第3話 砕けた銀、残る核
屋根裏の扉の隙間から、雨の匂いと一緒に冷たい気配が流れ込んだ。
「アリア・ノーラン――その回路の“癖”は、お前のものだな」
濡れた外套の男は、扉を背にして立ったまま、私を値踏みする目をしていた。護衛の甲冑も、王都の騎士が好む派手な紋もない。けれど腰の位置、立ち方、視線の置き方が戦場の人間だ。
私は布に包んだ回路核を胸元へ押し当て、息を殺した。
「……誰」
「隣国公爵家の者だ」
男は外套の襟を少し開き、胸元の紋章を見せた。雨に濡れても鈍らない黒銀の印。王都で何度も見た。戦の話になると必ず机上に置かれ、誰もが無意識に目を逸らす――隣国最大の軍閥、公爵家の標。
「……どうして私を知っているの」
「公爵様は“職人の指紋”を見逃さない」
男は淡々と言う。
「王都の式典に据えられた『アイギス』。回路の接続、逃がし道の角度、魔力の収束の癖。お前が刻んだものだ」
私は喉が乾いた。
あれを見て作り手を特定する。魔導具師でもなかなかできないことだ。まして政治家なら尚更。
「で、何の用」
「保護と引き換えに、話がしたい。今すぐ来い」
命令形。
国に捨てられた直後に、別の国の人間に従えと言われる筋合いはない。私は反射で言い返した。
「お断りします。私は今、誰の命令も受けません」
男の眉が僅かに動いた。怒りではなく、予想通りだと言いたげな顔。
「なら、取引だ。ここにいると危険だ。祖国の追手が来る」
「……追手?」
追放は宣告された。城門も閉じた。今さら私に何の用がある。そう思った瞬間、男は視線だけで窓の外――路地の影を示した。
「来るのは“連れ戻し”じゃない。口封じだ」
「口封じ……?」
男は言い切った。
「お前が生きている限り、真実が残る。『アイギス』を作ったのが誰か、誰が盗んだのか、誰が嘘をついたのか――全部、いずれ露見する」
冷たい言葉が、雨より重く胸に落ちた。
「だから殺す。死んだ相手は反論できない。結界が割れた時にでも――『追放された魔導具師が逆恨みで呪いを残した』、そういう物語にして終わらせる気だ」
私は唇を噛んだ。喉の奥がひりつく。
「……私のせいにして、逃げるため」
「そうだ。聖女は被害者、騎士は英雄、国は団結。――都合のいい筋書きだ」
男は一拍置き、低く付け足した。
「ここにいると、その筋書きのために消される。五分で決めろ」
私は窓の外を見た。雨脚の向こう、宿の路地に人影が二つ、三つ。薄暗さに紛れ、こちらを窺っている。
胸元の回路核が、冷たく脈打つ気がした。
(……『アイギス』)
私がそれを作ったことを徹底的に秘匿する。
そのためなら、私を殺してでも口を閉ざしたい。そう考えた途端、体の芯が凍った。
「公爵様の馬車が下にいる。五分で決めろ」
「……勝手ね」
「生きる方が先だ」
その言い方だけは嫌いじゃなかった。正論は冷たい。けれど、いま必要なのは甘い慰めじゃない。
私は外套を掴み、回路核を縫い込んだ小袋を胸の内側へ押し込んだ。
「分かった。行く。――でも条件がある」
「言え」
「私に手を出したら、その場で逃げる。隣国だろうが何だろうが関係ない。私の技術は私のもの」
男は一拍置き、短く頷いた。
「公爵様も同じことを言うだろう。……急げ」
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宿を出た瞬間、路地の影が動いた。
雨の音に紛れて、足音が複数重なる。濡れた石畳を踏むリズムが、こちらへ寄ってくる。私は背筋でそれを数えた。四人。距離は近い。
男――使者が私の前に出る。次の瞬間、影の一つが飛び出し、刃の光が雨を割った。
「アリア・ノーラン。――抵抗するな」
祖国の訛り。押し殺した声。
相手は顔を布で隠しているが、動きは訓練された兵のそれだ。拘束して連れ帰る気配ではない。首筋を狙っている。
(本当に……殺しに来た)
私は反射で後ろへ身を引いた。
だが使者の動きはそれより速い。外套の裾が翻り、短剣が刃を受け流す。金属が触れ合う音が、雨音の中で鋭く鳴った。
「公爵家の保護対象に手を出すな」
使者の声には感情がない。ただ事実の宣告。
影がもう一人、私の背後へ回り込もうとする。私は咄嗟に掌を上げ、指先に魔力を集めた。火も雷もいらない。欲しいのは一瞬の“足止め”だけ。
石畳に流れる雨水へ魔力を落とし、薄い膜の回路を描く。
水面が一瞬だけ硬化し、足元が滑る。
「っ!」
追手の足が取られ、その瞬間に使者の蹴りが腹へ入った。男が咳き込み、泥に沈む。
残り二人が迷いなく距離を取る。指揮役がいる。こちらの戦力を見て“失敗した”と判断したのだ。
最後の一人が去り際に指輪を光らせた。雨に濡れても鈍らない金の縁――祖国の近衛が身につける意匠に似ていた。
(……やっぱり、祖国の手の者)
「逃がすの?」
私が息を整えながら言うと、使者は血の付いた刃を布で拭った。
「追えば騒ぎになる。今はお前を運ぶ方が優先だ」
私は喉の奥の鉄の味を飲み下し、黒い馬車へ乗り込んだ。車内は乾いていて、革と薬草の匂いがした。窓には厚い布がかけられ、外の様子はほとんど見えない。
馬車が走り出す。雨の音が遠のき、車輪が水たまりを切る振動が床から伝わった。
「そちらの公爵は……私に何をさせたいの」
「話せば分かる」
使者はそれ以上言わず、まっすぐ前を見た。
私は膝の上で手を握りしめ、掌の傷に爪を立てた。痛みが現実を繋ぎとめる。
(祖国は私を追放し、あまつさえ命を狙う)
ならば私は、自分も守るために武器を準備する。
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夜明け前、馬車は城塞都市へ入った。
門は高く、石壁は分厚い。祖国の城門が飾りなら、ここは牙だ。兵が無駄な声を出さず、動きに迷いがない。軍が国を支えている都市。
馬車が止まり、私は石造りの大邸宅へ通された。廊下は冷え、燭台の火が揺れる。壁には戦勝の旗と古い地図。ここが力で生きる家の中だと分かる。
扉が開く。
書斎。大きな机。窓の外にうっすらと朝の光。
そこに一人、椅子に座る男がいた。
黒髪。眼光は鋼のように冷たい。年は若くも老いても見える。鍛えられた身体というより、獲物を仕留めるための無駄のない姿勢。
「アリア・ノーラン」
名前を呼ばれた瞬間、背筋が伸びた。
この男が、かつて噂に聞いた、隣国の戦上手の公爵――その人。
「追放された魔導具師だな。座れ」
命令形。けれど使者のそれとは違う。相手の意志を折るための圧がある。
私は椅子に座らず、立ったまま言った。
「話は聞きます。でも、従属はしません」
公爵は一瞬だけ口角を上げた。笑いというより興味の表情。
「いいだろう。従属は不要だ。必要なのは契約だ」
「契約」
「お前を保護する。おまえの祖国の追手は、ここでは手出しできない。その代わり――お前の技術を貸せ」
直球。
私は息を吐いた。
「“貸す”の範囲は?」
「まずは『アイギス』について、知っていることを全て」
その言葉で確信した。
この男は『アイギス』の価値だけでなく、“弱点”まで掴んでいる。
私は敢えて視線を逸らし、机上の地図を見た。祖国の国境線が赤い糸で囲まれ、要衝に小さな印。城塞、街道、川――そして王都を中心に薄い円が描かれている。『アイギス』の結界範囲だ。
「あなたは、もう知っているんじゃないの。『アイギス』の欠陥」
公爵の目が僅かに細まった。
「話が早い。――そうだ。あれは作り手の署名魔力、すなわち魔紋がなければ、長期維持できない設計になっている」
私の胸がどくりと鳴った。
署名魔力。
作り手の魔力の癖を鍵にして、循環制御を安定させる仕組み。私は盗用防止のために入れた。国家級の魔導具を、政治の都合で別の手に渡されないように。魔紋を実用化しているのは世界広しといえども私くらいではないだろうか。この男はなぜか、その技術を知っている。
でも今、その仕組みが刃になって、私を守ってもいる。
「……どこでそれを」
「我が国は情報に金を払う」
公爵は淡々と言う。
「そして、お前の断罪は芝居だと踏んでいた。確認したかっただけだ。……リリィ、だったか。あれが作ったなら、結界は既に破綻しているはずだからな」
私は笑いそうになった。
王国の中枢が霧で操られているのに、外国の男の方が真実に近い。皮肉にもほどがある。
「私に技術を貸せと言うなら、私にも条件がある」
「言え」
「第一に、私は祖国へ戻りません。どんな状況でも」
「第二に、私の技術は私の名義で扱う。私の功績を他人のものにしない」
「第三に――私は、私を嵌めた連中を、私のやり方で終わらせる」
最後は声が少し低くなった。
公爵は一拍置いて、指を組んだ。
「復讐か」
「清算よ」
私は胸元から小袋を取り出し、布をほどいて回路核を見せた。砕けたブローチの中心。淡い光が残っている。
「これは記録魔導具の核。壊れても情報が残るように作ってある。修復すれば、全部出せる。――リリィの盗用も、禁忌の罪も、断罪の裏も」
公爵の視線が回路核に吸い寄せられた。
その目は宝石を見つけた商人のそれではない。武器の性能を測る軍人の目だ。
「修復できるのか」
「できる。時間と設備があれば」
「設備ならある。時間は――ない」
公爵は地図の王都を指先で叩いた。
「『アイギス』は近いうちに悲鳴を上げる。そうだな?おまえの祖国では対処できない。お前がいなければ、結界が割れる。割れれば魔物が流れ込む。民衆は無能な聖女を崇め、見せかけの騎士はそれに縋る。――地獄だ」
私は唇を噛んだ。
あの国が地獄を見ることを、正直、望んでしまう。けれど、その地獄で最初に死ぬのは民衆だ。罪のない人間が先に死ぬ。
公爵は私の葛藤を見抜いたように、声を落とした。
「安心しろ。お前に慈善を求める気はない」
「おまえの祖国が崩れれば、我が国にも悪影響がある。難民、魔物、混乱。……だからこちらは戦略として結界を利用する」
綺麗事じゃない方が、私は動ける。
「契約書を用意して」
私が言うと、公爵は僅かに頷いた。
「まずはお前に研究区画を開ける。修復を始めろ。証拠が揃えば、交渉はお前の望む形になる」
「交渉?」
「その時が来れば、祖国はお前に頭を下げるだろう。――いや、下げざるを得ない」
公爵は椅子から立ち上がり、窓の外の朝を見た。
「お前が切り捨てられたのは、人気のため、象徴のためだったな。ならば次は、象徴を奪ってやればいい」
私は静かに息を吐いた。
私の中の何かが確かに切り替わった。
ここは敵国。けれど利用できる。
私は情で動かない。計算で動く。
公爵が振り返り、言った。
「アリア・ノーラン。契約の前に一つだけ確認する」
「お前は――『アイギス』を、壊せるか」
私は瞬きをした。
壊す? 私の作品を? 国を守る盾を?
けれど、すぐに理解した。
壊すというのは、暴走を止めることでもある。祖国の手から奪い、主導権を握るための“解体”でもある。
私は回路核を握りしめ、答えた。
「壊せる。作ったんだから」
「そして――作り直せる」
公爵の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
それが合図だった。
「案内しろ」
公爵は使者に命じた。
「研究区画へ。――ここから先は我が国の中枢だ。そしてお前の戦場でもある」
扉が開き、冷たい廊下の先に灯りが続く。
私は一歩、踏み出した。
祖国は私を捨てた。
なら私は、祖国が最も恐れる場所で――真実を組み上げる。




