02 石の天井
ちりん、ちりん、ちりん。
頭の中で、鈴の音がする。
(……煩い)
瞳子は頭を振る。痛い。音がうるさすぎて、痛い。
ガンガンと鳴る音に目を開けた。
雨と傘。
赤い首輪。
何故か泣きたくなる青色が残る、柔らかい黄緑の瞳をした。
彼がわたしに向かって手を伸ばす。
「――はッ」
バチっと瞳子は目を開けた。視界に飛び込んできたのは灰色だった。ここが一体どこなのかわからず、目玉を左右に動かすが、全く見覚えがない。
「………………夢?」
全身がだるい。何処から何処までが夢なのか判然としない。瞳子はゆっくりと身を起こした。体の節々が痛い。頭も重く、眠れたという気がしなかった。
「……どこ、ここ」
瞳子は頭を振った。片手で目を擦る。何故か酷く顔がむくんでいた。ぼんやりと見覚えのない天井を眺め、そしてようやく現状を認識する。
「…………ああ」
(そういや、フーコを追おうとして……)
(…………)
(フーコは私がいた場所にはいなかった。……この世界が何処だってかまわない。ここに、フーコはいるの? 場所はあっている? 時間軸は?)
「くそっ」
瞳子はフーコには聞かせられないような汚い言葉を吐いて、髪の毛をかき回した。そしてしばらくの間微動だにせず、頭を抱えていたが、おもむろに顔をあげて、身を起こした。
手櫛で髪を整えると、周りを見渡す。
そこは薄暗い石の部屋だった。
石の天井に、石のベッド。小さな、場違いなテーブルには水の入ったコップと、布が置いてある。そして何より瞳子の目線の先には、ささやかな光が入る窓にはまった――――鉄格子。
瞳子は小さく首を傾げた。
(明らかに牢屋ね?)
(しかし、それにしては何というか……ちぐはぐ)
瞳子は体に掛けられていた布団に目線を落とす。明らかに高価な代物だ。これのおかげでそれ程体の節々は痛まないで済んだようだった。小さなテーブルも牢屋に置く様なものではなく、普段使っている物を代用したような印象で、水の入ったコップなどもそうだ。
(……人を置ける場所がなかった? 普段から使われている牢屋であると仮定しても備品がちぐはぐすぎる……。一人部屋であることも含めて、普段から犯罪者を収容するような施設ではないと思うけれど。ここ最近人が使っている感じもないし……ここでは牢屋が一般家庭に一家に一部屋あるのかしら? ……納得いかない。……。)
瞳子はしばらく考え込んでいたが、頭を振る。コップとその横に置かれた布をとると、布に水が無味無臭か事前に確かめた上で、水を染み込ませて顔を拭いた。
狭い部屋で軽くストレッチを行い、いつでも動けるようにする。立ち上がった時に少し貧血でくらりとしたが、すぐに治まった。
(……もしかしてずいぶん眠っていたのかしら。草原で倒れてないってことは、誰かに連れてこられたってことだけど……)
「……あの人?」
瞳子は、草原で誰かに声をかけられた。
背が高く、おぼろげだが低い声だった気がするので、おそらく男性だろう。
顔や服装は、逆光でよくわからなかった。そもそも視界が滲んで、それどころではなかったし。瞳子はそこまで考えて、はた、と思い至る。
(…………わあわあ、ぎゃあぎゃあ泣いて喚いてたのを見られたのか!)
羞恥というよりも失態をおかしたという気持ちが強く、冷や汗がふき出した。
ちょっと、いや、そうとう困る。
瞳子は常日頃から弱みやら弱点やら晒すことに苦痛を感じる人間で、今まで大変な努力を払って自分をよく見せていた。
瞳子は俗にいう完璧主義者に属する人間である。できるだけ、と注釈がつくが。
(……息抜きはしてたけど、外見から性格、特技にいたるまで結構根を詰めてやってたしなあ)
別に何が何でもそれを貫き通す、という程病的に努力したり神経質になっていたりした訳ではないので問題ないはずなのだが。瞳子は頭を抱えた。
「第一印象って結構重要なのに……」
瞳子はがりがりと頭を掻いて、少しの間沈黙した。そしてしばらくした後長い黒髪をかきあげた。
「……。ま、出たとこ勝負ね。やれることやろ」
◇
その男が来たのは、おそらくだが正午を過ぎたころだった。
天気が良いのか小さい窓から強い光が降り注いでいる。瞳子が起きて3時間程したころだろうか。
部屋の探索もずいぶん前に終わっていた。部屋は石であるということを除けば割と広いこととか、他の部屋に繋がる扉には鍵がかけられていることとか。小さい部屋ながらにトイレがあったりとか。トイレは、瞳子ではあんまり詳しく口にしたくないが昭和の家にあった和式のトイレに近い物だったとか。
今はすることもないので自分が持っている持ち物を確認したり、再びストレッチをやったりしていた。ちなみに、瞳子の持ち物はヘアピンと制服とシャープペンシルぐらいしかなかった。
携帯があればと悔やんだが、そもそもすぐに電池がきれるものを持っていてもしょうがないかと思い直す。……フーコの写真が保存されているので、あれがあれば似顔絵でも描けるのだが。
そんなことをしていると、トントンとノックの音がした。
瞳子は一瞬だけ身を固くして怯えた顔をしたが、次の瞬間には冷静な顔に戻っていた。
そうこうしているうちに人が入ってくる。
背の高い男だった。
そしてというか何というか、やはり瞳子からしたら「どこのコスプレ?」と首を傾げる程度に異世界の服装だった。それにしては、無駄な装飾のない、生活感のある服だったが。
髪は、銀髪というのだろうか? 灰色というか、銀というか、そういう色をしている。横の髪だけ降ろして、あとは後ろで一つに編まれていた。後ろの髪に混じる緑はリボンか何かだろうか。
顔立ちは外国の、北欧の人のものに近い。堀の深い顔立ちだが、不必要なものをそぎ落としたようなさっぱりとした顔のつくりをしている。
男は、手に木でできた箱を持っていた。
「…………あの」
『……』
瞳子は相手が何も言わないので、口を開いた。けれど返って来たのは、沈黙だった。
ふと気付いたが、さっきから目が合わない。
(……。……目が合わないと意外と傷つくわね……。案外早く慣れればいいけど。……しかしまあ、危害を加えられないなら余程マシか)
男は部屋の隅に備え付けてあった椅子を持ってきて、とんとんと叩いた。座れということなのだろうか。瞳子は首を傾げつつもとりあえず座る。
(どうしてこの人は話さないのかしら? 私と話すのは禁止されているとか? 困ったわね。色々聞きたかったんだけど。そもそも、言葉って通じてるの?)
瞳子の記憶だと、おそらくだがこの男が瞳子を拾った人間だと思うのだが。
(まあ、何もない空間から女が急に出てきたらそりゃこういう態度にもなるか)
瞳子が椅子に座ると、男はしゃがみ込んで木箱を開けた。中には包帯と薬瓶がいくつも詰まっている。
「……」
(怪我の手当ってことだと思うけど……)
瞳子は、スカートのポケットに手を突っ込んだ。
怪我をしているのは足だけなので、足を差し出す。
そのまま瞳子は何気ない顔をしてポケットに入っているシャープペンシルを強く握り込んだ。
朝葉瞳子という人間は見ず知らずの男に何も考えずに足を差し出すような女ではない。
……何かされたら躊躇いなくシャープペンシルを男に突き刺すつもりだった。
彼が瞳子に向かって手を伸ばす。
瞳子は、ぼんやりとその伸ばされた手を見つめながら、いやに心臓がうるさいなあ、シャーペンを持つ手が汗でじんわりとべたついて不快だなあなどと考えていた。
壊れ物を触るかのように、男は瞳子に触った。
正直にいえば触られるのが嫌だったけれど、怪我をしているから、大人しくしていた。
目の前の男が、悪い奴には見えなかったからだ。
けれど
(……嫌だな。気持ち悪い。……もしスカートに手を突っ込まれたら何処を刺すべきだろ。一番無防備なのは首だけど、目とか? ……私の国では正当防衛だけど、この国ではたぶん私が加害者になりそう。……扉も入った時に鍵を掛けられた気配もないし、この部屋からは逃げられると思うけど……。なんだろう。まだ他にこの建物には人がいるのかしら)
そんなことを考えながら、瞳子は手当をする男を見下ろす。彼は、できるだけ瞳子に触らないように苦心していた。手袋をして、瞳子のすっ転んで怪我をした膝小僧を何度か濡れた布で拭う。更に下に布を当てて、瓶を開けて液体をかける。そしてゆっくりと包帯を巻いていく。
男は、一度だけ瞳子の足に指先だけ触れて、火傷したかのようにぱっと離れた。
「……」
首を傾げて、瞳子が男を見ると、男は力なく頭を振って、瓶に手をのばした。
◇
治療が終わると、男は立ち上がって、出て行く。
それをぼんやりと瞳子が眺めていたら、いきなり振り向かれて、目があった。
初めて、目があった。
きれいな、深い森の色をした瞳だった。
瞳子がぽかん、と口を開けて見上げていると彼は何と口を開いた。
『バロック・ジオラルド、だ』
『魔女よ。…………………………名前、を』
「え、…………ああ」
瞳子は男の言っている言葉が理解できず、少なからず驚いた。
ただ、彼の声は瞳子の耳に心地よい低い声だった。
『貴女の、名前を、教えてくれないだろうか。愛称で、構わないから。……魔女よ』
「…………?」
首を小さく瞳子は傾げて、正直に言う。
「ごめんなさい。あなたとは言葉が通じないみたい」
ゼスチャーで自分自身に向けて指を指し、首を振る。この場合首を振る、という動作は「いいえ」という意味になるのだろうか、と急に不安になったが、行ってしまったことへの後悔はあまり意味がない。
『…………声が出せない…………訳ではなく、ああそうか。言葉が通じないのか。それとも、通じないふりをしているのか……』
「つ、通じた?」
男は眉根を寄せ、考え込むような表情になったので、瞳子はそっと息を吐いた。
すると彼は何を思ったのか、膝を床につくと、御伽話の騎士が姫に忠誠を誓う様にゆっくりと頭を垂れた。
「は? え? ちょ、やめて、何をしているの」
その行動にぎょっとした瞳子は慌てて座っていた椅子から降りてしゃがみ込んだ。
ばちりと青年と瞳子の目があう。
『……っ』
男は何をそんなに驚いたのか、思いっきり仰け反った。瞳子はそんな男の反応を見て眉を寄せる。
(こいつは一体何がしたいんだ)
「文化が違うのかしらないけど、やめて。立ってください」
言葉は通じないと思いつつも、服の裾を引っ張り、立たせる。彼は瞳子の大して強くもない力に引きずられるようによろよろと立ち上がった。
彼は、道で迷子になってしまったような心細そうな顔をして瞳子を見下ろしていた。
見下ろす。
そう、170cm近くある瞳子が見下ろされるほど、男の身長が高かった。185cmはあるのではないだろうか。
『よくわからないが、俺はあなたを怒らせてしまったのだろうか』
「……やっぱり何言ってるかわかんないわね……」
瞳子は首を振る。
そして困惑顔の彼を指さした。
「バロック?」
彼は目を何度か瞬かせて、瞼を閉じてゆっくりと、頷いた。
何故か、何かを覚悟したような顔だった。
『ああ』
「頷くってことは、はいってことよね? 私は、瞳子。朝葉瞳子……。わかるかしら。トウコ・アサバって言った方がいい?」
彼は、深く息を吸って、小さな声と共に瞳子に手のひらを向けた。
『……トーコ?』
「『ええ』……あっているかしら? 「肯定」の意味よね?」
彼は急に自分と同じ発音を繰り返した瞳子にびくりと肩を揺らしたが、まっすぐに視線を瞳子に向けたまま、もう一度いった。
『トーコ』
『はい』
頷く瞳子。
『……黒き魔女の、トーコ』
「ちょっと待って前についた言葉なに」
さっきから同じ音の単語らしきものが出てきているが、意味がわからない。バロックと名乗った彼は、お互い表情とジェスチャーで読みとったほうが理解できるとわかり、瞳子にはわからない単語を繰り返した。
『魔女?』
瞳子は、首を傾げた。
「わからないわ」
『魔女ではない?』
「わからないわ。どういう意味なのよ」
しかしバロックの視線と手は未だに瞳子に向けられたままだ。納得できないという顔で、もう一度同じ音を繰り返される。
『魔女ではないのか? ………………ああ、まあ、いいや』
ぼそぼそと何事か呟いたかと思うと、バロックはまっすぐに瞳子を見た。バロックは瞳子を手招きしてドアの近くまで移動する。
『ここは貴女が好きに使っていい。日当たりも悪いし、寒いし……。居心地もよくないだろうが、……ここにしか鍵がついていないんだ』
「うん……。うん?」
『欲しいものがあったら気がねなく言ってほしい。それと、これ』
とりあえず瞳子にはバロックと名乗った青年が暗い顔になって、次にきりっとした顔になったことだけわかった。
そんなことを考えている瞳子にバロックはズボンのポケットから鍵を取り出し、差し出す。
「……受け取れってことよね? ……この部屋の、鍵?」
『ええと……。これはこの部屋の鍵だ。か、ぎ』
鍵、と瞳子にわかるように発音したバロックはドアを開けると、瞳子に出るように促した。そして、ドアノブの下にある鍵穴を触る。
どうも、鍵を掛けてみろと言うことらしい。トーコが鍵を挿しこんで回すと、カチャンとあっけなく部屋はしまった。それをやや満足げに見たバロックは瞳子を見てついてこいと再び手招きする。
瞳子は呆気にとられつつも、バロックを追う。
(……なんか、呆気なく部屋の外に出てしまった……。いいのかしら。いや、いいんだろうけど……)
そして瞳子はバロックに案内されるまま色々な部屋を見て回った。
けれども瞳子にとって一番印象に残っているのは、
案内の最後に瞳子に渡した鍵のスペアキーらしきものを、バロックが真面目な顔をしながら金槌でスペアの鍵をぶっ潰したことだけである。
次はトーコの話ですと活動報告をして、24時間以内に投稿するとは自分でも思っていませんでしたが、出来たので投稿します。




