第1話 泥棒猫の烙印
王都の空は、祝祭の旗で埋め尽くされていた。
建国記念祭。王宮の白い石壁には金糸の飾りが絡み、広場を埋める数千の民衆は、いまかいまかと「奇跡」を待っている。視線の先にあるのは、王宮バルコニーに据えられた巨大な魔導具――新型国家結界魔導具『アイギス』。
私が、指先を焼き、血をにじませ、眠りを削って編み上げた回路の塊だ。
なのに。
「アリア・ノーラン。お前のような盗人が、よくも我が国の至宝――聖女リリィの隣に立てたものだ」
婚約者であり近衛騎士であるカイルの声が、鐘の音より冷たく響き渡った。
その瞬間、私の背中に走ったのは、驚きではなく――理解の拒絶だった。
「……何を、言っているの。カイル」
足元の石畳が、信じられないほど硬い。剣の鞘で突き飛ばされ、膝と手のひらを擦りむいた痛みが遅れてくる。血の匂いの向こうで、香炉の甘い煙が風に乗り、祝祭の空気が急に遠くなった。
カイルは知っている。工房の夜。私が火傷だらけの指で魔力の導線を縫い、魔石の相性を確かめ、微差の誤差に泣きながら笑っていたことを。
そして、その横でリリィが何をしていたかも。
彼女は、ただ、紅茶を飲み――居眠りしていただけだ。
それでもカイルは、汚物でも見るような目で私を見下ろした。
「見苦しいぞ。お前がリリィの設計図を盗み、あまつさえ彼女を脅迫していた証拠は揃っている」
カイルは一拍置き、隣に立つ白いドレスの少女へ、蜜のように甘い声を投げた。
「……なぁ、リリィ」
聖女――と呼ばれるその少女は、小さく肩を震わせ、わざとらしく涙を零した。
民衆のため息が、波のように広場を渡る。私は、その波が自分を飲み込む気配に息を詰めた。
「……はい、カイル様。アリア、信じていたのに……」
リリィは唇を噛み、胸元の銀のブローチを、いとおしげに撫でた。
「私が忘れっぽいからって、設計図の原本を預けたのが間違いだったわ……」
そのブローチは、私が作った。
忘れがちな彼女が、私の講義を繰り返し復習できるように。
魔力の流し方、回路の接続、魔石の調律――“本物の魔力”の動きを記録し、再生できる学習用の記録魔導具。
貧しかった頃、同じパンを分け合った日の続きだと信じて、私はそれを「友情の証」として渡した。
「嘘……よ。そのブローチにだって、私が教えた記録が残っているはず――」
縋るように言いながら、私は背後の玉座へ視線を投げた。
そこには、かつて私を「我が国の宝だ」と笑った国王と、厳格で、正義感の塊みたいな軍務大臣が座っている。
「……陛下!大臣!お願いです、真実を……っ」
返ってきたのは沈黙だった。
国王の表情は、磨き上げられた仮面のように無機質で、軍務大臣の目は虚ろに揺れて焦点が合わない。まるで、精巧な操り人形。
(……おかしい。何かが、おかしい)
軍務大臣の指先が、わずかに痙攣している。あの人が、こんな理不尽を黙って見過ごすはずがない。
私は、喉の奥が冷える感覚に気づき、視線をリリィへ戻した。
彼女の背後――バルコニーの影に、霧のような魔力が漂っていた。
甘くも腐臭の混じる、胸の奥を撫でてくる不快な匂い。私は、その名を知っている。
――『レーテの霧』。
私とリリィが遺跡で見つけ、「人の心を弄ぶ禁忌だ」と誓って封印したはずの、「記憶改ざん魔法」。
霧は見えない。けれど、魔導具師の感覚は誤魔化せない。記憶という“回路”を、外からねじ曲げる手触りがある。
(まさか……。陛下も、大臣も……)
背筋が凍る。怒りより先に、絶望が来た。私の言葉が届かない。真実が、最初から立ち入り禁止にされている。
「陛下も大臣も、お前の醜悪な本性に失望しきっておられる」
カイルが冷たく言い放つ。
「……アリア、お前のような犯罪者は、この国に不要だ」
私は、カイルを見つめた。
彼の瞳は澄んでいる。霧の影響を受けた濁りがない。まっすぐで、残酷なほど明晰な光。
(……カイルだけは、魔法にかかっていない)
つまり――これは、彼の、彼自身の判断による「選択」だ。
「カイル……あなた、魔法にもかかっていないのに、本気で言っているの?」
私の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
彼は、僅かに眉を寄せた。哀れみの形をした苛立ち。
「アリア。国が求めているのは、真実じゃない。象徴だ」
彼はリリィの肩を抱き寄せ、観衆に見せつけるように微笑む。
「民衆は“聖女”を求めている。人気があり、祈れば奇跡を起こす存在を。……大人しく泥を被れ。それが、君がこの国に捧げられる最後の奉仕だ」
奉仕。
その言葉が、私の内側で何かを折った。
私は、ふと『アイギス』へ視線を移した。
三重の魔力輪。外環は結界の展開、内環は魔力の循環、中心核は調律と制御。設計図の線一本一本に、自分の癖がある。回路の接続の間隔、魔力の逃がし方――作り手の“魔紋”。
そこに刻まれているのは、疑いようもなく私だけが持つ魔紋だった。
(私のものだ。私の……なのに、私がここに立てない)
鼓膜が、民衆のざわめきで震える。
「泥棒猫!」
「聖女様を泣かせた!」
「追放しろ!」
言葉が石のように降ってくる。私の名前が、罪の代名詞に塗り替えられていく。
カイルの声が、最後の楔を打った。
「国体欺罔および国防結界侵害の罪により、アリア・ノーランを国外追放に処す!」
歓声と罵声が混ざり合い、祝祭の鐘が鳴った。まるで私の葬送のために。
その場で、私は叫ぶべきだったのかもしれない。抵抗し、泣き、暴れ、民衆の前で真実を訴えるべきだったのかもしれない。
でも――私の言葉が届く回路は、霧で切断されている。
それを理解した瞬間、私はただ、口の中に鉄の味を噛みしめた。
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雨が降り始めたのは、城門へ引きずられる途中だった。
祝祭の旗が濡れて垂れ、石畳が黒く光り、冷たい水が髪を重くする。騎士たちの手は容赦なく、私は泥の中へ放り出された。
背後で、巨大な門が閉ざされようとしている。
その隙間から見えたのは、傘の下で微笑むリリィの顔だった。雨粒が真珠みたいに跳ね、彼女の白いドレスだけが不自然に汚れない。
「……これ。もういらないから、返してあげるわ」
彼女は胸元からブローチを引きちぎるように外し、私の前へ放った。
銀の光が泥に落ちる。
私は反射で手を伸ばし、次の瞬間、自分の声が跳ねた。
「やめて、リリィ!それには私の――」
「分かってるわよ」
リリィは、濡れた唇を吊り上げた。涙を見せる聖女の顔ではない。
「これには、私が......“何もしていなかった”証拠が詰まってるんでしょ?邪魔なのよ、こんなゴミ」
彼女はブローチを、石畳へ叩きつけた。
ガシャンッ。
乾いた破裂音。繊細な銀細工が歪み、中の魔石が火花を散らして砕け散る。飛び散った欠片が泥に沈み、雨に打たれて鈍く光った。
リリィは、ためらいなくその破片を美しいヒールで踏みにじった。
ぐしゃり、と音がした。私の胸の奥も、同じ音を立てた気がした。
「あはは!壊れちゃった」
彼女は笑う。雨の中で、喉を鳴らして。
「これでもう、あなたが私を“サボり魔”だって証明する手段は、この世から消えたわ。ねえ、アリア。悔しい?」
悔しい。
そう言えば、彼女は満足するだろう。
私は泥の中で、砕けた銀の破片を見つめた。
記録魔導具は繊細だ。外装が歪めば、魔石が割れれば、再生は難しい。普通なら。
――普通なら、だ。
(……愚かな女。壊したわね、リリィ)
私の心の中に、冷たい笑いが生まれた。
彼女はこれを、爆弾になりかねない「証拠」だから壊した。消せば嘘が永遠に真実になると信じて。
けれど、このブローチの“核”は、私が自分の技術の誇りを込めて作った最高傑作だ。外が壊れても、コア回路は簡単には破損しないよう、設計してある。
(あなたが今断ち切ったのは、あなたに不利な証拠だけじゃない。私の中にかすかに残っていた、友情やあなたへの信頼を完全に破壊した)
私は、雨に濡れたまま立ち上がった。泥が裾を重くする。頬を伝う水が雨なのか涙なのか分からないまま、私は破片を一つずつ拾い上げた。
魔石は砕けている。銀の細工は歪んでいる。
それでも――回路の核は、確かに指先に残った。
「……さようなら、リリィ」
私は彼女を見上げず、ただ呟いた。
「大切にするわ、この『残骸』」
リリィの笑い声が背後で揺れた。城門は、最後のきしみを立てて閉じる。
門の向こう側に残るのは、愛した祖国。霧で操られた国の指導層たち。そして――魔法で操られたのではなく、“計算”で私を切り捨てた騎士カイル。
私は振り返らない。
振り返れば、まだ縋ってしまう自分がいることを知っているから。
(見ていなさい。私がいないこの国が、どうやって自壊していくか。そして私が、新しい場所で、どんな絶望をあなたたちに贈るか)
雨の国境道の先で、馬車の車輪が軋む音がした。
世界は、私を追放した。
ならば今度は私が、世界を書き換える。
――これが、魔導具師アリア・ノーラン、逆襲の序章。




