モンド、帝都に向かう
武芸を磨き、様々な毒の知識や暗殺の手法を学び、さらには他の様々な知識についても学んで行く。
この家に、何故か俺の父親である人物の姿は無かったが、母はその事に関しては何も語ろうとしなかった。
そうこうするうちに、気付くと俺は二十歳になっていた。
二十歳の誕生日を迎えて数日後、朝食を終えていつものごとく鍛錬に向かおうとしていた俺は、母に呼び付けられた。
「帝都へ、お行きなさい」
俺が部屋に入るなり、なんの前置きもなしに母はそう言った。
「……いきなりですか」
「貴方を雇い入れたいと、名指しで申し入れをしてきた者がいました」
「誰なんですか?」
「クラウス、エドガー・クラウス」
流石に驚きを隠せなかった。
「帝国の宰相閣下じゃないですか! 直々のご指名とは、それはまた――」
あれこれと学ばされた中には、自分が住んでいるこの世界――帝国アストレアと、その社会や政治の状況も含まれていた。
先代の皇帝は若くして崩御し――善政も悪政も、どちらもする暇がないほど短い帝位だった――そのため大きな問題が生じていた。
帝位の継承問題だ。
百年余りの長きに渡り続いた国には、まあよくあることなんだが、代を重ねるにつれて、皇帝の子供の数はだんだんに先細りとなっていた。
そして亡くなった先帝は一人っ子だった。
つまり嫡流が絶えた事になる。
一応こうした事態も想定されており、初代の皇帝によって、万が一本家の嫡流が途絶えた際に、新たな皇帝を選び出すべき家――三つの公爵家が定められていた。
ランディス、エルディナ、ヴァルトハイン、の三公爵家だ。
とはいえ、百年も経てばそれぞれのお家事情も様々だ。
新皇帝を自分の所から出したいのはどこも同じだったが、さりとて家で一番優秀な人物を、はいどうぞと差し出してしまえば、今度は自分の所の屋台骨が危うく成りかねない。
自家の存続に影響が出ないよう、二番手三番手ぐらいでありながら、それでも他家よりは優れた人物を、という矛盾もいいところな人選が行われた。
その結果、まあ三家ともそれぞれに一長一短ある人物が出揃い、他家からすればいくらでもケチがつけられるという状況になった。
そして半年あまりのすったもんだの末、結局は一番無難な人物――ヴァルトハイン家の次男、ユリウスが帝位に据えられた。
風の噂に聴いたところでは、かなり聡明ではあるが、意志薄弱な人物だとか。
おそらくはその方が、神輿として担ぎやすい――誰から見ても、己の意のままに操れそう――そう見なされたんだろう。
で、その新皇帝の選出にあたり、影で色々と辣腕を振るったのが、新皇帝の即位に伴い抜擢された新宰相――エドガー・クラウスだとも噂されていた。
新皇帝の下で、官僚組織を一新するにあたり、人手が足りない事は容易に想像できたが、しかしそれにしても何故、俺なんだ?
ほんの僅かの間にあれこれと逡巡したおれは、顔を上げ、言った。
「行きます」
母は微笑み、一振りの短剣を取り出す。
「この剣を、持ってお行きなさい」
その剣には見覚えがあった。
あの夜の儀式に使われた剣、俺の運命を決めた剣じゃないか。
剣を手にしたまま、母は立ち上がり、言った。
「そこの燭台を、こちらへ」
言われるままに、俺は暖炉の上に置かれた燭台を手に取り、母の脇、机の上に置く。
「見ておきなさい」
微笑むと、母は短剣の柄に手をかけた。
無言のまま、母は手を閃かせる。
鋭い金属音が部屋に響いた。
真鍮製の太い燭台は、中ほどの所で両断されていた。
切られた燭台の片方を手に取り、切り口を見る。
その断面は、練絹のように滑らかだ。
「……腕が落ちました……昔ならば、同じ速さで二度、斬りつけられたものを」
涼しい顔で母は言った。
「鉄喰らい、それがこの剣の銘です」
「失礼します」
母から手渡されたその短剣を、鞘から抜いて刃を確かめる。
刃毀れどころか、傷一つ付いていない。
「……凄い」
思わず感想が口をついて出た。
「今のわたくしの細腕では、真鍮の燭台か精一杯ですが、貴方なら鋼の剣でも切れるでしょう」
母が俺の前で技を見せるのは、これが初めてだった。
考えた事も無かったが、もしかしてこの人、結構な凄腕だったんじゃ……。
そういえば容姿もぜんぜん衰えてないよな、この人。
そんな事を考えつつ、改めて刀身をよく見てみる。
両刃で刃渡りはざっと三十センチぐらい、身幅は細いが、重ね――刃の厚みは厚めだ。
何よりも特徴的なのはその刀身の色だ。
艶のない漆黒で、まったく光を反射しない。
メッキ加工など存在しないであろうこの時代に、どうやってここまで光を反射しない、真っ黒な刀身を作れるのか、まったく見当もつかなかった。
刀身の棟を指ではじいてみる。
硬い硝子の風鈴のような、澄んだ音色が響いた。
だいぶ硬い鋼を使っているようだ。
だが、一般的には、鉄は硬くすればするほど脆くなる。
これほどの硬さで大丈夫なんだろうか。
そんな事を思いつつ、俺は剣を鞘に納めた。
母は重そうな革袋を取り出し、机の上に置く。
「これは路銀です、持ってお行きなさい、それと、これは宰相殿からの書状」
母は机の上の砂時計を返し、言った。
「馬車が待たせてあります、この砂が落ちきるまでに仕度を」
まったく、旅立ちの風情も何もあったもんじゃない。
大慌てで背嚢に詰め込んだ荷物は、たいした量にはならなかった。
「帝都までよろしく頼む!」
御者に声をかけ、馬車の戸を開ける。
持って行く物と路銀の袋を入れた背嚢を隣の座席に投げ込み、座席についた。
「いいぞ! やってくれ!」
御者に再び声をかけ、屋敷の方を振り返った。
二十年住んだ家だが、特に感慨は湧かない……いや、そうでもないか。
二階の窓に、母の姿が見えた。
鍛えられた俺の目が、母の目元に何か光るものを捉えたような気がした。
「……まさか、ね」
あるいは、本当にただの見間違いだったのかもしれない。




