モンド、兵棋(ひょうき)を指す
現皇帝の出自であるヴァルトハイン公爵家。
帝国の西方、交易都市ヴァルトハイムを中心とした領地を地盤としている。
一族にも、またその家臣にも切れ者やら知恵者が多いと評判で、我が宰相殿もそのうちの一人だ。
しかしまあ、何かと面倒な体制の下ごしらえは宰相殿に全てやらせて、それを丸々頂くか、確かに良い手だな。
俺はさらに歩兵を一つ先へ進めた。
宰相は言う。
「――帝都の貴族及び諸勢力についても同様だ、彼らのもっぱらの関心事は、既得権益をいかに守るかのみ、当面は心配しなくて良い」
宰相は近衛の駒を斜めに上げた。
ガチガチの守りの手だ。
「エルディナはどうでしょう?」
「エルディナもだな、聖女様のおかげで勢力の基盤は当面安泰だ、焦って世俗の権力に手を出す必要はない」
エルディナ公爵家、三公爵家の一つで、南方の聖都エルディナを中心とする領地を持つ。
エルド聖教の総主教を代々輩出し、事実上、総主教の座は世襲制のようになっている。
聖女リュミエラ・エルディナは民衆からの人気も高く、女ながら新皇帝の候補に名前が挙がっていたが、宗教と政治の結びつきがあまりにも強くなりすぎることを危惧され、退けられた。
「――となると、残る可能性は一つ」
俺は騎士の駒を跳ね上げた。
「ランディスだな」
ぴしり、と音を立て、宰相は俺の騎士の直前に駒を打つ。
「――違」
「何も喋るな、と言った筈だよ」
俺はシアにやんわりと釘を刺した。
宰相は顎に手をやりながら言う。
「ランディスでも、当主は除外して良いだろう、それにその息子も――あれは中々の出来物だ」
北のランディス公爵家、帝国の北方アーグレインを守る帝国の盾。
代々軍事の才に長けた者が多く、嫡子レオンハルトは新皇帝の候補に名前が挙がった一人だ。
「ランディス、だとすると誰ですかね」
「そうだね……ざっと思いつくところでは……ゴーマン、ライノス、ディノスに、あとは……ヴォルク」
宰相は盤面から視線を上げ、シアを見つめる。
「……当たったようだね、ヴォルク・ランディスだ」
シアの青ざめた顔つきが、全てを裏付けていた。
「――怪物め」
ここに至って、シアが宰相や俺に手を出す動機は完全に失われた。
そんな事をすれば、むしろこちらに格好の口実を与える事になる。
肩を落とすシアに、宰相はにっこりと笑みを浮かべ、語りかける。
「全て理解してくれたようだ――聡明な女性だね――若く、美しく、健康で聡明――いやあ、モンド君が羨ましいよ」
「信じてくれるかどうかは分からないが」
作り物の笑顔を引っ込め、シアの目を見ながら宰相は言う。
「私はこれから、この国で、存分にこの腕を振るうつもりだ、なんの容赦も、慈悲もなく、時には汚い手も厭わずに、だがそれは全て――」
宰相は顔の前で、合掌するように手を合わせ、言った。
「この帝国に住まうもの全ての為、ただそれだけの為だ」
穏やかな声音で、宰相はさらに一言付け加える。
「まあそういうわけで、私の……あー、部下のアンダルム君の事を、よろしく頼むよ」
おい。
「さて、概ね容疑が固まったところで、どうします?」
「まだ決定的な証拠に欠ける、正攻法で詮議にかけたところで、嫌疑不十分、うやむやにして逃げられるだけだ、やる以上は綺麗に――後腐れのないようにしたい、それに――」
「それに?」
「表沙汰にして傷をつけるわけにはいかんだろう? 君の妻に」
汚い手も厭わない、とかなんとか言ってる割には、なんともお優しいことで。
だが、俺のこの男への評価は爆上がりだ。
自分を殺していたかもしれない相手を前に、平然と兵棋を指せる胆力。
同時にシアの反応を読みながら探りを入れ、正解を引き出す観察力。
おまけに盤上の俺の王は、完全に詰まされていた。
いいだろう。
上に担ぐのに不足はない男だ。
「つまりは裏でカタを付けるということですね?」
「そうだ」
「ああ、王宮における君の、表向きの役職を決めておいた」
「何ですか?」
「庭園管理者」
「……なるほど」
王宮には広い庭園が有り、そのあちこちに草木が植えられていた。
それに部屋の中にも様々な花が飾られる。
「――つまりは草木、それに花のある場所なら、管理を口実に王宮のどこへでも行けるということですか」
「その通り――無論、実際の花の管理は、他の使用人に指図してやらせて良いよ」
「わかりました、では始めます、今、この時から」
「その前にここへ」
宰相は、小さな紙片を差し出してきた。
紙片には、住所だけが書かれている。
「君が今持っている武器は短剣一振りだけ、だろう? そこで必要なものを調達したまえ」
その日の午後、俺はシアを伴って、宰相に渡された住所を訊ねた。
「……服屋じゃねーか!」
この世界では、紡績業――糸を紡ぐのも、縫製業――服を縫うのもまだ大規模な機械化はされてない。
したがって庶民であろうと富裕層であろうと基本的に服は一着ごとの手縫いなのだが――それにしてもここは、見るからに高級そうな仕立て屋だ。
おそらくは、顧客の身体のあちこちを丁寧に採寸して服を仕立てる、いわゆるテーラーメイドの店だ。
豪壮な重い扉を押して店の中に入る。
「えーと、宰相閣下からの紹介で来たんだけど」
「うかがっております、こちらへどうぞ」
店の奥の、さらに奥まった所に通される。
その部屋は、雰囲気がまるで違っていた。
四方の壁には、大小様々な武器が飾られている。
一方にはカウンターが有り、そのの背後には革の前掛けを付けた初老の男がいた。
どう見ても服の仕立て屋といった風ではない。
引退した元・同業者という雰囲気だ。
「ようこそ武器屋へ、わたくしは当店の店主、イオルム・イーシャと申します」




