08 日常への転換
バロックはまだ何か言いつのろうとしていたデイの襟元を掴むと、一旦トーコの部屋を出た。
「おい! 俺はまだあの魔女に聞きたいことがあるんだが?」
「後にしろ。そもそも、言葉が通じないだろう」
デイは身振りや絵を使えばある程度の意思疎通は可能だ、と言おうとして口をつぐんだ。バロックは、怒っている。
だがそれはこちらも同じだった。デイも怒っている。
デイは今すぐあの魔女を視界から消したい。
「……お前は何を怒っている?」
バロックは振り返った。
バロックの目は暗い闇の中でも奇妙に光って見えた。そしておそらく、自分の目も爛々と光っているだろう。
「お前、トーコを見て、何を考えていた?」
バロックは言葉を区切りながら言った。まるで魔物が慣れない人語を話しているようだとデイは思った。
「どういう意味だ? 俺はお前と違って不埒なことは考えてないが」
冗談交じりに言ったデイに、バロックは首を振った。ずぶ濡れのままの彼からぱたぱたと床に水滴が落ちる。
「そうじゃない」
バロックはゆっくりとデイの目を見た。
「お前の視線には殺意があった」
「……」
「彼女を、殺そうと、考えてなかったか」
デイは微笑んだ。
「ただでさえやっかいな魔女が更にやっかいな要素を持っていたことがわかったんだ。殺気くらいとばすさ」
バロックは笑わない。
「あれは、そういう感じじゃなかった」
デイの目も笑っていない。
「……お前のその勘だけで言われてもな」
バロックの目は今や奈落の底のように暗い。
「俺は……。デイ、お前がトーコを殺そうとするなら、俺はお前を殺さなければならない」
デイは鼻で笑った。
「はっ。お前の剣の強さは知ってる。お前の役職も。【封魔】のお前に俺が勝てるとでも? お前は弱者をいじめるのが趣味だったか」
「俺はお前に勝つかもしれない。けれど、それはお前がトーコに手を掛けることとは違う」
「俺は純粋な戦闘能力は持たないからな」
「……。確かに、お前が隣の国からやって来たとき、お前には魔女による強い魔法が掛っていた。今もそうだ。だから、この国の人間では誰もお前を害することができない。……俺以外は」
「そうだな。だからこうしてお前は俺を監視しているんだしな」
「デイ、俺はこれでも同居人を殺したくはないんだ」
バロックの視線は、デイの方を見ているようで見ていなかった。
そんな状態のバロックをデイは冷めた目で見ていた。そしておもむろに口を開く。
「……おまえ、自分が今頭おかしいって理解してるか?」
バロックは沈黙した。そしてしばらくしてからぽつりと言う。
「………………一応」
「なら、もう少し冷静になったらどうだ」
「……。お前がトーコを害さないと約束してくれるなら」
「お前の頭がもう少しまともに働いて、冷静になったらな」
「…………」
バロックは黙っている。デイは畳み掛けるように言った。
「そもそも、どうしてお前はそこまで魔女に固執するんだ? まるで魔女を守る使い魔のようだ。それとも、名前をあの女に奉げた時に使い魔になったのか?」
バロックは長い間黙っている。彼は自分の中で答えを探しているようだった。
彼は長い沈黙の後、息とともに言葉を吐きだした。
「……わからない」
「……わからない?」
「使い魔にはなってないと思う。だが、お前が俺がおかしいという言葉もわかる。自分でもおかしな行動をしていると思ってる。ただ、…………あの子のために何かしてやりたくて……」
デイは黙ってバロックを見ていた。その目は動物を観察するかのように冷たい。そして彼はこのままバロックを追及しても埒が明かないと判断したのか、話題を変えた。
「そもそも、どうしてこんなに早く帰って来れたんだ?」
その言葉にバロックがハッとする。
「あ……。早かったのか。そうか……」
「一人で納得するな。説明しろ」
「行きは普通に街へ向かったんだ」
バロックはとりあえず街へ向かった。
そこで最近の情報も集めた。また、彼の所属している詰所へも行ったらしい。
しかし、それらしいものは見つからなかった。魔女の目撃情報は噂の類も含めて全くなかった。
彼は思った。
手ぶらではトーコが悲しむのではないだろうか。
彼は必要なものを買いながらぼんやりと思った。買い物は自分が彼女を囲っていることを悟られない様に神経を使ったが、同居人の男が、つまりデイなのだが商品や触媒、研究のために何でも欲しがるので怪しまれることはなかった。
買い終わった後、街を出て街道の近くにある【暗き森】を見て、彼はふと閃いた。
『あいつに聞けばいい』と。
彼はデイには黙っていたがバロックはトーコが何もない空間から出てきたので、何か魔法を使ったことはわかっていた。そもそも、大きな魔力のうねりを感じて彼はあの草原にいたのだ。
だから、彼は黒い葉が生い茂る森に入っていった。
「……その後、馬が喰われたり、別の奴に会って捕まりそうになったりひと悶着あったんだが、まあ会うことができてな。その後は記憶がおぼろげで覚えてない。気づいたら家の前だった」
デイは呆れた。……呆れてものが言えない。
「………………。……さすがというか何というか。お前は本当に命知らずだな」
「今思うと無茶したなあとは思う」
「で?」
「?」
デイは苛立たしげに自らの髪を掻きまぜた。その目は血のように赤かった。
「お前はあの女が別の世界から来たのを知っていたんだな」
「いや、別の世界というのは……。何もない空間から突然現れて……泣いていたから、お前の国から逃げてきたのかと思ったんだ。なあデイ、別の世界ってことはトーコは【暗き森】の住人なのか?」
デイは答えなかった。しばらくの沈黙の後、じっと瞳子がいる部屋を見て呟いた。
「………………さあな」
そしてバロックがさらに言いつのろうとしているのを無視して歩きはじめた。
「……おいデイ! ……ああっ!」
バロックはデイの肩を掴もうとして瞳子のいる部屋で自分が吐いたことを思い出した。
◇
瞳子は暗い部屋で呆然としていた。
ここまで頭が追い付かないのはいつ以来だろう。
(ああそうだ……。父と、3番目の母が離婚して……。弟がいなくなった時と似ている)
あの時も、一度に色々なことが起こって瞳子は周りの状況に流されてしまった。
(……魔女? フーコがまだ来てない? まだってことは、いつかはくるの?)
どれくらいそうしていたのだろうか、饐えた匂いにハッと正気に返った。
そして吐瀉物を見る。
どう見ても、血が混じっている。そして何かよくわからない黒い葉のようなものも。
瞳子はあまり汚物や血に抵抗感がなかった。だから目的もなく何となくで手を伸ばした。
「触らない方がいい」
低い声が聞こえて、瞳子は思わず肩を揺らした。
『え……あ、バロック』
瞳子が顔をあげると、底にはバケツと布を持ったバロックが逆光を背にして立っていた。
「触れると、魔と縁ができる。触らない方が賢明だ」
『掃除するのよね? えっと、手伝うわ』
瞳子が手を掃除用具に伸ばすと、バロックは困った顔をした。
そして彼は瞳子の手首をそっと掴むと、ゆっくりと押し戻した。そこで瞳子は彼が言った意図が違うことを悟る。意識して覚えたばかりの異国の言葉を使う。
「ちがう?」
「そう。違う。俺がする」
彼はまず手で直接黒い葉のようなものを取り除くと、布で吐瀉物を拭きとった。
手伝うのになあ、とバケツを差し出すと、バロックはややバツの悪そうな顔で言った。
「あなたはあまり、こういうのに嫌悪感がないのか? 普通は、汚いし嫌だと思うが」
『……?』
瞳子は首を傾げた。
バロックもこれ以上どういっていいかわからず、困った顔をした。困った顔で濡れた布で床を拭いていく。
「吐いてしまった俺がいうことでもないんだが、ええと、汚い、だろう」
瞳子はバロックをじっと見つめていたが、吐瀉物とバロックを見比べて言った。
「むかし、よくある」
「??? ああ、やっぱり言葉が通じないのは困るな……。匂いも酷い。今日は別の部屋にしよう」
「バロック、何?」
バロックはやはり言葉にしようとして上手く思いつかないようだった。彼は立ち上がったかと思うと扉を指さして、そして言った。
「出よう。汚いだろう」
『え……。私気にしないわよ?』
戸惑った表情の瞳子を見て、バロックは不安になっていると思ったらしい、彼は再び膝をついた。
それを見てますます瞳子は戸惑う。
(どうして)
「デイのことを心配しているなら大丈夫だ」
バロックは瞳子を安心させるように笑った。それを見て瞳子は実際にどうして、と日本語で呟いていた。
「? トーコ?」
バロックは困ったような顔をした瞳子を見て首を傾げた。彼女はしばらくバロックを見下ろしていたが、彼女も彼と目線を合わせるために膝をついた。
「ッ」
驚いたバロックは反射的に身を引こうとして、瞳子に服の裾を掴まれてうろたえた。
黒い髪に白い肌が映えて、ぞっとするほど彼女は綺麗だった。その黒い目がバロックを映している。バロックはそんな彼女に見惚れて、
頭のどこかで声がしたことを無視した。
バロックが混乱している間に瞳子は彼を見上げて、全く知らない言語を話す。正直バロックには、彼女が本当に何を言っているのかわからない。
『ねえ、どうしてそこまでしてくれるの?』
ただ、彼女の目は澄んでいて、どこか不安に揺れていた。
バロックは思わず手を伸ばしそうになって、あわてて引っ込めた。
「トーコ? どうしたんだ?」
「……なんで、する?」
バロックは、人の気持ちを察することが下手だ。だから、彼女が何をいいたいのか全然わからなくて、とても困った。
彼は不安そうなトーコを安心させてあげたかった。だから、自分に混じる別の血が騒いだことにも気が付かなかった。彼はトーコが何を話しているか知りたかったのだ。だから、囁き声を受け入れたことにも意識の外にあった。
バロックは無意識に微笑んだ。彼の、深い森の色をした緑の目が暗い部屋で、妙に明るかったことに彼は知らない。そして、無意識で彼は彼女のフルネームを、しっかりとした発音で告げた。
「すまない。俺はあまりデイみたいに察しが良くないんだ。……もっとさっきみたいにお互いに話せたらいいのにな。浅葉、瞳子」
『え?』
「……?」
瞳子は目を見張った。
(今、何となく、意味がわかったような)
『バロック? ……わたしの言ってることがわかる?』
「? トーコ?」
(気のせい?)
ただ、もう一度瞳子はバロックに同じ言葉を伝えた。何故か、この時の瞳子は日本語で伝えることしか頭になかった。
『ねえ、どうして……。どうしてあなたはそこまで私によくしてくれるの?』
小さな小さな窓から、風で森の葉が揺れる音がした。
バロックは微笑んだ。意味が、伝わったのかわからない。
けれど、彼の緑の目が妙に印象に残った。彼の濡れた髪はてらてらと光って布のように肌にまとわりついている。
「貴女は、気にしなくていいんだ。俺が好きでしてることだから」
「……」
「自分でもよく、わからないんだが……。俺は、あなたにできるだけ何でもしてやりたいと思うんだ。あなたがとても美しいからか……」
バロックは柔らかく微笑んでそう言った。
そんな彼を、瞳子はぼんやりと見つめていた。




