03 バロックと美貌の同居人
瞳子が異世界に来て3日目。
彼女は家主と思われる青年から鍵をもらったため自由に家を探索できるようになった。
これは見ず知らずの、珍妙な格好をしているだろう自分に対して破格の対応であると思っている。
そしてそんな現状で、瞳子が今何に最も力を入れているかというと、
言葉、である。
異世界に放り込まれて意識を手放した1日目。考え方や文化が似ているのかジェスチャーだけで意外と意思疎通できるとわかった2日目。
今は3日目の昼であるが、朝から何故か顔を出したバロックとテーブルを挟んで言葉の練習をしている。
ちなみに、どうも2日目のサイクルを考えるにここの食事は昼と夜だけらしい。朝は何かを煮詰めたどろどろの飲み物だけ頂いた。
ドロドロの粥にコーンスープで色付けしたような色なのだが、味は全然違って、飲み干すのに四苦八苦した。
味が薄いのだ。
餅を極限まで溶かした舌触りで、ほんのり、ほんのり甘さのついた飲み物(?)だった。ジャンクフードが3度のご飯より大好きな瞳子はちょっとだけ現実世界が恋しくなった。
ちなみに食事の毒の混入を心配する前にバロックに食事場所まで案内されて、目の前で彼が味見した上に同じものを一緒に食べたので、必要以上に警戒して考えるのがバカらしくなって普通に口に入れた。
言葉が通じないので沈黙を挟みつつ適当に愛想笑いしながら食べたが、そのたびバロックがむせるので瞳子は首を捻った。
(笑う習慣がないとか? 文化が違うとかかしら……。それにしては困った感じでもないしな……。うーん。……これは言葉通じないし、棚上げだな)
話は変わるが瞳子は、モテた。
異性には勿論、同性にもよく告白された。
現実世界では女子高であったこともあり、美術部の部長で変人の名で有名だった友人から聞いた話では瞳子の変なファンクラブまであったらしい。が、それはあっちの世界のことで、この世界での美醜の基準はまた違うだろう。
瞳子の生まれた世界の、日本では瞳子は美人の部類に入ったが、この世界では違うといいなと思っている。
美人には色々な種類がいる。
友人から貸してもらったイケメンにモテまくる本の主人公では瞳子はないので、普通にイケメンだけにモテることもなかった。まあその前に、心根も綺麗で顔も可愛くて清楚で、よこしまな想いを抱く方が悪だと思ってしまうような主人公では、瞳子は全くなかった。またモテるのはイケメンのみということもなく、現実も厳しかった。
瞳子は異性にも同性にもモテて、そして変質者にもモテた。
世界にはいろんな人がいる。
いい人もいれば悪い人もいて、それは自分の見方や考え方一つで当たり前だがあっさりひっくり返る。
誰かにとってはいい人でも、別の人にとっては凄く嫌な人なのかもしれないということ、それが普通に存在していることに瞳子は中学に入ったころ、気持ち悪い思いをしてやっと気づいた。
そんなものばかりで人間の関係は構成されている、と瞳子は思っている。
(……嫌なこと思い出したな)
だから、
瞳子は目の前の青年が自分にとってずっと「いい人」であればいいなと願っている。
じっと見つめているのにバロックは気が付いて、彼は首を傾げた。瞳子は見られると反射的に愛想笑いを返してしまうので、彼はまた咽た。
さっきからこの繰り返しである。
『ごほっ……、げほっ……ええと、トーコはお腹がすいたのか?』
『おなかはすいた?』
瞳子がたどたどしく復唱するとバロックは困ったように眉根を寄せた。彼はまず食べるジェスチャーをし、次にお腹に手を当てた。
『あーっと……。食べる? お腹』
「……昼食ってことか。『はい。お腹すいた』」
『わかった。じゃあ』『おい、バロック。来客か? というか書庫なんかで何してるんだ?』
バロックが一つ頷いて、席を立った瞬間だった。
ガチャリとドアが開いて暗いこげ茶色の髪をした青年が入ってきた。瞳子は小さく口をあけた。思わず呟く。
「…………だれ?」
『『…………』』
瞳子の呟きを最後に、痛いほどの沈黙が部屋に広がる。見知らぬ青年は絶句していて、何故か顔面蒼白だった。一方バロックは何か困ったような、後ろめたいような顔をしている。
最初に動いたのは見知らぬ青年のほうだった。
『……おま』
見る見るうちに彼の表情は怒りに塗りつぶされていき、彼はガッとバロックの胸ぐらを掴んだ。
そして彼は、瞳子にはわからない言葉でバロックにむかって怒鳴った。
『……どうして魔女がこんなところにいる!』
『説明するから服を掴むのをやめろ。伸びる』
『知るかそんなこと! 状況を説明しろ!!』
バロックは青年を見て、首を振った。そして瞳子をちらりと見ると申し訳なさそうな顔をする。そして青年の首根っこを逆に掴むと、ドアまで引きずる。
『わかったから。……トーコ、すまない。少し待っていてくれ』
『……?! ??!!! おい、待てお前なんで』
『説明するから移動するぞ』
バタンという音と共に扉がしまった。
しばらく会話が続いた後、扉の向こうではこちらの身がすくみそうなくらいの怒声が響く。尋常じゃない物音もするので正直向こうで何が起こっているのか知りたくない。
瞳子は口に手を当てた。緊張と不安のためか予想以上に手が冷たくなっている。
(……私がいるのって、今の反応を見ると相当問題ありそう……。……言語も状況もつかめない状況で放り出されるのは困るんだけど……。自分から出てくって言えないし)
瞳子は不安を振り払うように頭を振った。
(しかし……。物凄い綺麗な男だったわね。何あの美貌。しかも目の色が赤とか)
瞳子の世界でもカラーコンタクトで目の色を変えることはできるが、正直、テレビ越しに見ただけだが違和感の方が強くてあまり好きになれなかった。
しかし彼の目はパッと見た感じは自然で、偽物のような強烈な違和感はなかった。
癖のある暗いこげ茶色の髪に、赤い目。そして人形じみて整った顔。フーコがいたら吸血鬼とでもいうのではないだろうか。それほど人間離れした顔の整い方だった。
(それよりも)
瞳子は怪訝そうに眉根を寄せた。
彼は瞳子がどこから来たのか知らない。突然何もない空間から降ってわいただろうことも知らないし、瞳子がこの世界の人間と言葉が通じないのも、知らないはずだ。
ここに見知らぬ女が一人いることで怒鳴ることはあるだろうが、瞳子を見て男の顔にまず浮かび上がったのは、
恐怖、だった。
(……。なんだろ。バロックがよくいう変な発音のことと関係あるのかしらね)
瞳子はため息をついて、未だに怒鳴り声が聞こえる扉の向こうに目をやる。何を言っているのか全然わからないが、
「『お腹はすいた』……これであってるわよね?」
◇
バロックはざっと状況を男に説明して、彼に更に怒鳴られた。耳が痛い。
「お前いきなり魔女に自分の名前を教えたのか腑抜けめ!!」
「ああ」
「魔女に名前を教えて奴隷になるという話は噂でも何でもなく事実だぞ! それがわかってないお前じゃないだろう! 何故教えた! どうしてその場で斬って捨てなかったんだ!」
バロックは少しだけ首を傾げた。改めて考えてみるが、出てきたのはやはり簡潔な言葉だった。
「綺麗な女だったんだ」
「……は?」
今でも思い出すとスっと体の体温が下がる。
女は泣いて、喚いていた。
黒い髪は夕焼けに当たって言葉にできないほど綺麗だった。
大きな目には吸い込まれそうな黒い宝石がはまっていて、それは涙で濡れていた。
目があった瞬間、バロックの、暗い森の方の勘が囁いたのだ。
戻れないぞ、と。
バロックは一昨日のことを思い出しながら話す。
「目が合った時、鳥肌が立った。一瞬、頭を殴られたかと思った。それぐらい綺麗だったんだ。全部を投げ出しても、名前が知りたいと思った。一晩悩んで、自分の名前を教えたら何か進むんじゃないかと思った」
それを聞いた男は絶句していた。口の端がぶるぶると震えている。バロックはこいつ不眠症なのにこんな怒鳴って大丈夫なんだろうかとやや場違いに彼の身体を心配した。
「ば」
「ば?」
「馬鹿者が! 痴れ者でもいい! お前は常々馬鹿だ阿呆だと思っていたがここまでとはな!」
「トーコというそうだ。アサバトウコ」
そこで男は目を見開いた。長い沈黙の後、彼は言葉を無理やり吐き出した。
「………………………………。教えたのか? 魔女が?」
「ああ」
「は……? あの女は頭がいかれているのか? どういうことだ」
「勇気を出してフルネーム名乗ったら言ってくれたぞ。それに言葉が通じないから何とも言えないんだが」
バロックはがりがりと頭を掻いた。
「たぶん魔女じゃないと思う」
男は力なく首を振った。
「そんなことあるわけないだろう。今まで黒髪の女が魔女でなかったためしがない。魔女に決まっている」
「だがトーコは」
男はバロックの言葉を遮った。
「髪から瞳まで黒だ。それにあの美貌だぞ? あれで魔女でなかったら一体誰が魔女なんだ?」
「確かに魔女かなあと思って魔女として扱ってたんだが、なんかもうどうでもよくなってきたし魔女じゃない気がしてきたし、部屋から出して言葉の勉強してたんだ」
男はバロックの頭を殴った。
バロックは痛そうに顔を歪めたが微動だにしない。
「痛い」
「お前どれだけ馬鹿なんだ! あとこの石頭が! 俺の手の方が痛いわ!」
次バカなこと言ったらナイフを脳天に差し込むと剣呑なことを呟いて、彼は赤い目でバロックを睨み付けた。
「いやでも。そういう気がしたし」
そこまで言うと男は再度沈黙した。そして額に手を当てた。手の隙間から暗い赤色の瞳と目線があう。彼は何か恐れるようにバロックに問いかけた。
「…………俺の時みたいに?」
「そう。お前の時みたいに、デイ」
バロックは同居人の名前を呼んだ。
デイと呼ばれた青年は表情を消した。そして近くにあった小さな棚をおもむろに持つと、床に落とした。
そして悲惨な音と共にぶちまけられる棚に入っていた雑貨などの諸々。今度はバロックの顔が歪んだ。
「だあああ! おいやめろ誰が拾うと思ってんだ!」
「お前」
「怒ってるのはわかるからこういう地味な嫌がらせやめろ!」
「知るか。筋肉馬鹿のお前には殴るよりこっちのほうが有効だろうが。……お前自分の役職わかってるのか? ちょっとでも事が上手くいかなかったら極刑だぞ」
極刑、と単語が出た時点でバロックが口をつぐむ。
「……」
それを淡々とした目でデイは見た。一応彼自身にもとんでもないことをしでかしたという自覚はあるらしい。
「わかっててやってるとこがお前の罪深いところだよ。重罪だ。……はあ」
デイは黙々と本やら瓶を拾い始めたバロックを見下ろした後、背を向けた。バロックが慌ててその背に声をかける。
「悪いとは思ってるんだ。……デイ、お前どこ行くんだ?」
「自分の部屋だ。寝る。俺は俺の好きにする。……俺のことはお前が説明しておけよ」
そうしてデイは階段に向かう。
彼は一度だけちらりと瞳子がいる部屋を振り返った。
その目に映るのは、何処までも暗い不吉な赤色だった。




