「ば、バロック」

 瞳子が声がした方へ視線をむければ、いつの間にかひっそりバロックが来ていた。とにかくデイが恐ろしい雰囲気であったため、無意識に入っていた肩の力を抜く。

 バロックはいつもの人のよさそうな顔はせずに、何だか底知れない目をして、デイと呼ばれた青年を見ていた。周りの温度が一気に下がったような錯覚。

 デイは何も言わない。しかも、バロックを見てすらいない。まだ瞳子を見下ろしている。

(こわい。面倒見がいいのか、とてつもなく嫌われているのかはっきりしてほしい。……しかも、この状況は絶対私のせいよね)

 ここ数日、確実にこの二人の仲が悪くなっている。今も、原因は瞳子である。

(……私が、彼らの言う「魔女」で、外へ出れば殺されるのが本当なのだとしたら、私は、今、彼らに匿われている。デイはおそらく反対で、バロックが、この匿っている状況を作ってくれている)

(でも)

 それでも、それにしても、別の世界から来たと言った時のデイの反応は異常だった。

(きっと、まだ私の知らないことが沢山ある。けれど)

(わたしは、それを無理に知ろうとは思わない)

(知らないまま、出ていく。一番大事なものは、決まっているから)

 瞳子は一度、目をつぶった。恐ろしく重たい空気は、知らないふりをする。そして、バロックの名前を呼んだ。

 今から瞳子は、彼の人生を無茶苦茶にするかもしれない一言を、言う。

「な、なんだ? デイが怖かったか? 大丈夫か?」

「バロック、私、外へ出て、探しに行きます」

「! ……それは」

 瞳子は、無理に笑った。自分の評価をあげるために大人に向けて笑うように。たぶん、デイから見れば媚びているように見えるだろう。それでも、なりふり構っていられなかった。


「なので、着いてきてくれますか?」




 

 デイは、無理やりに笑顔を作った魔女を見ていた。傍から見れば、自身が無表情なのがよくわかるだろう。

 デイは、知っている。

 バロックが、魔女の願いを聞き入れることを。


 デイの国では、魔女相手に名前を自らが名乗ることは相手に命をささげることと同義である。


 そして、それはこの世界のどこでも同じだ。魔女とそれ以外の、1つのルール。

 バロックは、知っていて名乗った。役職も自分の生い立ちも、全部を放り出して、この男はその身を魔女に投げ出した。

 つまり、この魔女にはバロックという好き勝手に動かせる駒が一つ、手のひらにあるのだ。

(……俺ならば、敵視している俺とバロックを仲たがいか殺し合わせて、ここを出ていく)

 デイはここで、ほぼ確実だった事実を認めた。

(……これはもう何度試そうが同じだな。この女は「魔女」ということを何も知らない。……外へ出ることをバロックに頼まなくても、命じればいい。俺を手駒に入れたければ、バロックを使うか、その美貌で誑し込めばいい。……こいつは、そういうことが、できない)

 知らず、ため息が出ていた。びくりと、魔女がこちらを見た。魔力が凝ったような瞳に、デイが映る。


(……眩暈がする)


 デイは、昔、黒い髪の女を探していた。

 見つけたら、此の世から消してしまおうと思っていた。

 そして、それは今も変わっていない。


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