最強の能力者、大敗を喫する
主の理不尽な命令を下された柄長と西圓寺は、小走りでビュッフェ台へと向かい、空のトレイに多種多様なフライドチキンを片っ端から放り込んでいく。
しかし、辿り着いた保温ケースの群れは、すでに惨憺たる有様を呈していた。先程まで黄金色に輝く肉の山脈が築かれていたはずの場所は、まるでイナゴの群れが通過した後の畑のようにスカスカであり、揚げ物の残骸であるパン粉が虚しく散乱しているのみ。とりわけ、脂の乗った最も魅力的な部位であるサイに至っては、亜鳴蛇筮麽という名の傍若無人な大災害によって文字通り根こそぎ収奪され、影も形も存在していない。
この異常事態に対し、周囲に取り残された一般客や、補充に奔走する店員たちは、明らかな困惑と畏怖の表情を浮かべていた。
「な、なんだありゃ……さっき、背の高い地雷系の女と、モデルみたいにめちゃくちゃ美人な人が、トレイ三つ分くらいのチキンをかっさらっていくのを見たぞ……」
「マジかよ、フードファイターの撮影でもやってんのか? でもカメラとかなかったぜ」
「つーか、あんな細い体のどこにあの量の肉が消えていくんだよ。質量保存の法則が息してないだろ……」
彼らのひそひそとした会話が、脂の匂いと共に空気を震わせている。
「あー、ごめんなさい。うちのバカがとにかく底なしに食べるものでして……お騒がせしております」
柄長は周囲の客たちへ向けて、愛想笑いを浮かべながらぺこぺこと会釈を繰り返しつつ、筮麽の要望通りに部位を問わず、比較的肉付きの良いリブなどをひょいひょいとトレイへ乗せていく。
「すみませんねぇ~。うちのアホの大食らいが多大なご迷惑をおかけしておりますぅ」
西圓寺もまた、柄長に倣って軽く謝罪の言葉を口にしながら、適当な部位のチキンを己のトレイへと確保していた。
とはいえ、彼女たちは狂奔する友人と違い、至って常識的な倫理観を持ち合わせた小市民。全ての在庫を強奪して他の客を飢えさせるような真似はせず、全体の三割程度はしっかりとケースに残置し、最低限の配慮を怠らないまま、二人の大食い怪物が鎮座する最前線のテーブルへと帰還した。
戻るや否や、そこにはこの世の地獄、あるいは暴食の楽園とも呼ぶべき光景が広がっていた。
筮麽と伽羅部の両名は、互いの存在を視界の端に捉えながら、ただ一心不乱に、がつがつ、ばくばくと凄まじい速度でチキンを貪り食っている。両名とも特異な能力の恩恵により、強靭な咬合力を有しているため、太い大腿骨ですら軟骨ごと噛み砕き、嚥下してしまう。バリボリ、ガシュッという、およそ人間が食事をしているとは思えない重低音が、周囲の空間に響き渡っていた。
「げっ」
その光景を目の当たりにした柄長と西圓寺の口から、同時にカエルのような声が漏れた。
無理もない。彼女たちが席を外している僅かな時間の間に、いつの間にか複数のギャラリーがテーブルの周囲を取り囲むように形成されていた。
フリル過多の地雷臭を漂わせながらも人形のように愛らしい伽羅部と、だらしないオーラを放ちつつも圧倒的で暴力的なまでの美貌を誇る筮麽。さらに、両者共に女性としては規格外に大柄な体躯を有していることも相まって、彼女たちの狂気じみたフードバトルは、店内において嫌でも目を引く異常事態であった。結果として、すでに食事を終えた客たちが腹ごなしの娯楽として、あるいは純粋な好奇心から、見物人として群がってしまったのだ。
「すっげぇ! どっちも一歩も譲らねぇぞ!」
「てか、二人ともバチクソに可愛くね? ユーチューバーかなんかかな」
ホログラム・フォンを掲げる若い男性連中がいれば、
「あんなに細いのに、あんなにいっぱい食べれるなんて素敵! 私もあんな風になりたーい!」
などと、的外れな賞賛を向ける女子高生の集団もいる。
「ふむ……素晴らしい食いっぷりだ。おそらく、私があの絶対的な域に到達したのは二十代後半の頃であったか……」
腕を組み、過去の栄光に浸るように深く頷いている、どこか威厳を感じさせる初老の男まで混ざっていた。
さらに困惑すべきことに、ふと厨房の方へ目をやると、店長と思わしき若い女性従業員が目を血走らせていた。
「みんな、もっとチキンを揚げてっ! フライヤーをフル稼働させるのっ! 彼女たちの崇高な勝負を、うちの在庫切れなんかで終わらせるなんて、飲食店の名折れ、拍子抜けもいいところだからっ!」
などと檄を飛ばし、他の店員たちもまた、謎の使命感に駆られてバタバタと戦場のように動き回っているではないか。
「と、とりあえず、これ置いとくからっ!」
「わ、私たちは無関係だからっ! ただの通りすがりだからっ!」
柄長と西圓寺は、弾かれたように彼女たちのテーブルにトレイをドンッと置くと、自身たちの食事が乗ったトレイをひったくるように持ち、少し離れた安全圏の席へと逃げ込んだ。そして、必死に「自分たちはあの狂人たちとは無関係です」というオーラを全身から漂わせる。
しかし、遠巻きに友人たちの様子を窺うと、苦労して運んできたチキンの山は、瞬く間に削り取られ、消失しつつある。つまり、数分後にはまたしても補給物資を取りに行かなければならないという残酷な現実が突きつけられていた。二人が絶望に満ちた微妙な表情を浮かべていると。
「大丈夫ですよ、お二人さん! お連れ様の分まで、私たちが責任をもって運びますのでっ!」
先程の熱血店長が、額の汗を拭いながら爽やかな笑顔で親指を立ててきた。
「あっ、はい……」
「ど、どうも。お気遣い痛み入ります……」
一体何が大丈夫だというのか。むしろあんたたちが火に油を注いでいるのではないか。そう内心で毒づきつつも、二人は引きつった愛想笑いを浮かべるしかなかった。
再び友人の方へ視線を向けると、店員たちが連携プレイで山積みの揚げたてチキンを片っ端から運んでいく光景が見えた。さらに、おそらくギャラリーの中の誰かが発動させた能力なのだろう、いつの間にか彼女たちの頭上の空間には、「VS」と象られたネオンサインのような光る文字が具現化して浮かび上がり、ギャラリーたちの熱狂をさらに煽り立てている。最早これはただの迷惑行為ではなく、店舗公認の突発的イベントと化していた。
異常な喧騒と熱気を帯びた中心地を尻目に、柄長と西圓寺の二人は早々に自己紹介を済ませ、ビュッフェ台へ往復するパシリの手間も省けたことで、ようやく心安らかな談笑の時間を迎えていた。
「へぇー、お互い二十歳かぁ。見た目の雰囲気全然違うから、まさか同年齢だとは思わなかったよ。柄長さんも大学生?」
西圓寺は、トルティーヤ生地で新鮮な野菜を巻いたサクサクのツイスターを上品に齧りつつ、興味深そうに尋ねた。
「あはは、さん付けとか堅苦しいのはなしで、柄長でいいよ。同世代だしね。で、郝躬。私たちも一応、大学生だよ」
柄長は食後のデザートであるチョコパイをもそもそと咀嚼しながら答える。
「おっけー、じゃあ柄長ね。君はどこの大学に行ってるの? うちらは都内の地雷系女子大学……地女大なんだけど」
「……なんだよ、そのふざけた大学名は。東京の教育機関はどうなってるんだ」
柄長が若干引いたような顔で困惑の声を上げる。確かに目の前の郝躬も、あそこでチキンを粉砕している伽羅部という女も、ファッションといい、見るからに地雷系を体現しているが、まさか大学の名前まで文字通り地雷系だとは想像もしていなかった。
「いやね、なんか創始者の学長自身が、地雷系の先駆者的な筆頭だったらしいんだよねぇ。だからカリキュラムも独特でさ」
「……なるほど、世も末だな。私らは長野の国際信州学院大学だよ。今日は遥々、山を越えて東京まで遊びに来たって訳」
「ぶっ!」
西圓寺はツイスターを吹き出しそうになり、慌てて口元を覆った。
「国信大って……あのネットの釣り発祥の架空大学だよね!? いつの間にか実体化してたのは知ってたけど、ほんとにあそこへ通ってる人いるんだ……」
「まぁ、私も最初はどうかと思ったけどね。中に入ってみれば、案外普通の平凡な大学だよ。フランス産の水とか配られるけど」
ぷくく、と肩を揺らして笑う西圓寺につられて、柄長もまた軽く笑みを零した。
「にしても、わざわざ長野から東京のケンタッキーまで来たんだ? フットワーク軽すぎない?」
「あー、今日は空間跳躍移動網っていう転送サービスを使ってパッと来たんだよ、このケンタの食べ放題のためだけにね。まぁ、長野から東京までの転送だから、割とバカにならない交通費だったけどね」
柄長は、一般に普及しているワープポータル系サービスの名称を適当にでっち上げ、口八丁で誤魔化した。まさか、あの怠惰な友人の筮麽が、息をするように空間を捻じ曲げて瞬間移動で連れてきたなどと、馬鹿正直に言えるはずもない。
「へぇ、あのサービス使ったんだ。でも、ケンタの食べ放題って東京とか一部の店舗でしかやってないもんねぇ。ってことは、つまり二人とも長野県民の寮暮らしとか?」
「うんにゃ、筮麽の方は東京のど真ん中に住んでるよ。あいつ、毎日東京から国信大まで律儀にポータル通学してんの。あんな気怠げな顔して、遅刻もせずにね」
柄長は呆れたように、未だにチキンを口に放り込み続けている筮麽の方をチラリと見て言った。
「えぇ!? 嘘でしょぉ?? なんで東京住みなのに、わざわざ長野の、しかも国信大なんかに……? 都内にいくらでも大学あるじゃん」
「あー……」
純粋な困惑を浮かべる西圓寺に対し、柄長は言葉に詰まり、口ごもる。
「えーと……あいつ、めちゃくちゃお金持ちなんじゃないかな? 東京から長野まで、毎日わざわざ高額なポータルで通えるくらいには。本人曰く、〝ネットミーム発祥の大学に通う女子大生って、なんか響きが面白そうじゃん〟っていう、ただそれだけの適当な理由で受験したらしいし」
コホン、とわざとらしく咳払いをし、嘘と本当を混ぜつつ、強引に設定をでっち上げて誤魔化しつつ、柄長は話題の軌道修正を図った。
「それよりさ、あの伽羅部ってゴスロリっ子は、あれはどういう理屈の大食い系の能力な訳? 明らかに人間の胃袋の容積に収まる物理的な量じゃないよね、あれ。なんか硬い骨までお菓子みたいに食べてるし」
「あいつねぇ。まぁ、君の言う通りそんな感じかな。食べた傍から全部エネルギーに変換されて、顎の筋肉とかに還元されるらしいよ。……ってことは、そっちの筮麽って子もそういう感じの能力なのん?」
西圓寺は、まだ底なしの胃袋を披露し続けている伽羅部をジト目で眺めつつ、ツイスターの最後の一口をパクリと平らげた。
「ええと、あいつは……保有してる能力の燃費がめちゃくちゃ悪くて、維持するために常に膨大なエネルギーを必要としてるから、いっぱい食べてるの。それが結果的に、あの大食いに直結してるって言うか……」
柄長もまた、チョコパイの最後の一欠片を口に放り込み、甘さを堪能しながら言葉を濁す。友人が、視認するだけであらゆる他者の能力のコピーを行え、無限に等しい膨大な異能を保持しているが故に、その莫大な消費カロリーを補うため食べまくっているなど、世界のパワーバランスを崩壊させかねない真実を語れるはずがなかった。
「へぇ、能力の燃費ねぇ。色々と大変なんだね。……それで、郝躬自身の能力はどんなの? もし良かったら教えて欲しいな」
柄長は、殺伐としたフードファイトを繰り広げている友人たちを背に、平和的な話題を振った。
「私? 私はねぇ、中身を抜き取る能力だよ。ほれ、百聞は一見に如かずって言うし、こんな感じ」
西圓寺は、自分のトレイに一つだけ残しておいた、濃厚チーズ味のドラムへと右手をかざした。
すすす。
微かな音と共に、肉の表面や衣には一切の傷をつけることなく、内部の軟骨を除いた太い骨のみが、すっ、と綺麗にスライドするように抜き出されたではないか。
「うわっ! なにそれっ! へぇー、めちゃくちゃ便利そうじゃん、郝躬の能力っ! 手も汚れないし」
柄長は目を丸くして感嘆の声を上げた。
「まぁねぇ。地味だけど色々と日常生活の役に立ってるよ。私の進路も、この能力を活かして美容系のエステティシャンになるって感じで決めたし。残念なことに自分のは無理だけど、脂肪とかシミだけを綺麗に抜き取れるからね。……で、君はどんな能力なの?」
「私はね、電波でテクノロジーを操る能力だよ。こっちも見せた方が早いかな」
柄長は自身の左手首を軽く叩き、埋め込み型のデバイスから空中にホログラム・フォンのディスプレイを投影した。緑色の淡い光を放つ画面には、現在の正確な時刻がデジタル数字で映し出されている。
そして、彼女が軽く意識を集中させると、彼女の頭部付近からバチッ、と青白い電気が一瞬だけ弾けた。
直後、空中の緑色の画面は鮮やかな水色へと変色し、表示されていた時計の数字が、ぎゅるるるるっ! と凄まじい勢いでデタラメな時間へと変化し始めたのだ。
「ええっ! 電波とテクノロジー干渉……二重属性の能力じゃん。てか、そっちこそ現代社会ならめちゃくちゃ便利じゃない? 機械さえあればなんでもできるじゃん」
「まぁね。とりあえず自宅の電気代は一生浮くし、リモコンに触らずに部屋中の機械類全部動かせるから、怠け者には凄く便利な能力だよー。でも、君の能力も相当凄いよ。未開封の推しのグッズとか、衣装ケースの外から中身だけ抜いて取り出せそうだし」
「そうそう、よく分かってるねぇ。封を開けなくても色んなものを取り出せるから、プレミアがついた限定アニメグッズの箱とかを、新品同様の綺麗な状態で保管とか出来て重宝してるよ」
あはは、と二人は無邪気に笑い合う。
片や、人体から臓器や骨を無傷で抜き取れる暗殺者向きの能力。片や、国家のインフラ網や軍事システムをハッキングで掌握できるテロリスト向きの能力。
使い方次第では、大量殺人鬼にも歴史に名を残す凶悪犯罪者にも容易に成り得るほどの、恐るべきポテンシャルを秘めた能力。だが、彼女たち二人にはそのような野心も悪意も微塵も存在せず、その使い道はどこまでも小市民的で、日々の生活をほんの少し豊かにするためだけのものに留まっていた。
二人は、限界を超えてなおチキンを咀嚼し続ける大食いの友人たちを、まるで出来の悪い妹を見るような温かい目で見守りつつ、食後の心地よい一時の平穏を楽しんでいた。
一方、狂乱の中心地であるテーブル席にて、筮麽と伽羅部はひたすらに、ただ貪婪に己の限界へと挑むかのようにチキンを貪り食い続けていた。
もしゃもしゃ、ばりばりと、肉の繊維を引き裂き、太い骨ごと噛み砕く無慈悲な咀嚼音が、店内の喧騒を掻き消すほどの音量で響き渡っている。周囲を厚いギャラリーの壁に囲まれ、厨房からは決死の形相をした店員たちによって次々と揚げたてのチキンがトレイに投入されていくという異様な光景。
だが、当の筮麽の方は外野の熱狂など一切気にする素振りも見せず、ただ無心で機械的に肉塊を胃袋へと放り込んでおり、対する伽羅部は衆目を集めているという高揚感と、何より自称・大食い女王としての矜持から絶対に負けられないと、さらに勢いを増して食べ進めている。そして、先程まで枯渇していた彼女の愛する部位───サイまでが惜しみなく投入されたことにより、その表情はすっかりご満悦の様子。
「ふーん、アンタ中々やるじゃない。アタシ程じゃないけどねっ!」
伽羅部は、骨を砕きながら隣の席で黙々と食べ続ける長身の女を横目で睨みつけ、少しはその実力を認めつつも、やはり内心では自分が圧倒的に勝っていないと気が済まないのか、持ち前の負けん気を剥き出しにして煽り立てる。
だが、一方の筮麽の体内では、密かに異常事態が進行しつつあった。食べる速度自体は序盤とほとんど変わっていないものの、物理的な胃袋の容量という残酷な壁が、少しずつ彼女を苛み始めていた。摂取したカロリーを即座に顎の筋力や消化エネルギーへと変換し消費する伽羅部のいくらでも食べられる能力とは決定的に異なり、筮麽の肉体的なキャパシティには明確な有限が存在する。
普段であれば、食べたものをオーロラに変える能力をはじめとする、腹の中の質量を消失させる系の異能を駆使して無限に食べ続けることができるのだが、これだけ多くの人目がある密閉された店内で、突如として口から極彩色の光を放つわけにもいかない。さりとて、数多ある手持ちの能力のストックから都合よく〝満腹感を消す能力〟を脳内検索しようにも、この激戦の最中に集中力を割く余力は残されていなかった。故に、対する伽羅部には事実上限界がないという圧倒的ディスアドバンテージを抱え、筮麽のペースがコンマ数秒の世界でやや落ち始めている。ほんの少しずつではあるが、紛れもない世界最強の能力者が、東京の片隅のファストフード店で、ただの大食い女子大生に追い詰められていた。
続々と厨房から揚げたての黄金色のチキンが投入され、その合間の箸休めとして、カーネルクリスピーやビスケット、チョコパイが山のように置かれていく。両者は一瞬たりとも手を止めることなく、ただひたすらにそれらの高カロリー食を口内へと掻き込み続けている。
「店長やべえっす、チキンがもうねえっす! オリジナルもクリスピーも、このままだと全部なくなっちまいますっ!」
厨房の奥から、少しヤンキー風の金髪メッシュを入れた女子高生店員が、悲鳴のような声を上げて焦ったように叫んだ。
「なにっ!? 生の鶏肉の在庫もない感じなのっ?」
「はい、もうバックヤードの冷蔵庫もすっからかんですぅ! 今日の分、全部あの二人組に食べ尽くされちゃいますぅ!」
別のややダウナー系の店員も悲痛な叫びを上げている。
「ぐぬぬ……まさかうちの店舗が、こんな、在庫切れという物理的な敗北の結末で終わってしまうのか……!?」
横で若き店長とバイトの店員たちが絶望の淵に立たされて慌てふためいていて、その会話を耳にした周囲のギャラリーや新規の客たちも、「まじで?」とざわつき、大いに困惑している。まさかのチキン在庫切れという前代未聞の理由で勝負がついてしまうのか、そして何より自分たちが食べる分のチキンまで消滅してしまうのか? という一抹の不安を抱く反面、ここまで来たらこの神話的なフードバトルの行く末を最後まで見届けたいと言う野次馬根性が相まっていた。
「三千円って、もしかして食べ放題じゃなくて、このフードファイト会場の入場費だったのか?」
熱気渦巻くギャラリー内の一人が、的確なツッコミを入れる中、遂に恐れていた事態が現実のものとなる。
バックヤードのチキンの在庫が完全に底を突いたのか、新たにテーブルのトレイへ山積みにされたのは、カーネルクリスピー、ビスケット、チョコパイ、フライドポテト、そして別枠として運ばれてきた店舗限定のピザやサラダといった、主力不在の脇役たち。
「あーあ、チキンはもうなくなったわけ? まぁいっか! これはこれで甘いのもあるし、いい口直しになるからね~」
伽羅部は全く意に介する様子もなく、その底なしの食欲のままに、それらのサイドメニューを爆速で口へ放り込み続ける。だが、一方の筮麽にとっては、このメニュー変更は致命傷に等しかった。
「う………」
ただでさえ胃袋の限界が見えて来て、脂っこさに辟易していたというのに、油っこいフライドポテト、口内の水分を根こそぎ奪い去るビスケットや、甘ったるいチョコパイ、重たいチーズが乗ったピザというこの品揃えは、少々キツいものがあった。そこで、追い詰められた天才の頭脳が、一つのショートカットを導き出す。
「えーと、伽羅部だっけ? 君、明らかに普通の人間じゃないよね。なにか食べる系の能力持ってるでしょ?」
唐突に、咀嚼の手を止めずに伽羅部へと話しかけた。
「……え? んー、まぁそうだけど。アタシのいくらでも食べられる能力がなにか?」
「……なんでもない」
ふいと横を向き、次なるチョコパイを無表情のまま口へと運んだ。しめた、と内心でほくそ笑む。筮麽の思惑としては、眼前の伽羅部の能力をその場で即席でコピーし、自分も無限の胃袋を手に入れて優位に立とうという、極めて合理的な魂胆。フードファイトの勝ち負けなど本来はどうでもよかったのだが、ここまで来て目の前の見るからにやかましい地雷系女に敗北するのは、自身のプライドが何だか納得行かなかった。
他の能力を使うわけにはいかないし、この激戦の中、外見に変化がなく腹を空かせるという都合の良い能力を膨大なストックから脳内で検索する余力はない。そう、伽羅部の能力コピーという即席の手段は、彼女の自称天才的な頭脳が導き出した最善の結果。
負けない、負けられない。
負けてなるものか。
コピーをし、圧倒的逆転劇を見せるつもりでいた。
だが。
(あれれ? おかしいな……お腹、全然減らないんだけど)
結果。
まさかのスカ。
頭の上。
はてなマークが浮かんだ。
能力の模倣が正常に成功したならば、己の肉体がどう変化したか感覚で瞬時に分かるはずなのだ。
ここで筮麽は、自身の視認した能力を行使する能力、そのコピーを行えるという特性の、唯一にして最大の欠点を見落としていた。対象となる能力の本質的なロジックを理解していなければならないという弱点。伽羅部瞰のいくらでも食べられる能力の本質は、ただ胃袋が空になるわけではなく、摂取した食物の熱量を即座に強靭な咬合力や顎の筋肉、そして消化器官の活動エネルギーへと還元し、自己完結のサイクルを回すという複雑なメカニズムにある。そんな生体変化の理屈を筮麽が知る由もなく、結果として能力の模倣には無惨にも失敗した。
「あら、どうしたの? 急に黙り込んじゃって。さっきから目に見えて食べるペース落ちてきてるけど~?」
「……」
横で勝ち誇ったように煽ってくる伽羅部の言葉をスルーしつつ、筮麽はどんどんと胸の奥までせり上がってくる絶望的な満腹感を感じながら、それでも意地でビスケットやチョコパイ、ポテトにピザを限界の胃袋へと押し込み続けた。限界を超えて満腹中枢が強烈に刺激されたことにより、彼女の美しい瞳はすでに虚ろ虚ろとして、焦点が合っていない。
やがて、ドリンクやサラダ、ピザを除いたケンタッキーの主力たるサイドメニュー商品までもが、全て並べられた端から食い尽くされ、完全に底をついてしまった頃。
そうこうしていると、安全圏で談笑していた柄長と西圓寺の手元で、ホログラム・フォンが微かに振動し、退店五分前を知らせる無機質な通知が映し出された。二人は他人のフリをしてやり過ごしたいと切実に願っていたが、保護者としての責任から仕方なく腰を上げ、熱狂の中心地へと近寄っていった。
「すみませんー、そろそろ退店時間なんで、ちょっといいですか?」
「盛り上がってるところ本当にごめんなさいねぇ。こっちももうお時間なんですよぉ。ほら、帰るよ、瞰」
二人が人だかりのギャラリーをかき分け、大食らいの化け物二人の元へようやくたどり着いた、まさにその時。
「……うぷ」
筮麽が、かつて見せたことのないほど青ざめた顔で、背もたれにぐったりともたれかかっていた。その横では、未だにガツガツと機械的な正確さで止まることなくピザを食べ続けている伽羅部の姿がある。
「も、もうだめ……お腹いっぱい……無理……」
完全敗北。
あの全てに置いて万能な亜鳴蛇筮麽が勝負を受けた結果。死んだ魚のような目で、ついに白旗を上げた瞬間。
その言葉を聞くや否や、隣で最後の一枚のピザを口に突っ込み、ゴキュンと豪快に嚥下した伽羅部がガタッと音を立てて立ち上がり、天井へ向かって力強く拳を突き上げた。
「しゃおらあああっ!! どうだ、参ったかこのデカ女っ!! アタシの圧勝だぁっ!」
店内に響き渡る、高らかな勝利宣言。店長を含め、勝負の行方を見守っていたギャラリーたちから、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
「いやー、やっと終わったのか。にしても凄いね、この筮麽って子。まさかこの最後まで、うちの底なしの瞰と拮抗するなんて思いもしなかったよ。……ねぇ、柄長? どうしたの?」
西圓寺が呆れたように溜息をつきつつ、隣の柄長へと親しげに語りかける。
だが。
「な、な、な………っ!?」
柄長は、口を戦慄かせて言葉を完全に失っていた。
負けた? あの全てを飲み込むブラックホールが如き食いしん坊であり、常識の外側に生きる亜鳴蛇筮麽が、単なる大食い勝負で負けた? あの、正真正銘の世界最強の能力者が、東京のファストフード店で女子大生に敗北したというのか。目の前で繰り広げられたあまりにもシュールな光景が信じられず、柄長はただ酸欠の金魚のように口をパクパクとさせている。
「え、ちょっと、どうしたの急に?」
頭上に大きなはてなマークを浮かべる西圓寺を尻目に、その時、柄長のホログラム・フォンから、無情にもピピピッというアラームが鳴り響いた。制限時間の完全なる終了。
「いやぁ、素晴らしい戦いでした! すごいですね、お連れさんっ!」
「ピンク髪の子、本当にいい食べっぷりだったよっ! 見てて気持ちよかった!」
「紫髪の子は惜しくも負けちゃったけど、二人とも人間離れしてて凄かったぜ!」
熱狂冷めやらぬギャラリーたちも、口々に賞賛の言葉を投げかけてくる。
「あー、いやいや。こいつの胃袋の構造が異常なだけですからっ。お恥ずかしい限りで……」
西圓寺は、周囲からチヤホヤされて承認欲求が満たされ、だらしなくドヤ顔で笑っている友人を横目に、一刻も早くこの狂気の場から退散したいと切実に思いながら愛想笑いを浮かべていた。その間も、柄長は魂が抜けたようにただ固まり続けていた。
やがて西圓寺ペアのホロフォン端末にも制限時間を知らせるアラームが鳴り響く。その電子音にはっと気を取り直した柄長。彼女は、満腹で一歩も動けずスライムのように椅子で潰れている筮麽の襟首を掴んでズルズルと引きずり始め、また西圓寺は、ギャラリーにちやほやされていつまでもその場に留まろうとする伽羅部の腕を無理やり引っぱり、二人は逃げるようにしてケンタッキーの店舗を後にした。
「いい勝負を見せてもらいましたっ! 是非またお腹を空かせてお越しください~!」
背後からは、燃え尽きたような爽やかな笑顔の店長やギャラリーたちに見送られる。結局、この店舗は前代未聞のチキン及びサイドメニューの完全な在庫切れにより、この後すぐに臨時休業の看板を掲げることとなったが、皆一様に名勝負を見届けたという達成感からか、どこか清々しい顔をしていた。
なお、勝負の最中に入店したばかりの不運な客たちには、丁重な謝罪と共に全額払い戻しがなされていたらしいが、それはまた別の話。




