モンド、失う
「こちらはいかがでしょう」
イーシャは黒に近い暗灰色の外套を取り出して来た。
だいぶゆったりとした作りで、フードも付いている。
「見たところは普通の外套だが……」
俺は布地を手で触り、確かめつつ言う。
「失礼いたします」
イーシャは短剣を取り出し、カウンターに広げられた外套に突き立てる。
が、刃は通らなかった。
「なるほど、防刃か」
「エス=オルの島々に住まう銀大蜘蛛の糸を織り込んだ特別製で、矢も防げます、さらにこちらを仕込めば」
イーシャは小さな金属の板を取り出した。
防御用の板金にしては小さすぎる、手のひら程の大きさもない。
「対魔法護符でございます、一枚につき一度、致死性の威力の魔法でも防げます」
「確かなのかい?」
「……触れてみてもよろしいか?」
後ろで見ていたシアが声をかけてきた。
イーシャが頷く。
「どうぞ」
シアが護符に手を触れ、小さな声で何かを唱える。
護符は淡く光を発した。
「確かに、防護の魔法がかけられている」
「貰うよ、護符も一枚付けてくれ」
シアに魔法探知ができるとは意外だった。
帝国内で魔法の資質を持つものはごく稀だ。
かくいう俺も、魔法の資質はまったく無し、ゼロだった。
「そうだ、シア、君も何か好きな武器を見繕っていくと良い」
「こちらのご婦人は?」
「ああ、えーと、私の妻だ」
「ふむ、奥方様は武器はお持ちではないようですな……とはいえ、技量の程を見せていただきたく」
イーシャは顎に手を当て、少しの間考える。
「そうですな、この紙を切っていただきましょう」
イーシャはカウンターの下から一枚の薄手の紙を取り出した。
「私がこの紙を宙に投げます、それを」
宙に浮く紙を切るのは中々に難しい。
「お断りいたします」
「……なんと?」
イーシャの片眉が上がる。
「無論、多少の剣の心得はございます、我が君の為であれば、遠慮なくそれを振るいもしましょう」
シアは一呼吸置いて話し続ける。
「なれど、わたくしの剣は人を切る剣、人の命を断つ杣人、斧の試しに紙を切る杣人が居りましょうや?」
イーシャは呆気にとられた顔をしていたが、やがて、笑い出した。
「……これは、一本取られましたな」
「すみません、妻が生意気な物言いを……」
っていうか、まるで、生まれついての武人の妻ってな感じの喋り方だ。
いったいどこで覚えた、そんな喋り方。
「いや、こちらこそご無礼をお許しいただきたい……奥方様、何なりと、お好きな武器をお選びください」
シアは嫣然と微笑み、言った。
「それでは、私の旦那様と同じ物を、もう一揃い」
「……ふむ、今日はもう、店じまいですな」
最後に剣帯の注文をした。
長剣を帯びるとなれば剣帯は必須だし、鉄喰らいにしても、いつまでも腰の後ろに差し込んで置くわけにもいかない。
剣を下げる位置や、小物入れの位置など、あれこれ細かく指定する。
最後に支払いを済ませると、母から渡された革袋はだいぶ軽くなった。
宰相殿は、経費は出るとは言ってはいたが、とりあえずの支払いはしなければならない。
宰相殿に請求を回して貰う、というのも考えたが、最初の取引だ、信用を得るためにも、現金で先払いにした。
「武器はお持ち帰りになられますか?」
「いや、宰相公邸まで届けてくれ」
「承知いたしました、剣帯はお仕立てに二、三日をいただきますが、それ以外は今日中に」
支払いを済ませて部屋を出ようとした所で、一人の男が部屋に入ってきた。
デカい。
俺の今の身体も、この世界の平均的な身長からするとかなり長身の方だ。
が、その男は俺よりも頭一つ分デカかった。
イーシャが恭しく一礼をする。
「これはアーサー殿、いらっしゃいませ」
「――先客がいましたか、差し支えがあるようならば出直しますが」
アーサーと呼ばれた男、偉丈夫な見かけによらない、優しげな声と話し方だ。
「いえ、我々はもう済みました、もう帰る所ですのでお気遣いなく――では、よろしく頼むよ」
イーシャの店を出て、街を歩きながらシアに話しかける。
「まったく、肝が冷えたよ、どこで覚えたんだ? あんな物言い」
「これまで様々に姿を変え、あらゆる場所に忍び入ってきた、酒場の莫連女の喋り方だろうと、貴族の御令嬢の喋り方だろうと、いくらでも真似できる」
「だが、挑発的な物言いは相手を選べ、あの武器屋にはこれからも世話になる」
「……気を付けよう」
あれ? やけに素直だな。
その夜。
シアと俺は部屋で食事を終えた。
シアに先に入浴させ、俺はこれからの動きについて思案していた。
浴室のドアが開く気配に、俺は振り向きながら言う。
「随分と時間がかかったな、疲れているのなら先に寝てても――」
そこには一糸まとわぬ姿のシアが立っていた。
「腹は定まった、私の全てをお前に賭ける、私を抱け」
アニメ化とかする時、どうするんだ、これ。
「いやそんな急に、抱けって言われても」
俺の目前に迫りながらシアは言う。
「お前の妻なのだろう? 私は」
「いや確かにそうだけど」
「妻にする、とはそう言う事だろう? まさかそこまでは考えてなかったとでも?」
……うん。実は考えてなかった。
シアは後退りする俺をベッドに押し倒し、その口で俺の口をふさぐ。
窓から差し込む光で目を覚ました。
夢だったか、そう思いながら横を見る。
夢じゃなかった。
すぐ脇には、安らかな寝息を立てるシアの顔があった。
寝顔は普段よりも幼く見えるな、そんな事を考えているとシアが目を開けた。
シアが言う。
「初めてだったのだろう?」
「……わかった?」
繰り返しになるが、なにせ故郷では若い娘は少ないし、見かけたとしても、ちょっかいを出してる暇など無かった。
「わかったさ……私もだ」
「うそぉ」
思わず地が出てしまった。
「嘘ではない――知識としては、あれこれと教えられてはいたが、実際にするのは初めてだ」
「それにしては、あまり痛がらなかったけど」
口にしてすぐ後悔した。
我ながら余計な事を。
「……痛い内には入らない、あれくらいは」
かもしれないな、シアの身体の、あちこちにある傷跡を見ながら俺は思った。
「ふふっ」
シアは小さく笑いを漏らす。
「前の夜はお前にしてやられた、だが昨夜は――私がお前をものにしたのだ、これから先、もしかしたら裏切られるかもしれない、見捨てられるかもしれない、それでも構わない、私はいつも、お前のここに残り続ける――最初の女とはそういうものだと聞いた」
言いながら、シアは俺の胸に手をあてる。
もしかして俺はまた、とんでもない選択をしてしまったのだろうか?




