森の赤い瞳は、俗物に似て
森を進むたび、空気が少しずつ変わっていくのを、肌で感じる。
木漏れ日すら、どこか鋭くなったようで──
外の世界が、すぐそこに迫っている気配がした。
(森を出た先に、何が待っているのか分からない。
でも……もう、後戻りはできないのよ)
そう思った、その矢先。
ピキリ、と木々の隙間から鋭い音が響いた。
私は思わず立ち止まり、俗物の前に手を広げる。
「待ちなさい」
胸元で、ルリエルの冷ややかな声が囁いた。
「……何かが、こちらを窺っているわ」
そして──次の瞬間。
木の影から飛び出してきたのは――
ニタァ……と笑う、小猿のような魔獣。
赤くギラギラ光る瞳。
苔むした緑がかった毛並み。
長い尻尾をクネクネ揺らしながら、妙に人間じみた甲高い声で叫ぶ。
「オッパイ!!」
……最悪の登場よ。
よりによって、その言葉なの。
「うわっ!? なにあれ!? キモッ!!」
俗物が素っ頓狂な声を上げて飛び退く。
私は眉をひそめて、彼を睨みつける。
「グリモキーよ。
森に棲む厄介な魔獣なの。
畑を荒らし、倉庫を壊し、苗木を食いちぎる害獣……
群れで襲ってくるから、放っておくと本当に危険なのよ」
俗物は、目を剥いて叫ぶ。
「えっ!? そんなヤベーやつなのに、オッパイ連呼とかやめてくんない!?」
私は深くため息を吐いた。
「……そういうところが、余計に厄介なのよ……」
(まったく……あれ、俗物にそっくりじゃない……)
結局、心に留めておけず、口をついて出た。
「……あれ、あなたにそっくりじゃない? 親戚かしら?」
「はぁ!? オレ、あんなギラギラした目してねーからな!?
……してないよなっ!?」
いや、ちょっと似てるわよ。
目とか、ギラつき方とか。
なんて思ったけど──口には出さないでおいた。
代わりに、ルリエルが冷たく言い放つ。
「ええ、そっくりよ。
俗物もグリモキーも、二足歩行する肉欲そのもの。
森に穢れを撒き散らす害獣だわ」
(……たしかに。目のギラつき具合は、そっくりなんだけどっ!!)
私がツッコミを入れるよりも早く──
グリモキーの一匹が素早く尻尾を伸ばしてきた。
「──っ!」
その尾が俗物の脚に絡みつき、
容赦なく地面に引き倒す!
ザリッ……と嫌な音を立てて、
鱗のような棘が彼のふくらはぎを裂いた。
「う……うわっ!? いってぇ……血……? ぬる……
……これ……マジで現実じゃん……」
俗物が、青ざめた顔で震えている。
彼の脚から、赤い血が滲んでいた。
私は息をひとつ吐いて、低く呟く。
「……最初から現実よ。
死ぬことも、痛いことも、ずっと当たり前なの」
胸元のルリエルが、氷みたいに冷ややかに告げる。
「俗物も血を流せば、森の獣と変わらないわ」
グリモキーたちは、甲高い笑い声をあげながら、
木々の影へ再び潜った。
私は魔力を練りながら、唇をギュッと噛む。
(恐ろしい。
でも、もう戻れない。
戦わなきゃ──ここで終わるだけ)
その時。
視界の奥で、赤い瞳がギラリと光った。
(来るわ……!)