広がる友情の輪
熱狂の坩堝と化し、事実上の兵糧攻めによって陥落した店舗を背に、四名の乙女たちは西日に照らされた歩道へと降り立った。彼女たちの背後では、燃え尽きた店員たちが臨時休業の札を掲げる姿が痛々しくも清々しい。時刻は十六時半を過ぎた頃合いであり、天頂にて苛烈を極めていた午後の日差しも幾分かその威力を削がれ、柔らかな橙色の光輪が巨大都市の無機質なコンクリート群を温かく包み込み始めている。
一時的な休戦協定を結んだかのように、彼女たちは各々のホログラム・フォンを交差させ、不可視の電波網を通じて連絡先の交換を円滑に済ませていた。
「ふんだっ。これで身の程を知ってこりた? アタシという偉大なる大食い女王に楯突いたこと、一生後悔することだねっ!」
伽羅部瞰は、フリルとレース、そしてでかいリボンで構築されたゴスロリ装甲を誇らしげに揺らしながら、豊かな胸を張り、鼻息も荒く高らかな勝利宣言を反芻した。その顔面には、満ち足りた自己顕示欲と承認欲求が極彩色の絵の具のように塗りたくられている。
「……うぅ。かつてない屈辱的敗北だ……」
対照的に、亜鳴蛇筮麽は長身を丸め、敗残兵の如き哀愁を漂わせていた。限界を超過して胃袋に詰め込まれた数多の油分と炭水化物が彼女の機動力を著しく削いでおり、何より「敗北」という彼女の人生において極めて稀有な概念を咀嚼しきれず、完全に縮こまっている。
「……ところでさ、筮麽。アンタの能力って結局何なの? アタシと同じ系統の、大食い系の能力な訳? 鶏の太い骨までバリバリ食べてたけど、人間の顎の構造上、普通じゃないよね」
勝ち誇った余裕からか、伽羅部は好奇心も露わに筮麽の特異性へと探りを入れてきた。
「ううん。私のはこれ、身体から触手を生やす能力」
筮麽は気怠げな半眼のまま、己の左手を軽く前方に突き出した。
シャキン、という生体組織が急速に変異する不気味な湿音と共に、彼女の白魚のような人差し指が、突如として赤紫色の滑り気のある触手へと劇的な変貌を遂げた。それはまるで深海生物の触腕の如く、独自の意志を持っているかのように空中をうねうねと蠢いている。
「うわっ! きもっ! ……え? 咬合力は自前って訳? てか、じゃあなんであんなに底なしに食べれた訳さ。どう計算しても、人間の胃袋に物理的に入る容積の限界を超えてたでしょ」
伽羅部は自身の身体を仰け反らせて一歩後退しつつ、至極当然の物理的疑問をぶつけた。
「んー、この能力、維持するのにめちゃくちゃ燃費悪いんだよね。ちょっと触手出すだけでも莫大なカロリーを消費するから、常にお腹減るわけ」
筮麽は平然と、全くの嘘八百を並べ立てた。万物を模倣する己の真の能力を隠蔽するため、咄嗟に脳内から引き摺り出した適当な言い訳とその尤もらしい後付け設定。
「ふ、ふーん。キモいけど、でも見慣れると案外かっこいいじゃん。なんかダークファンタジーの魔物っぽくて、SNS映えしそう。ねぇ、一緒に写真撮ってもいい?」
「え。絶対にやめてよ。こんな姿でデジタルタトゥー刻まれて、個人特定とかされたら今後の大学生活がめんどくさいし」
無神経に光学撮影機を向けようとする伽羅部を、筮麽は冷たくあしらい、紫の触手を瞬時に元の指へと戻した。適当な設定で追及を躱そうとする筮麽と、それでもなお承認欲求の餌食にしようと詰め寄り続ける伽羅部の間で、不毛な攻防が繰り広げられる。
「じゃ、うちらはこれで。またね、柄長。今日はいきなり巻き込んじゃってごめんね。機会があったら、今度はもっと平和でお洒落なカフェにでも行こうよ」
「郝躬もね。とんでもない騒動だったけど、案外楽しかったよ。また東京に来た時は必ず連絡するから」
常識人かつ苦労人という強固な絆で結ばれた西圓寺郝躬と鴨紅柄長は、奇人たちの騒動を余所に、大人の余裕を漂わせながら穏やかな再会の約束を交わし合っていた。
「じゃーねー、筮麽っ! 懲りてないならまたいつでも相手してあげるからっ!」
伽羅部が千切れるほどに腕をブンブンと振り回し、西圓寺に首根っこを掴まれて牽引されながら、強烈な色彩を放つ地雷コンビは夕暮れの雑踏の中へと消えていった。
◆❖◇◇❖◆
嵐のような二人と別れた後、夕闇が迫る舗道を並んで歩く筮麽と柄長。
「いやぁ~、まさかあのあんたが単なるフードファイトで負けるなんてねぇ。ほんと、私の人生でもトップクラスに度肝抜かれたよ」
柄長は、未だに信じられないといった体で、しかしどこか愉快そうに隣の友人をイジった。
「……途中、あの瞰って子の能力コピーしようと試みたんだけど、完全に失敗した。私の能力の極めて不便で致命的な欠陥が、最悪のタイミングで露呈してしまった……」
筮麽は、重い足取りのまま、幽鬼のように暗い声を零した。
「ああ、能力の本質的構造が論理的に理解できてないとダメなんだよね、筮麽の能力は」
落ち込む筮麽の背中をポンポンと叩きながら笑って返す。圧倒的な能力の数々を保持し、それに加えて万人が振り返るほどの美貌をも兼ね備え、あらゆる分野において負け知らずの絶対者だと思っていた彼女が、ただの大食いバトルでコテンパンに叩きのめされた姿は、柄長にとって非常に新鮮であり、人間味を感じさせるものがあった。
「食べたエネルギーを、胃から即座に顎の筋肉や咬合力、消化液の生成エネルギーとかに直接還元してサイクルを回してるらしいよ、あの子の能力。店内で郝躬から聞いた」
西圓寺経由で得た伽羅部のいくらでも食べられる能力の真実のメカニズムを種明かしするように告げる。
「……いや、そんな複雑な生体変化の理屈、今知っても遅いよ。もう勝負終わってるし」
筮麽がさらにしょんぼりと肩を落として返す。その情けない世界最強の友人を苦笑しながら見守っていると、突如として筮麽の足が止まり、きょろきょろと鋭い視線で辺りを見回し始めた。
「ん? どしたんよ、筮麽。忘れ物?」
柄長が不審に思い尋ねた、その瞬間。
プシューッ!! という、まるで旧時代の蒸気機関車が排気弁を開放したかのような凄まじい轟音と共に、筮麽の頭頂部から突如として白く濃厚な湯気が猛烈な勢いで噴出し始めたのだ。
「うわっ、あっつ!」
柄長はぎょっとして目を剥き、その尋常ならざる高温の熱波から逃れるべく、慌てて数歩後退した。
シューシューと音を立てて噴出する蒸気は、彼女の周囲の空間を白く染め上げ、夕暮れの路地に異様な光景を現出させる。やがて、十数秒ほどでその現象は唐突にピタリと止まった。
「よし。無駄なカロリーの焼却完了。完全復活だ、行こう、柄長」
そう涼しい顔で呟く筮麽の姿からは、先程まで彼女を苦しめていた満腹による倦怠感や腹部の膨らみは完全に消失しており、細胞の隅々まで活力が満ち溢れた、元のしなやかで怠惰な身体へと回帰していた。
「……今度は一体、手持ちのなんの能力使ったのさ」
柄長が呆れ半分、畏怖半分で尋ねる。
「熱量を湯気にする能力。ちょっとお腹がきつくて動くのもしんどかったから、胃の中の質量と余剰カロリーを急激に燃焼させて、落ち着くくらいに消費させたの。これなら蒸発してすぐ消えるし、オーロラ能力みたいに身体から極彩色の光線ゲロを吐き出すよりは目立たないしね。一応、発動前に熱源や生命反応を感知する系の能力で、周りに誰も目撃者がいないかは厳重に確認してるから、情報漏洩の観点からもそこら辺のセキュリティは問題なし」
筮麽は論理武装された完璧な言い訳を並べ立て、ふん、と誇らしげに鼻息を吐いた。
「そもそもさ、能力すら人目を気にせず好きに使えたら、あんなやかましい地雷女に遅れをとって負けることなんて、万に一つもなかったのに……」
未だに己の敗北を状況のせいにして未練がましく愚痴る筮麽に、
「ははは。まぁね。筮麽が周囲への被害や体面を無視して能力をフルに使えたら、大食いに限らずどの分野でも勝てる人間なんて、この世界に一人もいないと思うよ」
柄長は最大の賛辞をもってそう言い、朗らかに笑った。
しかし、その直後、筮麽は真顔で更にとんでもない、世界秩序を根底から覆しかねない暴論を吐き出した。
「あーあ、対象の能力の構成式や詳細が瞬時に分かる能力とか、どこかに落ちてないかなぁ。そうしたら、私の千里眼と組み合わせて、それこそ全人類の能力を自宅に居ながらにして片っ端からコピーできるだろうに。そしたら、もっと効率的に生きられるのになー」
「………は?」
柄長は本日何度目かの絶句を経験し、凍りついた。
対象の能力の詳細が分かる能力などという、概念そのものをハッキングするような代物をもしこの怠惰な怪物が手に入れてしまったら、彼女の「本質を理解しなければならない」という唯一の欠点が完全に消失し、名実ともに一切の死角を持たない、真なる全能の世界最強へと変貌を遂げてしまう。
現在、この地球上の人口は約百億人に到達しており、全人類が生まれながらにして何かしらの超常的な能力を保持している異能普遍社会、つまり全人類選ばれし者が構築されている。しかし、他者の能力を解析し、その詳細なパラメータや発動条件を看破する分析系の能力は、数ある異能の中でも極めて希少な突然変異であり、国家の最高機密レベルで保護されているのが実情。だからこそ、筮麽も未だにその種の能力者と巡り会えず、無差別の能力略奪を免れているのだ。
柄長は、そんな恐ろしいディストピアの到来を寝物語のように語る友人の背中を、バシッと容赦なく平手で叩いた。
「馬鹿なこと言ってないで、早くアパートに帰ろっ。物騒な思考実験は禁止! 今日は私の部屋で、のんびり映画でも観ようよ。仮想現実網対応のSF映画の新作で、ずっと見たいと思ってたのがあるんだよね」
「えー? 映画はいいけど、その前にどっか寄ってパフェとか行かない? さっき湯気出しすぎて、少しカロリー消費させすぎちゃった。血糖値が足りない」
筮麽はぼんやりとした瞳で柄長をねっとりと眺め、信じ難い提案をした。
「いや、絶対に無理だわっ! 私、あんたやあの伽羅部って子と違って、即座にカロリーを消化吸収だの、熱量に変換して放出だのっていう人間離れした芸当は出来ないんだよっ! 胃がもたれて死ぬ!」
柄長は電波でテクノロジーを操る能力という、あくまで外部干渉に特化した己の小市民的な能力を顧みつつ、全力で拒絶の文句を叩きつける。
「ほらっ、帰ろ帰ろっ。パフェならまた今度、胃袋が空っぽの時に食べに行こうよ。私の地元の長野で、フルーツが山盛りの美味しいお店知ってるからさ」
「んー、それなら妥協してあげてもいいよ。じゃあ柄長、今日は私がケンタッキーの代金立て替えて奢ってあげたんだし、次回のパフェは柄長の全額奢りでね?」
「……それは、慎重に検討させて」
「えー、なんでさ。ケチ」
これまで幾重にも、高額な焼き肉やら寿司やらを彼女の底なしの胃袋のために奢らされ続けてきた柄長としては、看過できない発言であった。にも関わらず、目の前の傍若無人な友人は、今回のファストフードの奢り一回のみで過去の全ての負債が帳消しになったと本気で思っているらしい。
「ケチじゃない! 累積赤字を計算してみろ!」
「じゃあさ、私の能力のワープで、週末に沖縄まで連れてってあげるから。前、美ら深海の水族館に行きたいって言ってたでしょ。交通費と宿泊費ゼロで南国リゾートだよ。何卒、パフェの奢りを承認していただきたく」
筮麽は自身のチート能力を最大限に悪用した魅力的な対案を提示し、顔の横で両手を合わせて胡散臭いほどに遜ってみせた。
「……もうっ。仕方ないなぁ、今回だけだからね」
柄長も、そう言われてしまえば結局は渋々ながらも許してしまう。なんだかんだ文句を言いつつも、目の前の友人には、本来ならば数十万円かかるであろう全国各地への瞬間移動旅行を、彼女の能力にタダ乗りする形で幾度となく経験させてもらっているという、抗いがたい莫大な借りがあるのだ。
「交渉成立。あ、じゃあ帰る前に駅前のマック寄っていい? 映画のお供に、テイクアウトでチーズバーガー五個くらい買ってくから」
彼女の追撃の言葉に、柄長は深く、それはもう深く呆れ果てた。こいつは、あの大規模な蒸気排出による完全復活からわずか数分で、早々にもう次の固形物を食う気らしい。
「……まぁいいよ。でも、買い出しは早めに済ませてね。映画、早く観たいから」
「ん、任せて。私の超高速移動能力を使えば一瞬だよ。柄長の分も、お詫びにシェイクくらいなら買ってあげるからさ」
「他の能力使うのはやめとけ。…じゃあ、期間限定のイチゴメロンシェイクで。Lサイズね」
「おっけー。了解」
そう言い残すや否や、長い脚を翻してズカズカとハンバーガーチェーン店の方角へと力強く歩き出す筮麽。柄長は、その背中から立ち上る底なしの食欲のオーラに呆れつつも、自身の能力を使ってホロフォンの充電をしつつ、夕暮れの街を友人の後を追って歩き出した。




