モンド、傭われる
帝国宰相エドガー・クラウス、その噂から想像していた姿とは、だいぶ印象が違った。
全身が覇気に溢れた偉丈夫とか、あるいは痩せぎすの陰険そうな男を思い描いていたが、目の前にいるのは中肉中背、きっちりした髪型と整えられた口髭、まあシュッとした容貌ではあるが、どう見ても辣腕とか陰謀家とかの見た目ではない。
どっちかと言えば、田舎の教師――実際、新皇帝ユリウスが即位する前には、彼の家庭教師をしていた時期もあったらしい――といった雰囲気の、優しげな男だ、物腰も柔らかい。
そして榛色のその瞳は、俺と同じ色だった。
俺の顔で唯一、母譲りでない部分だ。
宰相は執務机から立ち上がり、目を細めつつ俺に言う。
「遠路をようこそ、モンド・アンダルム、私がエドガー・クラウスだ――ふむ、よく似ているな、母君に――セラは、いや、あー、セラフィーヌ殿は息災かね?」
セラ?
セラフィーヌ、俺の母の名だ、セラというのはおそらく、その愛称だろう。
生まれて初めて、母を愛称で呼ぶ男に会った。
「ええ、はい……母と面識がお有りなのですか?」
「昔、少しね……今回、君を寄越してもらったのも、その伝手だ……まずは掛けたまえ」
少し、じゃねーよ、まったく。
ほんの僅かだが表に現してしまった動揺を、悟られていなければ良いんだが。
俺は勧められるままに、椅子に座った。
宰相は、俺を案内してきた家令に言う。
「ご苦労、下がってよろしい――誰かにお茶を運ばせてくれ」
家令は一礼して部屋を出ていった。
「さて、今回君を呼んだのは――」
応接用のテーブルを挟んで互いに腰を下ろし、宰相殿が話を切り出そうとした所で、俺は片手を挙げ、話を遮る。
「――その前に、そこに控えている者を休ませてやってください、話の間、ずっと控えさせておくのは無駄も良いとこです、私がその気でここに来ているのなら、宰相閣下は既に歴史上の人物です」
宰相が一瞬、呆気にとられた顔を見せ、そして笑い出す。
「ははっ……はっはっは……だそうだ、ヴォロ、出てきたまえ」
部屋の一角、書棚にしか見えなかった部分が音もなく開き、屈強な大男が姿を現した。
「衛士隊長のヴォロだ――ヴォロ、挨拶したまえ」
「クラウス家衛士隊、隊長のヴォロ・ヤンセンであります、どうぞよろしく」
ヴォロが右手を突き出してくる。
握手――異世界でも共通の挨拶だ。
「モンド・アンダルムです」
俺は立ち上がり、手を握り返した。
ヴォロの右手に力がこもる。
万力のような力で握ってくるが、俺にとっては大した力の内には入らない。
ヴォロの顔色が変わる。
「むう……」
俺はヴォロの手のツボに指を滑らせ、思い切り握り返す。
「はうっ!」
痺れるような痛みの走るツボだ。ヴォロは声をあげ、体勢を崩した。
俺は握った手でヴォロの動きを制御し、跪いた姿勢にさせる。
「いやあ、かくもご丁寧なる挨拶、痛み入ります」
俺は笑顔を浮かべ、手を離してやった。
ヴォロは右手を揉みながら立ち上がる。
「ご無礼をいたしました……アンダルム殿の実力の程、見極めたく思い……」
ヴォロは姿勢を正し、言う。
「これならば、安心して旦那様をお任せできます!」
「任せるんじゃないよ、一緒に守るんだ」
「はっ、重ね重ね失礼を」
「良いんだ……さっきの技、知りたくないか?」
「是非にも!」
「そのうち教えるよ、まあ、これからよろしく頼む」
「はっ! 有り難くあります!」
ヴォロの顔が輝く。
分かりやすい男だ、だが、こういう分かりやすさは嫌いじゃない。
宰相が口を開く。
「お見事……ヴォロ、下がって良いよ」
「はっ! 失礼します」
部屋を出るヴォロと入れ替わるようなタイミングで、茶を持った侍女が入ってきた。
侍女がテーブルの上に茶の支度を調えてゆく。
何故か妙にちらちらと、こちらへ視線を送ってくる、特に殺気は感じないが――。
「申し訳ございません! とんだ粗相を――」
俺を見すぎるあまり、手元がおろそかになったようだ。
注いでいたカップの縁から茶が溢れ、受け皿に溜まっていた。
「構いません、後は私がやります――よろしいですね」
宰相に視線を送る。
宰相は頷いた。
侍女の手からティーポットを取り、侍女を部屋の外へと送り出す。
「いささか作法に反しますが――失礼」
宰相の前に置かれたカップを手に取り、裏も表も検める。
さらに少量の茶をカップに注ぎ、匂いを確かめた。
「大丈夫そうですね」
宰相の前にカップを戻し、改めて茶を注いだ。
「毒の確認か――慎重すぎるのではないかね?」
「万が一の事があれば、一族の将来にまで障りが出ますから」
目前で毒殺なんぞされた日には、アンダルム家の面目が末代まで丸潰れだ。
「ふむ、有難う」
宰相はカップを口に運ぶ。
俺も自分のカップに注がれた茶を飲んでみた。
上等の黄茶だ。
飲み込んだ後に喉から鼻へと抜ける、花を思わせる華やかで豊かな香り、舌の奥で、渋みの後にまろやかな甘みが立ち上がってくる。
「セラディアの黄金茶だ、銘茶は、私の少ない楽しみの一つだよ――済まなかったね、家の使用人が――」
俺はソーサーに溢れた分をカップに戻しながら答える。
「お気になさらず、何やら、随分と私の事が気になるようでしたが」
「分からんのかね?」
「はあ」
「君に見惚れていたのだよ」
うっすらそんな気はしていたが、やはりそうだったのか。
以前からこの新しい体、だいぶん男前なんじゃないかと思ってはいたが、なにせ故郷では若い娘は少なく、見かけたとしても、ちょっかいを出してる暇など無かった。
「――マズいですかね、あまり目立つ顔は」
「構わんよ、必要があれば隠せば良い――それに、今は多少、耳目を集めてもらった方が都合が良い」
「そうなんですか?」
「そうだ――ああ、肝心な事をまだ話して無かったね、君を呼び寄せた、その理由を」
宰相はテーブルに置かれた保管箱から細巻きの葉巻煙草を取り出す。
「やるかね?」
「いえ、結構です」
「では、私だけ失礼するよ」
宰相は燐寸で葉巻に火を着ける。
「私の下には暴力装置が不足していた、正規の兵士ではなく、君のようなタイプの」
宰相は葉巻を一息ふかすと、言葉を続ける。
「実は、君の前に二人ほどやられている、私の故郷から呼び寄せた者がね……一人は治療院送り、今一人は行方不明だ」
「私も襲われました」
「――やはりか、人数は?」
「四人」
「殺したのか?」
宰相は眉一つ動かさずに問う。
「いえ、戦闘が続けられない程度に手傷を負わせ、追い返しました」
「見事だね……まあそんな感じで、私に対する圧力は日に日に強まりつつある、おそらく、最終的には私を退け、後釜に座るつもりなのだろう」
「あるいは、己に都合の良い者を後釜に」
「そういう事だ――できれば君の母君や君を巻き込みたくは無かったが、どうにも手が尽きてしまってね、恥ずかしながら泣きついた、というわけだ」
「つまりは用心棒」
「いや、違う――速やかな無力化だ、帝都の、そして帝国の安寧を脅かす者、そのすべての」




