鴨紅柄長の能力
筮麽と柄長は、甘ったるいバニラの残り香とメンソールの清涼感を纏いながら、喫煙所を後にした。
二人は腹ごなしを終えて、特に目的もなく東京の街を遊弋していた。
無機質なビル群と、極彩色のホログラム広告が入り乱れる近未来の首都。
その平穏は、唐突な悲鳴によって引き裂かれた。
「きゃあああああ! 車がっ、車がぁ!」
衆人の視線が一斉に路上へと注がれる。
そこには、物理法則を嘲笑うかのような挙動で蛇行運転を繰り返す、一台の赤い旧式セダン────二十世紀末に流行した大衆車が、猛スピードで暴走していた。
運転席の窓から、男が顔を出し、血走った目で叫んでいる。
「見ろ! 俺は車のガソリンが尽きない能力だ! あいつら、散々俺を「ガソリン代が浮くから」って理由だけで社用車の運転手にしやがって! 挙句の果てに「水素エンジン車に切り替えるから」ってクビにしやがったな! 見てろよ、このまま地球の裏側まで走り続けてやる!」
男の咆哮と共に、車は車線を無視し、対向車線へと躍り出る。
しかし、奇妙なことに、そのドライビング・テクニックは神懸かっていた。他の走行車両を、まるで針の穴を通すような精密さでギリギリ回避しているのだ。
その光景を歩道から眺める、二人の営業マンがいた。
「うわ、めっちゃ便利な「当たり能力」だな、あれ。経費削減の鬼じゃん」
片方の若手社員が羨望の眼差しを向ける。
「俺なんて片腕の力が少し強くなる能力ですよ。こういう身体一部増強系はダブり率一位のコモン能力っすからね……。この能力言っただけで『あ、ガテン系は間に合ってるんで』って面接落とされまくって、マジ大変でしたよ」
嘆く部下に、隣に立つ女性の先輩社員が笑いかける。
「いいじゃん、健康なら。私なんてアホ毛が動く能力だよ? 文字通りアホみたいな能力だけど、この感情に合わせてピョコピョコ動くアホ毛が取引先の社長にウケて、営業成績一位になれたんだから。人生何が役立つかわかんないよー」
彼女の頭頂部では、触角のようなアホ毛が、言葉に合わせて楽しげにスイングしていた。
その近くでは、派手なファッションに身を包んだ若者たちが、最新型の機動立体映像端末を掲げ、暴走車を撮影していた。
「すげー! ガソリン無限とかチートすぎワロタ!」
「撮れ撮れ! チックトックに上げたらバズるぞこれ!」
「映え~!」
危機感の欠片もない。
暴走車はクラクションを鳴らしながら歩道に乗り上げたが、そこでも歩行者を轢かないように絶妙に減速し、ノロノロ運転で花壇を避けている。
信号待ちをしていた大型タンクローリーの運転手が、窓を開けてのんびりと声をかけた。
「おーい兄ちゃん、無茶すんなよ~。事故っても知らねぇぞ、あとで点数引かれるの面倒だかんなー」
「うっせぇ! 俺は社会への反逆者だ!」
男は叫び返すが、その声にはどこか哀愁が漂っていた。
周囲の人々も「ガソリン無くならないって、エネルギー保存の法則どうなってんの?」「うわー、かっけぇドリフト」などと、まるで休日のパレードでも眺めるかのような、ありえないほどにほのぼのとした空気が流れていた。
しかし。
その牧歌的な暴走劇は、新たな闖入者によって急転直下、混沌へと叩き落とされることとなる。
突如として、赤いセダンがエンジンの限界を超えた唸りを上げ、制御不能な速度で加速し始めたのだ。
「えっ!? な、なんだ!?」
運転手の男が驚愕の声を上げる。ハンドルが勝手に回され、アクセルが床まで踏み込まれる。
「ひえ~っ! 止まらねぇ! 俺の意思じゃないっ!」
その原因は、歩道の植え込みの陰に潜んでいた一人の男にあった。
典型的なオタクファッション。よれよれのチェックシャツをズボンにインし、頭にはバンダナ、背中には大量の美少女缶バッジがついたリュックを背負っている。そして何より、その肥満体からは視覚化できそうなほどの悪臭が漂っていた。
彼は両手を突き出し、その掌から禍々しい赤色のオーラを噴出させていた。
「ひひひ……! 俺は赤い車を暴走させる能力だ!」
男は唾を飛ばしながら叫ぶ。
「対象が赤い車かつ男が一人乗っている時だけ発動可能という、クソみたいな発動条件のクソ能力だが、こういう時に役に立つぜっ」
極めて限定的かつ迷惑極まりない能力であった。
男は怨嗟の声を上げる。
「俺が臭いからって、あのカードゲームショップ『デュエル・ラボ』を出禁にしやがって! 週一で風呂入ってるのになんの文句があるんだ! 俺の体臭は俺のアイデンティティだ!」
完全なる逆恨みであり、衛生観念の欠如による自業自得であった。
「あのカードショップを、この車でぶっ潰してやるぜ! いけぇ、あかべこ号!」
「やめろぉぉ! 俺はただドライブして鬱憤晴らしたかっただけなんだぁ!」
運転手の悲痛な叫びも虚しく、車はナードの操り人形と化し、凶器となって路面を削る。
流石にこれには、野次馬たちも顔色を変えた。
「おい、あぶねーぞコノヤロー!」
「クソみたいな能力にクソみたいな性格かよ!」
「てかマジで臭ぇ! 週一は少ねぇよ、毎日入れ!」
罵声が飛び交うが、ナードは不敵な笑みを浮かべるだけで動じない。
「凡人どもが吠えるな! 俺は選ばれし能力者だ!」
その騒動を、少し離れた位置から筮麽が眺めていた。
「なんかやばいねー」
完全に他人事である。
柄長が眉をひそめて言った。
「筮麽、警察呼ぼうか? それか、あんたのストック能力で止めてやれよ」
「やだよ。事情聴取とかに巻き込まれたらめんどくさいし、カツ丼食べさせてくれるわけでもないでしょ。どっか安全なところ行こ」
世界最強の能力者は、面倒事を極端に嫌う。
柄長もまた、友人に正義の味方ごっこを強要するつもりはなかった。
「はぁ……まあ、そうだね。とばっちり食う前に離れよっか」
二人がきびすを返そうとした、その時である。
「許せないわ! そんな理由で暴走なんて!」
正義感に燃える一人の女性野次馬が飛び出した。
「食らいなさい! 掌からスギ花粉を出す能力!」
彼女が両手をかざすと、黄色い粉塵が爆発的に噴射され、ナードの顔面を直撃した。
春の季節、日本人にとって最も忌むべき生物兵器の投入である。
「ぶ、ぶえっくしっ!!!」
ナードが盛大なくしゃみをした。
その衝撃で、彼の手から放たれていた赤色のオーラが激しくブレた。
制御を失った能力は暴走し、赤い車の進路が予期せぬ方向へと捻じ曲げられる。
タイヤが不吉なスキール音を上げ、車体が横滑りする。
その向かう先は──────。
「あ」
筮麽と柄長が居る歩道であった。
「あっ! やべ!」
ナードが鼻水を垂らしながら叫ぶ。赤い車はコントロールを失い暴走した。走る。
「避けてくれぇぇ! ハンドルもブレーキも効かねぇぇ!」
運転手の絶叫が迫る。車が迫る。止まらない。
鉄の塊が、二人をひき肉に変えようと突っ込んでくる。
だが、筮麽は動じない。
そして、柄長もまた、一歩も引かなかった。
それは、隣に最強の盾である筮麽がいるから、という依存心によるものではない。
「……まったく」
柄長が小さく呟く。
彼女の美しい黄金色の瞳が、瞬時に鮮烈な水色へと変色した。
バチッ、という放電音。空気を震わせる。
途端に、暴走していた赤い車が、目に見えない巨大な力場に捕らわれたかのように、水色の稲妻を一瞬だけ帯びて、ピタリと静止した。
慣性の法則すら無視した、完全なる停止。
「え?」
運転手とナードが同時に間抜けな声を上げる。
車全体が、薄い水色のオーラのような電磁フィールドに包まれていた。エンジンは強制的に停止させられ、システムは完全に沈黙している。
「危ないなぁ。歩道は車が走るところじゃないよ」
柄長が、あたかも躾のなっていない子供を叱るような口調で言った。
筮麽がパチパチと手を叩く。
「さすが。相変わらず便利だねー」
これこそが、鴨紅柄長の能力。
電波でテクノロジーを操る能力。
それは、あらゆる電子機器への強制介入と操作を可能とする、現代社会における特級の能力である。
発動時には瞳が水色に輝き、周囲に水色の電気エネルギーが発生する。有効範囲は半径二百メートルにも及び、その領域内にある機械文明の産物は、全て彼女の支配下に置かれる。
その気になれば、電気エネルギーを直接放出して攻撃することも可能であり、軍事兵器すら無力化できる極めて強力な能力であった。
周囲の野次馬たちが、ざわめき立つ。
「おい見ろよ、あの子が車停めたぞ!」
「すげぇー光ってる! なんかサイバーで綺麗ー!」
「かっけー! 電気使いか!?」
歓声が上がる中、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
事態を収拾すべく駆けつけた警官隊が、くしゃみで動けなくなっているナードを取り押さえる。
「うっ……! くっせぇ!」
警官の一人が顔をしかめた。
「公務執行妨害と異臭騒ぎで逮捕だ! あと風呂入れっ」
「離せぇ! 俺はカードゲーマーの誇りを守るために……ぶえっくしょ!」
ナードは抵抗する力もなく、ずるずるとパトカーへと連行されていった。車内には間違いなく、消えない臭いが染み付くことだろう。
騒動は、こうして一応の解決を見たのであった。
しかしながら、事態はナードの逮捕だけでは収束を見せなかった。
先ほどの女性野次馬が放った「掌からスギ花粉を出す能力」の余波により、現場は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌を遂げていたのである。
春の日本列島において、それは禁忌とも言える生物化学兵器。
周囲の群衆は、老若男女を問わず、涙と鼻水を垂れ流しながらくしゃみを連発していた。
「へっ、へっ、へくちっ! ちくしょう、目が、目がぁぁ!」
「なんてことしてくれたんだ! 俺は重度の花粉症なんだぞ!」
怨嗟の声が上がる中、驚くべきことに、その発生源である女性本人までもが、盛大にくしゃみをしていた。
「ひっ、くしゅっ! うう、鼻が詰まって……ぐずっ」
どうやら、彼女自身に花粉への耐性は備わっていないらしい。完全なる自爆テロであった。
「お前もかよ!」
「耐性ないのに使うなよ!」
鼻水をすする周囲の人々から、総ツッコミが入る。
そんな混沌の中、暴走車の運転手だった男がふらふらと車を降り、柄長の元へ歩み寄った。
「あ、あの! 助けてくれてありがとう! 君がいなかったら、俺は今頃人殺しだったよ……!」
男は涙ながらに感謝を述べ、深々と頭を下げる。
柄長は、予想外の感謝に頬を緩ませた。
「いやぁ~、そんなそんな。市民として当然のことをしたまでですよぉ~、えへへ」
彼女は鼻の下を伸ばし、だらしなく笑う。普段はクールを装っているが、根本的に自己肯定感を満たされることに弱いタイプなのだ。
するとそこへ、一人の紳士が歩み寄ってきた。仕立ての良い高級スーツに身を包み、いかにも社会的地位の高そうな初老の男性である。
「素晴らしい。実に素晴らしい能力を見せてもらった」
男性は運転手の男に声をかけた。
「私は、天駆物流のCEOを務めている者だ」
彼が差し出した名刺には、国内最大手の運送会社のロゴが箔押しされていた。
「君のガソリンが尽きない能力、是非とも我が社で活かしてくれないかね? 実は最近、最新鋭の大型エアカーを導入したのだが、燃費が悪すぎて採算が合わず困っていたのだよ。君がいれば、燃料コストはゼロ。まさに救世主だ」
運転手の男は目を丸くし、おずおずと名刺を受け取る。
「え、い、いいんですか!? で、でも俺、エアカーの免許なんて持ってないですよ……?」
「ハッハッハ! そんなものは入社してから取ればいい。取得費用も全て必要経費として会社が出そう。どうだね?」
「あ、ありがとうございます! 是非! 是非よろしくお願いしますっ!」
男は地面に額がつく勢いで頭を下げた。
まさに捨てる神あれば拾う神あり。
その光景に、周囲の野次馬たちから割れんばかりの拍手喝采が巻き起こる。一件落着である。
「よかったな兄ちゃん!」
「電気使いの姉ちゃんもナイスだったぞー!」
称賛の言葉を浴び、柄長はさらにデレデレと相好を崩す。
「えへへ、いやぁそれほどでもぉ~」
もじもじと身体をくねらせ、いつまでもその場に留まろうとする柄長。
しかし、その背襟を、ぬっと伸びた白い手が掴んだ。
「ほら、行くよー。お腹空いた」
「あ、ちょ、待って筮麽! まだ余韻が! 私の栄光の時間が! てか、さっき食ったばかりだろ!」
最強の能力者は、その剛腕で無慈悲にも柄長を引きずり、その場を後にした。
ズルズルとアスファルトの上を引きずられていく柄長を見送る拍手が虚空へ鳴り響いた。
◆❖◇◇❖◆
騒動の現場から数ブロック離れた大通り。
柄長は乱れた服を直しながら、ブツブツと文句を垂れていた。
「もう、筮麽ったら。あそこでインタビューとか受けたら、私一躍有名人になれたかもしれないのに。テレビデビューのチャンスを逃したじゃん」
「はいはい。有名になったら変なストーカーとか増えるだけだよ。それに、プライバシーが無くなるよ? 今はすぐネットとかで広まるし」
筮麽は暖簾に腕押しといった様子で、軽くあしらう。
「まったくもう……あーあ」
柄長はため息をつき、左手首のデバイスを起動した。
空中に投影された機動立体映像端末の画面を確認すると、バッテリー残量が赤く点滅していることに気づく。ちなみに、網膜投影の場合、本人にしか見えないという優れものだ。ただし、値は倍は張る。
「げ、充電あと五パーセントしかない」
本来、この端末の充電には、街中に満ちている微弱なエーテル波を利用した大気共振充電により充電を行う必要がある。それか別売りの専用のスタンドに実体化させたスマホを置くか、同じく別売りの充電器プラグに繋ぐか、時間をかけて自然回復を待つのが一般的だ。
だが、最強の電波使いである彼女に、そのような文明の利器による制約は無意味であった。
柄長の瞳が、一瞬だけチカッと青く瞬く。
パシッ、という微細なスパーク音と共に、ホログラム上のバッテリーアイコンが瞬時に緑色へと変化し、100%の数値を叩き出した。
「よし、満タン」
彼女は空気中の電子を強制的に集束させ、バッテリーセルへと直接叩き込んだのだ。物理法則を無視した強制急速充電である。
それを横目で見ていた筮麽が、ぼんやりとした口調で言う。
「柄長のそれ、便利だよねー。私もコピーしてよく使ってるよ。充電器持ち歩かなくていいし」
「でしょ? 地味だけど最強のライフハックだよ」
得意げに胸を張る柄長。
そんな友人の姿を眺めながら、筮麽はふと、ある思考に至った。
(……よく考えたらさ、柄長も柄長で、だいぶ欲がなくない?)
彼女の能力、電波でテクノロジーを操る能力。
その効果範囲は半径二百メートル。現代社会において、電子制御されていないインフラなど皆無に等しい。
その気になれば、銀行のセキュリティをハッキングして巨万の富を得ることも、軍事車両を乗っ取って脅迫することも、都市機能を麻痺させて大規模テロを起こすことも造作もないはずだ。さらに、電波で波状攻撃も可能という優れもの。
国家転覆すら可能なほどの強大な力を持ちながら、彼女がやっていることといえば、精々がスマホの充電や、リモコンや家電製品を触らずに操作するといった、怠惰な日常の補助のみ。
彼女もまた、紛れもない小市民なのであった。
「……ねえ、柄長」
「ん? どしたのー?」
柄長が呑気に振り返る。
「柄長もさ、大概欲がないよね。宝の持ち腐れというか」
筮麽の言葉に、柄長は心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「は!? それどういうこと!? 私はこの能力で好き勝手してるもん! 電気代も浮いてるし、寝ながら電気消せるし、テレビも付けれるし、ご飯も炊けるし!」
その発想のスケールが小さいのだと、筮麽は言いたかったが、説明するのが億劫になった。
「んー、まあそうなのかな? うん、そうだねー。すごいすごい」
「何その適当な相槌! なんかムカつく!」
ぷりぷりと怒る柄長だが、その怒りも長続きはしない。
「ま、いいや。とりあえずゲーセン行こ! 最新機種のプリクラ撮りたいの! 目が宇宙人みたいになるやつ!」
「え? ご飯は? まぁいいや、はいはい」
柄長はスキップで歩き出した。その背中は、世界を揺るがす能力者とは思えないほど軽く、平和そのものであった。
筮麽は、あくびを噛み殺しながら、ぼんやりとした足取りでその後を追いかけた。




