亜鳴蛇筮麽の休日
亜鳴蛇筮麽の朝は遅い。
カレンダー上の表記は休日。時刻は既に、太陽が中天への階梯を登りきろうとする午前十時半を回っている。
場所は東京都某所、築年数不詳の木造モルタル、1DKの安アパート。
主である筮麽は、昨日────否、日付という概念を跨いだ今日の未明、深夜三時過ぎまで、文明の堕落を享受していた。
紫煙を燻らせ、テイクアウトしたケンタッキー・フライド・チキンのパーティーバーレルを独りで貪り食いながら、動画投稿サイトヨーチューブやチックトックのショート動画を虚ろな目で眺め続けるという、生産性皆無の時間を過ごしていたのである。
「んぅ……」
煎餅布団の山が蠢き、そこから艶やかな濃桔梗色の髪と、白磁のような肌を持つ妖艶な美女が這い出してくる。
気だるげに瞼を擦るその姿は、深窓の令嬢か、あるいは傾国の絶世の美女か。
だが、その実態は常に貪婪に惰眠を貪る、ただの自堕落な怠け者である。
部屋の空気は、外気とは隔絶された驚くほどに快適な温度と湿度に保たれていた。
これは筮麽の数ある脳内コレクションの一つ、六畳間の環境を最適化する能力による恒常的な環境制御の結果である。
効果範囲が「六畳一間」という極めて限定的なこの能力を行使するためだけに、筮麽は高校卒業後の物件探しの際、不動産屋に「絶対に六畳の部屋でなければならない」という奇妙な拘りを提示し、この安アパートを選定したのだった。
布団に隣接した、リビングの中央に鎮座する大きな折りたたみ机の上。その上には、昨夜の宴の爪痕が残されている。
脂でギトギトになった紙皿、飲み干されたコーラのペットボトル、カートン買いされたタバコの箱が城壁のように積まれ、その中心には、かつて高級焼き海苔が収められていた金色の筒缶が鎮座している。
その缶の中は、黒い山脈の如く押し込まれたタバコの吸殻で埋め尽くされていた。
本来であれば、紫煙と酸化した油の臭いが充満し、鼻を突く悪臭が漂ってしかるべき惨状である。
だが、この部屋には驚くほどフローラルな、瑞々しいアロエの香りが漂っていた。
食費とタバコ代に金が湯水のように溶けていく筮麽に、街中や喫煙所に設置される一台三十万円もする空間浄化結界搭載の小型ドローンを購入できる財力などあろうはずもない。
これは高校時代にすれ違った他者からコピーした悪臭を消す能力と、アロエの香りを出す能力の複合併用によるものである。
彼女は、己の怠惰と貧困を、神ごとき御業で解決しているのだ。
筮麽は布団に潜ったまま、身じろぎもせずに行動を開始した。能力。いくつも使用する。
まずは、歯を綺麗にする能力、歯のエナメル質を修復する能力を発動。これにより、面倒なブラッシングの工程は省略される。
続いて、口の中に水を出す能力。寝っ転がったまま口の中に水を満たし、ガラガラと音を立ててうがいをする。
問題は、この汚水をどう処理するかだが、彼女は起き上がって洗面所へ向かうことすら厭うていた。
筮麽は虚空に指をかざす。
発動するのは、黒いリングを生成する能力と空間を繋ぐ能力の合わせ技である。
目の前の空間に、漆黒の輪郭を持つ直径三十センチほどの穴────空間転移門が出現する。
空間の向こう側には、離れた場所にある風呂前、洗面所の排水溝が映し出されていた。
筮麽は寝たまま首だけを動かし、そのゲートに向かって口の中の水を「んぺっ」と吐き出した。
水は空間を超越し、直接排水溝へと吸い込まれていく。
この空間を繋ぐ能力のオリジナルは、かつて深夜の繁華街で泥酔していた中年男性からコピーしたものであった。
元の能力は、空間の裂け目に縁がなく、ただ空間を乱雑に引き裂くだけの代物。範囲指定も不安定で、うっかり触れれば指が切断されかねない危険極まりない欠陥能力だった。
当時の酔っ払いも、「せっかくのレアな空間操作系なのに大ハズレだっ! 国が悪いっ! 俺の人生返せっ」と管を巻いていたが、筮麽にとっては素材の一つに過ぎない。
彼女は自身が持つ空間を固定する能力や黒いリングを生成する能力と組み合わせることで、安全な縁取りを施し、実用的なポータルへと昇華させたのだ。
一度視認した場所かつ、直径三十センチ以内という制約はあるものの、布団から一歩も動きたくない筮麽にとっては、神器に等しい利便性を誇っていた。
この能力があれば、密室からの完全犯罪や窃盗も容易だろうに、筮麽の用途といえば、こうしてうがいをしたり、柄長の頭にこっそり変なヘアピンを転移させて遊んだり、ゴミを直接ゴミ箱へ転送したりと、実に平和的かつくだらないものばかりであった。
洗顔する能力を使用。
ふわっと彼女の顔が火照り、余分な皮脂が落ちて、艶やかな肌を取り戻した。
これで完璧である。
「……お腹空いた」
ぼそりと呟く筮麽。
彼女は戸籍登録上の自身の能力、身体から触手が生える能力を行使した。
左手を翳し、人差し指と中指が、ぐにゃりと液状化し、変形を開始する。
普段、戦闘などで見せるような鋭利な刃物状ではない。
ピンクに変色したそれは、流動性を持ち、まるで噛み終わったガムのように「にょーん」とだらしなく伸びていく。
触手は意思を持つ蛇のようにリビングを這い、冷蔵庫の扉を開け、中から昨夜、次の日食べようと別で残しておいたチキンの箱を捕縛した。
べたり、と張り付く粘着性。
この能力を構成する際、彼女はひもQを出す能力や指がチューインガムになる能力などの要素をブレンドしていた。
この世界において、能力は多種多様であるが、原則として「一人一能力」が絶対の理である。
その性質は、大きく三つの階層に分類され、義務教育の段階で叩き込まれる常識となっていた。
第一に、単一属性。
これが能力者の八割以上を占める最も一般的な形態である。
前に遭遇したナンパ男の手から光の剣を出す能力や、筮麽に因縁を付けてきた河海の持つ棍棒を出す能力など、一つの要素、一つの事象のみを扱う能力だ。
第二に、二重属性。
これは、一つの能力の中に、全く異なる二つの要素が内包されているものを指す。
例えば、友人の鴨紅柄長のように、「テクノロジーへの干渉権限」と「電波・電流操作」という、本来別個であるはずの要素が複合しているケースだ。
希少性は高いが、探せばクラスに一、二人はいる程度。確率で言えば、身長百八十センチの男性を見つけるようなものである。少し珍しがられるが、驚愕するほどではない。
そして第三に、多重属性。
これは、三つ以上の属性要素が複雑に絡み合った、極めて稀有な能力である。
確率で言えば、身長百九十センチ超えの大男に遭遇するようなものだ。
筮麽は、自身のこのデタラメな万能性を隠蔽するため、自身の能力をこの「多重属性」であると公言し、誤魔化していた。
触手を刃物に変えたり、ガムのように粘着質にしたり、硬度や色を気分で変えたり、果ては体の一部を変化させたり、太さや枝分かれすら自由自在。
本来、肉体変化系の能力であれば、その形状や性質はある程度固定されるのがセオリーだ。これほどまでに変幻自在なのは、明らかに盛りすぎである。
三つ以上の属性を持つことは世界的に見ても稀有であり、確率で言えば、身長二メートル以上の女性に遭遇する確率に匹敵する。
柄長にも、「あんたさぁ……それ、さすがに設定詰め込みすぎじゃない?」と呆れられ、これまでに何人もの鋭い友人から「本当は複数の能力を持ってるんじゃないか?」と疑惑の目を向けられてきた。
しかし、その度に筮麽は「いやいや、これ全部ひっくるめて私の触手能力だから。超レアな多重属性なだけだから」と、断固としてシラを切り通しているのである。
伸びた触手が、ケンタッキーの箱を電子レンジの中へと放り込み、扉を閉める。
しかし、筮麽はコンセントを繋ごうとはしない。
面倒くさいというのもあるが、彼女には柄長から拝借した便利な力がある。
電波でテクノロジーを操る能力。
筮麽の瞳が微かに紫紺に輝くと、彼女向けにカスタマイズされた紫色のスパークが「バチッ」と空中で弾けた。
電源プラグの抜けた電子レンジが、紫のオーラに包まれ何食わぬ顔で起動する。
設定は五百ワット、三分。
ウィーン、と回転皿が回る音を聞きながら、筮麽は再びワープゲートから、部屋の隅に置いてあったパウンドケーキの袋を取り寄せた。
それを封切り、もしゃもしゃと頬張る。
ジャンクフードの温まる匂いと、甘いケーキの味。
やがて、ピー、という電子音が静寂な室内に鳴り響く。
文明の利器が、冷凍されし鶏肉の蘇生完了を告げたのだ。
しかし、ここで人類史上稀に見る、極めて重大な問題が発生した。
先ほど摂取したパウンドケーキによる急激な血糖値の上昇である。
甘美な糖分が脳髄を駆け巡った結果、筮麽の思考回路はショート寸前の倦怠感に支配されていた。
朝から複数能力を使い、寝起きで糖分を摂取するという行為。
その弊害として、もはや彼女には触手能力を発現させる気力すら残っていなかったのである。
いや、触手はおろか、手を触れずに物体を浮遊させる念動力を行使する精神力さえも枯渇していた。仮に今、惰性で念動力を使えば、箱は頼りなく空中を彷徨い、中身をぶちまけて大惨事を招くであろうことは火を見るよりも明らかだ。
(……めんどくさいな)
筮麽は布団に突っ伏した芋虫のような姿勢のまま、虚空を睨む。
彼女は、先ほど生成したワープゲートの座標を、眼前へとずらした。
そこから、油汚れに強いプラスチック製の下敷きを、ゲートを通じて手元へ引き寄せる。
続いて、ゲートの出口座標を電子レンジの庫内へと再設定。
重力が仕事をし、ドサッ、という鈍い音と共に、温められたケンタッキーの箱が、下敷きの上に落下してきた。
次はカトラリーである。
折りたたみ机の真横に布団を敷いているのだから、本来ならば、少し手を伸ばせば届く位置に、コンビニやスーパーから着服し溜め込んだ大量の割り箸ストックがある。
だが、あろうことかこの最強の能力者は、その数十センチの「手を伸ばす」という行為すらも億劫がった。
彼女はゲートの入り口を、真横の割り箸ケースの直上へ繋げ、出口を手元へ設定した。
バラバラと、雨のように降り注ぐ割り箸の群れ。
筮麽はその散乱など意に介さず、一本を拾い上げて封を切り、ゴミとなった袋を近くのゴミ箱へ直接転送した。
儀式の準備は整った。
筮麽は厳かな手つきで、パーティーバーレルの蓋を開放する。
そこには、黄金色と赤褐色の山脈が築かれていた。
合計九ピース。
秘伝のスパイスが香るオリジナルチキンが五つ。刺激的な赤色が食欲をそそるレッドホットチキンが四つ。
さらに、脇を固めるのはSサイズのポテトが二袋と、骨なしのカーネルクリスピーが四つ。
芳醇なる揚げ油とスパイスの香りが、六畳一間の空気を暴力的に支配する。
筮麽はまず、人差し指で箱に触れ、食べ物の温度を一定に保つ能力を発動した。
これにより、この箱の中身は永遠にチンしたての温度を保ち続け、冷めるという物理現象から解放される。
割り箸を左手に構え、いざ実食。
彼女が最初に狙いを定めたのは、ニンニク醤油味のカーネルクリスピーである。
サクッ、パリッ。
軽快な衣の破砕音が脳に響く。ニンニク醤油の風味が口いっぱいに広がり、柔らかな胸肉が解ける。
それと同時に、彼女は最低限の念動力を行使し、ポテトを空中に浮遊させた。
箸でチキンを食べながら、空中に浮いたポテトを直接口で迎えに行くという、極めて行儀の悪い、しかし効率的な並行作業である。ホクホクとした芋の甘みが、塩気と絶妙なハーモニーを奏でる。
前菜であるクリスピーとポテトを瞬殺し、いよいよメインディッシュへと移行する。
まずはオリジナルチキン。
筮麽が箸を伸ばしたのは、一般的には人気があるものの、可食部が少なく彼女が最も嫌う部位、脚である。嫌いなものは先に片付ける主義なのだ。
ガブリ、と食らいつく。
ジューシーな肉汁が溢れる。
そして、バキリ。
彼女は軟骨はおろか、硬い脚の骨ごと噛み砕いた。強化された顎とダイヤモンド化した歯牙の前では、鶏の骨などウエハースと同義である。骨髄の旨味すら余さず摂取し、ドラムは跡形もなく消滅した。
続いてレッドホットチキンのドラム。
唐辛子の刺激的な辛味が舌を打ち、ハバネロの香りが鼻腔を抜ける。
「んー、美味しい」
独りごちながら、胸、あばら、手羽先と、次々に攻略していく。
骨の山が築かれることはない。全て彼女の胃袋へ直行するからだ。
そして、最後に残ったもの。
それは聖域。筮麽が最も愛してやまない部位、腰である。
脂が乗り、肉厚で、最もボリュームのある三角形の至宝。
オリジナルとレッドホット、それぞれ二つずつ。
これは筮麽が注文時、店員の若者にしつこく言い寄り、「サイを入れてくれないと末代まで呪う」ごとき気迫で部位指定を強要し、詰めさせたた戦利品である。
まずはレッドホットのサイから。
ガブリと齧れば、溢れ出す脂と辛味が融合し、脳髄を痺れさせる。
「うまー」
筮麽の端正な顔が、だらしなく崩れる。
続いてオリジナルのサイ。十一種類のハーブとスパイスの真髄を味わう。
そして、最後に残った、オリジナルとレッドホット、一つずつのサイ。
筮麽はここで、禁断の能力を行使した。
物質融合能力……と彼女が厨二病っぽく呼ぶ、物質を融合させる能力。
二つのチキンが分子レベルで結合し、赤と黄金のマーブル模様を描く、巨大な肉塊へと変化する。
オリジナルの深みとレッドホットの刺激が完全な比率で混ざり合った、筮麽特製『ハイブリッド・チキン』の完成である。
それを大口を開けて頬張る。
「……しあわせー」
にっこりと微笑むその姿は、世界を滅ぼせる力を持った魔王とは思えないほど、無邪気で平和的であった。
饗宴は終わりを告げた。
あっという間に全てのチキンは筮麽のブラックホールごとき胃袋へと消え去った。
残されたのは、油の染みた空箱と、下敷きのみ。
筮麽は散乱した割り箸を箱に詰め込み、捨てようと試みる。
だが、ここでまたもや問題が発生した。
バーレルの箱が大きすぎて、部屋の小さなゴミ箱の口に入らないのである。
しかし、筮麽は動じない。
自称天才の頭脳が、即座に、そしてあまりにも過剰な解決策を弾き出した。
まずは念動力で空箱を目の高さまで持ち上げる。
次に、彼女は小さく口を開けた。
ヴォン、という重低音が響き、口元の空間が歪曲する。そこに現れたのは、ビー玉ほどのサイズの、漆黒の球体。
彼女がそれを、ふっ、と箱に向かって吹きかける。
球体。
箱。
触れた瞬間。
爆発的に膨張した。
パン。
乾いた破裂音。それと共に。空間そのものが削り取られ────ケンタッキーの箱は、分子一つ残さず完全消滅した。
これぞ、筮麽のコレクションの中でも一際凶悪かつ強力な能力、空間抉り……と呼ばれた、空間を抉る玉を出す能力である。
口の前で任意の空間を球状に歪曲させ、その範囲内の物質を強制的に虚数空間へと放逐し、触れたものを消滅させるという、防御不能の破壊能力である。
この能力のオリジナルは、かつて筮麽が幼少期の頃、日本全土を震撼させた武装テロ組織『新世界秩序・天道』のリーダー格であった男のものである。
「弱者が強者を搾取する社会を破壊し、能力による適者生存の理を築く」などと嘯き、この能力を振るった彼は、最大出力で都心の高層ビルを一瞬にして消滅させるという暴挙に出た。
さらに、彼はこの空間球を無造作に乱射し、広範囲を蹂躙。多くの一般市民、駆けつけた機動隊員、能力犯罪対策課の捜査官たちが、抵抗する術もなく空間ごと抉り取られ、命を落とした。
男は自身の周囲に空間球を漂わせ、外部からの攻撃が触れると自動で空間ごと削り消滅させる────という応用。
攻守共に鉄壁な男に、国家権力の公務員は為す術もなく蹂躙された。
彼は即座に、政府より「国家指定広域殲滅級凶悪能力者」に認定された。
本来、この国には能力自由行使特措法が存在する。
基本的人権とプライバシー保護の観点から、国は国民の能力を詳細に管理・登録することをせず、犯罪行為がない限り、その行使は原則自由とされている。
これは善良な市民による事故の場合も制定されるが、きちんと区別はされ、ただの「国家指定危険能力」とだけ認定され、その後、特に問題が無ければそれ以上の監視もなく、人権侵害のないよう自由は保証されている。下手に抑圧して、国民の不満が溜まり、暴発されたら困るというのが国の本音であるが。
かつて国会にて、能力の危険性を危惧し「強力な能力は全て国の管理下に置くべきだ!」と叫んだ野党の老害議員に対し、当時の総理大臣が「あんた、自分がハズレ能力だからって若者に嫉妬しちゃいけないよ。みんな自由のがいいっしょ」と脱力気味に返し、図星を突かれた議員たちが絶句。議場が爆笑の渦に包まれたという逸話があるほど、この国は能力に対して寛容────あるいは放任主義であった。
だが、そんな平和ボケした日本政府も、この『空間抉り』の男に対しては顔色を変えた。
自衛隊やSATによる武力鎮圧が行われたが、多数の死傷者が出て、さらに脅しとばかりに幾つものビルや繁華街を消滅させた。それを目の当たりにし、さらなる三次被害の拡大を恐れて断念。
結果、同盟国であるアメリカ合衆国が介入。
対能力犯罪に特化した精鋭部隊『A.C.S.T.』が極秘裏に来日し、壮絶な市街戦の末、多くの犠牲を払いながらも男を殺害。組織を壊滅させるに至った。
筮麽は、その歴史的な市街戦の最中、家族と共に野次馬根性で現場近くまで赴き、男が放った最期の輝きを目撃し、ちゃっかりとコピーしていたのである。
本来ならば、国家転覆すら容易い忌むべき殺戮の力を、筮麽はあろうことか、ゴミ箱に入らないケンタッキーの箱を処分するためだけに使用した。
まさに宝の持ち腐れ、あるいは力の私物化の極致である。
もし無間地獄行きのテロリストがこの光景を見れば、血涙を流して憤死するに違いない。
筮麽は、自分が世界最強の危険人物であるという自覚など微塵もなく、ただ「ゴミ捨ての手間が省けた」程度にしか思っていなかった。
実に、小市民である。
下敷きは油を落とす能力で新品同様に洗浄し、机の上に戻す。
ギトギトになった口内も能力で洗浄し、食後の一服へと移る。
取り出したのは、北海道産ミントを使用したメンソールタバコ、KOOLのマイルド・12ミリ。
強烈な清涼感が、口内に残る脂っこさをリセットしていく。
紫煙を吐き出し、吸い終わったフィルターを灰皿代わりの缶へ捨てようとしたが、既に中は吸殻で満杯だった。
筮麽はおもむろに缶を持ち上げ、中身を目の前で逆さまにした。
当然、灰と吸殻が散乱する────はずだった。
しかし、落下したゴミは空中で出現した巨大なシャボン玉に包み込まれた。
シャボン玉に収納する能力。
汚物を一纏めにしたシャボン玉に対し、筮麽は再び空間を抉る能力を行使する。
ヴォン。
パン。
軽快な音と共に、数百本分の吸殻と灰は、この次元から完全に消滅した。
空になった缶を満足げに机に戻す。
エコでクリーンな、完全なるゴミ処理サイクルである。
「……ふぁ。眠くなってきた」
満腹中枢が刺激され、大量の血液が消化器官へと集中する。ニコチンの覚醒作用すらねじ伏せる、抗いがたい睡魔が彼女を襲った。
今日は休日。誰に気兼ねする必要もない。
「えーと……あった、これこれ」
筮麽は仕上げとばかりに、とある能力を発動させた。
闇を広げる能力。
窓から差し込んでいた昼下がりの陽光が遮断され、六畳一間が深海のような完全な漆黒に塗りつぶされる。
遮光カーテンなど目ではない。光子そのものを拒絶する絶対の闇。
中二病心をくすぐるビジュアルのかっこよさと、昼寝への導入として最適であるため、彼女のお気に入りの一つであった。
「寝よ」
短く呟き、筮麽はそのまま布団にくるまった。
世界を滅ぼす力を持ちながら、ただひたすらに惰眠を貪る。
これが、本来即座に「国家指定危険能力」に指定され────いや、人類史上最大最強の能力者として、全世界から警戒されるであろう彼女だが、能力を国に危険指定されることもなく、ただの「一般市民」として扱われている。
とんでもない話である。
筮麽は安らかな寝息を立て始めた。
「んぅ……まだ食べ足りない……」
夢見心地で寝言をごちる。
最強の能力者の、あまりにも堕落した休日の過ごし方であった。




