西圓寺郝躬は苦労人
昼下がりのケンタッキーフライドチキン店内。
食べ放題という戦場における制限時間、すなわち八十分という無慈悲なタイムリミットが到来したのか、先陣を切っていた客たちは次々と席を立ち、店内の喧騒は潮が引くように落ち着きを見せ始めていた。
しかし、そんな静寂を取り戻しつつある空間に、依然としてカトラリーと咀嚼音を響かせる一角が存在した。
伽羅部瞰。
彼女は眼前のトレイに積み上げられたチキンの山を、ブルドーザーの如き勢いで崩し、胃袋へと輸送し続けていた。
いくらでも食べられる能力。
その異能に底という概念は存在しない。彼女の腹づもりとしては、制限時間ギリギリの一秒まで、この店内の鶏肉を喰らい尽くす所存だ。
「んぐっ、むぐっ……! たまらんっ! レッドホットの辛さは食欲をブーストさせるねぇ!」
その光景を向かいの席から温かい目で見守りつつ、西圓寺は、にんにく醤油チキンを優雅に齧っていた。彼女のペースは常人のそれであり、友人の暴食ぶりをBGMに、ゆったりとした食事を楽しんでいる。
ふと。
既に店内はフライドチキン特有のスパイスと脂の香りで飽和しているというのに、ひときわ濃厚で、暴力的なまでの揚げたての香りが鼻腔をくすぐった。
伽羅部がチキンを咥えたまま、チラリと横目で通路を見る。
するとそこには、大量のカーネルクリスピーとレッドホットチキンを、まるでジェンガのようにトレイに積み上げて歩く長身の美女───筮麽の姿があった。
そのトレイの重量は、明らかに伽羅部への挑戦状(本人が思い込んでいるだけ)だ。
「……アイツ、まだいる……」
伽羅部がぼそりと呟く。その瞳には、獲物を狙う猛獣のような対抗意識が宿っていた。
「……あの二人組、私たちと同じくらいの時間に入ってきたような気がするけど。あんな背の高い女の人って滅多に見ないから、印象に残ってたんだよねぇ」
西圓寺はぽつりと分析を開始する。
「てか、あの量、明らかに普通の人の胃袋のキャパシティを超えてるでしょ。あの人も、瞰と同じずっと食べ続けられる系の能力者なんじゃない? 燃費の悪そうな体してるし」
「……確かにそうかも。……だとしたら、絶対負けられないっ!!」
伽羅部は口元の油を拭うことも忘れ、高らかに宣言した。
同族嫌悪か、あるいは大食い女王としての矜持か。彼女は闘志を燃え上がらせ、さらにチキンをどかどかと口へ放り込み始めた。
その後、伽羅部と西圓寺は、枯渇したトレイを補充すべく、再びビュッフェ台の前へと立った。
彼女達の狙い通り、客足が引いた店内は移動しやすく、ビュッフェエリアも閑散としている。
「あ」
西圓寺がふと横を見ると、水色の髪をサイドテールにした小柄な女性───柄長と目が合った。彼女もまた、トレイを片手に補充に来ていたようだ。
同じ「大食らいの友を持つ苦労人」としてのオーラを感じ取っていた西圓寺は、軽く会釈をした。柄長もまた、心得たように小さく頷き返す。
柄長はカーネルクリスピーを常識的な範囲でいくつか、そしてデザートのチョコパイをトレイに乗せ、足早に自席へと戻っていった。
その背中に勝手な親近感を抱いた西圓寺は、自分も同じくクリスピーを取ることに決めた。脂っこい骨付き肉との格闘に疲れ、そろそろさっぱりとした食感を求めていたのだ。
「私はそろそろ軽めでいいかな。で、瞰はどうするの? まぁ訊くまでもなくチキンだろうけど」
西圓寺はまず彩りのサラダを取り皿に敷き詰め、トングでひょいひょいとクリスピーを摘みながら尋ねた。
「決まってるでしょっ! チキンだよ、チ・キ・ン! この店の在庫を全部腹に収めてやるって決めたんだからっ」
鼻息も荒く、伽羅部はトレイを構えた。
次々と様々な種類のチキンを無造作に確保していく。二人の爆食い女がいるせいで、厨房の供給スピードが追いついておらず、保温ケースに並べられているチキンの量は、入店時よりも明らかに減少していた。
だが、ここで伽羅部は異変に気づく。
おかしな事に、特定の部位───脂が乗り、最もジューシーで人気のある腰の部分、〝サイ〟が、一つ残らず消滅しているのだ。
「……は?」
伽羅部の手が止まる。
「ちょっと、なんで!? サイがないんだけど!? 一番美味しい部位でしょ、どうしてここだけピンポイントで……!」
まだ制限時間は充分に残されており、彼女にとってはこれからが本番であるというのに、主役不在の惨状。伽羅部がわなわなと震えていると、彼女の脳裏に、先程すれ違った筮麽のトレイの山が鮮烈にフラッシュバックした。
そういえば、あのタワーのように積まれたレッドホットチキン。その大半が、三角形の特徴的な形状をしたサイだったような気がする。
「あー、まぁビュッフェだし、早い者勝ちで好きな部位取れるもんね。あの背の高い人が、全部もってったんでしょ」
西圓寺は苦笑し、慰めるように答えた。
しかし、この言葉が地雷女の導火線に火をつけた。
伽羅部は、カッと目を見開き、とんでもない思考の飛躍を見せた。
「……も、もう許せないっ! 私のサイを独占するなんて! これは宣戦布告だよっ! カチコミかけてやるっ!! フードファイトを挑んでやるっ!」
「はぁ?」
西圓寺が素っ頓狂な声を上げる間もなく、伽羅部は鼻息荒く宣言した。
あろうことか、見ず知らずの他人の席に乗り込み、どちらが真の大食いかを決めるためにコテンパンにしてやろうという、とてつもなく馬鹿げた行動に出ようとしているのだ。
「あっ、ちょいちょいっ! 何考えてんの瞰っ! やめなって、おいアホ瞰っ!!」
慌てて友人の肩を掴もうとする西圓寺。彼女はその派手な見た目とは裏腹に、意外と常識人。
だが、食い物の恨みと対抗心に燃える伽羅部に聞く耳はない。
歩を進める。
二歩、三歩、四歩。
五歩目で大股。
西圓寺の制止の声も虚しく、伽羅部はトレイを盾のように構え、ズンズンと床を踏み鳴らしながら、筮麽と柄長が座るボックス席へと進軍を開始してしまった。
◆❖◇◇❖◆
一方、嵐の接近を知らぬ筮麽と柄長のテーブル。
「んー、うまうま。ケンタはサイが一番美味しいね。脂のノリが段違いだよ」
そう言いながら、筮麽は目にも止まらぬ速度でチキンを次々と口内へ放り込んでいた。
バリボリ、ガシュッ。
彼女の咬合力が倍増する能力と、歯の硬度がダイヤモンド化する能力の併用により、硬い骨すらもウエハースのように粉砕され、咀嚼されていく。
本来ならば骨の山が築かれるはずの皿の上には、パン粉のような僅かな残骸すら残っていない。完全なる捕食。
ここに来る前、ミセドのドーナツをドカ食いしていた筮麽。だが。食べたものをオーロラに変える能力で胃袋の中身を完全に光へと変換し、空っぽにしてきたため、彼女の食欲機関は絶好調。入店してから現在に至るまで、その顎が止まることは一度もなかった。
「この皮と身の間の脂身がたまらないんだよねぇ。肉質もプリプリで柔らかくて、あぁ、肉食べてるなーって感じ」
恍惚の表情を浮かべる彼女の目の前には、大量の、それもサイのみで構成された種類豊富なチキンの山脈が鎮座していた。
「筮麽、あんたねぇ……」
向かいの席で、柄長が呆れを含んだ声を上げた。彼女の手にはクリスピーが一本握られているのみで、その食べ方は極めて慎ましい。
「ビュッフェだからって、同じ部位を根こそぎ全部掻っ攫うのはマナーとしてどうかと思うんだけど」
「え? いいんだよ。だってお金払ってる正当な権利行使としての食べ放題なんだし。それに、店員さんがすぐ補充するでしょ」
悪びれる様子もなく、骨ごと砕いたチキンを嚥下する。
「いや、明らかに揚げるのが間に合ってないから。ビュッフェ台、スカスカになってたけど。それにさ、あんたの他にもめちゃくちゃチキン取ってたゴスロリ服の女の人、さっき私が取りに行ってた時いたんだよね。〝サイがない!〟って、この世の終わりみたいな叫び声が後ろから聞こえたんだけど」
柄長は、ジト目で筮麽を見つめた。
ピークタイムが過ぎ、他の客が減ったという誘惑もあり、この友人はタガが外れたように大好きな部位を乱獲してしまったのだ。
『そうなの? それは悪いことしたなぁ』
筮麽の声が響いた。
しかし、彼女の口は動いていない。その言葉は、柄長の脳内に直接響き渡った。
「うわっ! また脳内に直接……びっくりするんだって、それっ!」
思わず肩を跳ねさせた。
思考を送信する能力。いわゆるテレパシー。
この怠惰な美女は、食べるペースを落としたくない、口を開けて喋る時間が惜しいという極めて個人的な理由により、会話をテレパシーで済ませるという横暴に出ていた。
柄長が抗議の視線を向けるが、筮麽は食べることに全神経のリソースを割いているのか、あるいは都合の悪い説教をシャットアウトしているのか、ただひたすらにチキンを咀嚼し続けている。
さらに筮麽は、チキンの合間にビスケット、チョコパイ、ポテトなどを「口直し」と称して放り込んでいく。
甘い、しょっぱい、甘い、脂っこい。
その無限ループを眺めながら、柄長は(よう食えるわこいつ……)と、呆れを通り越して感心すら抱いていた。
その時。
平和な午後、脂とスパイスの香りに満ちた店内の空気を、ヒステリックな金切り声が切り裂いた。
「ちょっと、そこのアンタっ!」
ん? と柄長が眉を顰め、声の主へと視線を投げる。
そこに仁王立ちしていたのは、フリルとレースの要塞に身を包んだ、いかにも「地雷系」のオーラを全身から噴出させている長身の女。
柄長は、あっ、と小さく口を開く。先程、ビュッフェ台の前でこの世の終わりのような悲鳴を上げていた女性だ。派手なメイクで武装しているが、見た目から察するに同世代、おそらく大学生くらいだろうか。
しかし、罵声の標的である筮麽の耳には、その雑音は一切届いていないようだった。彼女は外界の情報を遮断し、ただひたすらに、機械的な正確さでチキンを口へ運び、咀嚼し、嚥下するというサイクルを繰り返している。
「……って、聞いてんのっ!? アンタだよ、アンタっ! アタシの愛するサイ、全部もっていきやがってぇ!」
無視されたことで伽羅部の怒りは沸点を超え、さらにぷんすかと足を踏み鳴らす。その頭上には、昭和の漫画のような怒りマークが可視化されそうな勢い。
「ほれ見たことか。……筮麽っ! あんただよ、あんたっ! ……いつまで食ってんだ、おいっ!」
柄長は呆れ果て、溜息と共に右手を掲げた。
バチッ、という鋭い破裂音が鳴る。
彼女の指先から、鮮やかな水色の電流が迸り、空気を焦がした。
その閃光と音に、怒り狂っていた伽羅部の方がびくっ、と肩を跳ねさせる。電気系の能力か……SNS映えしそうだな、などと場違いな感想を一瞬抱くが、今はそれどころではない。
ようやく、筮麽が食事の手を止めた。
「……ん? 何よ、柄長。まだお腹いっぱいじゃないんだけど」
「ほら、さっき言ったゴスロリの人。筮麽のせいで案の定、カンカンに怒ってるよ」
柄長は指先から放出した電気を、器用に矢印の形状へと変形させ、ビシッと筮麽の顔面を指し示した。
彼女は視線をずらす。目の先には、鬼の形相をした伽羅部がいる。
「えー、めんどくさ……」
筮麽は心底嫌そうな、怠惰を煮詰めたような声を漏らした。
「あー。どうもうちのバカがごめんなさい。こいつ、胃袋のブレーキが壊れてるめちゃくちゃな大食らいなんで、悪気はないんですけど……」
柄長が保護者のような顔つきで、申し訳なさそうに伽羅部へ頭を下げた。
「え? あっ、いや、そんな……」
付き添いの友人があまりにも低姿勢で謝罪してきたため、伽羅部は毒気を抜かれ、思わず口ごもる。
だが、当の元凶は違った。
「失敬な。バカは訂正して。私は効率的にカロリーを摂取しているだけ」
と言いつつ、山積みのサイをまた一つ口に放り込む筮麽。
一つ、二つ。
次々と咀嚼し、優雅に嚥下する。
その態度には一切の悪びれる様子がなく、むしろ誇らしげですらある。
伽羅部の頭上に怒りマークが出て、再びむっとなった。
そんな筮麽の戯言を無視し、柄長は、
「ほーら、謝る謝る。あんたが悪いんでしょ」
と、そう促す。
心底面倒くさいという感情を顔面の筋肉だけで表現しつつ、筮麽はチキンを片手に持ったまま、ぬっ、と座席から立ち上がった。
「うっ……!?」
伽羅部は、眼前に立ちはだかったその巨大な質量に、思わず息を呑んだ。
まず、高い。
実は伽羅部も身長百七十八センチメートルもあり、日本人女性としては規格外の高身長を誇っている。さらに、彼女のいくらでも食べられる能力の恩恵により、幼少期から栄養状態が極めて良好であったため、胸の発育も著しく、所謂巨乳の部類に入る自負があった。
顔立ちだって整っているし、頻繁に自撮りをアップするほどルックスには自信がある。
だが、どうだ。
目の前の女は、自分よりもさらに頭半分は高い。百八十五センチはあるだろうか。そして、だらしないスウェットのような服の上からでも分かる、暴力的とも言える胸のボリューム。さらに、そのぼけっとした締まりのない表情をしていても隠しきれない、造形美とも呼べるほどの圧倒的な美貌。
身長、スタイル、顔面偏差値。
その全てにおいて、自分は敗北している。
伽羅部のプライドに、ヒビが入る音がした。
「あー……ごめんね? 美味しかったからつい」
筮麽は伽羅部にそう言ったが、その視線は伽羅部を通り越して虚空を漂っており、口ではチキンをサクサクと齧りながらの言葉。
微塵も誠意を感じられない、形だけの謝罪。
さらにチキンをひと齧り。謝罪もクソもない。
「なっ、なっ、なっ……!」
筮麽のナメ腐った態度に、伽羅部の怒りメーターが限界値を突破し、レッドゾーンへと突入した。
「瞰っ! このドアホっ! いくら理由があるからって、店内で見ず知らずの人に絡むなっ! 営業妨害で出禁になるよっ!」
その時、伽羅部の背後から、ぬっ、と現れた影があった。
西圓寺。
ヘアワックスで固めたのかカクカクさせた黒髪、濃いメイク、チョーカーにピアスという、見た目からしていかにも治安の悪そうな地雷系の彼女だが、その登場のタイミングと常識的な諌め方に、柄長はどこか自分と同じ「苦労人」の匂いを強烈に感じ取っていた。
しかし、暴走機関車と化した伽羅部は止まらない。
「………勝負だっ!」
伽羅部が筮麽の鼻先をビシッと指さし、店内に響き渡る声で高らかに宣言した。
周囲の客の視線が一斉に彼女たちへと集中する。
「?」
頭上に巨大なはてなマークを浮かべる筮麽。
伽羅部は畳み掛けるように叫んだ。
「アンタ、筮麽だっけ? なら筮麽、そんなに食べるのが好きなら、どっちがチキンをたくさん食べられるか勝負だっ!! アタシの逆鱗に触れたこと、後悔させてやるっ!」
「………は?」
これには流石の柄長も、そして止めに入った西圓寺も、完全に思考停止し、固まってしまった。
お互い、目の前の女は何を馬鹿げたことを言っているんだ? と心底呆れ果てていた。ここは神聖なレストランであり、コロッセオではないのだ。
だが。
「んー、よく分かんないけどいいよ。時間まだあるし。つまり、もっとチキンをたくさん食べれるんでしょ?」
筮麽は一言返事で了承した。
彼女にとっては、勝負の勝ち負けなどどうでもいい。大義名分を得て、さらに堂々とチキンを貪り食えるのであれば、それに越したことはない。
「決まり! じゃあ、そこの空いてる四人席でっ! 郝躬、アンタはチキンどんどん持ってきてっ! セコンドだよ!」
「柄長、君は私のチキン係で。片っ端から持ってきて。でっかいの中心に」
伽羅部と筮麽はそう言い放つと、店内の広い空席となっている四人掛けのボックス席へと移動し、どんと座り込んだ。そして、当然の権利のようにそれぞれの友人をパシリに任命した。
取り残された二人。
「……ええと、柄長……さん? 苦労してるんだねぇ、君も……」
西圓寺は、アイシャドウで縁取られた気怠げな瞳を、柄長へと向けた。そこには深い同情と、戦友に向けるような連帯感があった。
「お互い、そうらしいね……。変な友達を持つと大変だ」
柄長はため息交じりにそう言い、横に立つ西圓寺を見上げた。
西圓寺の身長は百六十五センチ。平均よりは高い程度だが、小柄な柄長からすれば十分に見上げる高さである。そして、ゴシックな服の上からでもわかるその豊かな胸の起伏。
あのゴスロリの瞰という女と言い、この郝躬という女と言い、今の若者は発育が良すぎるのではないか。柄長はちんちくりんな自分の体型を顧みて、多少のコンプレックスに眉を顰める。
だが、それよりも今は眼前だ。
早速四人席に並んで座った筮麽と伽羅部は、ゴングも鳴らさずにがつがつと残りのチキンを食べ始めていた。
まるでブラックホールが二つ発生したかのように、テーブルの上のチキンが物理法則を無視した速度で消滅していく。
早く持ってこい、と無言の圧力が背中に突き刺さる。
柄長と西圓寺は、はぁ、と重なるように深いため息を零しつつ、自分のトレイを置き、謎の一体感と連帯感を胸に、共にビュッフェ台へと歩き出した。
東京、ケンタッキーフライドチキン某店。
その片隅にて、現代能力者史上最もしょうもない能力戦───いや、ただの意地とカロリーを懸けたフードファイトの火蓋が、静かに、そして脂っこく切って落とされた。




