モンド、襲われる
「敵の正体は?」
俺は宰相に訊ねた。
「――心当たりが無いわけでは無いが、どいつが、という確証もない、そのためにも、君に動いてもらおうと思っている」
ああ、なるほど。
軍事用語に『威力偵察』という言葉がある。
通常の偵察とは異なり、敵の戦力や配置などを知るために、あえて攻撃を仕掛けて反応を引き出す、それを威力偵察と呼ぶ。
藪に蛇がいるかどうか、いるとすれば蛇の大きさはどうか、それを知るためにあえて藪をつつく、まずはそれが俺の仕事、というわけだ。
ならば、耳目を集めた方が良い、というのも納得がいく。
「危険な役回りではあるが、君ならばこなせる、そう信じている」
「――わかりました、お受けします」
「良かった――感謝するよ」
宰相は笑みを浮かべた。
なるほど、辣腕宰相殿の武器の一つは、この笑顔か――もしかすると俺の母親も。
「俸給は、とりあえず80デナで良いかね? 経費は別だ」
「それはまた――」
なかなかの額だ。
デナは帝国の通貨単位で、銀貨一枚が1デナ。
この世界の銀貨一枚は、ざっくり換算すると俺が元いた世界の一万円ぐらいだ。
確か下級官吏の最初の給料が15デナくらいだったか。
ちなみに最高の単位はエルドール、100デナは1エルドールで、帝国の金貨一枚。
金貨ともなると、庶民は目にすることすら滅多に無い。
「命懸けの仕事だ、それに年金も出ない」
「それで結構です」
「客室を一つ用意させてある、当面は公邸に住むと良い、仕事は明日から始めてもらう、今日はもう休みたまえ」
「わかりました――あ、一つよろしいですか?」
「何かね?」
「正門の立哨の増員を、二人一組では隙ができます、現に私が訪ねた時は、一人が取り次ぎのために場を離れ、一対一の状況になりました、せめてあと一人必要です」
「なるほど」
「それと交代までの時間をあと少し短く、疲労でだいぶ注意力が落ちていました」
「わかった、対処しよう」
「まあ、少なくとも今夜は大丈夫でしょう、安心してお休みください」
「何故かね?」
「私がここにいるからです、今夜、閣下を暗殺しようとするのであれば――」
俺は立ち上がりながら言う。
「――必要になるのは軍隊です、暗殺者ではなく」
「頼もしい限りだね」
宰相は侍女を呼び、俺を部屋まで案内するよう言いつけた。
茶を持ってきたのとはまた別の侍女だ。
侍女に伴われ、俺は公邸の長い廊下を歩く。
公邸の二階に、俺にあてがわれた部屋はあった。
来客用の部屋とはいえ、俺が実家で使っていた私室よりも広かった。
ベッドのサイズもデカい。
「風呂付きとはまた、大したもんだな」
部屋のあちこちを侍女に説明してもらいながら、俺は素直な感想を漏らす。
客室ごとにバスルームがあるのは珍しい。
この世界では、まだ毎日の入浴の習慣は一般的ではなかった。
「こちらの水栓から、お湯が出ます」
「そりゃ凄い」
お湯の出る水栓だけでなく、バスタブの上にはシャワーまで備わっていた。
俺が元いた世界と違い、この世界にはまだ、ヒートポンプ式の給湯システムなんてものも存在しない。
アンダルム家でも、館の中にある風呂へは、外にある、使用人用の風呂を兼用する湯沸かし場で沸かした湯を、バケツを使って運んでいた。
どうやって湯を沸かし、部屋まで送っているのだろう。
部屋についてひと通りの説明を終えると、侍女は頭を下げて出ていこうとした。
俺は背嚢の中からいくつかの小瓶を取り出し、(昼間の乱闘で割れていなかった事を神様に感謝しつつ)収納箪笥の上に並べながら、侍女に問いかける。
「そうだ、最後に少しだけ、聞いてもいいかい?」
「何でございましょう?」
「この屋敷には、いつから?」
「五日ほど前からでございます」
「その足運びは、どこで習った?」
「何の事でございましょう?」
「上手く化けてるけど、喋り方が少し変なのは、含み綿の所為かな?」
侍女は瞬時に俺との距離を詰め、鋭い突きを繰り出す。
その手にはいつの間にか、短剣が握られていた。
紙一重のところで、突きを躱す。
息を付く暇もなく、二度三度と立て続けに突きが襲って来た。
おそろしく速い突きだ。
俺でなきゃ死んでるね。
とはいえ、ドゥバと手合わせした時の、あのエグい太刀筋に比べれば、遥かに素直だ。
それだけに読みやすい。
素直すぎるくらいだ。
ドゥバのやつは、稽古の度にえげつない手を使っては、俺を引っかけたっけ。
それで俺が涙目になって、
「ズルいぞ!」
とか言うと、めちゃめちゃイイ笑顔になってたな……。
思い出したら腹が立ってきた。
いかん、目の前の戦いに集中せねば。
いくら素直な太刀筋でも、こう矢継ぎ早に攻撃を繰り出されるとマズい。
こちらも剣を抜きたいところだが、その暇すら与えられない。
しょうがない。
ズルい手を使おう。
攻撃を避けながら、俺は手の中に握り込んでいた小瓶の栓を抜き、足元に転がす。
侍女は咄嗟に後ろへ飛び、距離を取った。
部屋にキツい花の香りが広がる。
侍女が呟く。
「……ただの香水か」
俺は剣を抜いた。
「ああ、けどおかげでこっちも用意ができた」
再び、侍女が斬り掛かってくる。
だが、今の俺の手にあるのは――。
鋭い金属音が耳を打つ。
侍女が手にした短剣は、見事に中ほどで切断されていた。
侍女は再び飛び退き、距離を取る。
「さあ、どうする?」
侍女は無言で斬られた剣を放り出すと、腰の後ろに両手を回す。
降参のポーズかな? いや違うな。
今度は両手に短剣が握られていた。
侍女は大きく息を吸い込む。
「フッ!」
小さく鋭い気合の声と共に、斬り掛かって来た。
冗談じゃない。
剣が二本に増えた分、攻撃の速度も上がっている。
右から左から、次々と繰り出される刃を捌くだけで精一杯だ。
流石にヤバいかな。
だが、終わりは唐突に訪れた。
不意に俺の眉間の、紙一重の所で鋒が止まる。
侍女の目が、ぐるりと上を向き、その場に崩れ落ちた。
「やっと効いてくれたか……」
俺は大きく安堵の息を吐き出した。
先ほど床に転がした小瓶を拾い上げる。
無臭の毒薬ってのは、作るのが非常に難しい。
キツい花の香りは、この毒薬本来の匂いを誤魔化すため。
気化したものを吸い込むと、随意筋を弛緩させ、意識を失わせる毒薬。
そして、俺が小さい頃から慣らされ、耐性をつけされられた毒薬の一つだ。
「やれやれだ、新しいのを送ってもらわないとな……」




