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07 三日間の終わりと


赤と黒が全てを塗りつぶす、どこにも行き場のない夢を見ている。

 


 真夜中。


 バタン、と一階のドアが開いた音がして、デイは膝にうずめていた顔をあげた。

 デイは地下の廊下で壁に背を預け、膝を立てた格好で意識を飛ばしていた。

しばらくの間、彼はここではないどこかを虚ろに見つめていたが、何かを振り切るように頭を振った。

 ランプの状態を確認してから、デイはポケットから取り出した銀時計を見る。


 時刻は深夜を少しまわったばかりだった。


 状況を把握したデイはいぶかしげな顔をして、思わず呟く。

「……早くないか?」

 時刻は深夜。魔女に夕食をとらせてから数時間しかたっていない。外は雨が降っているのか、雨音と湿った風がどこからか流れ込んできている。

 今日でちょうど3日目だ。


 道のりを考えるとバロックが帰ってくるのは今日の夕方だ。



 …………早すぎる。



「……あの馬鹿はヘマをやらかしたのか?」

 デイは立ち上がった。

 デイの、何処かを彷徨っていた茫洋とした視線は影も形もなくなっており、くるりと一回転させた彼の右手にはいつの間にかナイフが握られていた。一瞬で覚醒したデイの赤い目は剣呑に細められる。

 デイはこちらに近づいてくる足音の方向に目を向けて、次いで後ろの扉に目を向けた。

 

 扉の向こうには魔女が眠っている。


 魔女があてがわれた部屋は、元々牢屋だったところだ。

 バロックが魔女を連れてきたときに住みやすいように家具や道具を運び込んだようだが、この部屋には魔力が使えない仕組みになっていて、当然魔女がこの地下にいる限り魔力は使えない。

 

 だから、デイはわざと外に通じる扉の前に魔女を放置した。


 デイが魔女の首に掛けた鎖は動きを封じる道具であるが、魔力自体は封じないものだ。だから、デイはあの魔女がその場で力を使うかどうか試したのだ。

 その賭けにデイは負けた訳だが。

 数時間して見に行って見れば、そこには眠って動かない魔女の姿しかなかった。

 肌が抜けるように色が白い。床に広がる髪は夜空のような色の黒。整った顔は疲労の色が濃かった。

 あれほど必死な顔で妹のことを探しに行きたいのにここを抜け出すこともできないということは【魔女】という自覚がない可能性も高い。

 そもそも、バロックの役職を知っているならば、【魔女】は彼には絶対に近づかないはずなのだ。すくなくとも俺は近づこうとは思わない。

 

 それとも、バロックが言う様に【魔女】ではないのか。


(……いや、ありえないだろう)


 この大陸で黒髪の人間はみな、【魔女】であった。


 ここ数百年の歴史をひも解いてみても、黒い髪の人間は片手で足りる人数しかいない。直近ならば『黒の白雪』と、その母親の『黒嵐』だ。

 彼らはみな高い魔力の持ち主で、周囲はその力が安定させるまではかなりの犠牲を払っている。しかし裏を返せば犠牲を払ってでも、その力は喉から手が出るほど貴重なものだ。

 あまり知られていないが、彼らの魔力は通常の魔女とは質が少し違う。


 彼らの魔力は、重いのだ。

 

 通常の魔力は万物であり流れるものである。それに比べて、彼らの魔力は重く、そして停滞している。ゆっくりと流れている魔力は体に溜まりやすく、それ故に彼らの髪や目は成長とともに黒く染まっていく。魔力の重さは魔法の威力と関係するらしく、彼らの魔法は酷く派手で、無慈悲なものが多い。

 御伽話で出てくる魔女に黒髪が多いのは、ただ単純に人の力が及ばないと錯覚させるほど強い力であるがゆえに、神か何かとして扱われるのだ。

 扉の向こうにいる魔女は黒髪な上に、ただでさえこの国は魔女の排斥が強い。

(……もし、ここに来たのがバロックでなかったとしたら、抵抗らしい抵抗ができないまま魔女は殺されるか監禁される可能性が高い)

 デイは手の中のナイフに視線を落とした。彼が持つ刃物は鈍く光っている。


「…………」


 彼はしばらくナイフを見つめていたが、ため息をついて扉の前に立った。

 ――――扉の向こうで眠っているであろう魔女を守るように。

「はあ。……あの馬鹿のこともあるしな」

 約束はできるだけ守りたいんだ、と声に出さずに口だけを動かし、デイは言葉を噛み砕いた。

 そうしている間にも足音は近づいてくる。

 デイは、消えかけていたランタンの灯りを調節して、目の前に掲げた。




 ……梯子を下りてきたのは、全身がずぶ濡れのバロックだった。




 デイは肩の力を少しだけ抜いた。

「……なんだ、バロックか。おまえ、早くないか? 何でこんな時間につくんだ?」

「……」


 そう声をかけたデイは、バロックの様子がおかしいことに気がついた。


 バロックの目は虚ろで、どこを見ているのか全くわからない。

 足元はふらふらとおぼつかず、幽霊が歩いてきたようだ。

「……バロック?」

 ぼたぼたと彼の足もとに水滴が落ちていく。バロックはのろのろとデイに視線を向けると、絞り出すような声で言った。その言葉は薬を打って口が回らない姿と似ている。

「ち、ちちや」

「?」

「ちちおや、に あって、き、ききた」

 その言葉で脳裏に描いたのはバロックに剣の手ほどきを行う寡黙な男の姿だ。 もともとバロックの仕事をしていた人間。

「? ……なんで会う必要がある? 逆に会わない方がいいだろう」

 バロックは首を振った。

 口を開くのすら辛いのか、昏い目でこちらを見るだけだ。その目でデイはピンときた。そして思い当たった瞬間ぞっと鳥肌が立つ。


「…………。…………!! 実父のほうか!」


 デイは自分で口にしたが、全く信じられない。

「おま、正気か!」


 バロックの目はうつろだ。


「はやく、と、とトーコに……」

「おい……!」

 デイをすり抜けるようにしてバロックはドアノブに手を掛けた。それ鍵かかってるぞ、と言おうとした瞬間、ベキッ!という音がした。


 バロックはドアノブを破壊した。





 物凄い音がした。

 瞳子はここからどうやって出ていくか考えていて、ひとまず必要なものを整理していたため、一瞬そこに誰が立っているのかわからなかった。

 驚いて振り向けば、扉の前に濡れ鼠になったバロックが立っていた。


 思わず日本語が零れる。


『……へ。あ、………………………………ばろっく? よ、ね?』

 思わず備え付けられていたランタンを持ち、彼に向けてかざす。

 バロックはいつも律儀に編んでいる三つ編みがほどけていて、白髪なのか銀色なのか判別がつかない髪と、編み込みに使われていると思われる布のリボンが混ざり合っておかしなことになっていた。髪の大半が肌にべったりと張りついている。

「……」


 バロックは何も言わない。


「バロック、です、よね? どう、しました?」

 たどたどしく瞳子が口にするが、バロックの反応はない。

 尋常ではない彼の雰囲気にのまれるように一歩だけ瞳子が近付いた瞬間、緑の目が鈍く光った。

 ざわざわと、風が森を揺らし、木の葉が音を立てて揺れているように。


 彼が口を開く。


 それはなんと、いつもの彼の声ではなく、

 この国の慣れない言語でもなく、



 日本語、だった。



『ええと、なんて言えばいいのかな……? はじめまして。僕はそこにいるバロックの父親です』


 瞳子はぽかんと口を開けた。


(は……? 何、どういうこと? どういう意味?)


 バロックの口から聞こえる声はバロックよりも少し高い声で、彼の声とは思えなかった。しかも土気色のバロックの顔色と、その口から語られている言葉は軽やかすぎて、ちぐはくだ。バロック自身は話しているようには見えない。

 瞳子は自分の常識と、目の前の現実が一致せずに混乱する。

 しかしバロックの父親だと名乗った‘声’は、瞳子の戸惑いなどおかまいなしに話を進める。そして瞳子をさらに混乱の渦へと突き落とした。



『今日は息子たっての頼みで君の妹について少し調べました。あんまり時間がないから単刀直入に言うけど、

 君の妹――高原楓子はこの世界にまだ来ていないよ。‘まだ’ね。

 でもこれから来るだろうと予測される。

 おそらく、君と彼女が世界を移動する時にずれたんだと思うけど。たぶん帳尻が合うのは君の時間で一カ月後か、二か月後かな……。それ位に来るんじゃない? とりあえず今現在君の妹はこの世界に存在していないよ。……これ以上息子の頭に言葉を突っ込むと息子発狂しちゃうから、おしまい。――――――息子をよろしくね』


 瞳子が口をはさめないまま、バロックではない男の言葉は終わる。

 バロックの口から最後の言葉が吐き出されるのと同時に彼は床の上に崩れ落ちた。

「うっげ、えっ! は、はあ……はあ。……かは、かっ」

 呆然としている瞳子の目の前でバロックは嘔吐し、吐瀉物が床に広がる。

 半ばぼんやりと瞳子はそれを何の感慨もなく見下ろす。

ランプの光に照らされたそれは、血と、そして何か別の物が混じっていた。……黒い、葉のようなもの。


「え?」


 瞳子は呟いた。

(え? ……何。一体どういうこと。来てないって。なんでわかるの)

 そこでハッとして、瞳子は慌てて膝をついているバロックへ近寄る。

「ば、バロック?! 大丈夫? 今のは一体どういうこと? どうして急に日本語で話したの? それになんでフーコの名前を知ってるの?!」

(来てないって、本当に?)

 バロックは服の袖で口の端を拭って、不思議そうに瞳子を見つめた。

「は、はあ……。あ……? トーコ?」

「……おお。【異界の共有化】か」

「? ……あなたも何を言って……。え?」

 瞳子が顔をあげると、一体いつの間にいたのか、デイの赤い目が瞳子を見下ろしていた。


 そして、

 どうして急に私はこの人たちの言葉がわかるのだ? 


 デイが髪をかきあげて言う。

「この男の……父親のおかげだな。今、この時だけこの場はあのば……バロックの父親が支配した異界となった。この場にいるものは一時的に全て奴の支配の下に置かれ、奴の力を通じてそのまま直接つながるような状態なんだろうよ」

「…………?? つまり、平たく言えば言葉がわかるってことよね。そんなアニメとかゲームみたいな設定……」

 そこまで口にした途中でガッと手を掴まれ、瞳子は身を強ばらせた。

 

 ひどく鬼気迫る表情をしたバロックが瞳子の手を掴んだのだ。

「トーコ! すまない。あなたが外に出るのは危ないんだ。……外へは連れていけない」

 瞳子は首をふった。

 次に彼女が呟いた言葉にバロックとデイは目を見開く。


「……今、そんなことどうでもいいのよ」


「……?」

「は」

 言い切った瞳子を呆然と見つめているバロックに、今度は瞳子が切羽詰まった表情で問う。

「フーコが、あの子がまだ来てないってどういう……」

 デイは自分自身の状況を棚に上げる程妹のことで頭がいっぱいな魔女を見た。……一体あの化け物に何を吹き込まれたのだか。

(……いや。……そうでなくても取り乱すか。この魔女は自分に降りかかるかもしれない出来事を、真っ先に‘妹に降りかかるかもしれない出来事’と受け取ったものな)

 ならば、このような魔女の顔も辻褄はあうのか。デイはどこか腑に落ちない違和感を持ちながら彼らのやりとりを眺める。

 バロックは何を考えているのかわからないが、瞳子の質問に答えようと口を拭った。

「あ、ゲホッ……。……すまない。俺はあいつがどういうことを話したかまでは分からないんだ。『答えをあげるよ』と言われ、あいつの言葉を詰め込まれただけで……」

 詰め込まれた言葉は吐き出したバロックでも意味はわからなかった。おそらく、瞳子と同じ国のことばなのだろうが、あの男はこちらにわからないようにしたらしい。

 息も絶え絶えな様子でそう言ったバロックに、今さらながらに瞳子の心に罪悪感が掠める。

 後ろのデイも眉をひそめて問う。

「来てないっていうのはどういう意味だ?……おい魔女よ。俺も聞きたい。お前はどうやってここまで来た?」

 瞳子は立て続けに起きた出来事にまだ頭が回りきらないまま答える。

「? 魔女って……。ここでは私みたいなのをそう呼ぶの? そりゃあ私は確かにここじゃない世界から来たけど……。言っておくけど私自身には何の力もないわよ」

「?!」



「…………………なんだと?」



 デイの低い声に瞳子の髪がざっと逆立ち、びくりとバロックの肩が揺れた。

 瞳子はぎょっとしてデイを見上げる。……腕に鳥肌が立っている。部屋の温度が一気に下がったような気がした。

 デイの赤い目がゆらりと光る。

「っ! とにかくトーコ! 貴女が魔女かどうかは関係ない! 貴女は魔女のような容姿をしているから、外にでると危ないんだ。――――殺されるかもしれない。だから、頼むから今は外に出ないでほしいんだ」

「おい。それより『ここではない世界から来た』というのはどういうことだ。そして力がないと何故言い切れる?」

 瞳子はほぼ同時に飛んできた言葉に二人の顔を交互に見た。デイが更に口を開く。

「―――――――!」

『あ……。わからなくなった……』

 瞳子が呟いた言葉に、バロックもデイもこの場の変化を察したようだった。一方はほっとしたような、残念なような表情で、もう一方はとにかく凶悪な表情をしていた。

 美形なこともあって視線だけで人が殺せるなら、この青年は殺せてしまうのではないかと思うくらい彼は鋭い視線を瞳子に向けていた。

「くそっ、言葉が通じなくなった。……おいバロック!」

「……なんだ」

「どういうことかもう一度説明してもらうからな」

 


 瞳子には既に彼らが何を言っているかわからない。

 ただ、何かに怒っているのはデイだけではなかったらしい。

 バロックはその声にデイへと視線を向け、そして彼もまたどこか低い声でぼそりと何か言った。

 

 まだ何かひと波乱ありそうだった。


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