05 女子高生と眠れない青年の三日間1
「 」はこの国の言語で、『 』は日本語でわけています。
瞳子は昼過ぎに目を覚ました。夜更かしをしてしまったせいで、頭が重い。
(書庫にこもりすぎた……)
瞳子はいつものとおり顔を洗い、服を着て薄暗く湿った地下室を出てキッチンへと向かう。
バロックはいない。
昨日の朝、出かけてから帰ってこない。
バロックとデイが何やら話していたのは知っているが、瞳子にはよくわからなかった。バロックは何やら旅装……というのだろうか? 外套を羽織り、どこかへ出かけるような格好をしていた。
彼は出かける前に瞳子にたくさん説明していった。……ほとんど何を言っているかわからなかったが。
「街へ行ってくる、トーコ。3日ほど帰らない。トーコが生活するのに必要なものを買ってくるのと、あなたの妹のことを含めて、少し情報を集めてくる」
『ええと……』
瞳子は困惑した顔のまま自分が拾えた言葉だけを復唱した。
「妹、行く、買……う? そと、行く?」
「ああ、外へ行く。街へ出かけてくる」
「まち……」
瞳子は頷いたバロックの服の裾を掴んだ。固まったバロックに向かって窓の外を指さしながら言う。
『私も行けないの? 妹を……フーコを探しに行ってくれるのよね? ……ここから、私も出てはいけない?』
「トーコ…………」
見上げたトーコの視線の先には、途方にくれたバロックの顔があった。
「すまない……。出ないほうがいいんだ……。ましてや、街になんて絶対に連れていけない……」
力なく首を振るバロックに、瞳子は肩を落とした。
瞳子は、バロックの許可がなければ自分から外へ出るつもりはなかった。
(駄目元だったけど、やっぱ駄目か……)
そもそも、瞳子はこの世界のことを何も知らない。
言葉も、
食べている物も、
目に映る景色でさえも。
(何かを)
(少しでもいいから何かを知らないと話にならない)
初めて会った時のバロックの反応はよく覚えていないが、デイのあの態度、瞳子が外を指さすときのバロックの表情を見ていたら出ない方がいいのはよくわかる。
そもそも、ここが何処だかも瞳子は知らない。
――――どうして出てはいけないのかも。
……瞳子が外を見ていると必ずと言っていい程バロックが痛そうな顔をするので、何か後ろめたい事情があるのはわかるが、それだけだ。
バロックの家は窓から見る限り、森に近い平野に建っている。
初めてここに来たときは状況を把握できていなかったことと、黄昏の時間ということもあって植物の生態系もわからなかった。しかし何気なく窓から見た植物のほとんどが青紫色の葉っぱで、それを初めて見た瞳子はああ、ほんとうにここって異世界なんだなあと改めて実感した。
そんなことを瞳子がつらつらと考えていると、バロックは口を噛みしめて遠くで様子を眺めているデイに視線を向けた。
「デイ」
「なんだ」
「ほんとに頼んだからな?」
「ああ」
「…………じゃあ行ってくる。帰ってくるのは順調に言って3日後の朝だ。……デイ、本当に、ほんとうにトーコを頼んだからな?」
「お前は昨日から一体何回その台詞を言えば満足するんだ? わかったから黙れうるさい眠い」
「眠いのはいつもだろ。……とにかく頼んだからな」
「わかってる」
バロックは瞳子に向き直った。
「トーコ」
『え、えっと何?』
思わず日本語で答えた瞳子にバロックは、デイのほうを指さした。
「デイだ」
「で、でい?」
並々ならぬ重々しさを漂わせたバロックは、思わず復唱した瞳子を見つめて、頷いた。
「そう。デイ。……わからないことや、困ったことがあればあいつに聞いていい」
『……彼がどうかしたの?』
「あいつにとっては昼も夜も関係ないから時間は気にしなくていい。あとこの男は凄い器用で天才みたいな、いや実際天才というのか? ――だから何かあれば言えばいい。ただ、トーコは女の子だからな、……あんまり無防備に近づかないほうがいいだろう。あなたは綺麗だから」
「……それ、その女が意味をわかってないのに言う必要あるのか? あと、言っておくがいくらご無沙汰だからと言ってこっちは時々幻覚と幻聴見るほど不眠が酷いのに手を出す訳がないだろうが。頭湧いてるのか? ……むしろそういう意味ならこの女が警戒するべきはおま」「そっ! そんなことない!」
大声で遮ったバロックに、デイは半眼のままだ。
「ああそう。どうでもいいからさっさと行け。ちゃんと3日は面倒見ておいてやるから。代わりにしっかり情報集めてこいよ」
デイは野良犬を追い払ようにバロックの前で手を振った。
それから1日がたった。
デイとはバロックに紹介された時に一声かけたきりだ。それから会話は今のところ全くない。彼は頭をさげて日本語で『よろしくお願いします』と言った瞳子を何か変な、奇妙なものを見たような顔で見下ろしていた。
バロックがいない中でやっていけるのかと不安になったが、空腹に耐えかねてキッチンへむかうといつも瞳子が座る場所に夕食がおいてあって、ちょっと驚いた。しかもバロックが作ったものよりも見た目も味も数倍よくてびっくりした。
頻繁に話しかけてくるバロックいないのもあって、異世界に来てしまったことについてよく考える。
考えた結果、瞳子の異世界への認識は、彼女の妹よりも比重がかなり低いことがわかっただけだった。
ここで過ごす中で現実感は取り戻しつつあるが、取り戻しても、絶望や、悲しみはほとんど伴わないのだ。
(……ここ、本当に異世界なのよね。私のことを知っている人が、誰もいない世界……)
『…………』
(名前も知らない国に来たって考えた方が心的負担は少なそうよね。平安時代に中国へ旅に行った人の体感なんてこんなものなんだろうし。……異世界だろうが、同じ世界だろうが、物理的に距離が離れてたらどちらにしろ帰れない……。結局、陸が繋がってるか繋がってないかって認識でいいでしょう)
異世界にも人がいる。意志も通じるし、食べ物も味に関しては問題あるが、体調的に今のところ問題ない。
家に住まわせてもらっている人は未だにどういう目的で瞳子を置いているのかわからず、そういう意味では得体が知れないが、少なくともバロックについては今のところ信用してもいいと思っている。
これから知っていけばいい。焦っていても、余計な負担になるだけだ。
(それよりも今一番知るべきなのは、私がこの世界でどういう立ち位置なのか、ということ)
異世界からくるのは珍しいことなのだろうか? ……少なくとも当たり前ならば、こんなところにいないだろう。
(未知の病とか、感染の予防とかもSFとかならありそうだけど、それなら食事場所を隔離しないのはおかしい)
彼らの服装はファンタジーである。
(魔法とかもあるのかしらね? ……まあ、私自体が訳のわからない事象でこっちへ来たけど……)
そんなことを考えながら瞳子は服を着替えて、梯子をのぼる。
(デイっていう男の人、今日も朝食用意してるのかしら……? してなかったら台所貸してもらおう)
瞳子はデイと呼ばれた嘘みたいに顔の整った青年を思い浮かべながらキッチンへのドアを開けた。
そこには、テーブルに突っ伏した一人の男が椅子に座って眠っていた。
過去形だ。
デイという男は気配に敏感らしく、瞳子がキッチンに入った瞬間顔をあげた。瞳子が恐る恐る声をかける。
「……おはよ、う?」
「………………………………ああ、どうもね。もう朝はとっくに過ぎてるがな。ほら」
「ありが、と」『……ございます』
半分はこちらの言葉で、残りは日本語で瞳子はたどたどしく言った。
デイは赤い目を半眼にして瞳子を見ていたかと思ったら、彼が作ったらしい食事を瞳子の前に差し出すと再びテーブルに突っ伏した。呼吸音だけが聞こえる。
(そんなに寝てないんだろうかこの人……)
バロックも三つ編みに印象的な緑の目と大概ファンタジーな容姿をしているが、デイと呼ばれる青年はレベルが違う。御伽話に出てくるエルフのような顔が現実にあるのは未だに慣れない。目は赤いし、顔色も悪いのでエルフよりも吸血鬼みたいだが。そもそも目の下にかなりくっきりとした隈があるのに美しいと思うのはどういうことなのだろうか。
くだらないことを考えながら、瞳子は食事を終える。この流動食のような朝食もだいぶ慣れてきた。しかし、見た目は全く同じなのにどうしてこんなに味に差があるのか。
瞳子は食べ終わった食器を洗い、慣れない手つきでいつもバロックが拭っていた布で拭き終わるとデイに声をかけた。
『あの』
テーブルに突っ伏していたデイがゆっくりと顔をあげる。
「………………………なんだ、魔女」
『バロックはどこへいったんですか? あ、違う』
むくりと起きあがり、瞳子を半眼で見つめるデイに及び腰になりそうなのを叱咤して瞳子は言った。
「バロック。いつ? どこ?」
「………………………はあ」
デイはため息をついた。そしてそのまま何も言わずに席を立った。
(…………何か地雷踏んだ?)
思わず呆然とした顔で立っていると、彼はすぐ戻ってきた。沢山の紙を片手に、そして黒炭、羽ペン、インク壺をもう片方の手に持って。
「座るなら座れ」
そして一言だけいうと、デイは座って何かを描き始めた。
「……?」
彼は絵を描いていてこちらのほうを見ない。もともとほとんど瞳子を見ない人ではあったが。
(……これは座っていいのよね? 私が声を掛けたらこうやって色々持ってきたんだし)
瞳子はおずおずと向かいの椅子に腰を下ろした。
(……それにしても、すごい絵が上手ねこの人……)
彼はものの数分で3枚の絵を完成させ、その1枚の絵を瞳子に見せた。
一枚目は、一目でバロックとわかる模写された絵と、どこかの街らしき風景画だった。デイはバロックを指さして、そのまま風景画にスライドさせる。そしてとんとん、と指で叩いた。
「バロックはここへ行っている。行く前に長々とあいつが話してただろう。街だ」
彼はもう1枚を瞳子の前につきだす。
「で、これが地図だ。……おまえ、地図はわかるか?」
「はい。わかる」
「…………」
頷く瞳子に、一瞬だけデイは嫌な顔をした。瞳子が焦る前に彼の表情は元の眠そうな顔に戻り、そのまま地図に羽ペンでぐるりと丸を囲んだ。
「…………。で、ここが、バロック、デイ、そしてお前が今住んでいるところだ。それで、この街……名前は言ってもわからないか。……この街は、地図で言うとここだ」
デイはまず風景画を指でさしてから、地図のある地点を指でたたき、その場所にも丸をした。そしてそこからまっすぐ線を引く。
「この距離は長い。……‘長い’という意味をあいつは教えたのか知らないが……まあ、長い。だいたい、最短距離でも一日はかかる。」
彼は地図に置いた指を囲んだ丸から丸へ移動させて、指を一本たてた。
「で、一日はこの街にバロックはいる」彼は二本目の指を立てる。「そして一日かけて帰ってくる」
三本目。
「これで三日だ」
瞳子は眉を寄せながら、
『ええと、つまりバロックは今街に行ってて、まだ帰ってこないってことよね? その3本の指の意味がよくわからないけど……。距離?ではなさそうだし』
デイは無言で三枚目の紙を瞳子の前に置いた。ぱっと見は、カジノで使うルーレットのようなものが描かれた絵だ。
不思議そうな顔で見ている瞳子に、デイの顔色が少し悪い。
「……これは知っているか?」
「……数?」
「そうだな数字を書いた。……これは暦なんだが……。……バロックは、いち、に、さん……。ほら、地図を見ろ。この日に帰ってくる。伝わったか?」
(ああ、これはカレンダーってことね。ということは、3っていうのは時間を意味してたんなら、3日ってことか)
「バロック、街、あと…さ、3、にち、で帰る?」
「正確にはあと2日だがな。意味が通じたようで何よりだ。さて、ここからが本題だが」
『え、なに。雰囲気変わった?』
デイは皮肉気に口を歪めた。
「お前は一体どこから来たんだ、黒髪の魔女よ」
ぎりぎり6月にあげることができました。




