朝はたつものだよね
「んん……」
部屋の聞こえる緩慢な声。
ベッドの上で身体をよじり、立ちあがってみれば、そこは見知らぬ部屋で、ベッドの上には狼男が座っていた。
モサモサに寝癖でよじれた体毛。
プラプラとカバーシーツを撫でる長い尻尾。
体毛に覆われた半身は裸で、下半身はシーツに隠しながら、黒き狼は眠たそうに紅い瞳を細める。
欠伸交じりに周囲を見渡せば、そこは大きな二十畳の部屋。
ベッドやロッカーなど生活に必要な設備はあるものの、窓は一切なく、鉄筋製の柱が四方を囲む簡素な景色が広がっていた。
「……」
ベッドは壁に寄せられていて、壁に埋め込まれたボタンを探れば、ポンと明りが灯る。
しかし、点けれどそこは見慣れぬ景色ばかりが広がり―――
「……はぁ」
「んんん……」
「……ったく」
ペタリと垂れる尖った耳。
甲高いうめき声に視線が吸い寄せられ、振り返ってみればそこには美緒が身体を丸めて狼男の傍にいた。
裸同然のキャミソール。
唇から零れる熱っぽい吐息。
ほっそりとした手脚。
膨らんだ乳房がすぼめた肩越しに覗かせ、狼はあどけなく眠る少女に気まずそうに鼻先を爪で掻いた。
「……美緒ちゃんよ」
プニリ……
頬を指で小突けば、跳ね返る柔らかな頬。
首は熱っぽくて、耳元を隠す髪は透き通るように黒く、狼男は気恥ずかしそうに目を細めつつ、少女の髪を撫でた。
立ち上る汗ばんだ匂いは変わらず、眠る少女の髪を撫でながら、ため息が零れた。
「……可愛いな」
「―――ほんと?」
「……。起きてるの?」
身体を丸め、目を閉じたまま少女の唇だけが僅かに動く。
狼男は気まずそうに身体をよじると、もぞもぞと身体を動かして立ち上がる少女の背中から後ずさった。
「お前……なんで俺の部屋に入ってきているよ」
「えへへぇ……恋人だもんっ」
そう言って背中を向けたまま、狼男の胸元にもたれかかると、美緒は眠たそうに目を細め微笑んだ。
ぐにぐにと毛深い胸倉に擦りつける小さな頭。
戸惑う狼男にすり寄りつつ、美緒は嬉しそうに目を細め、気まずそうに口元を歪める狼男の顔を見上げてほほ笑んだ。
「えへへ、夕君おはようッ」
「……。いつから俺、お前の恋人なったよ」
そう言って狼は尖った耳を垂らし、照れくさそうに目を背けていると、
『なります、僕美緒ちゃんのお婿さんになります!』
部屋のスピーカーから聞こえてくる音声に、ギョッと紅い目を見開いて狼は胸元にすり寄る少女を見下ろした。
「お前ぇ!?」
「残念っ、言質は取ってるよっ」
「いやしかし、もう五年もたってるし」
『何年たっても僕は美緒ちゃんのお婿さんです! 一生ついていきますから僕のお弁当返してぇえええ!』
「ね?」
「……もういいよ。せめて離れて」
ガクリと項垂れる狼男の胸元に背中を寄せながら、美緒は嬉しそうに足をバタバタとさせた。
「やったぁ! 私夕君の恋人ぉ!」
シーツがフワリと宙を舞い、美緒は頬を赤らめて。振り返ってため息の零れる夕の胸元に顔を埋めた。
そうしてギュッと背中に這う手が体毛を掴む感触が走り、狼は怪訝そうに首を捻った。
「……どうしたよ」
「んん……夕君の汗、いい匂いだなって」
「何それ?」
「んんん……変な匂いぃ……私夕君の事大好きだから」
「――――目を見て言わない辺り、恥ずかしがり屋な所は変わらなくて、安心したよ」
そう呟けば、カァと紅くなる白い肌。
バッと美緒は顔を上げると、突然の行動に眉をひそめる狼男に、キッと睨みつけて不満げに眉をひそめた。
その顔は耳まで赤く、美緒は身体を重ねながら、反らした背を伸ばし首をすぼめる狼に近づく。
じっと紅い瞳で睨む―――
「夕君……」
「な、なんですか……?」
「――――大好き」
軽く重ねる小さな唇。
舌が伸びて牙の間を撫でて戸惑う狼の舌と絡み、程なくして美緒はゆっくりと惚ける狼男から離れた。
その瞳は僅かに濡れ、膨らんだ胸元押さえながら、少女は照れくさそうに微笑む。
「えへへ……恥ずかしいね」
「ば、バカが!」
興奮気味に鼻息も荒く、ヒクヒクと尖った耳が痙攣し、狼はそう言って後ずさるとベッドから転げ落ちた。
ドスンッと重たい音が部屋にいって、僅かに飛び上がる華奢な身体。
美緒は慌てて四つん這いでベッドから落ちた狼男へと寄ると、ベッドの縁から大の字になって倒れる夕を覗き込んだ。
「大丈夫、夕君!?」
「……おう」
キャミソールから覗かせる胸元。
肌蹴た所から僅かに紅く尖った部分が見え、狼は苦い表情を浮かべると共に慌てて顔を背けた。
そして立ち上がろうと身体をよじり、四つん這いに手を床につく―――
「ったく……朝から」
「夕君っ」
「ぐっ」
四つん這いの夕の背中に飛び乗る華奢な身体。
グニリッと柔らかな感触が背中に走り、ビクンと耳が尖り、狼男は目を見開きながら、興奮気味に息を荒げた。
「こ、こらやめろ! やめなさい、子供じゃないんだから!」
「えへへ、私子どもじゃないよぉ?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
振りほどく力も弱く、キュッと丸まる長い尻尾。
柔らかな身体を重ねて擦りつける美緒に、鼻息が荒くなり、狼男は肩越しに美緒を躊躇いがちに睨みけた。
「は、離れろ、いいからっ。俺はそんなの!」
「大好きだよねぇ……夕君。いつも私の胸とか見てたし……短いスカート見てていつも顔紅くしてたし」
「そりゃ五年前の話だ! 確かにあの時は妙に育ってたから気になったというか……」
「今も?」
「そりゃ……いいから離れろ!」
「やだぁ」
「なんでだよ!?」
「夕君の子ども作るまで私離れないぃ」
「ええええええ!? 俺もう子持ち予定ですかぁ!?」
「そだよぉ」
幸せそうに目を細めながら、美緒が愕然と顔を引きつらせる狼男の背中に、むにむにと身体を擦りつけた。
「大きな背中……五年前と全然違う」
「……。大きくなったからな」
「五年も経ったもんね……ごめんね遅くなって……」
声が小さくなっていき、夕は四つん這いのまま、気まずそうに首をすぼめると、無言のまま首を振った。
その様子に美緒は照れくさそうに微笑んで、夕の背中に頬を擦りつけた。
「私頑張ったんだよ……OBT社と戦うって聞いて、夕君を守れるって聞いて……私身体も改造したんだ」
「……」
「その為に、五年も眠ることになって……」
「そうか……お前も、頑張ったんだな」
「うん……会いたかった」
「―――俺もだよ」
「……え?」
「なんでもねぇ。離れろバカ」
「―――何? 今胸がキュンとする言葉が聞こえたよ。ねぇねぇ夕君、もう一回言ってっ」
「いいから離れろぉ!」
怒声が部屋中に響き、狼男は背中から美緒を引き剥がすと、立ちあがって部屋の入り口に手を掛けた。
そうしてぺたぺたと素足で後をついてくる美緒と共に部屋を出れば、そこには廊下があった。
左右に広がる廊下は薄暗く、キョトンとする美緒を背に、狼男は苦い表情を浮かべ部屋の入り口で立ちつくす。
そして一歩を踏み出す――ーー
「……」
「どうしたの夕君?」
―――人の気配。
ハッとなって壁を見れば、一部だけカモフラージュ用に紙が貼られた部分があり、剥がせば五人ほど白衣の職員が出てきた。
『……どもっ』
「何してるんですかおたくら!?」
「子作り観察だ!」
野太い声がして上を見上げれば、そこには天井に張り付く鷲人。
「そこの童貞、一体いつになったらうちの娘を食べるというのだ!」
「一体おじさんどこから喋ってるんですか!」
「上からだ!」
「そらもうご存知ですよ! いやいや違います、何観察してるんですかおじさん!」
「お父さんと呼びなさい!」
「ええええええ!?」
「美緒、お前は生殖機能も強化している、想定で十人の子どもは出産可能だ! しっかり頑張れよ!」
「娘に掛ける言葉じゃありませんよぉおお!」
「はぁい、パパッ」
「ええええええええ!?」
「元気よね二人とも」
「えええええええ!? おばさぁあああん!」
カパっと床のカバーが剥がれて、ダクトから顔を出す美香に、夕は唖然として慌てて後ずさった。
「何してるんですか夫婦して!?」
「佐代子さんの息子さんは元気だなって思って」
「僕何もしてません、無実ですぅ!」
そう言って後ろに後ずさっていれば、柔らかな何かが背中にぶつかる感触。
振り返れば、何もなく―――
「……夕、エッチ」
「可奈ちゃぁああああん!?」
ジンワリと何もない廊下の景色から浮かび上がってくる、小さな人影。
ムスッと膨らませた頬は紅く、恨めしげに眼を細めながら、そこには白衣姿の可奈が上目遣いに狼男を睨んでいた。
「……やっぱあの時致死量で殺しておけばよかった」
「ご、ごめんなさい……」
「……バカ」
「ご、ごめん……悪かった……ん、俺なんで謝っているのか分からないけど」
フイッと顔を背けていじける可奈に、夕は戸惑いがちにそう告げると、ハッとなって周囲を見渡した。
ジトリと恨めしげに睨む無数の視線。
可奈を背にジリジリと後ずさりながら、夕は引きつった笑顔を浮かべつつ、苦しげに呻いた。
「あはは……俺悪くないですよ、なんていうか、巻き込まれただけだし」
「……お姉ちゃんとキスした」
「ていうか可奈も見てたの!? なんで家族総出で俺のお部屋に押し掛けてきてるわけ!?」
「監視カメラがついているからだ夕君!」
「早急に取り外してくださいよぉおおおおお!」
「いやぷー」
「ケツ毛毟るぞぉおおおおお!」
廊下に怒声が響き渡った。
少し場面が唐突ですね、少し反省です