モンド、妻を娶(めと)る
意識を失った侍女をベッドに寝かせる。
案の定、口の中、頬の内側に綿を含んでいた。
顔の輪郭を変え、印象を変えるためだ。
武器の類をまだ持ってやしないか、その全身を検める。
背中に短剣があと二本。
太腿のガーターには投擲用と思しき小剣がさらに一本、二本、三本……。
……こいつ、どれだけ武器を持ってるんだ?
全身を検め終える頃には、取り上げた武器が小さな山になっていた。
――さて、どうしたものか。
俺は少しの間、考える。
生かして捕えることはできたものの、この後、こいつをどうするべきか。
南方の生まれだろうか、肌の色は褐色、髪は黒。
よくよく見れば、なかなか――いや、かなり整った顔立ちをしてる。
磨けばけっこう光るんじゃないだろうか。
歳の頃で言えば、おそらくは今の俺と同じくらいか。
殺すのは論外、だからといってこのまま放免と言うわけにもいかない。
情報を引き出すために、痛めつけるというのも趣味に合わなかった。
あれこれ悩んだ末に、一つ、解決策が浮かんだ。
――試してみるか。
――そろそろかな。
俺は別の小瓶を一つ手に取り、栓を抜いて侍女の鼻の下に持って行く。
強い刺激のある香りで、気付けになる薬だ。
「……うっ」
小さな声をあげ、侍女は意識を取り戻した。
意識は取り戻しても、薬の効き目はまだ残っている。
おそらくまだ手足には力が入らない筈だ。
目前にいるのが誰なのか理解すると、鋭い目で俺を睨みながら言う。
「……殺せ」
「あ、惜しい」
そこは「くっ……」がほしかった。
「……?」
「いや、なんでもない……殺さないよ、勝負はもう付いてる、お前はしくじった」
「――汚いぞ」
俺は手先で小瓶を弄びながら答える。
「ああ、そうだな、まったくその通りだ、こんなつまらない、小手先の、ちょっと知恵が回る奴なら絶ぇっ対に引っかからないような、くっそしょーもない策を弄するなんて本当に卑怯だった、反省してるよ」
「貴様……」
煽られていることを理解したらしい、侍女はぎりぎりと食いしばった歯の間から怒りの声を出した。
いい兆候だ。
煽られて怒るということは、感情が死んでいないということだ。
この手の任務に使われるやつの中には、薬や魔術やなんやかやで洗脳された者もいる。
そうなるとこちらもお手上げだ、簡単には戻せない。
この女はそうじゃない、怒りがある。
怒りがあるなら、他の感情も存在する。
「――ともあれ、結果がすべてだ、お前は負けて、俺が勝った、せっかくのその命、いらないというのなら、俺が貰い受けよう――お前を、妻にする」
侍女の顔から表情が消える。
奇襲は成功。
思考の虚を突かれて、何も考えられなくなった顔だ。
「――お前は……何を言っているのだ……?」
「言ったろ、妻にすると、伴侶、細君、夫人、令室、カミさん……呼び方は色々あるが、結婚するって事だよ、君と俺が」
無論、何の勝算も無しにこんなことを言っているわけじゃない。
この世界での俺の顔、おっそろしく美形の俺の顔を計算に入れての発言だ。
「――イカれてる」
侍女はそう言い、目をそらす。
だが、その頬には微かに赤みがさしていた。
「そうだ、まだ名前も聞いてなかったな、君の名前は?」
「――風鬼」
「通り名じゃない、本当の名前だ」
「シア……シア・カラ=ヴァン」
翌朝。
俺は宰相に会いに行く。
宰相の正規の執務室は王宮内にあるが、今はまだ登城前、宰相は公邸内の執務室――昨日の部屋だ――にいた。
茶を喫しつつ、書類に目を通していた宰相に俺は立ったままで話しかける。
「ご報告があります」
「何かね?」
「賊を捕らえました」
宰相の眉が微かに上がる。
俺は捕えるまでの経緯を手短に説明した。
「……盲点だったね……人手不足で、こちらに来てから召し抱えた使用人がいるのは知っていたが、まさか既に入り込んでいたとは……もしや、他にも?」
「それは大丈夫でしょう、それなりに優秀な奴でしたから――同じ場所にあのくらいの使い手を何人も送り込むのは効率が悪い、それに露見する危険性も上がります――まあ念の為、あとでひと通り調べはしますが」
「なるほど――で、どうするのかね? 捕らえた者は?」
「妻にします、私の」
宰相は飲んでいた茶を吹き出す。
少しだけ、してやったりの気分になれた。
口の周りをハンカチで拭いつつ、宰相が訊ねる。
「妻、と言ったのかね?」
「そうです」
「何の為に?」
「合理的です、あいつはかなり腕が立つ、敵の戦力を削ぐと共に、こちらの戦力を増やせます」
「ふむ…………ふふっ」
宰相は少し考え込み――そして笑い出した。
演技の類ではなく、人としての地をむき出しにした、随分と愉快げな笑いだった。
ひとしきり笑った後、宰相は言った。
「――いいだろう、好きにしたまえ」
「有難うございます――つきましては、今から少しの間、私に命を預けていただきたく」
俺は宰相に次の手を耳打ちする。
「いったい、どういう事だ……これは?」
侍女が――いや、シアが疑問を口にする。
宰相の執務室、俺と宰相はテーブルに向かい合って座り、テーブルの上には兵棋の盤が置かれている。
「私と宰相閣下は、今から兵棋を打つ」
兵棋――俺が元いた世界の、将棋とよく似たゲームがこの世界にもあった。
戦略的な視野を養うのに良いとか言われて、貴族などの間でもしばしば遊ばれているゲームだ。
「君は黙ってそこで見ている事、何も喋らなくて良いし、喋っちゃいけない」
向かい合う俺と宰相の脇には、シアが座らされていた。
武器こそ全て取り上げられていたが、手も足も拘束されずに。
「さてと、では私が先手でよろしいですか?」
宰相が頷いたので、俺は竜のすぐ前の歩兵を、一つ前に出す。
この状況で、シアは手を出さない――というか、迂闊には動かない、という自信はあった。
宰相に手を出せば、俺に横槍を入れられるし、俺に手を出せば、争っている間に宰相は逃げる。
つまりは、黙って機を伺うしかない――しばらくの間は。
宰相は無言で、魔術師の駒を前に進めた。
ふむ、自陣の守りを固める方針らしい。
俺は、さらに歩兵を前に進めながら言う。
「ところで、閣下を狙う勢力についてですが――」
シアの肩が僅かに動いた。
「ヴァルトハイン家と、その縁の者は除外して良いだろう――」
宰相は魔術師の隣に獅子の駒を動かしながら言う。
「――故郷に政敵がいないわけでは無いが、あそこの者ならもっと巧妙にやる、手を出して来るにしても、私がユリウス陛下の下で、体制をひと通り整え終えた後からだ――その方が楽だからな」




