第8話 記録公開
三日後。
祖国からの返答は、紙一枚に収まっていた。言葉は丁寧で、内容は乱暴だ。
――国際会議の継続を要請する。
――結界運用の協議に、国王陛下ならびに軍務大臣が出席する。
――ただし、領土割譲と独立領については「協議を要す」。
要するに、時間を稼ぎたい。
助けは欲しい。だが差し出すものは惜しい。そういう文章だった。
私は紙を机上に置き、ブローチの銀面を指でなぞった。冷たい。綺麗だ。壊された痕も、修復した痕も、全部ここに残っている。
「会場は変える」
公爵が淡々と言った。
「隠しきれない場にする。祖国が嘘を吐けない場に」
その“場”は、城塞都市の外縁に用意された。戦場に近いのに、逃げ道がない場所。難民の列が遠目に見え、裂け目から流れてくる黒い風が、時折匂いだけを運んでくる場所。
会議室ではなく、公開審問の広間。
列席するのは、隣国と祖国だけではない。中立国の使節、監査団、神殿外の学術院、商会連合――「後から揉み消せない目」が揃えられていた。壁の水晶は前回より多い。記録は複製され、各国へ同時に送られる仕組みらしい。
私は入口でフードを外した。
ざわめきが広がる。誰もが“追放された魔導具師”を見たがる。誰もが“聖女の奇跡”を信じたがる。だからこそ、真実が刺さる。
広間の中央、祖国の席に国王がいた。
空っぽの目。
眠ったままの顔。
玉座ではなく椅子に座る姿が、余計に小さく見えた。
その隣に軍務大臣。立っているのに、視線が定まらない。大臣の指先が微かに痙攣しているのを見て、私は胸の奥が固くなった。
(まだ、霧が絡んでる)
そして、当然のようにそこにいる。
聖女リリィ。
白いドレス。白い微笑み。白い涙の準備。
カイルは、前回より顔色が悪かった。前線で裂け目を見たのだろう。彼の目は澄んでいる。澄んでいるのに、逃げ場がないことも分かっている目だ。
公爵が開会を宣言した。
「本日の議題は一つ。祖国国家結界魔導具『アイギス』の破綻原因と、今後の運用について」
「そのために、証拠を提示する」
公爵が視線を投げる。合図だ。
私は一歩前へ出て、机上に小さな台座を置いた。
台座の周囲に、共鳴石を四つ。等間隔。角度は、”霧”の記憶改竄干渉を弾く配置にしてある。研究区画で何度も試した。
リリィの声が、甘く割り込む。
「待って。アリア……そんなもの、何をするつもり?」
「記録魔導具なら、いくらでも偽造できるでしょう?何を見せるつもりなの……」
私は彼女を見た。
見て、思ったより何も感じなかった。怒りも、悲しみも、既に燃え尽きて灰になっている。
「偽造できるなら、あなたがやってみればいい」
私は淡々と言った。
「私は“私の魔紋”でしか開かない層を作ってある。あなたは触れない」
リリィの頬が、ほんの一瞬だけ引きつった。
カイルが立ち上がりかける。
「アリア、これは――」
私は遮った。
「ここは、いわば審問の場です。私情は後で。あなたが望んだでしょう。象徴の前で決めるのが国だって」
カイルの唇が白くなる。
立ったまま、座れない。そういう敗北の形。
公爵が淡々と告げた。
「記録は複製され、同時に各国へ送られる。破壊しても無意味だ」
「聖女殿、妨害すればその時点で“何かを隠している”と判断する」
リリィは微笑みを貼り付けたまま、椅子に沈んだ。
涙だけが、上手に落ちた。
私はブローチを取り出し、台座の中央にはめ込んだ。
ぴたり、と合う。核が戻る感覚。自分の心臓が、そこに移ったみたいだった。
「投影します」
魔力を流す。
共鳴石が、低く鳴った。
光の膜が広間の中央に立ち上がる。
空気が一瞬、冷える。
最初に映ったのは、雨の城門。
泥の路地。
リリィが笑いながら、銀のブローチを叩きつける場面。
『邪魔なのよ、こんなゴミ』
その声が響いた瞬間、広間の息が止まった。
それは聖女の声ではない。泣いて祈る少女の声ではない。人を見下ろして笑う声だ。
次の断片。
薄暗い遺跡の祭壇。壁の図。床の溝に溜まる霧。
「……あなたって、”正しい人”ね」
リリィがそう言い、影で小瓶を滑らせる。”霧”を掬い取る指。禁忌の霧を小瓶に吸い取り、彼女は“持ち帰り”を済ませている。
ざわめきが起きた。
監査団の一人が、低い声で言った。
「禁忌『レーテの霧』……」
リリィが、かすかに首を振った。
「違うわ。そんなはず――」
私は無視して、次の層を開いた。
王宮の回廊。
式典前夜の控室。
カイルの声と、リリィの声。
『国が求めているのは真実じゃない。象徴だ』
カイルが言う。澄んだ目で、まっすぐに。
『民衆は聖女を求めている。人気があり、祈れば奇跡を起こす存在を』
そこで映像が少し揺れた。
リリィが笑い、言った。
『じゃあ、アリアには泥を被ってもらわないとね』
その言葉が落ちた瞬間、カイルの顔色が変わった。
彼は否定できない。映像の中の自分は、霧に濁っていない。
リリィの目が泳いだ。
泣き顔の仮面が、今度ははっきり割れた。
「違う! それは、捏造よ!」
彼女は立ち上がり、広間に向かって叫んだ。
「アリアが私を陥れようとして――!」
私は淡々と手を上げた。
「編集できるなら、あなたが証拠を示せばいい。この記録は、第三者の加工は入れられない。お疑いなら、中立の監査団に回路解析を渡して確認してもらいます。――あなたの逃げ道は用意してある」
監査団の長が頷き、記録水晶に手を置いた。
彼らは既に“解析の準備”をしている顔だった。疑うためではなく、確定するために。
そして――国王が、呻いた。
「……う、ぁ……」
国王の手がこめかみを押さえ、椅子の肘掛けを掴む。
軍務大臣も同時に膝を折りかけ、歯を食いしばった。
その様子は、記憶が戻る時のそれに似ていた。
でも、自然に戻っているのではない。霧の糸が切れかけ、反動で“裂けている”。
私は台座の横に、小さな金属片を置いた。
逆位相共鳴器。霧の干渉波を打ち消す効果もある。『遠鳴り』と同じく、理屈は単純だ。相手の波に逆の波を重ねる。魔法ではなく、技術。
「……何を」
公爵が小さく問う。
「霧を断ち切ります」
私は魔力を流した。
共鳴器が淡く光り、広間の空気が一瞬だけ“軽く”なった。
国王の瞳に、焦点が戻った。
「……ア、リア……?」
軍務大臣が、喉の奥から唸り声を絞り出した。
「……リリィ……貴様……」
その声に、祖国側の文官たちが凍りついた。
大臣の怒りは、霧に操られていた人間の声ではない。元の大臣の「重い声」だ。
国王が立ち上がろうとして、膝が震えた。
それでも、彼は顔を上げた。
「私は……何を……」
私は視線を落とした。
胸の奥が、痛んだ。いまさら同情ではない。ただ、あの沈黙が“裏切り”ではなかったと確定した痛みだ。
「陛下。あなたは操られていました」
私は言った。
「レーテの霧で、判断と記憶を改ざんされていた。今日それが切れました。――今からでも、取り戻せます」
国王の目が濡れた。
そして、次の瞬間、彼はリリィを見た。
「……お前が……」
リリィは一歩下がり、笑顔を作ろうとして失敗した。
その時、彼女の袖口から小瓶が滑り落ちた。床に当たり、ころ、と転がる。
甘く腐った匂いが、確かに立った。
監査団が一斉に動いた。
結界膜が張られ、白い光がリリィの周囲を囲む。彼女は瓶に手を伸ばしたが、指先が弾かれて届かない。
「触れるな!」
監査団長の声が冷たく響く。
「禁忌物証、押収!」
リリィが叫んだ。
「違う! それは、護身用よ! 私は――私は民を救って……!」
その言葉は、もう誰にも届かなかった。
記録が流れ、瓶が落ち、国王と大臣が戻った。これで十分だ。
カイルが、ようやく声を出した。
「……陛下。私は、国のために――」
軍務大臣が、振り向いた。
その目が、冷たい。
「国のためだと?ならなぜ、技術者を追放した。なぜ、結界の作り手を切った。
人気のためだと言ったな。――それは国ではなく、お前のためだ」
カイルの顔が強張る。
彼は自分の行動を、”霧”のせいにできない。記録の中の自分は、正気で、計算していた。
私は、淡々と告げた。
「言い訳は、これから裁きの場でしてください。ここで必要なのは、国を生かす決定だけ」
公爵が机上の地図を叩いた。
「時間がない。『アイギス』は間もなく自己保全に入る。応急安定化器はある。だが渡す条件は変わらない」
その時、使者が広間へ駆け込んできた。
息が荒い。泥が跳ねた外套。
「公爵様。相手方王都上空、結界亀裂拡大。魔物侵入、再発」
「自己保全の兆候、観測されています」
広間がざわめきに飲まれた。
国王が、顔面蒼白で机に手をついた。
「……今、王都が……」
軍務大臣が歯を食いしばる。
「止められるのか」
私は答えた。
「止められる可能性はあります。でも、条件が揃わなければ動きません。私はもう“奉仕”しません」
その言葉を言った瞬間、胸の奥が一度だけ痛んだ。
でも、痛みは必要だ。私は同じ失敗を二度しない。
国王が唇を震わせた。
「……条件を……」
軍務大臣が、国王の肩を支えながら言った。
「陛下。決めるべきです。今この場で。国が生きるために、何を差し出すか」
国王は、目を閉じた。
そして、ゆっくり頷いた。
リリィが叫ぶ。
「だめ! 私が! 私が祈れば――!」
監査団が彼女を拘束している。
白い光の輪が、彼女の手首を縛る。聖女の白は、いまや鎖の白だ。
カイルが、机の端に手をついた。
立っているのに、膝が揺れている。彼は初めて、象徴が壊れる瞬間を見たのだと思った。象徴を守るために切り捨てたものが、象徴を救う唯一の鍵だったと、ようやく理解したのだと思った。
私はブローチを台座から外し、胸元へ戻した。
「次は署名です」
私は言った。
「屈辱でも、恥でもいい。――王都の上で割れているのは、結界です。あなたたちのプライドじゃない」
軍務大臣が低く言った。
「……条約文を出せ」
公爵が頷き、紙束を滑らせた。
ここから先は、公開処刑ではなく、屈辱の献上。
そして私は、止血の道具を握ったまま、祖国が首を差し出すのを待つ。
遠くで、見えない結界がもう一度、嫌な音を立てた気がした。




