普並木杏璃の憂鬱
昼下がりの国際信州学院大学。
空は突き抜けるような青、太陽は容赦なく地上を焦がす快晴である。
その平和極まりないキャンパスの一角、芝生の広がる中庭にて、実に牧歌的かつ不毛な能力の行使が行われていた。
「くらえ! 俺のチョップが少し強くなる能力!」
一人の男子学生が、裂帛の気合いと共に友人の肩へと手刀を振り下ろした。
ペシッ、ペシッ、ペシッ。
連続して叩き込まれるチョップ。
しかし、叩かれている側の友人は苦痛に顔を歪めるどころか、恍惚の表情を浮かべていた。
「あー……そこそこ、効くぅ。いい肩たたきだなー、お前の能力」
「……はぁー」
チョップを放っていた男子学生が、深いため息をついて手を止めた。
「なんでこんな能力なんだろうな。身体強化系の中でもダントツのクソハズレだわ。プロレスラーになれるわけでもなし、マッサージ師になれってか?」
「贅沢言うなよ。俺なんてスプーンが少し曲がる能力だぞ? ユリ・ゲラーかよ。どうせならガッツリ念動力がよかったわ~」
「曲がるだけマシだろ。俺なんかチョップ限定だぞ?」
彼らの嘆きは、この世界における「ハズレ能力者」たちの共通した悲哀であった。
そのすぐ近く、白いパラソルが開かれたテーブル席では、三人の女子学生が優雅にランチ後のティータイムを楽しんでいた。
「見ててよー。私のペットボトルのキャップを開ける能力っ!」
一人がそう宣言し、テーブルの上のオレンジジュースに手をかざす。
すると、未開封のキャップがひとりでにクルクルと回転し、ポロリと外れた。カラン、と乾いた音が響く。
「おー」
パチパチと手を叩く友人たち。
「でもさ、それいつも思うけど、なんか役に立つの? 手で開ければよくない?」
「えー? ネイルしてる時とか便利だよー? あと手が汚れてる時とか」
「あー、なるほどね。私なんてさ、缶のプルタブが取れる能力だよ?」
別の女子が空き缶に手をかざすと、プルタブだけがカキンと音を立てて外れ、宙を舞った。
「……それこそ、なんの役に立つの?」
「知らなーい。コレクション?」
「あはは、ウケる。それに比べて、私は猫の尻尾が生える能力でさ……ほら」
スカートの臀部あたりから、ふさふさとした縞模様の尻尾が出現し、ゆらゆらと揺れる。
「キャー! いいじゃん、かわいいじゃーんっ!」
「映えだねーっ!」
キャッキャと笑い合う彼女たち。
そこには、世界を揺るがすような脅威も、悲壮な運命もない。ただ、日常に溶け込んだささやかな異能があるだけであった。
◆❖◇◇❖◆
場所は変わって、校舎内の学生食堂、カフェテリア。
昼食時ということもあり、広大なホールは学生たちの熱気と食器の触れ合う音で満たされていた。
その喧騒の中、一角のテーブルに向かい合う二人の女子学生がいた。
「で、柄長はどうやって能力鍛えたの?」
問いかけたのは、鮮やかなオレンジ色のショートヘアを持つ少女。
彼女の目前には、塩気と脂質の塊であるスパムおにぎりが鎮座している。
「特にやってないよ。昔からせいぜいテクノロジー操作の方しか使ってないし。逆に杏璃はどうしてたの?」
答えたのは、水色の髪をサイドポニーテールに結った少女、鴨紅柄長である。
彼女の前には、彩り豊かな自作の鶏の唐揚げ弁当が広げられている。
「幼少期からしてたよっ! だって私の能力、昔は一瞬だけパチッて静電気が出るくらいだったんだからっ」
憤慨しながらスパムおにぎりにかぶりついた女。
杏璃と呼ばれた彼女の名は、普並木杏璃。
かつて、河海の取り巻きとして柄長に能力戦を挑み、圧倒的な実力差の前に敗北した電気使いの少女である。
あの敗北の後、同じ「電気属性」を持つ能力者として柄長に気さくに話しかけられた普並木は、当初こそ恐怖に戦いていたものの、柄長の底知れぬ明るさと、拍子抜けするほどの無害さに毒気を抜かれ、今ではこうして下の名前で呼び合う仲になっていた。
本日は、亜鳴蛇筮麽は講義がないため不在である。最強の能力者である彼女は、単位取得に必要なギリギリの日数しか大学に姿を現さない。
もちろん、河海も同じく。もし、柄長と普並木が仲良くしているところをリーダー格の河海に見つかれば、「裏切り者!」とヒステリックに騒ぎ立てられることは明白であるため、こうして平和な密会を楽しんでいるのであった。
「へ~。でも今はスタンガンくらい強くなってるよね。杏璃、成長してるじゃん」
柄長は唐揚げをパクリと口に放り込み、呑気な感想を漏らす。
しかし、普並木はジト目で彼女を見据えた。
「……柄長が羨ましい。私より電気の火力だって全然高いし、そもそも二重属性だし……。テクノロジー操作とか、現代社会じゃめっちゃ便利だし最強じゃんっ」
普並木の瞳には、隠しきれない嫉妬の色が滲んでいた。
だが柄長は、それを柳に風と受け流す。
「まぁそれは仕方ないじゃん? 才能ってのは生まれつきだし、親のガチャ運みたいなもんだよ」
「うぐぐ……。私なんて単一属性で、火力も弱いし……」
ずーん、と効果音がつきそうなほどに落ち込む普並木。
柄長は箸で唐揚げを突きながら、励ますように言った。
「弱いってことはさ、もっと強くなれる伸び代があるって事じゃん? これからだよー、人生は」
「柄長さ……それ、完全に強者の余裕ってやつだから。あんたとはそもそも、スタートラインが違うんだよ……」
普並木がここまで深く落ち込むのには、明確な理由があった。
もちろん、目の前にある圧倒的な実力差という現実もあるが、それはこの世界の残酷な真理、すなわち「能力の仕組み」に起因している。
この世界において、能力の強弱は八割方「才能」によって決定づけられる。
肉体の成長と共に能力もある程度は自然に伸長していくが、それには明確な限界値が存在し、何もしなければ一定のレベルで成長は止まってしまう。
それ以上の領域へ踏み込むには、筋トレや体力作りと同様に、専門的なトレーニングが必要となるのだ。
世の中には人類の総数、百億通りの能力が存在する。それに対応するため、街には『能力適性相談所』や、個々の特性に合わせたトレーニングメニューを提供する『能力開発ジム』なる施設が乱立している。
自身の能力の弱さに強烈なコンプレックスを抱いていた普並木は、小学生の頃から親に頼み込んで『能力開発ジム』に通い詰め、血の滲むような努力を重ねてきた。
静電気レベルだった火力を、護身用のスタンガンレベルまで引き上げたのは、ひとえに彼女の努力の結晶である。
だが、前述の通り、能力の八割は才能だ。
最初から強力なエンジンを積んでいる者もいれば、普並木のように豆電球を灯すのが精一杯の者もいる。
スタートラインが、残酷なまでに違うのだ。
対して柄長はどうか。
彼女は幼少期から、テクノロジー操作の方を無自覚に遊び感覚で使っていたため、その精度や効果範囲は自然と拡張されていった。
幼少期はせいぜい半径五十メートル程度だった干渉範囲は、現在では半径二百メートルに達している。さらに、対象も家電製品から始まり、現在では自動車やドローンなどの複雑な乗り物さえも自在に制御下に置くことが可能だ。
その気になれば、射程圏内にあるジャンボジェット機やミサイルすらハッキングし、手足のように操ることができるだろう。
そもそも、念動力系統の能力において、効果範囲が五十メートルというのは、初期値としては破格の性能である。
いわゆる「超当たり能力」の部類だ。
それなのに、彼女は努力などしたことがないと言う。
さらに恐ろしいのは、彼女が「全くと言っていいほど鍛えていない」と語る電気放出能力の方だ。
手つかずの状態で、あの火力。
この前見せた、全身から溢れ出る発電所並みのエネルギー。
もし、柄長が本気で電気能力を鍛え上げれば、その出力は指数関数的に増大し、都市一つを賄えるほどの雷神と化すことは想像に難くない。
普並木は、死ぬ気で努力してようやくスタンガンを手に入れた。
一方の柄長は、努力もせずに核弾頭をポケットに入れているようなものだ。
さっきまでは「柄長も死ぬほど努力してあの領域に達したんだ」と勝手に仲間意識を持っていただけに、それが天然の才能だと知らされた時のダメージは計り知れなかった。
圧倒的な、才能の格差。
神の不公平さを呪いたくなるほどの隔絶が、そこにはあった。
「……十分じゃない? スタンガン並なら、筮麽くらいデカイ男でも一撃で気絶させられるし。護身用としては完璧だよ」
柄長は悪気なく笑う。
「そういう事じゃないんだよ……。強さへの憧れっていうかさぁ……」
テーブルに突っ伏し、どんよりとしたオーラを放つ普並木。
「ま、野蛮なことは良くないよ。平和が一番だし、電気代浮けばそれでよし」
柄長は唐揚げを口に放り込み、満足げに咀嚼した。
彼女にとって、能力とはあくまで生活を便利にするツールであり、闘争の道具ではないのだ。その無欲さが、普並木にとってはさらに眩しく、そして妬ましく映った。




