終わりは突然
※この話はややガチな百合要素を含みます。タグにも読者様が不快になられないよう警告として一応ガールズラブのタグを入れさせていただきました。しかし申し訳ありませんが女性同士でどうこうなる話ではありませんので、ご注意ください。
魔女に触れてはならない。
魔女の目を見てはならない。
魔女の言葉に耳を貸してはならない。
魔女に、
その国の人々は子どものころからそのことについて言い聞かされて育つ。この国では、幽霊や神様の話を持ち出すよりも魔女の話を持ち出した方がよっぽど子ども達は脅える。それほど親に言い聞かされて育つのだ。何度も何度も言い聞かされて、何度も何度も子どもたちは復唱する。
魔女に、心奪われては、ならない。
だのに、国では時折魔女の被害が出る。そのたび人々は眉を寄せ、子どもたちは泣きわめく。
◇
朝葉瞳子は最近同じ夢をよく見る。
手を差し出す夢だ。
場所は誰もいない放課後の学校の廊下だったり、本屋の少女コミック棚前だったり、家の台所だったりするが、必ず自分から手を差し出す夢だ。握手でもなく、手の甲を向けて差し出す。瞳子は結婚したことがないから想像でしかないが、まるで新郎に手を引かれてヴァージンロードを歩くような手のさしだし方だった。(それを友達に話すとヴァージンロードはお父さんと歩くんだよ、と笑われた。不本意である)
すうっと、手を差し出すのだ。
自らが手を引かれることを望んでいるように。
結婚式で指輪を嵌めて貰うのを待っているように。
手を差し出すのに、瞳子には肝心の手を引いて貰う相手は見えない。瞳子はずっと自分の右手を見下ろしているだけで、顔をあげないのだった。あまり手を差し出すだけの同じ夢を見るので、今では夢から覚めると何であそこで顔をあげないんだ、と寝ぼけた頭で思う。
そして今も思っている。
「ふわぁ……」
最近上手く寝つけないせいで寝不足で、普段なら相当な精神力を使って噛み殺す欠伸もあっさりと出てくる。行儀が悪いと思いつつも、口に手をあてて歪んだ顔を隠した。
(何回見たらあの顔を見られるのかしら)
顔を見たいと思う。
結婚したいとは、露程も思わないけれど。
瞳子はバスの中で居眠りしてしまったため、首を回す。ゴキゴキと音が鳴った。ぼんやりとした頭でお金を支払い、小銭を財布に入れながらバスを降りたところで今日の目的をはっきり思い出しす。
瞳子はまだ覚醒しきっていない頭で首を巡らして、いそいそと携帯を取り出すと、目的の場所を探し始める。
(ええっと……喫茶店、喫茶店……。あ)
通行人の邪魔にならない様に歩道の端に移動すると、ちょうど向かい側にあるカフェのウィンドウガラスから、ひとの目も気にせず大きく手を振る少女と目があった。
「もう。フーコは……」
小さく瞳子はそう呟くと、自然と笑みに変わった顔をあげて、大きく手を振り返した。そのまま信号が変わるのを待って近くの横断歩道を渡る。多少早足になるのは抑えられない。
その時、
―――――――――――ちりん
(…………? 何、鈴の音?)
どこか、聞きなれた鈴の音を小さく聞いた気がした。けれど瞳子は振り向かなかった。気のせいだろう、と思ったのだ。万が一気のせいでなくとも、鈴の音が鳴ったからといってなんだというのだろう。
◇
瞳子が喫茶店の扉をおもむろに開けると、カラン、と頭上でカウベルが鳴った。
「トーコちゃん!」
店の店員が来る前に、瞳子の耳にそんな言葉が入る。慌ててみると、フーコ、本名は高原楓子という一つ年下の少女が空気も読まずにぶんぶんと元気よく手をあげていた。
「……すいません。知り合いがあちらなんです」
客席に案内するために来た店員に浅く頭を下げると、瞳子はフーコのほうへ歩を進めた。
嬉しくてたまらないと顔に描いたフーコに苦笑いする。
「……人の迷惑になるから店内で大きな声は出さないの」
「へ? ……!! す、すみませんでした!」
おしぼりとお冷を持ってきた店員にフーコは慌てて頭を下げた。瞳子もそれにならってもう一度頭を下げる。店員はお気になさらず、と笑顔で言ってメニュー表を置いた。さっそく瞳子は開いたメニュー表で、最初に目に入ったコーヒーを注文する。
「ホットでお願いします」
「かしこまりました」
「トーコちゃん、毎回コーヒーたのむよね。別に好きでもないのに」
ホントはバニラアイスがのったメロンソーダとか好きなのに、と続けるフーコに、瞳子は唇を歪める。
「………頼みたいけど、この外見でそれ注文すると一瞬店員の顔が動くのよ。何考えてるかわかんないけど、何か嫌だし、コーヒーも嫌いじゃないもの」
むっとしてやや目を吊り上げて瞳子がそういうと、フーコの、綺麗な青い目と目があった。柔らかくフーコが笑う。
「トーコちゃんは体に悪い系好きだもんね。ジャンクフード全般」
「……今の現代っ子なら普通よ。フーコだって太りそうなもの大好きじゃない。チョコレートとか、生クリームとか、クッキーとか。……既にひとつ食べてるみたいだしね」
瞳子がテーブルの隅に視線をやると、そこには生クリームがついただけの、綺麗に空っぽになった皿が置いてある。
途端にフーコの顔が真っ赤になる。
「何食べたの?」
「シュークリーム。……お手頃だったんだよ!」
「まあフーコは太らない体質だから別にいいじゃない。もっと頼みなさいよ。私も何か食べようかな……」
「太らないのはトーコちゃんじゃない。私は部活で走ってたからだし……。トーコちゃんあれだけ体に悪いもの食べて、日本人形みたいにしれってしてるからううう。私はいつもトーコちゃんがうやましいです」
「こっちは食べたものは全部肌に出るからこれはこれで苦労してるのよ。まあでも、フーコに羨ましがられるなんて本望ね」
「えーっと……ホンモウってなんだっけ」
「…………。今辞書は持ってる? 持ってない? だめよ、高校生なんだから……。今度辞書で引いてみなさい」
トーコちゃんだって持ってないじゃん、というフーコの呟きは瞳子に黙殺された。
◇
フーコが数学Ⅱの教科書を開いて問題を解いていた時だった。
瞳子はフーコの学校の教科書を開いていた。フーコの解き方を見てこれは何度かさせた方がいいな、と考えながらページをめくる。
ふと、視線をやると、ショーウインドウ越しに歩道を歩く子どもたちが視界に入った。酷く楽しそうでガラス越しにでも声が聞こえてくる。
子どもは小学生だろう、小柄な体にぴったりした学校の制服を着ている。
(……元気ねえ)
思わず微笑みながら見つめていると、彼女たちはキーホルダーを見せあいっこしているようだった。それがじゃれ合った拍子でかポーンと宙に浮き、道路の真ん中に落ちる。
そのまま、
それを追いかけて、道路に飛び出す子どもが見えた。
そして、トラック。
思わずガタンと音をたてて席を立つ。
「トーコちゃん?」
瞳子はフーコの呟きを聞いていられなかった。
キキキィーと耳を塞ぎたくなるブレーキ音があたりに響き渡る。
そして
小学生を避けて必死にハンドルを切ったトラックの運転手と、目が合ったような気がした。
どちらも、呆然としていたと思う。ガゴ!とガードレールが吹っ飛ぶ。そのまま、こちらに
トラックが、突っ込んできた。
(フーコ!)
瞳子はそれだけ思った。危ない、とか逃げて、とか考える暇はなかった。とにかく彼女を庇おうとして、手を掴もうとした。
なのに、
フーコは、何故か瞳子よりも少し前に出て、ぼんやりとトラックを見つめていた。彼女の顔は酷く不思議そうで、瞳子からはトラックが突っ込んできたという認識をしているのかどうかわからないほどだった。そのフーコがこちらを見た。彼女の澄んだ青い目と合った瞬間、周りの音が全部聞こえなくなる。そして第三者の声が、
「…………フ、ーコ……?」
声が、した。
男の、低い声。瞳子は振り向いた。
男は酷くおかしな恰好だった。
彼は淡い、とび色のような、光の加減によっては狐色のような髪を肩のところで二つに分けて括っていた。片方の目は髪に隠れて見えない。黒いマントを羽織って、肩に狐のお面を掛けていた。
パッと見はコスプレ男なのだが、男の癖にそれが妙に似合っていて、恐ろしく違和感がなかった。男は、目を見開いてフーコを見つめていた。
そしてそのフーコは彼の目の前で、目を閉じて立っていた。
「え、フーコ……?どうし、たの?」
傍から見ると、立ったまま眠っているようにも見える。瞳子の呼びかけにもフーコは反応しなかった。男は、そんなフーコに手を伸ばした。
酷く、ゆっくりと、恭しく。
「ちょっ……! フーコに触らないで!! 何をするの?! ……?!」
瞳子が叫んでも、男は反応しない。ただ、こちらにちらりと目線を向けたような気がした。
物でも見るかのような視線に、違和感をうっすらと覚えながら、瞳子はフーコの傍まで行こうとした。
そして混乱する。手も、足も動かない。
「何……。なに、なんなの?! ……ッフーコ! 起きて! ……! ……」
一言、言葉を吐きだすたびに喉がひりつく。ねっとりとしたものに絡め取られるように言葉が出てこない。
(……嘘でしょ。声まで、出せなくなるの?)
(やめて)
嫌だ。
(いやだ)
(ふーこ……!)
瞳子はこの時、フーコが何処か遠いところに連れて行かれるのだと頭ではなく、直感で理解していた。諦めたら、おそらく二度と会えないことも。
(嫌)
(絶対に嫌)
(なに、を)
自分の命だって、自分が積み上げてきた学歴だって、自分の持っているもの何を引き換えにしても。
フーコは
(フーコだけは)
(何を引き換えにしたって絶対に嫌……!)
この瞬間、朝葉瞳子は、17年間生きた世界にある全てのものとフーコの間に明確な線を引いた。
ふーこを連れていくのなら。
「私も……!」
つれていけ。
絶叫した瞳子に、髪を二つにくくった男は、一瞥しただけだった。
既視感。
(なに)
その視線に腹の底から煮えくり返るかのような怒りを覚えて、瞳子は驚いた。自分でもよくわからないままに、それでも瞳子は諦めなかった。
瞳子は夢中で手を伸ばした。正確には、伸ばそうとした。
そのとき
――――ポン、と誰かに頭を叩かれたような気がした。
そして、手が動く。
「え」
(どうして)
わからないままに無我夢中で手を伸ばす。手は、何故か瞳子の意志を離れているのではないかと思うほど優雅に動いた。
すう、そんな音が聞こえてきそうな程、スムーズに。
まるで、誰かに手を差し出す様に。
ただ、床に膝をついている状態だったので手を伸ばした先は顔よりもやや上の何もない空間。
なのに、トラックがこちらに突っ込んでくるな、と頭で認識した時よりもハッキリと「あ、死ぬな」と直感的にトーコは思った。その時、
――――ちりん、と頭の中で鈴が鳴った気がした。
ザアア、っと部屋の中なのに風を感じた。
瞬き1つ。
その瞬間、世界が変わっていた。
日は沈み、空の色はオレンジから藍色へと染まろうとしている。
生暖かい風が全身を撫でる。草の香りが鼻をくすぐり、葉を含んだ風が自分の黒髪をかき回した。
ここは。
瞳子は絶句していた。
呆然と目の前に広がる光景を眺める。
ここは何処なのだ。
……私はさっきまで暖かい部屋で、ふーこと話をしていたのではないのか。そして突っ込んできたトラックは?
ではここは何なのだ。
…………夢を、みているのだろうか。
……いつもの、手を差し出す夢でもないのに?
瞳子は立ち上がろうとして、草に足を取られてすっころんだ。ざん、と草の中に顔を突っ込み、痛みに呻く。無言で痛みを堪えて、ゆっくりと身じろぎする。そのまま瞳子は腕に力を入れて、よろよろと起きあがった。再び座り込んで、手を開くと、手のひらと膝が土で黒く汚れていた。
痛い。
どうしようもなく痛くて、みじめで、ついていなくて、そして、これは夢じゃあ、ない。
じわ、と瞳子の目に涙が溜まる。
「…………フーコ」
助けて、と呟いた。
頭の片隅で、これは夢なんだ、と囁く声があったけれど、脳の大部分はこれを現実だ、と言っていた。
『おい、大丈夫か? ……………あ……魔女…!?』
男の、声が聞こえた。
瞳子は顔をあげた。それと同時にすうっと血の気が引いていく。それは一瞬前の混乱よりもある意味恐怖だった。この景色を見る前に起こった出来事が甦ったのだ。
フーコはどこだ。
あの男に連れ去られた私のたいせつな、宝物は。
「フーコ!」
瞳子は絶叫した。顔をあげて立ち上がる。足の怪我も、手についた泥も、鼻につく草の青臭い臭いも、叩きつけるような風も、全く気にならなかった。
勢いよく立ち上がると、既に暗くなりはじめた周りを目を凝らしてを見渡す。
草。
山。
空。
それしか、瞳子の視界には入ってこなかった。
だいじな、
彼女の、
彼女の妹の姿は影も形もなかった。
どんどんどん、と恐ろしいほど自分の心臓が鳴っているのが耳について、しょうがなかった。
「どこ……?!」
妹の名前を呼ぶたびに声に涙が混じる。
「どこ、フーコ……!! フーコ?! いたら返事をして!」
(いない、の?)
ゾ、と背中から這い上ってきたのは、見たこともない景色に一瞬のうちに放り出されたという恐怖ではなく、「フーコがいない」という絶望だった。
さーっと血の気が引いていく。手の先、足のから感覚がなくなっていって、寒さが体と、心を襲う。
『おい、貴女……』
「???!!!!」
真後ろで男の声がして、誰かが瞳子の腕を掴んだ。瞳子は振り向いた。見上げた、といっても過言ではなかった。彼女を掴んだ男は、かなり上背があった。
ばちり、と目が合った。顔は、わからなかった。男は日を背にして立っていて、ほとんど見えなかったからだ。目が合った途端、瞳子の目から涙が零れ落ちる。
『っ』
男が言葉に詰まったのがわかった。びくっと目に見えるほど身を強ばらせたが、男の反応は瞳子の目には入っていなかった。瞳子は呟いた。その声は擦れていた。
「フーコじゃない……」
『は……? 何を言っているんだ? いや、だから、貴女は』
「どこ、なの……?」
フーコではない、と分かった瞬間彼女の視界から消えてしまったように男を無視し、瞳子は俯いた。そして突然ガッ! とおもむろに彼女は自分の髪を掴むと、血が出るのかと思うほどの強さで掻きむしった。クラスメイトに冗談半分、本気半分で日本人形とも称されるほど綺麗な髪が抜ける。髪は風で煽られ、ぐしゃぐしゃになった髪が更に無残な姿になっていく。
次に瞳子の口から洩れたのは、言葉ですらなかった。
「……あ」
目から、鼻から液体がぼたぼたと落ちる。「ふーこぉ。う、わあ、あああ。あああああ」
あああああ、と子どものように、悲しみのままに絶叫する。
『……っ、失礼する!』
頭の上から聞きなれない言葉が降ってきて、鈍い痛みが首に走った。
そうして朝葉瞳子は錯乱した意識を手放した。
◇
『……やっかいな、ものを拾ってしまった』
彼は、静かにそう呟いた。気絶させた少女を肩に担ぎながら、彼はちらりと彼女に視線を向けて、そしてすっと目を逸らした。見てはいけないものを見てしまったかのような、畏怖と、そして少しの嫌悪が混じっていた。
しかしまた目線は少女へと戻る。
だらりと下がった腕は貴族のように病的に白く、髪は夜の闇よりも黒かった。服はこの国では見たことも聞いたこともない布地に、おかしな型の服。こちらがぎょっとしてしまうほど真っ白な足は太腿までむき出しだった。一瞬見た顔立ちは、
『…………駄目だ』
(それよりも)
(この女は、声が聞こえていないのか? ……錯乱しているようだったが)
幼い子どもが、母を見失って泣いているような、そんな、痛々しい泣き方だった。
(驚いた……。ああ、俺は驚いている。何せ)
『何年ぶりだ、この国に魔女が入ってくるのは……』
ぽつんと呟かれた事実は、叩きつけるような風に紛れて飛ばされていった。