翔風型駆逐艦“疾風”
昭和十七年六月――南方海域。
青黒い雲が重く垂れ込める中、駆逐艦〈疾風〉は蒼く不穏な海面を切り裂いて進んでいた。
翔風型駆逐艦。その最新鋭の船体は、旧来の駆逐艦とは一線を画していた。
45口径12.7センチ両用砲三基、魚雷発射管は四連装二基、さらには電探、探信儀、そして対空方位盤を装備した万能の小艦。
この艦は今、軽空母〈龍驤〉の直衛艦として、ソロモン海域を目指していた。
「前方、敵艦らしきものあり。方位三〇、距離一万五千!」
見張員の報告に、艦橋が緊張に包まれる。〈疾風〉艦長・倉田少佐は、手すりを握った。
「電探、照合急げ。敵艦種を割り出せ。魚雷は装填完了状態を維持、主砲方位、対空射撃角へ」
「了解!」
新型の12.7センチ両用砲は、対空にも対艦にも対応可能な奇跡の兵器だった。かつての高角砲の限界を超え、砲弾は滑らかに自動装填されていく。
「龍驤より通信。敵艦上機と思われる編隊、こちらへ接近中!」
倉田は即座に命じる。
「全砲、対空迎撃体勢! 魚雷、発射準備保持。速力維持、陣形を崩すな!」
その時、海上の彼方から、金属を引き裂くようなエンジン音が轟いた。
敵艦上機――おそらくは米空母〈エンタープライズ〉艦載のSBDドーントレスだろう。緩降下を開始した敵機が、〈龍驤〉目掛けて襲い来る。
だが、〈疾風〉の12.7センチ両用砲が吠えた。対空方位盤の指示で正確に旋回し、曇天を裂く高角射撃を連続で叩き込む。
「命中! 一機、爆炎を上げて落下!」
次いで25ミリ機銃が火を噴く。掃射をかわしつつ迫る敵機に、〈疾風〉の乗員たちは寸分違わぬ連携で弾幕を張り続けた。
それでも、何機かは〈龍驤〉の至近に爆弾を投下した。
爆音と衝撃。海水が柱のように舞い上がる。
「龍驤、被弾! だが航行可能! 火災発生、消火作業中とのこと!」
倉田は歯を食いしばった。
空母を守る――それが彼らの任務だ。
「〈龍驤〉へ伝達。〈疾風〉はこの位置を維持、直援を継続する」
敵はまだ終わっていなかった。
「敵艦、右舷後方より接近!」
「魚雷発射角、右舷四五! 発射用意!」
雷撃戦――それは日本駆逐艦の伝統芸。
高角砲の照準を切り替えると同時に、魚雷発射管がうなりを上げる。
「撃て!」
四線の魚雷が、波間を滑るようにして走り出す。電探が示した敵影は、おそらくは駆逐艦数隻、もしくは巡洋艦を含む小艦隊。
――五分後。
爆発音が遠雷のように響き、黒煙が敵艦のひとつを包み込む。
「命中! 敵駆逐艦、一隻轟沈!」
〈疾風〉艦橋に安堵の声が漏れる。
敵艦上機の第二波も、〈疾風〉の両用砲によって一機、また一機と撃墜されていく。
「龍驤より報告。火災鎮火、航行に支障なしとのこと!」
戦いは三時間に及んだ。だが、〈龍驤〉は沈まず、〈疾風〉は損傷ひとつ負わなかった。
ソロモン海の陽が傾く頃、倉田はふと、艦橋の天蓋越しに空を仰いだ。
「……これが“汎用艦”の力か」
技術将校が口にしていた言葉を思い出す。
「敵機も、敵艦も、我らの砲で応じるべし」
〈疾風〉は、まさにその象徴だった。
対空、対艦、雷撃――全てを一手に担う万能艦。
もはや“水雷バカ”の時代は終わった。
翔風型――それは、新たな駆逐艦の世代を告げる狼煙だった。
空母〈龍驤〉を守り切ったこの戦いは、やがて「ソロモンの盾」と呼ばれ、語り継がれることになる。
だが、その名が世に知れ渡る頃にも、〈疾風〉の乗員たちは気づいていなかった。
これは、ただの始まりにすぎないのだと――。